• メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

    ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

    マルタとマリアの絵画14点。懸命なおもてなしとイエス・キリストのお話の優先順位

    Alessandro Allori 1605 -

     マルタとマリアは新約聖書に登場する姉妹で、おもてなしをせずにキリストの話を聞くマリア(聖母やマグダラのマリアとは別人)に、マルタが不満に思ってキリストに諭される物語です。
     ある日、キリスト一行はとある村で姉妹がいる家に迎え入れられました。マルタは「イエス様をちゃんとおもてなししなくちゃ!」と忙しく立ち回り、色々な準備に追われていました。一方、マリアはキリストの足元に座って話に聞き入っており、まったく動こうとしません。一人せわしなく準備をしているマルタはそれをずるく思い、キリストにこう問いかけました。「主よ。マリアは私だけに準備をさせています。何とも思いになりませんか。手伝うようにおっしゃっていただけませんか?」対するキリストはこう返しました。「マルタ。あなたは悩みすぎている。必要なのは一つだけなのだ。マリアは良い方を選んだのだから、それを取り上げてはならない」と。

     この物語は「マリアが正解でおもてなしをするマルタが悪い」と言っている訳ではなく、「おもてなしをするのは良い事だが、お話をする間は手を休めて聞き入ってもいい。それを非難してはいけないよ」という意味が込められています。マルタが「客人が来たから早く準備しなきゃ!」と焦って神の話を聞き逃しているのに対し、マリアは「お話が終わってから、しっかりと準備しましょう」と思っているのだと思います。
     準備を頑張るマルタにお話を聞くマリア。対照的な二人の絵画14点をご覧ください。

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    ゼウスとエウロパの絵画13点。白い牡牛に化けた最高神にさらわれていった美女

    Noël-Nicolas Coypel III 1690-1734 -

     エウロパ(エウロペ)はギリシャ神話に登場する、牡牛に変身したゼウスにさらわれてしまった美女です。
     テュロスの王女であるエウロパは、ある日侍女と共にお花を摘んでいました。そこに現れたのは白い立派な牡牛。それはエウロパを狙うゼウスが変身した姿でしたが、知らない彼女は「なんて素敵な牛さんでしょう!」と無邪気にもその背中にまたがってしまいます。牡牛はすぐさま海へと走り、エウロパをクレタ島へと誘拐してしまったのでした。そこで本来の姿に戻ったゼウスとの間に、三人の息子を産んだとされています。

     伝説によると、その後ゼウスはエウロパに「自動人形のタロス」「必ず獲物を捕まえる猟犬」「無限の投げ槍」の三つの贈り物を与え、牡牛の姿になって天空へと上昇し、おうし座になったとされています。また、ヨーロッパという呼び名はエウロパから由来しているそうです。
     では、牡牛に連れ去られてしまうエウロパの絵画13点をご覧ください。

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    決闘(一騎打ち)の絵画13点。プライドや愛を守るため、命運を賭けた二者の激闘

    Emile-Antoine Bayard (1884) - An Affair of Honor -

     決闘は決められたルールのもと、二人が武器を使って命を賭けて戦い合うことです。
     はじまりはゲルマン民族の伝統とされており、6世紀頃には制度となっていました。法律では解決できなかった事件や、名誉挽回の為に決闘を申し込んだのでした。時代や国により条件は異なりますが、申し込まれた決闘を断る事は「いくじなし!」と周囲から後ろ指を指されてしまうので、受託しなくてはなりませんでした。武器は剣や短剣、近代では銃を使いました。どちらかが戦意喪失すれば決闘が終わりということもあれば、どちらかが死ぬまで決闘が終わらないこともあり、敗者は処刑するという恐ろしいルールの場合もありました。

     西洋では15~16世紀に合法的な決闘は廃れ、決闘裁判はほぼ行われなくなりましたが、個人的な決闘はたびたび起こっていたそうです。フランスではアンリ四世の統治中、年平均235人が命を落としたとか。多いじゃないですか・・・。数は少ないものの女性間でも決闘は行われたそうです。
     では、決闘の絵画13点をご覧ください。

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    ミルトン「失楽園」の絵画12点。天使と悪魔の争いとアダムとイブの愛を書いた叙事詩

    Satan And The Birth Of Sin by Johann Heinrich Fuseli -

     「失楽園」はイギリスの17世紀の詩人ジョン・ミルトンによって書かれた叙事詩です。
     旧約聖書の「創世記」を踏襲しており、神に反抗心を持つルシファー(サタン)は志を同じくする天使と共に神に反逆し、敗北して堕天使(悪魔)となります。ルシファーは悪魔達と共に神への復讐を考え、人間アダムとイブを堕落させることを思い付きます。かくしてルシファーは蛇の姿となってイブに禁断の実を食べるようそそのかし、彼女はその実を食してしまうのでした。アダムは「彼女だけが追放されるくらいなら共に行こう」と神よりも愛を選び、妻と共に楽園を去ることを選びます。大天使ミカエルに今後彼等が直面する災いを告げられ、アダムとイブは荒野へと足を踏み出すのでした。

     魔女狩りが行われる時代に書かれたにも関わらず、「失楽園」は唯一神の栄光を前面に表すのではなく、ルシファーの「服従よりも自由を選ぶ」というある種の英雄像、人間の「安泰な神の服従よりも、苦難の愛を選ぶ」という愛と意思の偉大さを描きました。それに影響されてか、神や天使ではなくルシファーにスポットライトを当て、劇的に描く絵画が登場するようになりました。
     では、ジョン・ミルトンの「失楽園」にまつわる絵画12点をご覧ください。

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    シャロットの乙女(エレイン)の絵画13点。ランスロット卿の愛を得られず命果てた美女

    John William Waterhouse - The Lady of Shalott 1888 -

     シャロットの乙女は、愛の為に外へ出たものの呪いによって命を落とした悲劇の物語です。
     19世紀の詩人アルフレッド・テニスンの詩によると、シャロット姫は外の世界を直に見ると死ぬという呪いがかけられていました。外は鏡を通してでしか見られず、彼女は毎日室内で織物をしていました。そんな生活に飽き飽きしていたある日、シャロットは歌声を聞きます。声に惹かれ、つい彼女は外を覗いてしまったのでした。川のほとりにいたのは、イケメン騎士ランスロット卿。その時、呪いは発動し、鏡は割れ、織物は飛び散って糸がからまってきました。シャロットは苦しみながらもランスロット卿を追って、船に乗って岸を目指しました。しかし、対岸のキャメロット城についた時には、彼女はこと切れていたのでした。

     この物語は「アーサー王物語」のアストラットのエレインの影響があるとされています。
     ランスロット卿と出会い恋に落ちるエレイン。彼は身分を隠して槍試合に参加しようとしていた為、エレインは兄の武具を貸します。その時に「愛の印として赤いスカーフを付けてください」と頼み、彼は変装するには丁度いいと思って付けることにしました。試合で瀕死の重傷を負ってしまったランスロット卿をエレインは看護し、愛は結ばれるかと思いきや。傷が癒えたランスロット卿はエレインを捨て、宮廷へと帰ってしまったのでした。悲しみに暮れたエレインは恋煩いで衰弱し、息絶えてしまいます。エレインの遺骸は悲恋を書いた手紙を持ち、小船に乗ってキャメロットの対岸へと流されたのでした。アーサー王や円卓の騎士らは彼女を発見して涙を流したのでした。
     では、シャロットの乙女とアストラットのエレインについての絵画13点をご覧ください。

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    ヴィーナスの誕生の絵画13点。原初の神と泡より産まれ出た、愛の女神の大行進

    Nicolas Poussin 1635-6 -

     ヴィーナスの誕生は、ギリシャ神話の女神ヴィーナス(アフロディテ)が誕生する場面の事を指します。
     ヘシオドスの「神統記」によると、地母神ガイアは末子クロノスに鎌を渡し、夫である原初の王ウラノスの急所を切り落とすよう命じました。クロノスは父親の部分をざっくりと切り、この時流れ出た血から復讐の女神や巨人、精霊らが生じます。そして海に漂流していたその物の周囲に泡が集まり、泡から生まれたのがヴィーナスとされています。愛と美を司るヴィーナスとはいえ、物凄い産まれ方をしていますね・・・^^;

     漂流していたヴィーナスに西風ゼピュロスは魅せられ、彼女をキュテラ島やキュプロス島に運びました。島に上陸したヴィーナスは季節の女神ホーラ達に見つけられて衣装や飾りを付けられ、オリュンポス山へと行ったとされています。女性美を象徴する女神の誕生という主題は、ボッティチェリの代表作を筆答に何名かの画家によって描かれています。
     では、多くの海の神々に祝福されながら、どんぶらこっこと海を流れるヴィーナスの誕生の絵画13点をご覧ください。

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    十二使徒の足を洗うキリスト(洗足式)の絵画13点。立場なく清め合う美徳のたとえ

    Jesus Washing Peter’s Feet by Ford Madox Brown -

     洗足式は最後の晩餐の際、イエス・キリストが弟子の足を洗ったという記述により生じた儀式です。地位や立場関係なく互いの身を清め、徳を高め合おうという意味が込められています。
     新訳聖書によると、過ぎ越し祭が行われる木曜日、キリストと十二使徒達は食事を共にとりました。その時、弟子の間で「一番になるのは誰か」でもめ始めたのです。キリストはおもむろに立ち上がり、タオルを腰にはさんで洗面器と水を用意し、使徒達の後ろにまわって一人一人の足を洗い出したではありませんか。

     使徒達は驚きの余り成すがままにされていましたが、ペトロは「私の足なんか洗ってはなりません!」と足を引っ込めました。すると「洗わしてくれなかったら私の友ではない」とキリストが断言したので、ペトロは「じゃあ足だけじゃなくて頭も手も洗ってください!」とお願いしました。キリストは「君たちは清いので足だけで構わない。皆ではないが・・・」と意味ありげな事を発し、こう彼等に警句しました。「君たちは私を先生と呼んでいる。私が足を洗ったのだから、君たちも互いに仕え合わなければならない。私がしたようにしなさい」と。
     では、弟子たちの足をふきふき洗うキリストの絵画13点をご覧ください。

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    トゥヌクダルスの幻視の絵画13点。ヒエロニムス・ボスも読んだとされる異世界幻視譚

    Hieronymus Bosch's work -

     トゥヌクダルスの幻視(トゥンダルの幻視)は、12世紀頃にアイルランド人の修道士マルクスが執筆したとされる物語です。不道徳な貴族騎士の青年トゥヌクダルスが意識を失い、天使に導かれて地獄と天国を目の当たりにし、悔い改めて目覚めるといった内容となっています。
     ある日、トゥヌクダルスは食事中に発作で倒れてしまいます。魂のみとなった彼が悪霊に罵倒されているのを天使が助け、「貴方は罪を償わなければならない」と彼を煉獄と地獄へと連れていきます。身の毛もよだつような懲罰を目の当たりにしてトゥヌクダルスは怯え、天使に許しを乞いますが、天使は「天へ昇る為には貴方は懲罰を受けなければならない」と、彼は生前犯した罪に関連するいくつかの拷問を受けました。すっかり改心したトゥヌクダルスを天使は地獄へと連れていき、「更に罪深き者は永遠の苦しみに苛まれる」と彼が受けた懲罰よりももっと凄まじい地獄の拷問を見せて脅しました。

     その後、トゥヌクダルスと天使は「完全ならぬ善人の憩いの場」を抜け、善行をした者の幸せな園の中を通り、聖人達が住まう天界へと足を踏み入れます。美しい世界で敬虔な者達が住まう様子を見て、トゥヌクダルスは感動し留まりたく思いますが、天使は「肉体に帰り、悪事を遠ざけよ」と助言を与え、彼を地上へと戻したのでした。地上へと帰ったトゥヌクダルスは、早速聖職者たちに感謝の意を示して財産を貧者に分け与え、着衣に十字の印を刻んだのでした。
     では、トゥヌクダルスの幻視についての絵画13点をご覧ください。


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    ペガサスの絵画13点。メデューサより産まれ、英雄を乗せて大空を飛翔する天馬

    Jan Boeckhorst -

     ペガサス(ペガソス)はギリシャ神話に登場する幻獣で、翼を持った天駆ける天馬です。
     ペガサスは海神ポセイドンとメデューサの間より生まれたとされています。一説によると、ポセイドンとメデューサはアテネの神殿で情事を行った為にアテネの怒りを受け、メデューサは醜い怪物に変えられてしまいました。その後、英雄ペルセウスによってメデューサは首を斬り落とされ、その首の流血からペガサスとクリュサオル(黄金の剣を持つ怪物)が生じました。産まれ落ちたペガサスは天に登り、ゼウスのもとで雷鳴を運ぶという使命を与えられたとされています。

     また、ペガサスは英雄ベレロポンの愛馬になったという伝説があります。ペガサスを得ようとベレロポンはペイレネの泉で苦戦しますが、夢の中でアテネから黄金のくつわを授けられ、それを使ってペガサスを手懐けることに成功します。(ポセイドンからペガサスを貰ったという説もあります) こうしてベレロポンはペガサスに乗り、キマイラを倒したり、アマゾンを討伐したりして武勲を立てました。

     これで有頂天になったベレロポンは「俺はオリュンポスの一員になれるのでは!」と天へ昇っていこうとしました。「奢るな人間!」と怒ったゼウスは虻を放し、虻がペガサスのお尻をちくっと刺した為、驚いたペガサスはベレロポンを振り落としてしまいました。墜落してしまったベレロポンは足が不自由になり、一人寂しく荒野をさまよって生涯を終えたとされています。(そのまま絶命したという説もあります)
     ユニコーンに並んで有名な幻獣である、ペガサスの絵画13点をご覧ください。

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    賢い乙女と愚かな乙女の絵画13点。準備や勉学を怠るなかれというキリスト教の逸話

    Peter von Cornelius  1813-16 -

     賢い乙女と愚かな乙女(十人の処女たちのたとえ)は、日頃からの準備や勤勉を怠るなかれという警句が込められたイエス・キリストのたとえ話です。
     灯を持って花婿をむかえる10名の乙女がおり、5名は賢く5名は愚かな乙女でした。賢い乙女は灯の他に油を持っていましたが、愚かな乙女は準備していませんでした。花婿が時間に遅れたので、灯の油が足りなくなってしまいました。賢い乙女は油を追加しましたが、愚かな乙女の灯は消えてしまいます。
     油を分けてくれと頼んでも「もう余分はないの。急いで買いに行きなさいな」と言われ、愚かな乙女達は油を求めて店に走っていきます。その間に花婿が到着し、賢い乙女たちは花婿と共に婚礼の部屋へと入りました。遅れてしまった愚かな乙女たちは中に入る事は許されず、花婿に「私はお前達を知らないな」とまで言われて締め出されてしまったのでした。

     これは天国へと入る門の比喩であり、天国へと入る為には臨終の間際では間に合わない。日頃から準備し、敬虔に祈って真面目に生活しなさいという意味が込められているのです。
     では、賢い乙女と愚かな乙女についての絵画13点をご覧ください。

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    中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
    師匠はヒエロニムス・ボス。
    神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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