
ブリューゲル一族は16世紀-18世紀に活躍したフランドル(ネーデルラント)の画家の家系。
ピーテル・ブリューゲルやらヤン・ブリューゲルやら同名が多すぎるので、基本(父、子)(老、若)などで区別されます。最も有名なのはピーテル・ブリューゲル(父)で、その息子や孫、更には曾孫も画家になっております。今回は有名からマイナーまで、画家になったほとんどのブリューゲル一族を紹介したいと思います。その数8名。
ややこしい家系もこれですっきり解決です!
ブリューゲル一族は以下のようになっています。

(ブリューゲル展 -画家一族150年の系譜よりお借りしました)
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ピーテル・ブリューゲル(父)
↓
ピーテル・ブリューゲル(子)
ヤン・ブリューゲル(父)
↓
ヤン・ブリューゲル(子)
アンブロシウス・ブリューゲル
↓
ヤン・ピーテル・ブリューゲル
アブラハム・ブリューゲル
ヤン・ファン・ケッセル(父)
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というような感じです。
150年の間に画家が8名!これは凄いことですね・・・。
以下、作品を見ていきましょう!
ピーテル・ブリューゲル(父) (1525頃 - 1569)
ブリューゲル一家の中で一番有名な画家。
「農民の画家ブリューゲル」と言われ、農民の踊りやネーデルラントの諺、
雪中の狩人など地域に密着した作品を多く残しました。
また、死の勝利や反逆天使の墜落を描いたのもピーテル(父)です。
2017年に日本にやってくるバベルの塔(下図)も彼の作品。→ 詳しくはこちら
「バベルの塔 1568年頃」
「雪中の狩人 1565年」
「死の勝利 1562年頃」
ピーテル・ブリューゲル(子) (1564-1636)
ピーテル(父)の長男。彼が五歳の時に父親が亡くなりましたが、祖母も
画家だった為、彼女に絵を教わりました。父の模写を行った他、農民の
生活や風刺画を描きました。かつては「地獄の画家」と呼ばれていましたが、
それは誤解で、弟のヤンの作品と勘違いされた為でした。
「家賃集めの者たち 1615年」
「へつらい 1592年」
「大乱闘 1610年」
ヤン・ブリューゲル(父) (1568 - 1625)
ピーテル(父)の次男。ヴァニタスを思わせる花を描いた為、
「花のブリューゲル」などと呼ばれます。兄と違って彼は父の摸倣を
せず、花や風景画を描いて独自のスタイルを貫きました。地獄の絵画を
描いたのは実は彼。「花であり地獄の画家」であるわけです。
「陶製の花瓶の花 1620年」
「オルフェウスの冥界下り 1594年」
「四季の擬人化と果実のガーランド 1615 - 1618」
ヤン・ブリューゲル(子) (1601 9/13 – 1678 9/1)
ピーテル(父)から見たら孫。ヤンがヤンと名付けました。
ヤン父さんに似て、風景画や寓意画を多く手がけました。
ただ、父のサインを使って作品を描いており、画力的には
やや父に及ばない部分があります。
「花や草木に囲まれたフローラ 17世紀」
アンブロシウス・ブリューゲル (1617 - 1675)
ヤンの腹違いの弟。風景画を得意としたバロック画家。父の画風と似ていますが、
ルネサンスの雰囲気が薄れ、新しい風が舞い込んできています。
「聖母マリアとキリスト 17世紀」
ヤン・ピーテル・ブリューゲル (1628 – 1664)
ひい爺さんと父さんの名前をくっつけたようです。ヤン(子)の息子で、
アンブロシウスは叔父にあたります。
彼も花の静物画を好んで描いた画家だったようです。
「花に囲まれたアメリカの擬人化 1650 -1677」
アブラハム・ブリューゲル (1631 - 1690)
ヤン・ブリューゲル(子)の次男坊。彼は自らの画力を上げるため、
18歳でイタリアへ移住しました。彼も花の静物画を多く描きました。
「果物を持つ女性 17世紀」
ヤン・ファン・ケッセル一世
ヤン・ブリューゲル(子)の妹パスハシアの子供。
ヤン・ピーテル・ブリューゲルから見たら、「いとこ」になりますね。
彼は虫や動物や静物画を得意としました。この絵画のエイが
微笑んでいるようで可愛らしいですね^^
「アザラシとカワウソがいるビーチの静物画 17世紀」

【おまけ】ヤン・バプテスト・ブリューゲル (1647 – 1719)
家系図には画家とされていませんでしたが、アブラハムの弟で、
花を描いた画家とも言われています。情報が少なく詳細は
不明ですが、ローマへ渡ったと言われています。下記の作品も彼のもの
かは判然としませんが、掲載させていただきます。
【おまけ】 ダフィット・テニールス(子) (1610 - 1690)
ヤン・ブリューゲル(子)の妹アンナ・ブリューゲルと結婚したのも画家。
農民を描いた大衆画が主で、宗教画、風刺画、寓意画など幅広く
手がけています。彼の息子もまた画家になったとか。彼の名前にも
(子)が付いているので、お父さんも画家なのでしょう。
「酒を飲む王様 1634-1640頃」
個人的にはピーテル(父、子)ヤン(父)くらいしか知らず、一族といってもそこまでいないだろうと思っていました。しかし、調べてみると出るわ出るわ。本当にブリューゲル一族は代々に渡って画家だったんだなぁと実感しました。なんだか一族で時代の移り変わりが分かるような気がします。画家は当時、職人としての仕事だったから受け継がれていったんでしょうね。文献によると、ヒエロニムス・ボスの父親、祖父も画家だったようなので、画家を継ぐのはポピュラーだったのかもしません。
ピーテル(子)は「地獄の画家」と言われている割には地獄描いて無いなぁと思っていたので、疑問が解決できて良かったです。
→ ピーテル・ブリューゲル(父)についての絵画をもっと見たい方はこちら
→ 「ブリューゲル展」について詳しく知りたい方はこちら
>> 美術を愛する人様へ
初めまして、こんばんは。
ご訪問ありがとうございます^^
まだブリューゲル一族について疎かった頃、ウィキの情報を鵜呑みにしていたのですが、ヤン・ブリューゲルの絵を調べるようになって、「なんでヤンが地獄の絵画を描いているのか?」と疑問に思いました。
そして海外版のウィキを読むと、ピーテル(子)ではなくヤンが地獄の画家と紹介されていて驚きました。勘違いという事もあるんですね。
わざわざウィキを編集して下さりありがとうございます。
ブリューゲル展を観ても、ピーテルは民衆画、ヤンは宗教画の絵画が目立ったように思います。
これからも「メメント・モリ」をよろしくお願いいたします^^
(もし記事に間違いがあったら、遠慮なく仰ってくださいね)