1825 -

 ヘクトルはギリシャ神話のトロイ戦争に登場する英雄です。
 トロイ王国の王子である彼は、プリアモス王と妃ヘカベーとの間に生まれ、軍の総大将であり一番の豪勇でした。兄弟はパリス、カサンドラ、デーイボポスなど12名おります。長男で国の後継者ゆえにヘクトルは非常に正義感が強く、弟パリスがスパルタの妃ヘレネをさらってきてしまった時は、厳しくいさめました。また、善き夫であり、妻アンドロマケと子アステュアナクスを非常に愛していました。彼は全軍を率いてアキレスの親友パトロクロスを討ち取りましたが、それに激怒したアキレスはヘクトルを殺害、遺体を見せしめにしました。父プリアモスは最愛の息子が引き廻しにされているのをいたく悲しみ、アキレスの元まで深夜単独で行き、返してくれるよう頼み込みました。それを不憫に思った彼はヘクトルの遺体を返すことにし、トロイで丁重な葬儀が執り行われました。
 トロイの猛将ヘクトルに関する絵画13点をご覧ください。

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「ジョゼフ=マリー・ヴィアン作  18世紀」
弟パリスの暴挙を叱り飛ばす兄ヘクトル。物事の元凶であるヘレネは
肘を付き、楽しそうに成り行きを見守っているように見えます。
正しいことをしているのに、なんだかヘクトル不憫!
Hector determines Paris to take up arms 18th Joseph Marie Vien

「ベンジャミン・ウエスト作  1820年」
なんてお前は破廉恥なことをしてくれたんだ!と兜だけを被っている
パリスを怒る全身武装の兄。軍の総大将の為、ヘクトルは鎧を身に
まとった姿で描かれます。
 1820 Benjamin West Anglo

ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン作 1751–1828年」
こちらも同様の図です。
ヘクトルは戦争で31名を倒したという逸話があります。
 Tischbein (1751–1828)

「ピーテル・パウル・ルーベンス作  1630年」
将軍パトロクロスを打ち倒したヘクトルでしたが、親友であった英雄
アキレスと一騎打ちをして殺害されてしまいます。一騎打ちの際、
己の敗北を悟ったヘクトルは周囲を三回逃げ回ったとされていますが・・・。
逃げるは恥じゃありません!w
 Rubens, 1630

Rafael Tegeo 作  1825年」
いつもの絵画ミステリー。将軍同士の戦いなのに、どうしてマントや
腰布だけで、立派な肉体をさらしているのでしょうか。
髭おじさん×2の肉体美は鬼気迫るものがあります・・・。
 1825

フランチェスコ・モンティ作  1685年」
親友の復讐として勝利したアキレスは、ヘクトルの遺体を戦車に
くくり付けて街中を引きずり回します。絵画では戦車の後ろに縛られて
横たわったヘクトルがいますね。
 18th Francesco Monti 1685

フランツ・マッチ作  19世紀」
また、パトロクロスの霊を慰める競技会を開き、ヘクトルはそこでも
見世物にされました。
 Franz Von Matsch

「イングランドのフィッツウィリアム美術館にある、写本の挿絵一部」
赤い線を引きながらずるずるされるヘクトル。古代ギリシャの
群雄割拠の時代だから仕方ありませんが、酷いやり方ですな・・・。

The Death of Hector (Fitzwilliam Museum detail

ギャヴィン・ハミルトン作  1723‐98年」
トロイの王であり父であるプリアモスは息子の死とその仕打ちをいたく
悲しみ、深夜単独でアキレスの元へ赴き、ヘクトルを返してくれるよう
懇願します。
Gavin Hamilton Priam Pleading with Achilles for  Hector

テオバルド・シャルトラン作 1876年」
残酷ではあるものの鬼畜ではないアキレスは、王の懇願を不憫に思い、
ヘクトルの遺体を返すことにしました。その後、アキレスはヘクトルの
弟パリスによってかかとを射られ、命を落とします。復讐し合いですね・・・。
1876 Theobold Ccartran

ジョン・トランブル作  1756-1843年」
こうしてやっとヘクトルはトロイに戻ることができました。絵画は劇的に
美化されて描かれていますが、この時期は夏であったようで、引きずり
回された遺体は見るに堪えない状態になっていたそうです。
父母の悲しみの深さや如何に・・・。
 John Trumbull 1756-1843

「ジャック・ルイ・ダヴィッド作  1783年」
冠を被せられて横たわるヘクトルの遺体と、妻アンドロマケと
子アステュアナクスの嘆き悲しんでいる姿。添えられた鎧や剣が
かつての勇猛さを語り、悲しみを深めています。
(1783) Jacques-Louis David

「作者不詳 」
父プリアモスが殺害されてトロイが陥落した後、ヘクトル妻子にも悲劇が
襲います。アンドロマケはアキレスの息子ネオプトレモスのものになり、
アステュアナクスは彼(一説にはオデュッセウス)が塔から落として
亡き者にしてしまいます。
Astianax

 中世、ルネサンス時代になると、息子アステュアナクスは死んではいなくて実は生き延びていた、という数々の伝説が生まれます。ギリシャ軍が来る寸前、アンドロマケは息子を墓の中に隠し、ネオプトレモスは別の子供を塔から落としたというのです。イタリア叙事詩「狂えるオランド」によれば、アステュアナクスはその後シチリアに逃げて、シラクサの女王と結婚し、その子供が英雄ルッジェーロの始祖となった、という設定になっています。また、別の物語ではアステュアナクスは西へ行ってゴールの王となり、カロリング朝などの王朝に繋がっていく、という話になっています。討ち死にした王子の息子であり、滅亡したトロイの生き残りという設定はそれほど魅力的なものだったのでしょう。

→ トロイ戦争についての絵画を見たい方はこちら
→ アキレスについての絵画を見たい方はこちら


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