1510 -

 東方三博士(三賢者)の礼拝は、新約聖書の物語の一つです。
 ある日、エルサレムに東方からやって来た占星術の博士だという旅人たちが来ました。彼等は都に着くと、人々にこう訊ねました。「ユダヤの王は何処ですか? 我々はその方の誕生を星で見たのです」と。メシアが産まれたという噂はたちまち広がり、それは現ユダヤ王のヘロデの耳にも届きました。ヘロデ王は聖書を研究する者達から、メシアがベツヘレムから現れるという事を聞き出し、東方の博士たちを呼び出しました。王は「ベツレヘムへ行って、メシアに会ったら私に知らせて欲しい」と伝え、彼等を送り出しました。
 東方の博士たちは頭上に輝く美しい星を頼りに、その土地へと目指しました。着いたところは粗末な小屋でしたが、彼等はそこにメシアがいることを確信しました。中に入ると、若い母の胸に、赤ん坊が抱かれていました。三名の賢者は涙を流しながら赤子イエスに礼拝し、持ってきた宝箱を開け、黄金と、没薬(もつやく)と乳香を送り物として与えました。
 東方よりやって来た賢者たちの礼拝の絵画、15点をお楽しみください。


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「ジョット・ディ・ボンドーネ作  1305年頃」
マリアの隣にいるのは父ヨセフと祝福をする天使です。
寝巻に包まれるキリストを博士が拝んでいます。小屋がほったて小屋の
レベルを超えているような・・・。
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Giotto di Bondone, Scrovegni

「サンドロ・ボッティチェリ作  1475年」
大変なギャラリーがいる東方三博士の礼拝。
一番右側にいる人物はボッティチェリの自画像とされています。
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Botticelli, 1475

「ヘラルト・ダヴィト作  1515-23年」
ルネサンス時代になって来ると、博士の一人が黒人になる絵画が現れます。
東方というミステリアスで異国情緒あふれるイメージがそうさせたのでしょう。
Gerard David  1515-1523

「ディルク・ボウツ作  15世紀」
没薬は南アフリカに生えている没薬樹から採取されたもので、香として
焚いたり、薬として用いたりします。
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Dirk Bouts, 15th century

「プラドのキリスト降誕の親方作  1475-1500年頃」
乳香は東アフリカ、アラビア、インドなどに生えるボスウェリア属の植物
から採取されるもので、こちらも香として焚いたり、薬として用いられたり
します。漢方薬としても使われているとか。
Navity Master of the Prado, 1475 and circa 1500

「ハンス・メムリンク作  1470年」
聖書上では、博士は三名いると書かれていません。贈り物が三つである為、
博士は三名ではないのかと考えられているのです。もしかしたら、ニ名で
三つだったり、六名で三つだったりするかもしれません・・・。
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Hans Memling, 1470

「ヤン・ホッサールト作  1510年頃」
博士らが小屋に来たのは日暮頃とされており、従者の描写は何処にも
ないものの、昼間、多くの従者を引き連れている絵画が目立ちます。
当時、夜の旅は危険で、従者を必ず引き連れているものと
解されているから、そのような構図になったのでしょうか。
 1510

「ヒエロニムス・ボス作 (部分)  1515年頃」
小屋からにょこっと出ている赤いマントの男はヘロデ王と言われています。
本来なら此処にはいない人物ですが、皮肉や風刺を得意とするボスは
その後の物語の展開を考え、描き加えたのでしょうか。
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Hieronymus Bosch  1515-

「ピーテル・パウル・ルーベンス作  1634年」
メシアが見つかったら教えて欲しいとヘロデ王に言われた三博士ですが、
王の残虐な性格を見抜いた彼等は、王に告げずにそのまま国に帰ります。
Peter Paul Rubens  1634

「ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ作   1423年」
ヘロデ王はメシアに自らの王権を取られまいと、新生児すべてを
殺すよう命令を出しますが、イエス達は神の啓示を受け、それを知って
いち早く逃れるのです。
Gentile da Fabriano, 1423

「ヤコポ・バッサーノ作  1563-64年」
土下座をするくらいに地に手をつけ、イエスに祈りを捧げる博士の一人。
奥の緑のマントを着た博士がつんつんヘアーかと思ったら、王冠でした。
Jacopo Bassano, 1563-1564

「アブラハム・ブルーマールト作  1624年」
手前の博士の服の装飾がとても緻密で、美しい絵画。
おじさんの服に見入っていたら、キリストの容姿が目に入って
「顔が邪悪!」となりました。目付きと笑みが恐いです。
Abraham Bloemaert, 1624

「ディエゴ・ベラスケス作  1619年」
キリストを中心に、博士たちが寄り集まっております。
バロック時代の静かで暗い雰囲気が漂う、荘厳な作品。
Diego Velázquez, 1619

「レンブラント・ファン・レイン作  1632年」
バロックの巨匠らしく、暗闇が濃い作品。祈りを捧げる三博士より、
背後で手を広げるおじさんと、傘のようなものが気になります。
Rembrandt, 1632

「バルトロメ・エステバン・ムリーリョ作  17世紀」
こちらも博士の衣服の装飾が綺麗です。
博士達もマリアもヨセフも、とても嬉しそうな表情をしています。
博士それぞれの従者が分かるような、丁寧な構成。
Bartolomé Esteban Murillo, 17th century

 マリアの夫であるヨセフに着目していただくと、彼が笑っていたり、神妙な顔をしていたり、不機嫌そうにしていたり、奥に隠れていたりと様々な絵画が存在しているのが分かります。
 それは当時のヨセフに対する評価が関係していそうです。聖書ではイエスの生誕にも賛成した清く正しい、若き夫とされていますが、マリアの処女性を強調する為、ヨセフはかなりの老人として描かれました。はっきり言ってしまえば、「無原罪の御宿り」を表すのに、ヨセフは邪魔な存在だったのです。また、世俗的な見方では、「寝取られ夫」の代名詞として使われていました。神に妻を寝取られた夫として、ジョークの世界で話のタネにされたのです。なので、ヨセフは余り重要視されず、列聖に入られたのも1870年とかなり遅いです。
 東方三博士の礼拝という華々しいシーンにいる、微妙な立ち位置の夫ヨセフ。彼を見ていると、なんだか可哀想に思えてきます。



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