最後の審判

 北方ルネサンスは、フランドル(オランダ、ベルギー)やドイツの北ヨーロッパにて興ったルネサンスの運動です。
 なお、フランスやイングランド、東ヨーロッパの美術も北方ルネサンスに入る場合があります。ルネサンスは「再生」「復活」を意味するフランス語で、中世絵画の殻を捨て、ギリシャローマ文化を復興させようという動きです。イタリアルネサンスと異なり、一部の北方は独自の進化を遂げ、15世紀前半頃からルネサンスの萌芽が芽生えました。北方の絵画は宗教色が濃く残ってはいたものの、非常に細密で写実性に優れた作品でした。意味深な寓意(ぐうい)や警句が描かれたものもあり、祭壇画や肖像画が多く描かれ、祭壇画は多翼タイプ、肖像画は小さいサイズのものがよく見られました。
 今回は北方ルネサンス時代に生きた、フランドルとドイツ出身の画家15名を紹介します。


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【フランドル出身の画家】

ロベルト・カンピン (1375-1444)


「受胎告知  15世紀」
ロベルト・カンピン メロードの祭壇画 1427-32

 彼は初期フランドルを生み出した最初の画家と言われており、「フレマールの画家」という異名があります。初期フランドル三大巨匠の一人に数えられています。ロヒール・ファン・デル・ウェイデンを弟子としていたという説もあります。カンピンはこの時代に主流だったテンペラ画ではなく、新技術である油彩画を使い、輝く色彩を手に入れました。ジョットの時代に芽生えて来た遠近法にも、果敢にチャレンジしています。

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ファン・エイク兄弟 (ヤン 1395-1441) (フーベルト 1390頃-1426)


「アルノルフィーニ夫妻 1434年」
arnolfini-portrait-e2

 初期フランドルで最も有名な画家と言えば、ヤンとフーベルトのファン・エイク兄弟でしょう。三大巨匠の中に含まれます。彼等は油彩画を更に研究、使いやすく美しい色彩の油絵具を開発しました。有名な作品は、上の絵画の「アルノルフィーニ夫妻」と「ゲントの祭壇画」。兄フーベルトは祭壇画の完成を見ることなく病気で他界してしまったので、弟ヤンが残りを完成させ、傑作品を多く生み出しました。透き通った美麗な色合いと、目を見張るほどの緻密さが素晴らしいです。テレビで「どこを切り取っても絵画として成立する」と紹介されていましたが、それが頷ける完成度です。

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ロヒール・ファン・デル・ウェイデン (1400頃-64)


「十字架降下  1435年頃」
Rogier_van_der_Weyden2

 初期フランドル三大巨匠の一人であり、師匠はロベルト・カンピン弟子はハンス・メムリンクです。当時から画家として成功を収めており、イタリアやスペイン、ネーデルラントの王侯貴族に注文を受けていました。当時の油彩画は濃い色から厚く塗ってハイライトを入れるのではなく、その反対で、モノクロを何層も塗り重ねていって明暗を出し、最後に着色するという方法でやっていました。その技法でやるととにかく時間と手間がかかりますが、その代わりに透明感と輝く色彩を手に入れることができるのです。

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ディルク・ボウツ (1410頃 - 75)


「聖餐の秘跡の祭壇画部分 最後の晩餐 1464年」
Dieric_Bouts_009

 ボウツはファン・エイクやウェイデンの影響を受けており、北方で消失点を用いた最初の画家でもあります。「色彩の魔術師」と紹介されており、彼は徹底して計算した配色を行うそうです。北方で描かれるキリストの肖像画の容姿を明確にしたのは、ボウツだと言われています。あまり知られていない画家ですが、とても偉大なんです。

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ペトルス・クリストゥス (1410-72頃)


「若い女の肖像  1470年頃」
Petrus_Christus  若い女の肖像  1470年頃

 彼はファン・エイク工房の弟子として積極的に仕事に携わり、作品を残しました。ファン・エイクの死後はクリストゥスが工房を引き継ぎました。それ故、ファン・エイクの作品と混同されてしまうこともありました。しかし、クリストゥスは師匠のみに学んでいたわけではなく、他の初期フランドルの画家の影響も表れていました。だまし絵の手法や、肖像画、宗教画などを手がけました。


ハンス・メムリンク (1430頃-94)


「最後の審判  1467-1470年」
Hans-Memling-The-Last-Judgment-The-First-Stolen-Painting (2)

 初期フランドルが終わり、台頭してきた次世代の画家がハンス・メムリンクです。ファン・エイクとウェイデンの影響を受け、彼も執拗なまでに細密な描写にこだわりました。キリストの足元の球体、天使ミカエルの鎧を近くで見てみると、反射した風景が描かれているんです。反射した時にどのような景色が見えるのかを調査しながら手掛けたのでしょうか。凄まじいこだわりと集中力ですね。

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ヒューホー・ファン・デル・フース (1440頃-82)


ポルティナーリの三連祭壇画中央  東方三博士の礼拝  15世紀」
ファン・デル・フース

 メムリンクとほぼ同時期に活躍した画家。彼もフランドル特有の自然美溢れる細密絵画を得意としました。1474頃に画家組合長に就任したものの、突然引退をしてしまいます。その後、彼は助修士として修道院に入り、絵画生活を続けますが、精神を病んでしまい1480年に自らの命を絶とうとします。徐々にフースは衰弱していき、2年後に息を引き取ります。一説にはファン・エイクのゲントの祭壇画が素晴らしすぎて、劣等感を覚えてしまったとされています。


ヒエロニムス・ボス (1450頃-1516)


「快楽の園  1503年頃」
快楽の園全体2

 フランドルの奇才ボスは「シュールレアリスムの先駆者」や「地獄の画家」「悪魔のクリエイター」と様々な名で呼ばれていて、とにかく謎が多い画家です。絵画は基本宗教画なのですが、かつて誰も表わしたことがないような怪物たちを描き、世界に衝撃を与えました。怪物だけではなく幻想や謎に満ちており、彼の代表作「快楽の園」の謎はいまだに解けていません。ボスが起こした波は多くの追随者を生み、今後フランドルの美術界を担うブリューゲルへと引き継がれていきました。

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ヘールトヘン・トット・シント・ヤンス (1465頃-95頃)


「キリストの哀悼  1484年頃」
トット・シント・ヤンス キリストの哀悼 1484

 彼はルネサンス最初期であり油彩画を最初に生み出した画家、アルベルト・ファン・アウワーテルの弟子ではないかと言われています。宗教画の作品がほとんどですが、宗教改革のせいで壊された絵画もあり、現在残っている作品は20程度と考えられています。


ピーテル・ブリューゲル(父) (1525頃-69)


「雪中の狩人  1565年」
hunters in the snow bruegel

 美術の教科書にも載っているので、ブリューゲルを知っている方は多いでしょう。2017年4月に「バベルの塔展」が開催されたので、知名度はますます上がりました。ブリューゲル(父)は宗教画だけではなく、地域に根差した、町の人々の暮らしや風景を好んで描きました。農民のお祭や婚礼の様子、子供の遊びや地元のことわざ、風刺や警句などを手がけました。

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【ドイツ出身の画家】

マティアス・グリューネヴァルト (1470頃-1528)


「イーゼンハイムの祭壇画  16世紀前半」
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 色彩鮮やかで絢爛さを感じさせるフランドル絵画とは異なり、ドイツ絵画の作風は曇天めいているというか、暗い色彩を用いているような印象があります。グリューネヴァルトの傑作品「イーゼンハイムの祭壇画」の中央に位置するキリスト像は、肌色や傷跡など本当に死人のような描写で描かれ、非常にリアルです。聖人たちも神秘的な存在と言うより、今ここに存在しているかのような現実味があります。

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アルブレヒト・デューラー (1471-1528)


「自画像  1500年」
Albrecht Dürer  1500

 この自画像が何かと話題になっているデューラー。北方ルネサンスのドイツ画家と言えば、彼が一番有名でしょう。美術研究者であり数学者でもあったデューラーは、各地を遍歴し、様々な美術品を鑑賞し「絵画論」とい本を出版しています。自身も宗教や神話、伝承、風景など、多くのジャンルで油彩画や版画の作品を残しています。


ルーカス・クラナッハ(父) (1472-1553)


「ユディト  1530年」
ユディト (1530年)

 2016年にクラナッハの作品が日本にやって来たので、知っている方も多いはずです。クラナッハ工房は「大量生産」という手法を用いた画家と言われています。神話や聖書のあまり用いられていないテーマを選び、挑発的な風刺や裸婦の肖像画を多く描きました。クラナッハの描く女性像は独特で、妖艶な匂いが漂っているように感じます。最初は「なんか不気味・・・」と思うのですが、見つめている内に中毒になってしまう人もいます。

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ハンス・バルドゥング・グリーン (1484頃-1545)


「アダムとイブ  1520-25頃」
Hans_Baldung_green  アダムとイヴ 1520-25

 グリーンはデューラーの優れた弟子とされていました。デューラーは彼の人となりと絵画を賞讃し、師匠が亡くなるとグリーンは追悼と友情の意として一房の髪を送ったそうです。グリーンは魔女に関する事柄に強い関心を示していて、不気味、気持ち悪いとも言える作品を多く残しました。正確な肉体描写を無視した彼の作品は独特で、神聖を破棄したダークさや野性味、怪しさが満載されています。

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ハンス・ホルバイン(子) (1497頃-1543)


「大使たち  1533年」
Hans_Holbein_Younge 1533

 ホルバインは国際的に活躍した肖像画家です。彼は1526年にロンドンへ行き、残虐な王とされるヘンリー8世の宮廷画家となりました。王お抱えの画家となり、王侯貴族の肖像画を残しましたが、4度目の結婚相手アンナの絵が気に入らなかったようで、ヘンリー8世はホルバインを追放しました。彼は失意のうちにペストにかかり、病死してしまったそうです。ホルバインは冷静とも言える細やかな筆致で肖像を描きました。代表作「大使たち」には絵画を斜めから見ると絵画が表れる、アナモルフォーシスという技法が使われています。足元から立派な髑髏が。


まとめ


 私は画家を独立した存在として考えがちだったので、作風の影響や工房の師弟関係などが詳しく知れたのが大きな収穫でした。ロベルト・カンピンからハンス・メムリンクの時代まで、相違はあると思いますが、一本の線が引かれている印象を受けました。
 グリューネヴァルトとデューラーはほぼ全く同時代に生き、没年が同じだったのですね。デューラーは新しい時代に生きていると思っていました。北方ルネサンスは西洋絵画のほんの一角の時代と地域ですが、時代順に画家を並べると時代の推移が明確になっているような気がします。



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