Peter Paul Rubens, Julius Caesar, 1619 -

 ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は共和政ローマの時代の政治家、軍人です。紀元前100年―紀元前44年に生き、おそらくローマ時代の中で五本の指に入る有名人でしょう。
 名門の貴族の家に生まれたカエサルはガイウス・マリウスの甥にあたり、民衆派を支持していました。当時、民衆派と閥族派の二つがいがみ合っており、後者の代表スッラによって処刑されそうになりましたが、カエサルは小アジアに逃亡して難を逃れています。その後、スッラが死去したので彼はローマに帰り、持ち前の弁舌で政治界をのし上がり、ポンペイウス、クラッススの有力者と共に第一回三頭政治を行いました。その二年後、カエサルはガリア周辺の総督となり、数度の遠征を経てガリア全土を征服し、ローマの属州としました。

 しかし、紀元前53年にクラッススが戦死したことにより三頭政治は崩壊、ポンペイウスと不仲になって内戦が起こってしまいます。勝利したカエサルは独裁権力を手に入れ、逃亡した彼を追ってエジプトへ入り、その時に王女クレオパトラと知り合い、二人は恋愛関係となります。カエサルは小アジア、アフリカなどを渡ってローマに戻り、独裁政治を行います。しかし、元老院の崩壊を危惧した共和主義の者達により、カエサルは暗殺されてしまいます。その中には、非常に寵愛していたブルートゥスが混じっており「ブルートゥス、お前もか…!」という名言を残し、カエサルは息を引き取りました。
 共和政ローマの崩壊のきっかけを作った、ユリウス・カエサルの絵画13点をご覧下さい。

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「ピーテル・パウル・ルーベンス作  1577年」
カエサルの容姿は決して美男子ではなく、髪が薄かったので「禿げ」と
言われ続けていたそうです。月桂冠を被ると禿げ頭が隠れたので、
被ると喜んでいたそう。なんだか切ないですね・・・。
Peter Paul Rubens1577

「ピーテル・パウル・ルーベンス作   1619年」
ですが、内面が漢らしくて素敵だった為か、かなり女性にモテました。
政敵どころか部下にさえ「禿げが来たら妻を隠せ!」なんて言われて
いたそうです。若い頃はかなりのプレイボーイでした。
Peter Paul Rubens, Julius Caesar, 1619

ウィリアム・ホルムズ・サリバン作  1836-1908年」
カエサルは弁舌が非常に優れており、政治家&哲学者であるキケロも
絶賛したほどでした。また、文筆にも優れ、「ガリア戦記」や「内乱記」
という著書を残しました。彼の堂々とした話しぶりは多くの人を
惹きつけたのでしょう。
William Holmes Sullivan 1836-1908

リオネル・ロワイヤル作  1899年
ガリアの戦士ウェルキンゲトリクスがカエサルの足元に武器を落とし、
降伏を示しています。カエサルのガリアでの征服を描いた作品。

Lionel Royer  19th ガリア戦記

アドルフ・イヴォン作  1817‐93年」
カエサルという題名のこの作品は、行った征服を象徴しています。
彼は勝利の月桂冠を被り、世界を示す球を持ち、馬で逃げまどう人を
踏み付けています。右には奴隷たち、奥には死と戦争の神がいます。
作者はカエサルに対して良いイメージを抱いていなかったのでしょうか。
Caesar by Adolphe Yvon

アビル・デ・プジョル作   1808年」
カエサルは気前がよく、寛大な人物としても知られています。
この絵画は「カエサルの寛大」という題名です。右の人物がカエサルで、
左の二人が三頭政治のポンペイウスとクラッススだと思います。
誰かに対して、慈悲の対応をしているのでしょうか。
La clémence de César, Abel de Pujol, 1808

「ジャン=レオン・ジェローム作  1824‐1904年」
紀元前48年、エジプトにいるカエサルの元に、女王クレオパトラが
訪れます。お忍びで来た為に、その方法は寝具袋(絨毯)にくるまって
贈り物としてやってきたそうです。絨毯から女王が出てきてカエサル
ビビっています。
Jean-Leon Gerome  Cleopatra Before Caesar

ピエトロ・ダ・コルトーナ作  1596年」
二人はすぐに恋愛関係となり、カエサルは彼女の政敵を倒してエジプト
を傀儡政権とします。クレオパトラは息子カエサリオンを産みますが、
その2年後にはカエサルは暗殺されてしまいます。
→ クレオパトラの絵画を見たい方はこちら
Pietro da Cortona 1596

アビル・デ・プジョル作  19世紀」
カエサルの妻カルプニアは暗殺の前夜に悪夢を見て、「元老院へ行くのは
おやめなさい!」と忠告をするのですが、彼はためらったものの結局
出席をしてしまいます。
Abel de Pujol 19

ジャン=レオン・ジェローム作  1859-67年」
紀元前44年の3月15日、遂に運命の日は訪れました。
カエサルの独裁を危ぶむ20名ほどの共和主義者は集い、
暗殺をもくろみます。首謀者はカッシウスとマルクス・ブルートゥスです。
Jean-Leon_Gerome_The_Death_of_Caesar 1859-67

ウィリアム・ホルムズ・サリバン作  1836-1908年」
元老院会議が開かれるポンペイウス劇場で暗殺は行われました。
カエサルの腹心を策で引き離し、一人になったところをナイフで刺しました。
刺し傷は23箇所もあったそうです。
William Holmes Sullivan

カール・フォン・ピロティ作 1865年」
カエサルが最期に残した言葉
「ブルートゥス、お前もか…!」は有名ですね。
ブルートゥスはこの場に二名いたそうで、首謀者ではなくデキムスという
名の者のことを指している可能性が高いそうです。
1865 Karl Theodor von Piloty

ヴィンチェンツォ・カムッチーニ作  1771-1844年」
ローマ帝国の建立の夢半ばにして、カエサルは倒れてしまいますが、
義理の息子オクタヴィアヌスがその意志を継ぎ、ローマ初代皇帝
アウグストゥスとなるのです。
Vincenzo Camuccini 1771-1844

 カエサルは「ブルートゥス、お前もか…!」以外にも多くの名言を残しています。「来た、見た、勝った」という名言は、ゼラの戦いの勝利をローマのガイウスに知らせた言葉です。シンプルでダイレクトに伝わるメッセージは印象に強く残りますね。もう一つ有名な名言は「賽(さい)は投げられた」です。ルビコン川を渡る際に言った言葉であり、防衛線であったこの川を越えることは法で禁止されており、ローマに対する反逆とみなされたそうです。「サイコロは転がって戻らない。もう後戻りはできぬのだ!」という感じのニュアンスですね。
 あと、もう一つ「私は王ではない、カエサルである」という名言もあります。ローマ皇帝を目指していたカエサルですが、「王」という存在そのものにはなりたくないという、自尊心と独立心溢れた言葉ですね。



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