• メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

    ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

    名古屋のクリマの出展が無事に終了しました。ブースに来て頂いた方、ご購入された方、本当にありがとうございました!

    ユニコーンの絵画13点。獰猛だが処女にだけ心を許す、神秘をまとう伝説の一角獣

    Gustave Moreau  1885 -

     かなり有名な伝説の生物であるユニコーン。一角獣とも呼ばれ、額の中央に長い角が生えた白馬の姿で描かれることが多いです。
     ユニコーンが初めて書籍に現れたのは古代ギリシャの歴史家クシテアスが書いた「インド誌」とされ、その後アリストテレスやプリニウスが一角獣についての言及をしています。その頃は姿が一定しておらず、馬ではなくロバや山羊、象、鹿などが混ざったキメラだとされていました。

     ユニコーンは美しい姿とは裏腹に、非常に獰猛で俊足。長い角はどんなものでも貫けるほど強靭とされています。しかし、その角は水を浄化し毒を中和する力があるとされ、あらゆる病気を治す特効薬と考えられていました。それ故、危険を承知で人々は角を求めたそうです。幸いにもユニコーンは美しい処女に弱いとされ、処女が現れると従来の凶暴さは成りを潜め、膝の上に頭を乗せて眠り込んでしまうとされています。(少年を美しく着飾って処女に見せる事も行われたそうです) その隙を見計らい、狩人たちはユニコーンを捕まえるのでした。一角獣の角は破格の値段で取引がされましたが、現代の調査ではそれらはイカックやサイの角ばかりであったそうです。
     貞潔や高貴の象徴ともされるユニコーンの絵画13点をご覧ください。


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    旧約聖書エステル記の絵画13点。ハマンの陰謀からユダヤ人を救ったペルシャの妃

    Jean-François Portaels 1869 -

     エステル記は旧約聖書の一つで、ペルシャの妃となったユダヤ人エステルが知恵を使って民族を守る物語です。
     モルデカイの養女エステルは、父の勧めによりペルシャ王アハシュエロス(クセルクセス1世)の後妻に選ばれる事になりました。王はアガグ人(古代パレスチナ周辺)であるハマンを高い地位に据え、彼に敬意を表してひざまずくよう人々に布告を出しましたが、モルデカイは拒否しました。元々ハマンはユダヤ人を憎んでいましたので、それを口実にしてユダヤ人の抹殺を計画します。ハマンはアハシュエロス王にユダヤの殺害を認めさせる事に成功したのでした。
     
     王妃エステルはハマンがユダヤ人虐殺を企てている事を知ります。モルデガイに促されてエステルは王にユダヤ人の救済を嘆願する為に、ハマンと同席の酒宴を確約させる事に成功します。その夜、偶然アハシュエロス王はモルデカイが王の暗殺を防いでいた事を知り、彼に褒美を与えました。酒宴の席でエステルは王に自分はユダヤ人であると明かし、ハマンは悪人であると説きました。ハマンは命乞いを行ったものの、王の決定によりモルデカイの処刑用に建てていた支柱で、自分が処刑される羽目となりました。こうしてエステルとモルデカイ親子はユダヤ人達の人々を護る事ができたのでした。
     エステル記の絵画13点をご覧ください。

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    テオドール・ジェリコーの絵画14点。馬や事件、狂人を描いて迫真性を追究した画家

    Theodore Gericault 1818 - コピー

     テオドール・ジェリコー(1791-1824)は、フランスのロマン主義の画家です。現実の事件や馬や人物画の迫真性を重視した画風で、ロマン派の先駆者とされています。ドラクロワに影響を与えました。
     彼は北フランスのルーアンで生まれ、5歳の頃にパリへと引っ越しています。弁護士の父は画家を志すことを反対していましたが、ジェリコーは夢を諦めきれずに17歳の時にカルル・ヴェルネの元へ弟子入りをしました。ヴェルネは馬や騎馬像の第一人者と呼ばれた人でありましたが、ジェリコーは馬の躍動感、迫力を求めており、師の描く馬は迫真性が足りないと思っていたそうです。その後、彼は一年間ピエール・ナルシス・ゲランの元で修行し、それからはルーブル美術館へ足しげく通って巨匠の作品を参考にするようになりました。
     
     21歳のジェリコーは作品をサロンに出品し金賞を取り、二年後にも作品を出しています。イタリアに旅行に行った後に大作「メデューズ号の筏」を出品したものの、実際の生々しい事件をとり扱っていた為に、母国には受け入れてもらえませんでした。その後二年間イギリスへと滞在し、画力を尚も高めました。しかし、二度に渡る落馬が原因でカリエス(脊髄結核)という病気に罹ってしまいます。フランスに戻った後は、精神異常の方を題材にした10作の連作を手掛けたものの、1824年に病状が悪化してしまい、32歳の若さで命を落としてしまったのでした。
     では、テオドール・ジェリコーの作品14点をご覧ください。閲覧注意の絵画がありますのでご了承ください。

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    アクタイオンの絵画14点。女神ディアナの入浴を見たばかりに破滅する哀れな青年

    Diana and Actaeon (Louis Jean François Lagrenée -

     アクタイオンは女神ディアナ(アルテミス)の水浴を偶然見てしまったが為に、命を落とした運の悪い猟師の青年です。
     ある日、アクタイオンは仲間と共に50匹の猟犬を連れて、キタイローン山の谷間に来ていました。彼はケンタウロスのケイロンに育てられて猟師の技を教えられたとされており、その腕はピカ一でした。沢山獲物を捕まえたアクタイオンは一時休憩の為に泉を探します。しかし、その谷間はディアナの聖域であり、奥の洞窟にある泉では女神が従者を連れて水浴びをしていたのです。
     何も知らないアクタイオンは泉へ入り込み、ディアナの裸体を見てしまったのでした。怒り狂った女神は彼を鹿の姿に変え、50匹の猟犬をけしかけました。鹿と化したアクタイオンは自分の変化におののき、何処に逃げようかと迷っている間に、猟犬に食い殺されて息絶えたとされています。
     この物語はルネサンスやバロック時代の貴族たちに人気があったようで、想像以上に多くの作品が残されています。では、女神様の水浴場面と鹿人間となったアクタイオンの絵画14点をご覧ください。

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    ロミオとジュリエットの絵画13点。悲恋の代表作とも言える、シェイクスピアの戯曲

    Romeo and Juliet  Mather Brown -

     ロミオとジュリエット(ロメオとジュリエットとも)は、16世紀後半に書かれたシェイクスピアの戯曲です。
     14世紀のイタリアのヴェローナが舞台。神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世と、ローマ教皇グレゴリウス9世は互いに対立しており、皇帝派と教皇派に分かれて熾烈な戦いを繰り広げていました。モンタギュー家とキャピュレット家もその例に漏れず、互いを憎み合っていました。

     モンタギュー家の息子ロミオはある日友人と共にキャピュレット家に侵入し、ジュリエットと出会います。たちまち恋に落ちた二人は修道士ロレンスの元で結婚の誓いを立てます。しかし、そのすぐ後にロミオは争いに巻き込まれ、親友を殺されたロミオは怒りのあまり、キャピュレット夫人の甥を殺めてしまいます。そのせいでロミオは都市を追放され、ジュリエットはヴェローナ大公の親戚パリスと婚姻を勧められるも拒否した為、家から勘当されかかります。

      困ったジュリエットはロレンスに助けを求めます。修道士は「薬で仮死状態となって葬られ、迎えに来たロミオと共に此処から逃げなさい」と提案しました。それに賭けた彼女は2日間仮死になる薬を飲み、霊廟に葬られました。しかし、ロミオへの伝達が上手くいかずに彼はジュリエットが本当に亡くなったと思い込みます。そして毒をあおって息絶えてしまったのです。仮死状態から目覚めた時、ジュリエットはロミオの亡骸を発見し、自分も短剣で胸を刺して生を終えたのでした。この痛ましい事件があり、いがみ合っていた両家は和解をしたとされています。
     悲恋の代表格ロミオとジュリエットの絵画13点をご覧ください。

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    盗賊(強盗)の絵画13点。旅人や貴族の身ぐるみを剥ぐ、西洋の追い剥ぎの悪しき姿

    David Vinckboons, The Nest Robber 1576-1632 -

     土地が開拓されていなかった時代、都市から都市への移動は命がけの行為でした。自然の猛威や猛獣なども危険で気を付けるべき存在ですが、最も厄介な存在は盗賊(追いはぎ)達でした。彼等は何名かでグループを作って旅人を狙い、凶器で脅して身ぐるみを全て奪うのです。
     山の中に拠点を置いて通行人を襲う盗賊を山賊、海で船を使って他の船を襲撃する盗賊を海賊と呼び、戦争に参加した傭兵も強盗に変貌することがありました。旅の途中の農民や貴族を襲うだけではなく、村まるごとを襲い、略奪するものも現れました。そうなったら人々は逃げるしかなく、全てを奪い尽くされてしまうのです。
     北方ルネサンスや近代の画家が描いた、強盗の絵画13点をご覧ください。

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    バウキスとピレーモーンの絵画14点。ゼウスとヘルメスを快く招いた、正しき老夫婦

    1818 Nicolas Auguste Hesse  -

     バウキスとピレーモーンはギリシャ神話に登場する、善人の老夫婦です。
     ある日、ゼウスとヘルメスは貧しい身なりの人間に変装してフリギア(トルコ中部)を旅していました。夜になると彼等は近くの家の戸を叩き、一晩泊めてくれるよう頼もうとしましたが、不親切にも戸を開けてくれません。やっとの事で二人は迎えてくれる所を発見します。そこはボロボロの家で、貧しい老夫婦が住んでいました。彼等は二人を歓迎し、暖かい火を起こして質素ながらも精一杯のもてなしを行いました。

     食事中、夫婦はある事に気付きました。なんと自然と酒瓶から酒が湧き出ているのです。眼前の者達が神である事を知ると、二人は貧しいもてなしを詫び、守り神のようにして飼っていたガチョウを供物にしようとしました。しかし、ゼウスはそれを止めて「私達はこれからこの村に罰を与える。お前達だけは助けるから、共に来るがよい」と言いました。夫婦は直ぐにそれに従い、神々と一緒に険しい坂道を上ってゆきました。

     そして夫婦が頂上へ着いた時、村はすっかり湖に沈んでしまい、彼等の家だけが残っているだけでした。二人が驚いていると、その家は豪華な神殿へと変貌していったのです。「徳の高い夫婦よ。望みの物を言ってみるがいい」というゼウスの問いに対し、二人は「この神殿の祭司とさせていただき、この世を去る時は同時に逝くようにしてください」と頼みました。この願いは聞き届けられ、年月が過ぎて夫婦がすっかり年老いると、二人の身体は同時に樹木に変化していきました。オークと菩提樹の木はいつまでも神殿に残っているとされています。
     親切な者は救われる。バウキスとピレーモーンの絵画14点をご覧ください。

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    マグダラのマリアの悔悛の絵画13点。己の罪を反省する聖女を描いた、人気の主題

    1533 ティツィアーノ -

     マグダラのマリアは自らの罪を悔い改め、キリストに付き従った聖女です。
     キリストが磔刑され、三日後に復活して天へと昇った後、彼女は兄のラザロと姉のマルタと一緒にフランスのマルセイユへと渡りました。そこで布教活動を行い、晩年には洞窟で隠遁生活を行いました。その生活は30年余り続き、亡くなったとされています。十字架と頭蓋骨を前にし、自らの罪を悔悛する主題は人気があり、多くの画家に描かれています。
     早速マグダラのマリアの悔悛についての絵画13点をご覧ください。

    → マグダラのマリアの人生についての絵画を見たい方はこちら

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    中世の悪魔についての絵画13点。西洋人が描きだした、シュールでゆるい悪魔の姿

    Hellmouth, 1461, Jacobi de Ancharano (alias de Teramo) -

     神に反逆し人間を誘惑する者、悪魔。
     悪魔という概念は古くから存在し、キリスト教が成立する以前のゾロアスター教などの宗教でも、神に敵対する邪悪なる者がいると考えられてきました。キリスト教における悪魔は「神に謀反したルシファー側に付いた天使が地獄に落とされて堕天使となり、悪魔となった」と一般的にはされていますが、キリスト教に反する土着信仰や多神教の神々なども悪魔として数えられるようになりました。中世時代の人々は悪魔を「山羊のような角とコウモリのような羽、身体の所々に顔が付いている人間と獣が混じったかのような姿」と考え、様々な個性的な悪魔を描きだしたのです。
     では、中世時代の悪魔の姿13点をご覧ください。

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    使徒ヨハネの絵画14点。十二使徒であり福音書記ともされる、キリストの愛弟子

    Guido Reni -

     使徒ヨハネは新約聖に登場するキリストの弟子です。十二使徒の一人であり、洗礼者ヨハネと区別する為に「使徒」や「福音記者」などの肩書きを付けています。
     彼は兄のヤコブと一緒にガラリヤで漁師を営んでいましたが、キリストと出会って弟子となりました。ペドロ、ヤコブらとともに最も重要な愛弟子となり、信仰を支え続けました。最後の晩餐の場面では「裏切者は誰ですか」とキリストのすぐ隣で問いかけています。キリストの磔刑の際は十二使徒の中でただ一人十字架の下にいたとされ、聖母マリアとマグダラのマリアと共に絵画に描かれています。

     十二使徒達が悲惨な死に方で殉教していく中、ヨハネだけが殉教を免れたとされています。ただ、ローマの迫害の際にヨハネは煮えたぎる油が入った大釜に入れられて殉教する所でしたが、奇跡的に助かりました。その後、パトモス島へ島流しにあい、そこで神の啓示にあって「ヨハネの黙示録」を書き上げたのでした。(使徒ヨハネと福音書記のヨハネは別人物であるという説もあります) 老齢になって釈放されたヨハネはトルコのエフェソスへと戻り、余生を終えたそうです。
     キリストの愛弟子、使徒ヨハネの絵画14点をご覧ください。

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    中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
    師匠はヒエロニムス・ボス。
    神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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