Assassination of Alessandro de’ Medici -

 ロレンツィーノ・デ・メディチ(1514年3月23日‐1548年2月26日)はイタリアルネサンス時代の政治家、著述家です。
 悪事を何度も重ねていた為、ロレンザッチョとも呼ばれていました。彼はフィレンツェの君主アレッサンドロ・デ・メディチを暗殺したことで有名です。フィレンツェで生まれたロレンツィーノは、コジモとアレッサンドロと共に、カメリーノで教育を受けました。紆余曲折があり、彼はアレッサンドロの腹心の部下になります。君主アレッサンドロは敬愛していた父親、クレメンス7世が崩御すると次第に暴君となっていき、ロレンツィーノと共に乱痴気騒ぎを繰り返し、市民の評判は地に落ちていました。ロレンツィーノの暗殺の動機は詳しく分かっていませんが、名誉を得る為だとされています。アレッサンドロと様々な悪事を働いたのはわざとで、彼の人気を地に落とす為とも考えられています。

 ロレンツィーノは妹をダシに使ってアレッサンドロを部屋に呼び、雇った男と一緒にナイフを使って彼を暗殺しました。その後、各地を転々として逃げ、自分の行為を正当化する文章を発表しましたが、フィレンツェ君主を継いだコジモ一世がロレンツィーノを死罪とすることを発表。ヴェネツィア大使が雇った暗殺者二人によって、母の兄弟であるソデリーニと共に道を歩いていたところ、ロレンツィーノは刺殺されてしまいます。彼を庇おうとした叔父も刺され、数日後に命を落とします。
 ロレンツィーノとアレッサンドロの肖像と、暗殺の絵画12点をご覧ください。

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「ロレンツィーノ・デ・メディチのメダル  16世紀(?)」
巻き毛で髭を生やしている姿は、古代ギリシャの人物のようですね。
ロレンツィーノの容姿は分かっていませんが、物語や舞台では
怪しい魅力を放つ美貌の青年として描かれることが多いです。
Scuola fiorentina, medaglia di lorenzino de' medici

ヤコポ・ダ・ポントルモ作  1494-1556年」
ロレンツィーノか弟ジュリアーノを描いた肖像画とされています。
長身でイタリアの青年らしい姿ですね。彼は策略であったのか、
アレッサンドロと共に乱痴気騒ぎを繰り返しました。巷では彼の悪名が
広まり、「ロレンザッチョ」というあだ名が付きました。
Lorenzino(1514-1548) oder  jüngerer Bruder Giuliano(1520-1588)

「アルフォンス・ミュシャ作  1896年」
2017年の「ミュシャ展」でも展示されていた作品。
人気女優サラ・ベルナールが男役として演じ、大人気となりました。
上の赤い六つの丸がメディチ家を表し、背後のドラゴンは暴君
アレッサンドロを象徴しています。
Alfons_Mucha 1896 Lorenzaccio

ヤコポ・ダ・ポントルモ作  1534-35年」
アレッサンドロ・デ・メディチの父親は教皇クレメンス7世であり、母親は
分かっていません。肌が浅黒く、唇が厚かった為、黒人との混血
とも考えられています。彼のあだ名は「ムーア人(北アフリカの人種)」でした。
Jacopo Pontormo 1534-35

「Cristofano dell'Altissimo 作  1560-65年」
こちらの肖像画の方が彼の容姿を表しているように思います。
フィレンツェ君主となったものの、強い劣等感を抱いていた彼は次第に
暴君と変貌していきます。ロレンツィーノは彼の腹心の部下でした。
Cristofano dell'Altissimo 156-0-65

ジャン=ポール・ローレンス作  1884年」
1537年1月5日の夜、ロレンツィーノはアレッサンドロの暗殺を実行しました。
「妹を好きにしてくれ」という甘い言葉で誘惑し、君主を呼びつけた
ロレンツィーノは、協力者と共に、ナイフを胸に忍ばせて向かいます。
Jean-Paul Laurens 1884

「作者不詳  1863年」
彼を信用しきっていたアレッサンドロはベッドに横になっていました。
「どうした、姫君の妹はまだ来ないのか」という冗談を零している背中
目がけ、ロレンツィーノはナイフを力いっぱい振り下ろしました!
Death of Duke Alessandro de' Medici 1863

「作者不詳  18世紀?」
ナイフは深々と突き刺さり、アレッサンドロは雄叫びを上げます。
彼は体格が大きかった為に全力で最後の抵抗をして、もみくちゃに
なりますが、二人には勝てずに命を落としてしまいます。
Assassination of Alessandro de’ Medici

「作者不詳  18~19世紀」
ロレンツィーノ達は遺体を毛布で包んだり、細工をしたりしてその場を
急いで離れました。遺体は翌日の朝発見され、大きなセンセーションを
巻き起こしました。
Lorenzaccio

「Giuseppe battista bellucci (?)作 18~19世紀」 
暴君であったアレッサンドロの死は市民を喜ばせましたが、
新フィレンツェ君主のコジモ一世は、ロレンツィーノを疎ましく思っていた為、
同じメディチの家系の殺人は大罪に当たるとして死罪を発表しました。
Giuseppe battista bellucci morte  alessandro de' medici

ジュゼッペ・ベッツォーリ作  1840年」
暴君を殺した英雄から一変、極刑のお尋ね者になったロレンツィーノは
ボローニャ、イスタンブール、フランス、ヴェネツィアと各地を転々と
しました。途中、自分の行為を正当化する文章を発表しましたが、
聞き入れられませんでした。
Giuseppe Bezzuoli - Lorenzino de' Medici assassinato 1840

「Cristiano Banti 作  1824‐1904年」
皮肉なことに、ロレンツィーノも暗殺によって命を落とします。
コジモ一世が送ったヴェネツィア大使が暗殺者を雇い、彼の身体を
ナイフで一突きしました。享年33歳でした。
Cristiano Banti  Discovery  Corpse  Lorenzino De Medici

 私はロレンツィーノのことを下の藤木ひとみ著の書籍「暗殺者ロレンザッチョ」で知りました。最初は彼のことを物語の創作か、実際にいる歴史上の人物か分かりかねていましたが、実際にロレンツィーノのことを調べてみて、この本は創作が含まれているものの、歴史にかなり忠実に書かれていることが分かりました。殺人と英雄との違いは何か、という事を問いかける哲学的な内容になっていますので、とても興味深く読めました!ロレンツィーノの世界観を楽しむには、とてもお勧めの書籍です^^

 それ以来、ロレンツィーノが好きになりました。「ミュシャ展」でロレンザッチョの劇のポスターを観ることができて、内心テンションが上がりましたよ(笑) アルフレッド・ミュッセが手掛けた歴史劇「ロレンザッチョ」についても調べてみたいです。現代でも上映されているんでしょうかね。
 メディチ家はルネサンス期に台頭した一族ですが、その歴史は愛と死と欲望にまみれています。実際にこのような闇があったかと思うと恐ろしいですが、そういうものに心を惹かれてしまうんですよね。



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