Lucrezia Borgia, by Bartolomeo Veneto -

 ルクレツィア・ボルジア(1480‐1519)はイタリアのボルジア家に生まれた、波乱に満ちた人生を送った女性です。
 父はロドリゴ(後の教皇アレクサンデル6世)、母はその愛人。兄弟にはホアン、チェーザレ、ホフレがいます。彼女が12歳の時、ロドリゴは財力の力で教皇となりましたが、彼はルネサンス期の政治腐敗の象徴となっているほど堕落していました。彼女が13歳の時ジョヴァンニ・スフォルツァと政略結婚し、同盟の不仲により離婚。その間にルクレツィアは従者と関係を持ち、子供が生まれる前に従者は死亡。子供の出生証明は兄と父の二通り作成されましたが、結果は不明。次にアルフォンソ・ド・アラゴンと結婚しますが、二年で夫が暗殺されてしまいます。その後、家族内で騒動があり、長男ホアンが川で遺体になって発見されます。
 ルクレツィアはまたしても政略結婚をさせられます。今度はエスト家のアルフォンソ一世・デステの元へ。彼は暗殺されるのを恐れてルクレツィアを生家から遠ざけました。そうしている内に父ロドリゴは病気になり他界。兄チェーザレも病にかかり、戦死してしまいます。ボルジア家から解放されたルクレツィアは寄付や美術の保護に着手し、人々から篤い支持を得ていました。スキャンダルな話は事欠きませんでしたが、彼女は夫の信頼も得ていました。しかし1519年、出産の合併症により死去。享年39歳でした。
 欲望と策略渦巻くボルジア家に生まれたルクレツィアと、その家族の絵画12点をご覧下さい。

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「バルトロメオ・ヴェネト作  1502‐1555年 ルクレツィアの肖像」 
ルクレツィアは美貌の持ち主だったようで、ハシバミ色の瞳と
膝までの豊かな金髪、口はやや大きく、首は細く胸は均整がとれている、
と言われていました。絵画は花の女神フローラですが、
ルクレツィアとも考えられています。
Lucrezia Borgia, by Bartolomeo Veneto

「Cristofano dell'Altissimo 作  1525-1605年 アレクサンデル6世」
父ロドリゴ・ボルジア。後の教皇です。しかし、彼は好色、強欲、権力欲と
ルネサンス期の堕落した社会の代表的な存在とされていました。
家柄を第一に考え、聖職者というよりも支配者といった感じでした。
Pope_Alexander_Vi Cristofano dell'Altissimo 1525-1605

「Innocenzo di Pietro Francucci da Imola 作 16世紀  ヴァノッツァ・カタネイの肖像」
ロドリゴの愛人で、ルクレツィアの母親の肖像。彼女も金髪で豊かな美女
だったそうです。ロドリゴは聖職者なので結婚はできませんでしたが、
二人は逢瀬を繰り返し、四人の子供を産みました。
Vannozza Cattanei, Lucrezia Borgia's mother 1442-1518

「作者不詳 ホアン・ボルジアの肖像  15-16世紀」
ロドリゴの長男ホアン。(次男の説もあり) 彼は兄弟のチェーザレと
政権争いと女性関係のもつれが起き、川で遺体となって発見されました。
まだ23歳でした。
Giovanni Borgia1474–1497

「アルトベロ・メローネ作  チェーザレ・ボルジアの肖像  1500-24年」
ロドリゴの次男チェーザレ。彼は父親の右腕として、権力を行使して
ボルジア家の繫栄に力を入れました。彼も権力第一主義で、立場の
為なら暗殺や戦争、妹の政略結婚も辞しませんでした。大変な美男子で
あったそうですが、病気に罹って1507年に戦死。
Cesare borgia Altobello Melone 1500-24

「作者不詳  ホフレ・ボルジアの肖像  15-16世紀」
末弟ホフレ。彼はナポリ王国の王の娘サンチャと結婚したものの、
兄二人に妻を寝取られています。彼についてはほぼ分かりませんが、
ボルジア家が没落した後も、生き続けたとされています。
Gioffre Borgia

バッティスタ・ドッシ作  アルフォンソ一世・デステの肖像  1530年」
ルクレツィアの三人目の夫。エスト家のフェラーラ公。彼はボルジア家
から彼女を離し、決して悪くない結婚生活を行いました。
背後に戦争情景を描き、武器を持つ格好いい肖像画。
Battista Dossi   Alfonso I d'Este  1530

「ジョン・コリア作   1893年」
左からチェーザレ、ルクレツィア、ロドリゴ。
チェーザレが若い男に毒入りのワインを進めています。
暗殺も辞さないとするボルジア家の暗黒を表現しています。
ジョン・コリア 1893 チェザーレ・ボルジアと一杯のワイン

「ピントゥリッキオ作  1494年」
こちらはルクレチア存命中に描かれた作品。可憐な様子が
表れていますね。彼女が父と兄の政略結婚に翻弄された悲劇の
女性なのか、加担した悪女だったのかは定かではありませんが、
性に奔放なことは確かだったようです。
Pinturicchio 1494

「ドッソ・ドッシ作  1518年」
こちらは真面目で節操そうなルクレツィアの肖像ですね。
文献によっては天性の浪費家であり、ボルジア家の毒殺に関与していた、
父兄とも関係を持っていたなど様々な噂があります。
Lucrezia Borgia 1518 Dosso Dossi

「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作  1871年」
しかし、一番目の夫ジョヴァンニが暗殺されそうになった時、夫にそれを
伝えてローマに逃亡させていますし、後年寄付にも力を入れていたところ
から見ると、悪女ではないように私は思います。
Dante Gabriel Rossetti 1871

「バルトロメオ・ヴェネト作  1510年」
彼女は人生で7名か8名の子供を産み、若干39歳で命を落とします。
ルクレツィアは運命に翻弄された女「ファム・ファタール」として人生を
送りました。イタリアの政略の真っただ中で暮らしていた彼女は、
自分の武器を最大限に活用して生き延びていたのかもしれませんね。
Bartolomeo Veneziano 1510

 紀元前6世紀頃の王政ローマの時代に、ルクレチアという伝説の女性がいます。
 彼女は非常に節操な女性で、ローマの王子に乱暴をされた際、そのことを夫に伝えて復讐してくれるよう頼み、自ら命を絶ってしまいます。極めて節操なルクレチアと、性奔放なルクレツィア。なんと言えばいいか分かりませんが、二人とも社会の犠牲者であり、どちらの境遇も生きにくい世の中だなぁと思います。なんだかまとめがうやむやになってしまいました…。

→ 共和政ローマの礎を作ったルクレチアの絵画を見たい方はこちら


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