• メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

    ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

    セネカの絵画14点。ネロ帝に命じられ自害した、偉大なるローマの哲学者&政治家

    1615 - Peter Paul Rubens -

     セネカ (紀元前1世紀頃-65年) はローマ帝国時代の哲学者、政治家、作家です。
     裕福な地主の次男としてコルドバで生まれたセネカは、10代前半の頃にローマへ移り、教養や雄弁術、哲学などを学びました。しかし、20代の時に大病を患い、療養を兼ねてエジプトのアレクサンドリアへと遠征します。そこでも多くの事を学んだセネカは、十年後にローマへと戻って財務官職を経験した後、元老院議員として選出されます。

     カリグラ帝、クラウディウス帝の治世共に命の危機を乗り越え、セネカはクラウディウスの後妻となったアグリッピナの後ろ盾を得て法務官へと任命されます。アグリッピナは陰謀によって息子ネロを皇帝に仕立てあげ、その家庭教師にセネカを付け、執政官としての役割もセネカに与えました。セネカや外の人々のサポートもあり、ネロは五年の間善政を築きます。しかし、愛人問題により親子関係に深い確執が生じ、アグリッピナはネロの奸計によって殺されてしまいます。次第に暴君として振舞うようになったネロに対してサポートをしきれなくなり、セネカは政界の引退を申し出たのでした。

     家にこもったセネカは幾つかの作品を執筆し、そのまま余生を過ごすつもりでいました。しかし、引退の三年後、彼に悲劇が起こります。ネロを退位させようという陰謀が露見し、その中の一人が「セネカも加担していた」と自白したのです。ネロは自宅に役人を派遣し尋問しましたが、セネカの対応が曖昧だったので自害を命じました。セネカは始めドクニンジンを飲んで中毒死しようとしましたが、死に切れず、風呂場で静脈を切って命を絶ったとされています。セネカが実際に陰謀に加担していたかどうかは、未だに分かっておりません。
     では、波乱の時代に生きた哲学者セネカの絵画14点をご覧ください。

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    ネロ帝の絵画14点。母と師を殺めキリスト教徒を迫害した、暴君とされるローマ皇帝

    Emperor Nero  by Abraham Janssens 1618 -

     ネロ(37-68年)はローマ帝国の第五代皇帝で、暴君として知名度が高い人物です。
     母はアグリッピナで父はグナエウス。アグリッピナは夫の死と現皇帝カリグラの死により、新しく皇帝となった叔父のクラウディウスと結婚する事になりました。彼女の陰謀によってネロは後継者の第一候補となり、毒キノコ中毒でクラウディウスが急死すると、ネロは弱冠18歳で王位を手に入れる事になりました。その死はアグリッピナが関与しているという説が有力のようです。

     皇帝となったネロは家庭教師である哲学者セネカや、近衛長官のセクストゥスの意見を訊き、始めこそは善政を行っていました。しかし、母との確執や愛人問題によって狂っていってしまうのです。ネロは妻オクタウィアそっちのけで解放奴隷の娘を愛人としていたので、アグリッピナはそれを咎めます。口うるさい母を疎ましく思い始めていたネロは、母を宮殿から追放したあげく、二番目の愛人にまたも口出ししてきた母を殺害してしまいます。

     セネカや外の指南役も引退してしまい、指導する者がいなくなったネロは暴走し、オクタウィアを殺して後妻を娶り、多くの議員と共にセネカを殺し、ローマの大火をきっかけとしてキリスト教徒を迫害します。しかし、民衆の支持率が低下したネロは、68年に元老院に「国家の敵」とみなされてしまいます。ローマ郊外の解放奴隷の家へと逃げたネロは騎馬兵がやって来る音に恐れ、奴隷に命じて自分の喉を切らせて自害したとされています。母や妻や反ネロ派を次々と殺し、残虐な暴君とされたネロでしたが、彼の死に悲しむ者は多く、沢山の花や供物が墓へ供えられたそうです。
     では、皇帝ネロの絵画14点をご覧ください。

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    宮廷道化師の絵画16点。君主に仕え批判する、自由奔放たる道化師の姿【第二弾】

    A jester with a cat, by Studio of Jacob Jordaens -

     宮廷道化師は中世~近代の西洋において、王や貴族などの支配者層に仕えたエンターテイナーです。
     古代エジプトやギリシャでも、様々な芸を披露して裕福層を楽しませた道化師はいたとされ、ローマ帝国では身体や精神に障害を持つ者を、魔除けとして奴隷にする習慣がありました。中世時代から宮廷道化師(ジェスター)という概念は生まれ、王や貴族に雇われた道化師は、王を楽しませる為にパフォーマンスをしたり、他者がはばかるような言動を進んで言いました。基本、身分は低くペット同然に扱われますが、宮廷道化師にも本当の愚者や、愚人のふりをした賢人など色々なタイプがおり、後者のタイプは良い待遇が与えられる場合もあります。国によってまちまちではあるものの、宮廷道化師は国王の権威が崩れた17~8世紀頃、姿を消していきました。
     では、第二弾である宮廷道化師の絵画16点をご覧ください。

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    キリストの嘲笑の絵画15点。囚われの救世主は、民衆に野次られ攻撃されてしまう

    Giulio Cesare Procaccini (1574–1625) - コピー

     「キリストの嘲笑」は、民衆たちによって嘲笑されるキリストを描いた作品を指します。
     裏切者ユダによってキリストは逮捕され、懐疑の目を向ける民衆たちの前に晒られてしまいます。大司祭に「お前が神の子ならば奇跡を起こしてみせよ」と言われ、「嘘なんだからそんな事はできないだろ!」と民衆にキリストは嘲笑され、その後、総督ピラトが有名な言葉「エッケ・ホモ(この人を見よ)」と言うのです。
     悪意ある民衆に攻撃される救世主という、悲惨とも思える主題なのですが、北方ルネサンスやバロック時代に多くの絵画が残されています。鞭打ちや茨冠、拷問や嘲笑、エッケ・ホモという絵画テーマは類似しており、一つの絵画に幾つの主題が含まれている場合もあります。
     では、キリストの嘲笑の絵画15点をご覧ください。酷い描写が含まれていますので、宗教的に抵抗のある方はご注意ください。

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    猿の絵画13点。17世紀のフランドルで流行した、人を猿に置き換える風刺&民衆画

    David Teniers the Younger, 17 -

     猿がまるで人間のように描かれた絵画を見たことがあるでしょうか。
     猿が絵を描いていたり、彫刻をしていたり、お茶をしていたり、煙草を吸っていたり・・・。猿の絵画が登場したのは16世紀頃で、ブリューゲルなどのフランドル画家が始まりとされており、17世紀にダフィット・テニールス(子)が多く手がけると猿画の流行が起こりました。
     西洋において、猿はあまり良いイメージを持たれておらず、「ケチ」「見栄っ張り」「ずる賢い」「物まね師」などの負の性格を象徴しています。時に悪魔の化身として描かれ、鎖に繋がれた猿は「悪の敗北」を意味します。猿は人間や社会の不合理で愚かな面を風刺するのに使われ、テニールス(子)や他の画家達は人間を猿に置き換えた猿画を描きました。しかし、猿画は悪い面ばかりではありません。滑稽な人々を温かい目で見て、冗談や茶目っ気の気持ちを込めて描いた作品もあるのです。
     では、猿の風刺&民衆画の絵画13点をご覧ください。

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    クー・フーリンの挿絵13点。光の神ルーの息子である、ケルト神話の荒ぶる英雄

    Joseph Christian Leyendecker Cuchulain in Battle 1911 - コピー

     クー・フーリンはケルト神話に登場する半神半人の英雄です。
     光の神ルーが父で、母はコノア王の親族デヒティネ。ある日、王宮からデヒティネと50名の乙女が消えてしまい、三年間行方知れずでした。彼女達はルーの屋敷に住んでおり、王が国に戻るよう言うと、デヒティネは赤ん坊を渡したのです。彼は「セタンタ」と名付けられ、後に英雄クー・フーリンとなったのです。
     クー・フーリンは「クランの猛犬」という意味で、少年の時に獰猛な猛犬を簡単に殺したことからそのあだ名が付けられました。青年となった彼はフォルガルの娘エメルに求婚するも、断られてしまいます。その為、影の国の女勇者スカアハの元で修行することにしました。

     その後、彼は師匠に槍ゲイ・ボルグを授けられ、一人前となってエメルと結婚を果たしますが、コノートの女王メイヴが立派な牛を奪おうと進軍してきたのです。クー・フーリン以外の武人たちは呪われて進軍できない状態にあった為、彼一人で対抗しました。その力は凄まじく、敵は次々と倒されていきます。しかし、「毎日一人の戦士を出してクー・フーリンと一騎打ちをさせる。その間は進軍しても良い」という契約が為され、クー・フーリンは歴戦の勇士だけではなく、修業時代の親友までをも、手に掛けなければならなくなったのです。長い間続いた戦争もクー・フーリン側の勝利に終わりました。
     ですが、プライドを深く傷つけられた女王は、クー・フーリンを暗殺しようと次々と刺客を送ったのです。彼は自らの死期が近い事を悟り、王や妻に別れを告げました。クー・フーリンは敵に奪われたゲイ・ボルグに胸を刺されて絶命してしまいます。倒れないように自らの身体を柱でくくり付けるという、英雄らしい最期でした。
     では、クー・フーリンの挿絵12点と、1点の彫刻をご覧ください。

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    ミノタウロスの絵画12点。迷宮ラビリンスの奥に幽閉された、悲しき牛頭人身の怪物

    George Frederic Watts 1885 -

     ミノタウロスはギリシャ神話に登場する、頭が牛で身体が人間の怪物です。
     クレタ島のミノス王は後に生贄に捧げよという誓約で、海神ポセイドンから白い雄牛を授けられます。しかし、王は牛の余りの美しさに手放したくなくなり、異なる牛を生贄に捧げてしまうのでした。それに怒ったポセイドンは、雄牛を愛すという呪いを王妃パシパエにかけてしまいます。恋煩いに陥った王妃は名工ダイダロス(イカロスの父)に相談し、雌牛の模型を作ってもらいます。それに入った彼女は雄牛と思いを遂げ、牛の頭をした赤ん坊を産みました。

     ミノタウロスと呼ばれた子供は日に日に成長し、その凶暴さが目に余るようになってきました。ミノス王はダイダロスに命じてラビリンス(迷宮)を作らせ、奥地に幽閉してしまいます。ミノタウロスの食料として、占領地のアテナイから7名の少年少女が毎年迷宮に送られました。三度目の生贄が行われようとした時、アテナイの英雄テセウスが退治に名乗りをあげ、ミノタウロスを倒す事に成功しました。ミノス王の娘アリアドネから授けられた毛糸を使って、テセウスは脱出不可能とされたラビリンスからも脱出したのでした。
     神の罰によって産まれた悲しき怪物、ミノタウロスの絵画12点をご覧ください。

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    西洋美術のアートTシャツを販売しています!ここだけのダークな絵画Tシャツたち

    Tシャツ表紙

     絵画がプリントされたTシャツは美術館やネットで手に入れる事ができますが、デザインも限られており、なかなか自分好みの絵画が見つからない!という人もいるのではないでしょうか。
     そんな方の為に、「メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-」は西洋美術のアートTシャツの販売を始めました!これは鉄板というメジャーな絵画から、ここだけしか扱っていない珍しい絵画もございます。「メメント・モリ」という名にふさわしいよう、ダークな絵画も沢山取り扱っています。むしろダークな絵画の方が多いと思います。
     では、概要をご覧ください^^

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    リチャード三世の絵画13点。シェイクスピアの戯曲にもなった、狡知のイングランド王

    George Frederick Cooke as Richard III  1811-12 -

     リチャード三世(1452-85)は、イングランド王国であるヨーク朝の最後の王です。
     いとこのウォリック伯リチャード・ネヴィルに育てられた彼は、兄のエドワード四世が王位に就くと、9歳の時にグロスター公爵の位を得ました。その9年後にウォリック伯はランカスター派に寝返り、エドワード四世は追放されてしまいますが、リチャードは兄を援助し、翌年に王位を復活させています。20歳の時にウォリック伯の娘アン・ネヴィルと結婚し、その領地を我が物にしてリチャードの地位は飛躍的に向上しました。

     1483年にエドワード四世が病死すると、息子のエドワード五世が王位に就いてリチャードが摂政となりましたが、王とその弟はロンドン塔に幽閉されてしまいます。その間にエドワード五世の血筋は不当と決定を下し、リチャード三世として王に即位してしまうのでした。エドワード五世と弟はその後、殺されたと思われます。晴れて王となった彼でしたが、状勢は不安定となって反乱が相次ぎます。一人息子と王妃が続けて病死し、1485年の8月にランカスター派のヘンリー・テューダーが武器を携えて到来。ボズワースの戦いが始まります。リチャード三世は自ら武器を持って獅子奮迅するものの、味方の裏切りにあって戦死してしまうのでした。
     シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」において、彼は背骨が曲がった冷酷で欲深き王として書かれています。それにより極悪人としてのイメージがついてしまいましたが、現在ではそこまでではなかった事が証明されております。史実と物語の様子を踏まえながら、リチャード三世の絵画13点をご覧ください。

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    スキュラの絵画13点。魔女キルケの嫉妬により、犬と魚の怪物に変えられた美女

    Glaucus_and_Scylla_-_Agostino_Carracci_-_1597 - コピー

     スキュラはギリシャ神話に登場する乙女(ニュムペーとも)です。
     シチリア島に住んでいた彼女は非常に美しく、多くの男性に言い寄られていましたが、恋愛に興味はなく、断ってばかりいました。彼女にとって、海岸沿いを散歩したり、海水浴をしたり、海のニュムペーと話していた方がずっと楽しかったのです。ある日、スキュラが水浴をしていると、海の神グラウコスと出会いました。彼は一目でスキュラに恋をし、「自分は人間ではなく海神なんだ。元々は人間の漁師だったんだけど、ある草を噛んだら海に潜りたくなって、神の仲間入りを果たしたんだ。今ではトリトンにも劣らない存在になったんだよ!」と彼女の心を射止めようと必死にアピールしました。しかし、スキュラは恐れを成して逃げてしまったのです。

     グラウコスはどうしても諦めきれず、魔女キルケの元へ行って、呪文や薬草の力を使って恋を実らせてくれるようお願いしました。しかし、キルケはグラウコスの事が好きになってしまい、「スキュラなんて女じゃなく、私を愛してよ」と言うのですが、彼は聞く耳を持ちません。キルケは怒り、恋敵スキュラを陥れようと考えました。キルケは毒薬を作り、スキュラが気に入っていた小さな入り江に毒を流し込み、呪文を唱えました。すると、毒の水に触れたスキュラの下半身は、みるみる犬と魚が入り混じった怪物に変わっていきます。彼女が怯えて凶暴な怪物から逃げようとしても、ずっと付いてくるのでした。こうしてスキュラは上半身は美女、下半身は6匹の犬と魚が付いた怪物となってしまったのです。グラウコスは変わり果ててしまった彼女を見て、涙を流したそうです・・・。
     スキュラに起こった悲劇の絵画13点をご覧ください。

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    中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
    師匠はヒエロニムス・ボス。
    神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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