Jan_Matejko,_Stańczyk 1862 - コピー

 スタンチクはポーランドの宮廷道化師の中で、一番有名な人物です。
 彼は1480年頃-1560年頃に生き、アレクサンデル、ジグムント1世老王、ジグムント2世アウグストという三代の王に仕えました。本名はスタニスワフ・ゴンスカと推定されています。宮廷道化師は様々な芸を行って王を楽しませる職業ですが、スタンチクはそれ以上の能力を持っていました。彼はポーランドの歴史、政治に精通し、非常に高い知性を有していました。王のアドバイザーとして活躍し、自らの職業を最大限に利用して、冗談を交えながら風刺や警告、批判を行いました。人々はそのたぐいまれな才能を賞讃したと言われています。
 そんな最強道化師スタンチクの姿を見ていきましょう。


PR
   

「ヤン・マテイコ作  1862年」
スタンチク絵画の中で、一番有名なもの。
椅子に座り、真面目な様相で深く考え込んでいるスタンチク。
Jan_Matejko,_Stańczyk 1862

「お顔アップ」
こんな恐い表情。一点を見つめ、彼は何を思っているのでしょうか。
Jan_Matejko,_Stańczyk

「ヤン・マテイコ作  1855年」
虫歯になったスタンチクが知人に治療法を教わっている場面。
こちらは滑稽で可愛らしい感じに描かれています。
Zeby_Stanczyka 1855 ヤン・マテイコ

「ヴォイチェフ・ガーソン作  19世紀」
ジグムント老王と語らうスタンチク。王が立っているのに、スタンチクは
ゆったりと座っています。彼の地位が相当なものだと分かります。
Gerson-Zygmunt_Stary_i_Stańczyk ヴォイチェフ・ガーソン 19

「ヤン・マテイコ作  ゲムラトとスタンチク部分  1873-78年」
大司教のゲムラトにこそっと何かを耳打ちしているスタンチク。
それにしても大司教がよく肥えています。
Matejko-Gamrat_i_Stańczyk

「ヤン・マテイコ作  プロイセンの臣従部分  1882年」
プロイセンに対するポーランドの対応に、懐疑の念を覚えるスタンチク。
なんだかパイレーツ・オブ・カリビアンの主人公に見える・・・?
Prussian_Homage_Stanczyk

「Leon Wyczolkowski 作 19世紀後半-20世紀前半」
ポーランドの軍事、政治的な衰退により、スタンチクが嘆いています。
道化というより、国家主義者の悲劇的な象徴として描かれております。
Stanczyk   Leon Wyczolkowski (1852-1934)

「ニェポウォミツェの王室離宮にある座像」
こめかみに指を当て、考え込む仕草をするスタンチク。
帽子は可愛いのに、賢者に見えてしまう道化マジック。
2007 Polska Niepołomice Stańczyk

 絵画を見ていただければ分かるように、殆どが真面目な姿、権威者に知恵を与える賢者の姿として描かれています。スタンチクは道化師であると同時に、政治家、戦略家、策士の仕事も担っていたのでしょう。エンターテイナー中のエンターテイナーですね。
 また、スタンチクの生没が1480年頃-1560年頃ということは、80歳近く生きたのでしょう。40歳前後で寿命を迎えた当時でいうと、怪物レベルです。ポーランドの政治の真っただ中で、ストレスにさらされながらも80歳まで生きたスタンチクは、本当に伝説の宮廷道化師だと思います。

→ 宮廷道化師の絵画をもっと見たい方はこちら
→ 道化の即興劇コンメディア・デラルテについて知りたい方はこちら



PR