• メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

    ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

    ペガサスの絵画13点。メデューサより産まれ、英雄を乗せて大空を飛翔する天馬

    Jan Boeckhorst -

     ペガサス(ペガソス)はギリシャ神話に登場する幻獣で、翼を持った天駆ける天馬です。
     ペガサスは海神ポセイドンとメデューサの間より生まれたとされています。一説によると、ポセイドンとメデューサはアテネの神殿で情事を行った為にアテネの怒りを受け、メデューサは醜い怪物に変えられてしまいました。その後、英雄ペルセウスによってメデューサは首を斬り落とされ、その首の流血からペガサスとクリュサオル(黄金の剣を持つ怪物)が生じました。産まれ落ちたペガサスは天に登り、ゼウスのもとで雷鳴を運ぶという使命を与えられたとされています。

     また、ペガサスは英雄ベレロポンの愛馬になったという伝説があります。ペガサスを得ようとベレロポンはペイレネの泉で苦戦しますが、夢の中でアテネから黄金のくつわを授けられ、それを使ってペガサスを手懐けることに成功します。(ポセイドンからペガサスを貰ったという説もあります) こうしてベレロポンはペガサスに乗り、キマイラを倒したり、アマゾンを討伐したりして武勲を立てました。

     これで有頂天になったベレロポンは「俺はオリュンポスの一員になれるのでは!」と天へ昇っていこうとしました。「奢るな人間!」と怒ったゼウスは虻を放し、虻がペガサスのお尻をちくっと刺した為、驚いたペガサスはベレロポンを振り落としてしまいました。墜落してしまったベレロポンは足が不自由になり、一人寂しく荒野をさまよって生涯を終えたとされています。(そのまま絶命したという説もあります)
     ユニコーンに並んで有名な幻獣である、ペガサスの絵画13点をご覧ください。

    bottan_03_01

    賢い乙女と愚かな乙女の絵画13点。準備や勉学を怠るなかれというキリスト教の逸話

    Peter von Cornelius  1813-16 -

     賢い乙女と愚かな乙女(十人の処女たちのたとえ)は、日頃からの準備や勤勉を怠るなかれという警句が込められたイエス・キリストのたとえ話です。
     灯を持って花婿をむかえる10名の乙女がおり、5名は賢く5名は愚かな乙女でした。賢い乙女は灯の他に油を持っていましたが、愚かな乙女は準備していませんでした。花婿が時間に遅れたので、灯の油が足りなくなってしまいました。賢い乙女は油を追加しましたが、愚かな乙女の灯は消えてしまいます。
     油を分けてくれと頼んでも「もう余分はないの。急いで買いに行きなさいな」と言われ、愚かな乙女達は油を求めて店に走っていきます。その間に花婿が到着し、賢い乙女たちは花婿と共に婚礼の部屋へと入りました。遅れてしまった愚かな乙女たちは中に入る事は許されず、花婿に「私はお前達を知らないな」とまで言われて締め出されてしまったのでした。

     これは天国へと入る門の比喩であり、天国へと入る為には臨終の間際では間に合わない。日頃から準備し、敬虔に祈って真面目に生活しなさいという意味が込められているのです。
     では、賢い乙女と愚かな乙女についての絵画13点をご覧ください。

    bottan_03_01

    トーナメント(馬上槍試合)の絵画13点。中世に流行った騎士による命がけの真剣勝負

    Lord Eglinton Lord Tournament Edward Henry Corbould 1840 -

     トーナメント(馬上槍試合)は中世時代に流行った、騎士の技術を争う模擬戦です。
     日本語では馬上槍試合と言われていますが、団体戦や個人戦、馬上戦から徒歩戦、槍以外の武器の使用など様々なバリエーションがありました。団体戦はトゥルヌイ、個人戦はジョストと呼ばれています。「実技の練習や勇敢さをアピールする軍事演習」という名目ではありますが、初期の段階では命を落とす者が数十人単位で出たり、倒した相手の武具や馬を奪ったり、捕虜にして身代金を要求するという事が行われていました。時代が経るにつれて、騎士道精神が考えられるようになり、形式化されていきました。

     トーナメントは12世紀に人気を博して西洋中で行われていました。しかし、過度の人気ぶりに騎士の本来の仕事である「国や宗教の防衛」がおろそかになったり、死者が出たりすると、各地で「トーナメント禁止令」が出はじめます。13世紀になるとトーナメントの一部であった一騎打ち形式のジョストが盛んに行われるようになり、トーナメントから分離するようになりました。14世紀になるとトーナメントは廃れ、ジョストだけが生き残りました。イングランドでは1342年に、フランスでは1379年に催されたのがトーナメントの最後でした。一方、ジョストは17世紀頃まで残り続け、一時は廃れたものの現代まで伝統が伝えられています。
     では、トーナメントについての絵画13点をご覧ください。

    bottan_03_01

    エルサレム解放の絵画13点。イタリア詩人タッソ作の、十字軍と宗教と愛の叙事詩

    Armida discovers the sleeping Rinaldo by Anthony van Dyck -

     「エルサレム解放 (解放されたエルサレム)」は1581年に出版された、イタリア詩人トルクァート・タッソ作の叙事詩です。第一回十字軍へ赴くキリスト教の騎士たちが、エルサレムを奪い返す為にムスリムと戦ったり、恋に落ちたりする様子が書かれています。
     キリスト教徒の恋人達が互いを護ろうと「私が犯人です」とムスリムの王に嘆願していたところ、ムスリム側の女騎士クロリンダが二人を救いました。その後、クロリンダはキリスト教騎士タンクレーディを愛してしまいます。しかし、アンティオキアの王女エルミニアも彼を愛してしまい、クロリンダに対して激しい嫉妬を感じました。彼女がクロリンダの武具を盗んだところ、キリスト教徒に間違われて攻撃されてしまい、逃げて羊飼いの一家に助けられました。クロリンダは夜襲の際、誤って恋人タンクレーディに殺されてしまいます。彼女はこと切れる際、キリスト教に改宗しました。

     一方、魔女アルミーダは魔法で一部の騎士を動物に変え、彼女は最強の騎士リナルドを誘拐してしまいました。リナルドを愛したアルミーダは、骨抜きにして魔法の島で一緒に暮らすことにしました。彼の友人二人が塔に潜入し、愛に溺れたリナルドを正気にして戦場へと戻すことに成功します。怒ったアルミーダは復讐を誓ったのでした。軍に戻ったリナルドはムスリムの魔術師を破り、十字軍は兵器を使ってエルサレムの奪還に成功します。

     魔女アルミーダはリナルドを殺した者と結婚すると宣言しますが、彼を破る者は誰もいませんでした。しかし、タンクレーディが宿敵との決闘で大きな傷を負ってしまいます。キリスト教に改宗していたエルミニアは自らの髪を切って傷口を縛り、それを癒しました。破れ絶望するアルミーダは自ら命を絶とうとするものの、リナルドはそれを止めてキリスト教に改宗するよう懇願します。アルミーダもそれを受け入れたのでした。
     では、戦と愛と改宗の叙事詩「エルサレム解放」についての絵画13点をご覧ください。

    bottan_03_01

    聖家族の絵画13点。幼子イエスと聖母マリア、ヨセフを中心に様々な聖人が集う作品

    Joseph Paelinck 1781-1839 -

     聖家族はキリスト教美術のテーマの一つであり、幼子イエス・キリストと聖母マリア、養父ヨセフが描かれている場面の事を指します。彼等以外にもマリアの母アンナや洗礼者ヨハネ、その他の聖人達が加えられている場合もあります。
     幼少期のキリストの記述はそれほど聖書上にはありませんが、「キリストの降誕」や「東方三博士の礼拝」、「エジプトの逃避と滞在」等の物語を基盤にして、キリストとマリア、ヨセフの三名は「家族」の理想的な原型として考えられるようになり、聖家族というモチーフは生まれました。また、「エジプトの逃避と滞在」のテーマも聖家族の一体系とみられる場合もあります。聖家族の作品は15~17世紀のルネサンス、バロック時代に描かれ、今日でも数多くの作品が残っています。
     では、聖なる息子とご両親、聖人達が集まった聖家族の絵画13点をご覧ください。

    bottan_03_01

    ヘラクレスとオムパレーの絵画14点。女装豪傑とワイルド女王のカオスめいたお姿

    Luca Giordano -

     ヘラクレスとオムパレーはギリシア神話に登場する、力自慢の英雄とリューディアの女王です。
     ある日、ヘラクレスは女神ヘラに狂気を吹き込まれ、親友イピトスを殺めてしまいます。それ故に病を患ってしまい、ヘラクレスはデルポイに訪れて神託を受けようとしますが、巫女は取り合ってくれませんでした。彼は怒り、三脚台を奪おうとした為、止めに入ったアポロンと戦闘となりました。ゼウスは双方の戦いを仲裁し、アポロンは「三年間奴隷として奉公すれば、殺人の償いとなり病は治るだろう」と予言を残します。

     こうしてヘラクレスはヘルメスに連れられ、リューディアの女王オムパレーの元で奴隷生活を送ることになりました。その間にもヘラクレスは様々な功績を残したされていますが、こんな伝説もあります。オムパレーは尊大な女主人で、ヘラクレスは女装させられた上に糸紡ぎの仕事をやらされました。オムパレーはヘラクレスの獅子の皮を身にまとい、棍棒を持ちましたが、その重さによろめいたそうです。オムパレーの領地が敵に攻撃された時、ヘラクレスが棍棒を持って敵を掃討したので、オムパレーは彼を夫として、三人の子をもうけたとされています。この物語は画家達の興味を引きたてたようで、想像以上の作品が残されていました。
     糸紡ぎをする女々しいヘラクレスに、棍棒を担ぐ勇ましいオムパレー。あべこべな二人の絵画14点をご覧ください。

    bottan_03_01

    聖エラスムスの絵画14点。拷問に耐えたが、巻き取り棒で腸を出されて殉教した聖人

    Heinrich Vogtherr 1516 -

     聖エラスムスは3~4世紀頃に生きたとされる、カトリックの聖人です。アンティオキアのエラスムスとも呼ばれ、生きながらに腸を巻き取られて殉教したとされています。
     聖エラスムスはシリアのアンティオキアの司祭でした。彼はキリスト教を迫害しているローマ皇帝ディオクレティアヌス帝に捕らえられ、激しい拷問を受ける事になります。その内容は凄まじく、暴行、汚物をかける、斧で打ち、蛇やミミズのいる穴に投げ込む、煮えたぎる油&硫黄に放り込む等を行いました。しかし、聖エラスムスは何事もなく無傷でおり、彼が神に祈ると拷問史達に落雷が起きたそうです。

     この時は聖エラスムスは生き延び、マクシミアヌス帝の時代になりました。今度も彼は拷問を受ける事になり、鋭い針が突き出した樽に入れて転がす、やっとこで歯を抜く、指に鉄の爪を打ちつける、松脂や硫黄、鉛等を熱して口に流し込みましたが効果はなく、聖エラスムスは生きていました。
     しかし、無敵の聖エラスムスにも臨終の時が訪れます。303年、イリュリアの場でまたもや捕らえられた聖エラスムスは、片腹を裂かれて腸を引っぱり出され、巻き上げ機に腸を結ばれて巻き上げていかれたのです!こうして殉教してしまった聖エラスムスですが、この逸話は印象に残ったのか、何名かの画家によって生々しい作品が残されています。
     では、腸をぐるぐると巻き取られてしまった聖エラスムスについての絵画14点をご覧ください。閲覧注意になりますので、ご了承ください。

    bottan_03_01

    化粧するヴィーナスの絵画13点。鏡を見つめ、侍女に身支度をさせる美を司る女神

    The Toilet Of Venus by Peter Paul Rubens -

     化粧するヴィーナス (The Toilet of Venus) は、ルネサンスからバロック、ロココ時代に流行った絵画テーマです。
     化粧をしているのではなく、鏡を見たり、キューピッドや侍女に身だしなみを整えさせている美の女神ヴィーナスとして描かれることが多いです。原題の「Toilet」 はトイレという意味ですが、「身だしなみを整える」という意味としても使われ、身支度をしていることを指します。古代ローマの時代から身だしなみを整える女性の絵画は存在しており、それが派生して美しさの象徴であるヴィーナスに変化したのだと思われます。
     よく似た題名に「鏡のヴィーナス(Venus with a Mirror)」 がというものがあり、鏡に顔を映して身支度するヴィーナスの絵画に使われます。これらは時として混同されて用いられており、この記事では同一として紹介させていただきます。
     では、化粧するヴィーナスの絵画13点をご覧ください。

    bottan_03_01

    老人と美女の絵画13点。金品と欲望の皮肉に満ちた、フランドルで流行した絵画主題

    Lucas Cranach the Elder. Ill-matched Lovers -

     年の差婚。現代でもあまりにも年の離れたカップルは話題となり、様々な詮索を受ける対象となりがちですね。
     当時の西洋では、現代以上に年の差婚が行われておりました。純粋な恋愛による年の差婚はあまりおらず、国政や貴族の血統の権力によるものだったり、金品や美貌、名誉の為だったりと、欲望が渦巻いていました。
     老人と若い女(不釣り合いなカップル)という主題は古く、古代ローマの喜劇にも存在するとされていますが、16世紀頃のフランドルやドイツの画家達は、その主題を復活させて皮肉を込めた作品として描きました。老人は欲望がこもった目で娘を見て抱き寄せ、娘はお金や宝石を握ってほくそ笑んでいるというのが一般的に多いですが、娘が嫌がっていたり、逆に若い男と老婆という主題も見られます。
     では、老人と若い娘の絵画13点をご覧ください。

    bottan_03_01

    ロンギヌスの槍に関する絵画13点。キリストを突き刺したローマ兵の伝説なる聖遺物

    Gerard de la Vallee Longinus piercing Christ’s side a spear -

     ロンギヌスの槍は、キリストの磔刑時において彼が息を引き取ったのかを確認する為に、脇腹を刺したとされている槍です。聖槍とも呼ばれています。
     伝説によると、槍の所有者であるロンギヌスはローマ兵であり白内障を患っていました。槍を脇腹に刺したところ、滴った血が目に当たって病気が治り、彼はキリスト教に改宗して聖人となりました。重要な聖遺物とされたロンギヌスの槍は、真偽のほどは定かではありませんが歴史上に度々登場します。

     イエスの処刑から約600~700年後には、槍は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあるアヤソフィア大聖堂にあるとされていました。その600年後にフランス国王ルイ6世が先端部のみを買い取りましたが、フランス革命により行方不明。本体の部分は15世紀にオスマン帝国のスルタンが教皇インノケンティウス8世に送り、現在においてもサン・ピエトロ大聖堂に非公開で保管されているそうです。

     また、このローマの聖槍以外にも「アンティオキアの聖槍」、「神聖ローマ皇帝の聖槍」、「アルメニアの聖槍」など様々な槍が「ロンギヌスの槍」であると解釈され神聖視されてきました。アーサー王の聖杯伝説においてもロンギヌスの槍は登場し、様々な伝承や伝説が融合した結果、「所有する者に世界を制する力を与える」という魔力めいた能力まで有するようになります。北欧やケルトの神話や民話において、伝説の武器を使いこなす者は国を総べる。というエピソードが度々みられるので、その影響がみられるような気がします。
     では、伝説のロンギヌスの槍にまつわる絵画13点をご覧ください。

    bottan_03_01
    プロフィール
    aicon

    管理人:


    中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
    師匠はヒエロニムス・ボス。
    神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

    button

    メメント・モリについて

    アーカイブ
    記事検索
    記事検索
      PR
    【異形の怪物LINEスタンプ】
    line logo2


    ブログランキング・にほんブログ村へ

    ―最新記事をお届け―

    buttons

    buttons - コピー (2)

    buttons - コピー

    PC用広告