Jacob Jordaens  1653 -

 クレオパトラ(紀元前69‐30年)は古代エジプトに栄えたプトレマイオス朝の最後の女王です。
 本名はクレオパトラ7世フィロパトル。絶世の美女とされ、話術が得意で何か国語も話すことができたそう。彼女が生きたプトレマイオス朝は激動と混乱の時代でした。若干18歳でクレオパトラは弟のプトレマイオス13世と兄弟婚をし、共同政策を行いました。しかし、二人の間に亀裂が走り、内戦が勃発します。ローマとの同盟こそが重要であると考えたクレオパトラは、ユリウス・カエサルに目を付けます。女王は自らを寝具袋(絨毯とも)にくるませ、アレクサンドリアにいたカエサルの元に届けさせました。彼女はカエサルを魅了し、ナイルの戦いでプトレマイオス13世を戦死させます。クレオパトラは国の統治を図りますが、今度はカエサルが暗殺されてしまいます。

 その後、ローマはカエサル派である三名が権力を持ち、三頭政治を行っていました。その一人であるアントニウスに呼び出された時、彼女は美しく着飾ってお色気攻撃を図りました。彼はそれに引っかかり、二人は愛人となって三人の子をもうけます。アントニウスはクレオパトラに深入りしずぎた為、ローマ市民に不興を買ってしまい、オクタヴィアヌスに人気が集まるようになりました。クレオパトラ側はとオクタヴィアヌスと海戦を行いましたが、あえなく敗北。アントニウスは自害し、クレオパトラも毒蛇に自らの身体を噛ませて自害をしたと伝えられています。こうしてプトレマイオス朝は滅亡してしまいました。
 世界三大美女とされ、悪女ファム・ファタールともされている女王クレオパトラの絵画13点をご覧ください。

PR
   

「アレクサンドル・カバネル作  1887年」
エジプトのエキゾチックな雰囲気を漂わせている作品。エジプトと
言ってもプトレマイオス朝はギリシャ系の王朝だった為、クレオパトラは
ギリシャ人と考えられています。背後では罪人?の死体が運ばれています。
Alexandre Cabanel   testing poisons on condemned prisoners  1887

「ギュスターヴ・モロー作  1887年」
クレオパトラは世界三大美女の一人として、絶世の美女の代名詞とも
されていますが、彼女が美人であったという記述はありません。
どちらかと言うと知的美人といった感じで、身のこなしや話術が優雅
だったのでしょう。声は小鳥のようだったと伝えられています。
Cleopatra 1887  Gustave Moreau

「ジャン=レオン・ジェローム作  1824‐1904年」

絨毯から女王様が出てきて、カエサルが仰天している有名なシーン。
こんなセクシーな女王様がじゃじゃーんと出て来たら、そりゃ驚きますよね。
→ ユリウス・カエサルについての絵画を見たい方はこちら
Jean-Leon Gerome  Cleopatra Before Caesar

ローレンス・アルマ=タデマ作   1885年」
アントニウスとクレオパトラを描いた作品。女王は神輿のような物に
ゆったりと座っています。その奥ではっとした表情を浮かべているのが
アントニウス。一発でノックアウトですね。
Antony and Cleopatra  Lawrence Alma Tadema 1885

「Gerard De Lairresse 作  1675-80年」
クレオパトラの饗宴を描いた作品。招かれたローマ将軍であり愛人である
アントニウスは、余りの豪華さに驚いています。クレオパトラの耳には
大粒の真珠が光っており、彼女はそれを取り外します。
Cleopatra Banquet  1675-80 Gerard De Lairresse

「Andrea Casali 作  1705-84年」
「あら、豪華絢爛な催しをしていても、私は富や財産には執着していないのよ」
とクレオパトラは言い、持っていた大粒の真珠をあろうことかワイングラスに
入れて溶かし、そのワインを飲んでしまいました。
Andrea Casali

「ヤーコブ・ヨルダーンス作  1653年」
富の執着を見せない為と言いますが、高価な真珠を溶かすなんて
逆に嫌みや見せびらかせのように感じてしまう庶民の私。
アントニウスはちょっと下卑た顔をしていますね。左の道化はそんな彼を
指さし、単純な奴だなぁと嘲笑っているように見えます。
Jacob Jordaens  1653

カルロ・マラッタ作  1695年」
この逸話は彼女を象徴する話となり、真珠の耳飾りとグラスは
クレオパトラのアトリビュートともなっています。
→ アトリビュートについて知りたい方はこちら
Carlo Maratta 1695

ポンペオ・バトーニ作  18世紀」
アクティウムの海戦の後、捕虜となったクレオパトラがオクタヴィアヌスに
嘆願しているシーン。彼はカエサルの養子であったので、「私はカエサルの
愛人だったのよ。だから、許・し・て」と言っているのでしょうか。
 18th  Pompeo Batoni

「Louis Gauffier 作  1787-88年」
こちらも捕虜中のクレオパトラがオクタヴィアヌスに助けを求めています。
史実は分かりませんが、もしかしたらここでもお色気作戦が発動した
かもしれません。彼はそれには引っかからなかったようです。
Octavian after Battle of Actium 1787-1788 Louis Gauffier

ポンペオ・バトーニ作  1763年」
愛人アントニウスはクレオパトラが死去をしたという誤報を受け、自害を
図ります。アントニウスは瀕死の状態で彼女の元へ届けられますが、
その腕の中で息を引き取ります。絵画だと脇腹の辺りから流血していますね。
Pompeo Batoni

アルテミジア・ジェンティレスキ作  1593‐1653年」
愛しい人の死を受け、クレオパトラも死ぬ決意をします。一説には
贈答品のイチジクの中に毒蛇を忍ばせ、身体を噛ませて死亡したと
伝えられています。噛まれた場所は腕や胸とされています。
Artemisia Gentileschi - Cleopatra

「ピエール・ミニャール作   1635年」
絵画では二人の侍女も描かれることが多いです。一人はクレオパトラと
共に自害しました。足元にはイチジクが入った籠があります。
赤と青の対比が鮮やかな作品。
The Death of Cleopatra by Pierre Mignard  1635

 紀元前に生きた王女クレオパトラは多くの謎をはらんでいます。「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ、歴史は変わっていただろう」という言葉を哲学者パスカルは残しましたが、彼女の容姿が鼻梁が高くてすこぶる美人だったという記述は見あたりません。パスカルが生きた17世紀には、もう半ば伝説の人物になっていたのです。
 また、蛇の毒での自害は実際数時間から数日かかってしまうそうで、実際は服毒自殺なのではないかという説が有力になっています。確かにイチジクに潜ませていた蛇を胸に噛ませて死亡、なんてドラマチックな創作物語のように感じます。胸に噛ませる、という部分もセクシーなクレオパトラのイメージと結びついて、後年作られたもののように思えます。クレオパトラはイエス・キリストよりも古い人物なのだから、物事が歪曲化されたり、尾ひれ背びれが付いても不思議ではありませんね。

→ クレオパトラの死の絵画をもっと見たい方はこちら


PR