• メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

    ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

    【お知らせ】7月より一身上の都合で3日に一度の更新とさせていただきますので、ご了承ください。これからもよろしくお願い致します。

    アーサー王の絵画13点。円卓の騎士を率い、国家統一を果たした伝説のブリテン王

    Charles Ernest Butler, King Arthur, 1903 -

     アーサー王は5世紀後半~6世紀前半に生きた、ブリテン人の伝説の王です。
     彼はケルトの伝承において有名な存在なので、まとまった歴史や物語があるかと思いきや、意外にも原典となる作品は存在しておりません。中世の歴史書や騎士道物語に登場するアーサー王は設定や出来事が異なっており、現在伝わっているアーサー王という存在はそれらを一纏めにしたものと言えそうです。中世初期から彼に関する史実はちらほらとありましたが、1138年にジェフリー・オブ・モンマスが書いた歴史書「ブリタニア列王史」によって、アーサー王の伝説が世界中に広まることになりました。ジェフリーが描くアーサー像はサクソン人に勝利し、ブリテンやアイルランド、アイスランド、ガリアなどを含めた大帝国を築いたとされています。この時点で既にアーサー王の物語の要素が入っており、12世紀にランスロットと聖杯のエピソードが追加され、中世時期において栄華を極めましたが、その後廃れてしまいました。人気が復活したのは19世紀になってからで、現代においても物語は愛され読み続けられています。
     では、物語のあらすじを見つつ、アーサー王の絵画13点をご覧ください。

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    錬金術師(アルケミスト)の絵画13点。賢者の石と金の錬成に生涯を掛けた研究者達

    Joseph Wright of Derby  1771 リンの発見 -

     錬金術師は卑金属からの金の錬成や、不老不死となる賢者の石やエリクサーの錬成、人造人間の錬成などを研究した者のことを指します。
     始まりは古代ギリシャからで、古代エジプトからイスラムに伝わり、12世紀には西洋でも盛んに研究されるようになりました。万物は火、風、水、土の四大元素から成り立っており、元素は分解や相互変化ができるとされました。この四つの元素を金の配合と同じにすれば金が生成できると考えられました。この思想は占星術と結び付けられ、神秘を纏っていく内に不老不死を可能とする「賢者の石」の思想も生まれることになりました。中世の錬金術師たちはこの物質を錬成しようと、こぞって研究を行いました。

     化学者としての発明も数多くあり、錬金術師は磁器の製法の発見、蒸留の技術、硫酸・硝酸・塩酸や実験道具の開発などを行いました。17世紀後半になると四大元素は否定され、アントワーヌ・ラヴォアジエが「質量保存の法則」と33ヶの元素を発表すると、錬金術は近代化学に変貌していきます。金や永遠の命を求める錬金術師の熱意が化学を底上げしたといっても過言ではないように思います。
     様々な実験を行う錬金術師の絵画、13点をご覧ください。

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    トロイ戦争の英雄アキレスの絵画12点。敵将ヘクトルを倒すも踵を射られて絶命する

    Death of Achilles  Peter Paul Rubens 1630-35 -

     アキレスはギリシャ神話のトロイ戦争に登場する英雄です。
     母テティスによってかかとを除いて不死となった彼はケイロンに養育され、立派な青年になります。トロイ戦争に参加することになったアキレスは総大将アガメムノンともめ、険悪な仲になってしまいます。それ以降彼は戦いに出陣しなくなり、ギリシア側は総崩れとなってピンチに陥りました。それを見かねた親友パトロクロスは彼の鎧をこっそりと借り、アキレスと偽って戦争に出ました。戦況を盛り返したものの、パトロクロスは大将ヘクトルによって討ち取られ、鎧を奪われてしまいます。大親友がヘクトルに殺されてしまい、大激怒をするアキレス。彼はヘクトルに一騎打ちを挑み、圧倒的な強さで倒してしまいました。怒り収まらぬアキレスはヘクトルの遺体を戦車に取り付け、そこら中に引きずり回しました。
     それからアキレスは次々と敵将を討ち取っていきますが、ヘクトルの弟のパリスによって弱点であるかかとを射られ、絶命してしまいます。(一説にはアポロン神) その後、息子のネオプトレモスがトロイの王プリアモスを討ち取り、トロイは陥落したのでした。
     親友の死からヘクトルの討伐、アキレスの死までの絵画12点をご覧ください。
    → アキレスの幼少期と戦争以前の絵画を見たい方はこちら

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    ギリシャ神話の英雄アキレスの絵画12点。ケイロンに師事した彼は戦争へ連れられる

    education centaur Chiron 1782 Jean Baptiste Regnault -

     アキレスはギリシャ神話に登場する英雄です。
     王ぺーレウスと海の女神テティスとの間に生まれました。アキレスが生まれると、テティスは直ぐ冥府の川スクテュスに息子を浸しました。その川には人を不死にする力がありましたが、テティスはアキレスの足首を掴んでいた為、かかとだけ不死にはなりませんでした。その後、彼はケンタウロス族の賢者ケイロンの元に預けられて養育されました。立派な青年になったアキレスでしたが、トロイ戦争に関わると命を落とすと予言が出たので、テティスは息子を女装させてスキュロス島へ移しました。そこで彼は王の娘デイダメイアとの間に息子ネオプトレモスをもうけています。

     そこへ戦争の勧誘にオデュッセウスが来たので、女装したアキレスはやり過ごそうとしました。しかし、策士の彼は女性向けの物の中に武器を混ぜ、正体を暴いてしまいました。こうしてアキレスは戦争に出ざるを得なかったのです。いざ出航しようとした彼等でしたが、トロイ方面とは逆の風が吹いており進めませんでした。総大将アガメムノンが神託をすると、娘を生贄へ捧げるという結果が出ました。アガメムノンはアキレスとの縁談を理由に娘を呼び寄せ、生贄にしてしまいます。アキレスはその事に非常に強い怒りを示し、亀裂を生じさせるきっかけとなりました。
     その後、彼はトロイ戦争へ参加して予言通りに命を落としてしまうのですが、今回はアキレスの幼少期とアガメムノンの確執についての絵画12点をご覧ください。

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    悲劇の女王ジェーン・グレイの絵画13点。王権争いで9日目に廃位、後に処刑される

    Paul Delaroche 1833 -

     ジェーン・グレイは1537年-54年に生きたイングランドの女王です。王権争いによって九日後に廃位させられ、その七か月後に処刑されてしまいました。その為、「九日間の女王」とも呼ばれています。
     政治家であるジョン・ダドリーは、自らの血統者を王位に継がせたいと考えていました。エドワード6世が重病にかかった為、好機とばかりに自分の息子ギルフォードを王の血統を継ぐジェーン・グレイと結婚させます。ジェーンは前王ヘンリー8世の妹の孫にあたります。エドワード6世が病死をすると、ジョン・ダドリーはジェーンの王位を宣言し、女王に仕立てあげるものの、王の姉にあたるメアリー1世(ブラッディ・メアリ)がサフォークで支持派を集め、ロンドンの枢密院が彼女を王女として認めました。ジェーン・グレイが女王でいられたのは、わずか九日間でした。

     女王から一転、反逆者の罪を被せられたジェーンと夫ギルフォードはロンドン塔へ幽閉されてしまいます。首謀者であるジョン・ダドリーは一か月後に処刑されましたが、メアリー1世は夫妻に恩赦を与える気でいました。しかし、メアリー1世がスペイン王フェリペ2世と結婚すると発表するや否や、民衆や政治界の間で猛烈な反対が起こりました。その混乱状態の最中、女王は一部の議員の説得を受け、ジェーンとギルフォードの処刑を決定するのです。それは王位の立場を危うんだ故の判断でしたが、二人にそのような気はありませんでした。廃位から7か月後の2月12日、ジェーン・グレイはわずか16歳、ギルフォードは19歳で処刑されてしまいました。
     悲劇の女王ジェーン・グレイの絵画13点をご覧ください。

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    2018年1月, 東京より展覧会「ブリューゲル展 画家一族」が開催!150年の長き系譜

    ブリューゲル展―

     2018年1月23日(火)―4月1日(日)より、東京都美術館において「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」が始まります!ピーテル・ブリューゲル(父)より、五世代に渡って続いた画家一族。個人所蔵なども含め、約100点ほどが出品される予定です。2017年4月より開催された「バベルの塔展」に引き続き、来年もブリューゲル祭りの年になりそうですね。私はテンション上がりっぱなりです!
     早速詳細を見ていきましょう!
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    テンプル騎士団の絵画13点。十字軍を率いたが、異端とされて火刑となった組織

    Claude Jacquand  1846 - コピー

     テンプル騎士団は12‐14世紀頃に活躍した、エルサレムへの巡礼者を守護する騎士団の一つです。
     第一回十字軍が成功し、西洋人の手によるエルサレムの統治が行われましたが、治安は非常に悪いものでした。そこで、巡礼者が安全に歩けるようにとユーグ・ド・パイヤンが1118年に9名の有志を募って「キリストの貧しき騎士」を名乗り、道の安全を守りました。彼等の行為は高く評価を受け、かつて神殿のあった場所を王が授けた為に「テンプル騎士団」と呼ばれるようになりました。

     彼等は修道士であると同時に戦士であり、厳しい戒律を有していました。その勇猛果敢さはお墨付きで、数々の戦いに参加して勝利を収めました。組織が拡大するにつれ、独自の財務管理や銀行のようなシステムを持つようになり、テンプル騎士団は全ヨーロッパに広がっていきました。他にも騎士団は無数にありましたが、テンプル騎士団が最も強い権力を持つようになったのです。しかし、財力や権力が高まれば、周囲からの風当たりは強まるもの。イスラムとの戦争で総長が戦死すると、テンプル騎士団の威信は地に落ちて行きます。さらにフランス王フィリップ4世は騎士団の財産を欲しており、壊滅を図ろうと「奴らは男色と悪魔崇拝をしている」として、彼等を起訴してしまいます。1307年、騎士団の者は一斉に逮捕され、嘘の自白をするまで徹底的に拷問をされます。教皇クレメンス5世もフィリップ4世とグルであり、テンプル騎士団の解散を命じました。四名の指導者は口封じのために火あぶりにされ、騎士団は崩壊してしまったのです。
     権力に潰された悲劇の組織、テンプル騎士団についての絵画13点をご覧ください。

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    ギリシャ神話 トロイの豪勇ヘクトルの絵画13点。パリスの兄でアキレスに敗れる英雄

     1825 -

     ヘクトルはギリシャ神話のトロイ戦争に登場する英雄です。
     トロイ王国の王子である彼は、プリアモス王と妃ヘカベーとの間に生まれ、軍の総大将であり一番の豪勇でした。兄弟はパリス、カサンドラ、デーイボポスなど12名おります。長男で国の後継者ゆえにヘクトルは非常に正義感が強く、弟パリスがスパルタの妃ヘレネをさらってきてしまった時は、厳しくいさめました。また、善き夫であり、妻アンドロマケと子アステュアナクスを非常に愛していました。彼は全軍を率いてアキレスの親友パトロクロスを討ち取りましたが、それに激怒したアキレスはヘクトルを殺害、遺体を見せしめにしました。父プリアモスは最愛の息子が引き廻しにされているのをいたく悲しみ、アキレスの元まで深夜単独で行き、返してくれるよう頼み込みました。それを不憫に思った彼はヘクトルの遺体を返すことにし、トロイで丁重な葬儀が執り行われました。
     トロイの猛将ヘクトルに関する絵画13点をご覧ください。

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    ユリウス・カエサル (シーザー)の絵画13点。ローマ皇帝の礎を作り暗殺された支配者

    Peter Paul Rubens, Julius Caesar, 1619 -

     ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は共和政ローマの時代の政治家、軍人です。紀元前100年―紀元前44年に生き、おそらくローマ時代の中で五本の指に入る有名人でしょう。
     名門の貴族の家に生まれたカエサルはガイウス・マリウスの甥にあたり、民衆派を支持していました。当時、民衆派と閥族派の二つがいがみ合っており、後者の代表スッラによって処刑されそうになりましたが、カエサルは小アジアに逃亡して難を逃れています。その後、スッラが死去したので彼はローマに帰り、持ち前の弁舌で政治界をのし上がり、ポンペイウス、クラッススの有力者と共に第一回三頭政治を行いました。その二年後、カエサルはガリア周辺の総督となり、数度の遠征を経てガリア全土を征服し、ローマの属州としました。

     しかし、紀元前53年にクラッススが戦死したことにより三頭政治は崩壊、ポンペイウスと不仲になって内戦が起こってしまいます。勝利したカエサルは独裁権力を手に入れ、逃亡した彼を追ってエジプトへ入り、その時に王女クレオパトラと知り合い、二人は恋愛関係となります。カエサルは小アジア、アフリカなどを渡ってローマに戻り、独裁政治を行います。しかし、元老院の崩壊を危惧した共和主義の者達により、カエサルは暗殺されてしまいます。その中には、非常に寵愛していたブルートゥスが混じっており「ブルートゥス、お前もか…!」という名言を残し、カエサルは息を引き取りました。
     共和政ローマの崩壊のきっかけを作った、ユリウス・カエサルの絵画13点をご覧下さい。

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    クラーナハがヒエロニムス・ボスの最後の審判を模写!?二つを比較してみました

    ボスクラナッハ比較

     ヒエロニムス・ボスの最後の審判の画像を検索していた時、画質の高い綺麗な画像が出てきたので、ぽちっと押してみました。すると、「ん?何かが違う?色がおかしいような・・・」と。そして、画像をアップしてみたら「そっくりだけど、ち、違う・・・!これは誰だ?」
     作者を調べてみたら、「ルーカス・クラーナハ(父)」となっていました。クラーナハ(1472–1553)はドイツで活躍した北方ルネサンスの画家です。2016‐17年に東京でクラーナハ展が行われていたので、知っている方も多いのではないでしょうか。彼は妖艶な女性を得意とした多産の画家なのですが、ボスの最後の審判を模写していたなんて、初めて知りました。調べてみると、クラーナハは1508-9年頃にフランドル旅行をしており、そこで最後の審判に出会ったようです。当たり前なことですが、カメラや画集がない当時では毎日実物を見ながら模写をしたのでしょう。
     今回はヒエロニムス・ボスの真作と、ルーカス・クラーナハの模写を比較していきたいと思います。やはり同じ作品でも、画家の個性がきらりと表れますよ!

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    中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
    師匠はヒエロニムス・ボス。
    神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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