• メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

    ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

    名古屋のクリマの出展が無事に終了しました。ブースに来て頂いた方、ご購入された方、本当にありがとうございました!

    イソップ童話(寓話)の絵画14点。ギリシャのアイソーポスが紡いだ、ためになる寓話集

    Aesop Composing His Fables  Charles Landseer -

     イソップ寓話(童話)は、紀元前6世紀頃の古代ギリシャ時代の人物アイソーポス(イソップ)が作ったとされる寓話集です。(寓話は例え話によって人の生活に馴染みの深いできごとを伝え、学ばせることを目的とした物語)
     アイソーポスは元々奴隷でしたが、話をするのが上手で解放されたとされています。それからは寓話の語り手として旅をしたと言われています。彼は沢山の寓話を製作しましたが、現在伝わっている寓話すべてがアイソーポス作という訳ではなく、古代メソポタミアより伝わった話や現地の民話、後世の寓話も含まれているようです。

     有名なイソップ寓話としては、「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「犬と肉」「北風と太陽」「金の斧銀の斧」などが知られています。日本に寓話が伝わったのは1593年とされ、イエズス会の宣教師が書物を翻訳したそうです。思ったよりも古くから伝わってきているんですね。後に教科書にも取り入れられるようになり、「ウサギとカメ」のように、日本の昔話ではないかと思ってしまうような程にまで馴染み深くなりました。(私は若い頃、日本昔話だと信じ切っていました^^;)
     妙に納得してしまう話ばかりのイソップ寓話の絵画14点をご覧ください。

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    キリストの五つの傷 (聖痕) の絵画14点。救済の概念を絞りすぎてシュールな姿に

    Simon Bening, Worship of the Flemish 1525-30 -

     中世時代において、宗教画は「リアルであってはならない」ものでした。
     現世に生きる私達が、神聖なるキリストや神、聖人達を表現できる訳がない、聖なる存在を現実的に描くのは冒涜的である、という理由からです。それ故、中世の作品は象徴性が重視され、ヘタウマみたいな個性的な絵となったのです。その流れの中でイエス・キリストと言う存在は概念化、象徴化されるようになり、独特の表現が用いられるようになりました。

     それがこの「キリストの五つの傷(The five wounds of Christ)」、または「五つの聖なる傷(Five Holy Wounds)」と言う主題です。傷が付いたハートと手足が浮かんでいる姿。なんかもう、シュールすぎますよね・・・^^;
      これはキリストが磔刑された際に受けた傷 (手足は釘で打たれ、胸を槍で刺された) を表しており、彼が人類の原罪を背負って亡くなったという意味を強調しております。この表現は意外に使われていたようで、多くの挿絵が残されていました。
     では、キリストの五つの傷の作品、14点をご覧ください。少しだけ閲覧注意のところがあります。

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    ノートルダムの鐘の絵画13点。男女の愛憎悲劇を描いた、ヴィクトル・ユゴーの小説

    Luc-Olivier Merson 1846-1920 -

     ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムの鐘)は、19世紀のフランスロマン主義の小説家ヴィクトル・ユゴーの物語です。
     舞台は15世紀のパリ。ノートルダム大聖堂の前に醜い赤ん坊が捨てられており、助祭長であるフロロが育てます。赤ん坊はカジモドと名付けられ、ノートルダムの鐘付きとして成長しました。ある日、パリにジプシーが現れ、フロロはその中の美少女エスメラルダを愛してしまいます。信仰と愛の板挟みになったフロロは、遂にカジモドを利用して彼女を誘拐しようとしました。

     計略は失敗し、カジモドは捕らえられて彼女は衛兵フェビュスと付き合うようになります。捕まったカジモドは街でさらし者になっていましたが、エスメラルダだけは彼を庇った為、恋心を抱くようになりました。フロロはエスメラルダを諦めきれず、二人が逢引きしている場へ行き、フェビュスを刺して逃げます。彼女はフェビュスを重体にした濡れ衣を着せられ、魔女裁判により死刑が下されました。

     カジモドはエスメラルダを救出してノートルダム大聖堂にかくまいましたが、フロロは暴動を誘導して混乱を引き起こして彼女を誘拐。自分の愛人となるか、死刑となるかを選択させます。エスメラルダは後者を選び、衛兵に引き渡されて処刑されてしまいました。その光景をノートルダムの塔から笑いながら見ていたフロロを、怒ったカジモドは突き落として殺してしまいます。
     その数年後、処刑場の後から白骨死体が出てきて、その横には異様な骨格をした白骨が寄りそっていました。それらを離そうとすると、粉々に砕けてしまったそうです。
     登場人物がほぼ全滅。悲劇の物語であるノートルダムの鐘の絵画13点をご覧ください。

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    キリストの十字架降下の絵画13点。救世主の死に嘆き悲しむ二人のマリアと信者達

    Agnolo di Cosimo di Mariano, dit Bronzino  1540-45 -

     キリストの十字架降下は、磔刑されたキリストを降ろし、悲しんでいる主題の事を指します。
     アリマタヤの町にヨセフという人がいました。彼はキリストの遺体を引き取らせて欲しい、とローマ帝国の総督ピラトに頼んだのです。その他の正しい人達もキリストの為に駆けつけました。ヨセフがキリストを十字架から下ろすと、聖母マリアは我が子の身体を愛おしそうに抱きました。遺体には没薬と香料が塗られ、布に包まれて、ヨセフが自分用に作っていた墓に葬られました。その三日後に、キリストは復活を果たすのでした。
     この主題はキリストの磔刑に引き続き、画家に人気で多くの作品が残されています。十字架降下の絵画13点をご覧ください。

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    ネルソン提督の絵画13点。トラファルガーの海戦で戦死した、隻眼隻腕の英国の英雄

    Portrait of Lord Horatio Nelson by Friedrich Heinr -

     ホレイショー・ネルソン(1758-1805)はイギリスの海軍提督です。アメリカ独立戦争やナポレオンとの戦争にて活躍しました。イギリス史上最大の英雄とされています。
     イングランドのノーフォークにある村の牧師の息子として生まれたネルソンは、父が病弱で貧困だった為に、12歳の時に母方の叔父を頼って海軍へと入隊しました。19歳で昇進試験に合格し、翌年には艦隊の指揮を任されるようになり、カリブ海周辺の諸島を守護しました。30歳の時には未亡人フランシス・ニズベットと結婚します。

     フランス革命の勃発により、地中海方面へ行ってフランス軍と戦争。砂が右目に入って視力を失ってしまいます。1796年には戦隊司令官に命ぜられて翌年には昇進を果たしますが、カナリア諸島のテネリフェ島の戦闘で負傷して右腕を切断し、ネルソンは隻眼隻腕の提督となってしまったのでした。

     その後もネルソンの勢いは止まらず、フランスやデンマークとの海戦に勝利を収めます。そして、1805年には運命のトラファルガーの海戦が行われたのです。フランス・スペインの連合艦隊との海戦に、ネルソンは全く怯むことなく前線に出て戦い、完全勝利を果たしました。これによりナポレオン1世の英国上陸の野望は打ち砕かれたのです。しかし、その代償としてネルソンは敵の銃弾を受けて命を落としたのでした。
     英雄ネルソン提督の絵画13点をご覧ください。

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    プシュケーの試練の絵画13点。クピドとの結婚の為にヴィーナスの折檻に耐える乙女

    Pompeo Batoni – Il matrimonio di Cupido e Psiche -

     プシュケーはギリシア神話に登場する、愛の神クピドに愛された女性です。
     彼女はクピドの妻だったのですが、秘密だった彼の姿を見てしまい、見放されてしまいました。(詳しくは別記事にて) 後悔したプシュケーは一日中夫を探して歩き回り、山中で神殿を発見します。そこには女神ケレスがおり、「ヴィーナスの許しを得なさい」というアドバイスをくれたのでした。プシュケーは早速ヴィーナスの神殿へ行き、過去の事を謝りましたが、おかんむりの女神は彼女に無理難題を押し付けます。

     一つ目の難題は大量の穀物を分けろというもので、それは同情したクピドが蟻を呼び寄せて達成しました。二つ目は羊達から金に輝く羊毛を持ってこいというもので、それは河の神が葦を鳴らして攻略法を教え、達成しました。三つ目は竜の棲む泉から水を汲むよう命じられ、ゼウスの大鷲が水を汲んで来てくれて達成しました。
     最後の難題は冥界の女神ペルセポネに化粧品を分けてもらうというもので、塔から聞えて来たアドバイスに忠実に従って冥界へ行き、首尾よくヴィーナスから預かった箱の中に入れてもらう事ができました。
     しかし、その帰り道に愛する夫に美しい顔を見せたいという欲求が勝り、「開けてはならない」と警告されていたにも関わらず箱を開けてしまったのです。その途端、中から冥界の眠りが飛び出し、プシュケーは倒れてしまったのでした。

     一方、肩の傷が癒えたクピドは妻を探していました。姿を見られて逃げたものの、プシュケーを想い続けていたのです。発見した彼は眠りを集めて箱に戻し、妻を起こしました。それからクピドはゼウスに頼み込み、ヴィーナスの許しをも取り付けてくれたのです。こうしてプシュケーは神々の飲み物ネクタルを飲んで不死となり、夫クピドと結婚する事ができたのでした。
     プシュケーの試練と、二人の結婚についての絵画13点をご覧ください。

    → プシュケーが秘密のクピドの姿を見てしまったシーンの絵画を見たい方はこちら

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    キリストの磔刑の絵画13点。十字架に釘で磔にされ、処刑される悲痛なる救世主の姿

    Bernard van Orley, The Crucifixion, 1515-20 -

     キリストの磔刑は、救世主イエスが磔にされて処刑されてしまう場面を表したものであり、キリスト教の中で一番重要なシーンと言えます。
     イスカリオテのユダに裏切られ、ユダヤ教の司祭達に捕らえられてしまったキリスト。一方的に裁判に掛けられ、死罪判決となってしまいます。彼は自らが磔にされる巨大な十字架を背負い、他の二名の強盗を働いた罪人と共にゴルゴダの丘を登ります。頂上に着いたキリストは執行人によって手足に釘を打たれ、十字架にくくり付けられ、さらし者とされてしまったのでした。両脇に二名の罪人も十字架にかけられました。

     真昼の空が急に暗くなってきました。嵐が来そうな天候の中、キリストは大声で「神よ。何故私を見捨てなさったのですか」と言い、それから程なくして命を落としました。これは文字通りの意味ではなく、昔ダヴィデが歌ったという詩の始めの言葉であったようです。翌日、息絶えた事を確認する為に兵士が遺体の胸に槍を刺し、キリストは十字架から降ろされたのでした。
     宗教画において最も多く描かれていると言っても過言ではない、キリストの磔刑の絵画13点をご覧ください。

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    「ブリューゲル展 画家一族150年の系譜」へ行ってきました!一族だらけの展覧会

    ブリューゲル展1 -

     2018年5月25日(金)に、愛知県の豊田市美術館で開催されている「ブリューゲル展 画家一族150年の系譜」へ行ってきました!出展された作品は101点。その中の約8割がブリューゲル一家の作品でした。正にブリューゲルのブリューゲルによるブリューゲルの為の展覧会で、これでもかというくらいこの一族を知れる展覧会となりました(笑)
     記事を書くのが遅れてしまいましたが、詳細をご覧ください!

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    エマ・ハミルトンの絵画13点。画家のモデルにして、ネルソン提督の愛人となった美女

    LadyHamilton ヴィジェ・ルブラン 1790 -

     エマ・ハミルトン(1765-1815)は、イギリスの絵画モデルであり舞踏家。ネルソン提督の愛人として知られています。
     彼女はイングランド北西部のチェシャ―州に生まれ、早くに父を亡くして母に育てられました。本名はエイミー・ライオンであるものの、エマ・ハートと改名して家政婦として働きましたが、その美しさと性に奔放であったせいで辞職が続きました。17歳になった頃にはロンドンの名士の愛人となり、絵画モデルとしても働いていました。

     その後、エマは貴族チャールズ・グレヴィルの愛人となり、彼の友人の画家ジョージ・ロムニーに何枚かの絵画を描いてもらっています。別の女性と婚姻したグレヴィルが、エマをイタリアのナポリのサー・ウィリアム・ダグラス・ハミルトンの元へ連れていくと、彼はエマを深く気に入り、公式に結婚する事に決めました。エマはナポリで演技や踊りを混ぜ込んだ見世物を披露し、その魅力は国に広まって王妃マリア・カロリーナとも親しくなりました。

     それから、エマは特使としてやって来たホレーショ・ネルソン提督と、夫公認の愛人関係となりました。エマが36歳の時にネルソンとの娘ホレイシアを出産したものの、二年後に夫ウィリアムが亡くなり、ネルソンは出征してしまいます。残された彼女は寂しさのあまり浪費に走り、ネルソンが戦死した時には財産が残っていませんでした。それどころか借金が重なって家を取り上げられ、借金した者の監獄に入れられてしまいます。負債から逃れる為にエマはフランスへ渡ったものの、酒に溺れて50歳の若さで亡くなってしまいました。
     麗しの栄誉からどん底へ。絶世の美女エマ・ハミルトンを描いた絵画13点をご覧ください。

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    プシュケーの絵画13点。クピドに愛されたものの、秘密の姿を見てしまった女性

    Psyche with Sleeping Cupid  Louis Jean Francois Lagrenee -

     ギリシア神話に登場するプシュケーは、クピドの愛を受けたものの、禁じられた姿を見てしまった人間の女性です。
     とある王国の三番目の王女であるプシュケーはかなりの美貌の持ち主で、人々は美の女神ヴィーナス(アフロディテ)をそっちのけにして彼女を褒め称えてしまいます。それに怒ったヴィーナスは息子クピド(エロース)に「あの娘に愛の矢を撃ち込んで、卑しい男を愛するようにしておくれ」と命じます。悪戯好きのクピドは了承し、プシュケーに忍び寄るのですが・・・。なんと矢で自分を傷付けてしまい、愛が芽生えてしまったのです。

     その後、プシュケーの元に一人も求婚者が現れず、父母は心配してアポロンの神託を受けました。神託は「彼女は人間の花嫁にはなれず、山頂にて怪物が待っている」という恐ろしいものでした。プシュケーは毅然に山頂へ行くことを決意し、風の神ゼピュロスに運ばれて立派な宮殿へと到着しました。宮殿中の全てが彼女の物だと言う声が聞こえ、運命の夫は夜中にだけ現れて、プシュケーが何度姿を見せるよう頼んでも拒否して帰ってゆくのでした。

     宮殿に暮らす内に家族が恋しくなった彼女は、夫に二人の姉を招くことを了承させます。しかし、彼女たちは妹の豪華な暮らしに嫉妬し、「夫は怪物で、お前を太らせて食べようとしている。ナイフを使って首を斬り落としなさい」と吹き込みます。それを信じてしまったプシュケーは、ナイフを握り締めながら真夜中で寝ている夫の側に忍び寄り、ランプをかざしました。すると、明かりに照らされたのは怪物ではなく美しい神の姿でした。プシュケーはうろたえて彼の肩に油を落とし、火傷させてしまいます。驚いたクピドは妻の行った事に気付き、窓から飛び去ってしまったのです。プシュケーが追いかけようとするも、後の祭り。麗しい宮殿は幻のように消えてしまい、プシュケーはむせび泣く事しかできなかったのでした。
     プシュケーとクピドの絵画13点をご覧ください。なお、この先の物語の絵画については次回へ続きます。

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    中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
    師匠はヒエロニムス・ボス。
    神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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