The Death of Marat -

 ジャン・ポール・マラー(1743-93)は、フランス革命におけるジャコバン派の指導者の一人です。
 マラーはスイスの家庭に生まれ、ヨーロッパ各地で勉学に励んだ後、ロンドンで医者になりました。30代の頃にフランスに呼ばれ、6年間王の弟であるアルトワ伯(シャルル10世)のもとで働きます。彼はその頃から社会体制に不満を抱いており、変革運動を始めていました。1789年に起こったバスティーユ牢獄をきっかけとし、フランス革命が本格的に勃発します。マラーは政府に過激な攻撃を繰り返し、一時はイギリスに亡命するも、数か月後に戻ってテュイルリー王宮の襲撃や、反革命派の虐殺に関わりました。1792年にジャコバン派に所属し、ロベスピエール、ダントンらと指揮を執りました。反対勢力であるジロンド派を攻撃し、勢力を増大させ、1793年1月の議決によってルイ16世とマリー・アントワネットは処刑されてしまいます。その後、国内は大いに荒れ、ジャコバン派は恐怖政治を行い始めます。

 マラーはその時患っていた皮膚病が悪化し、自宅で浴槽に浸かりながら職務を行っていました。万人の面会を許していたマラーの元に、シャルロット・コルデーという女性が訪れます。彼女は陰謀についての話を巧みにして、隠し持っていたナイフで胸を刺してマラーを暗殺してしまいます。コルデーはジロンド派の支持者でした。7月に起こったこの事件は大センセーションを巻き起こし、数々の絵画が描かれました。マラーの死の作品は格好のプロパガンダとなり、ジャコバン派は盛り上がりを見せようとしますが、恐怖政治を糾弾され、同月に指導者ロベスピエールも処刑されてしまいました。
 マラーの死についての絵画13点+αをご覧ください。

PR
   


「Joseph Boze 作  1793年」
ジャン・ポール・マラーの肖像画。ロベスピエールらと共にジャコバン派を
先導し、恐怖政治を行いました。強い支持を得る一方、虐殺など
過激なことを煽っていた為、反対派からは憎悪を抱かれていました。
Joseph Boze  1793

「ジャック・ルイ・ダヴィッド作  1793年」
マラーの死の数か月後に描かれた有名作品。ダヴィッドはジャコバン派
を支持していました。暗殺者コルデーはメモを渡したとされており、
メモを手に胸から血を流して死んでいます。床にはナイフが。
この絵画はプロパガンダに使用され、工房によって量産されました。
Jacques-Louis_David 1793

Guillaume-Joseph Roques 作  1757-1847年」
政治目的なのかは分かりませんが、こちらも同構図で描かれており、
ダヴィッドの作品を参考にしたことが伺えます。
マラーの姿は理想化
され、英雄の殉職といった風情で描かれた作品が多いです。
 The Death of Marat

「Jean-Jacques Hauer 作  1751-1829年」
シャルロット・コルデーはジロンド派を支持しており、反革命派を殺した
九月虐殺を批判していました。彼女はカーンの町の情報を記したメモを
渡す為に浴室に入り、マラーの胸をナイフで刺して暗殺します。
Jean-Jacques Hauer ( 1751 - 1829 )

「作者不詳 書籍の挿絵」
暗殺をするコルデーの図。調べてみると、当時にはこのような形の
浴槽があったみたいです。巨大な靴みたいで興味深いですよね。
baignoire_jpeg

「ポール・ボードリー作   1860年」
コルデーは逃亡することなく、この部屋で逮捕され、死刑判決を受けて
4日後にギロチンで処刑されてしまいました。彼女は美貌で
落ち着いたたたずまいをしていた為、「暗殺の天使」と呼ばれています。
ポール・ボードリー  1860

「Jules Aviat 作  1880年」
19世紀に入ると政治的な側面の絵画ではなく、物語のワンシーンの
ような作品となります。純白の衣服に身を包んだコルデーが、
無表情でマラーの死体を見ています。足元にはナイフが転がり、
左右の白黒のコントラストが印象的ですね。
Jules Aviat    Charlotte Corday et Marat  1880

「Santiago Rebull 作  1829-1902年」
大きくのけぞって苦痛を訴えるマラーに、コルデーは冷静に立って
おります。左の扉からは発見者が顔を覗かせています。
Santiago Rebull

「Jean Joseph Weerts 作  1880年」
もう演劇といっても差し支えがないような劇的な暗殺現場ですね。
男性女性ありとあらゆる人がコルデーの行った罪を糾弾している
ように見えます。特に手前の女性なんか椅子を持っています・・・。
Jean Joseph Weerts   L’Assassinat de Marat  (1880)

「フランスの工房作   19世紀」
連行されるシャルロット・コルデー。彼女は処刑の際にも毅然とした
態度をとり続けたとされています。
French School's   19th

「エドヴァルド・ムンク作  1907年」
ノルウェーの有名画家ムンクは、マラーの死を抽象化し、
女性が男性を殺す恐怖というか、意識の奥底のどろどろした概念を
表現すべく描いているように思います。
ムンク  1907

「エドヴァルド・ムンク作  1907年」
ムンクさん二枚目。テーブルなど余計なものを排除し、二人の
存在のみが描かれています。ナイフもなくお風呂もなく、すっ裸。
歴史的なものを超越しまくっていますね・・・。
Edvard Munch  The Death of Marat II (1907)

ジャック・ルイ・ダヴィッド作 1793年」
歴史はフランス革命時に戻り、再びダヴィッド作。
マラーの死の表情がアップで描かれています。なんだか少年にも見える
顔ですよね。この作品も量産して政治的利用をしたと思われます。
Head of the Dead Marat by Jacques Louis David

 マラーの死の数か月後に描かれたダヴィッドの作品は、20世紀の美術評論家T・J・クラークによって「脚色することなく描かれた初の近代絵画」と評されましたが、色々美化がなされています。皮膚病を患っていたはずのマラーの肌は滑らかで、壮絶な死に方をした割には表情は穏やかであると言えます。ダヴィッドはカラヴァッジオの作品を称賛しており、一説にはキリストのピエタをモチーフにして描かれたとされています。救世主キリストの姿になぞらえたマラーの姿は、果たして脚色がなされていないと言えるのでしょうか・・・。新古典主義は歴史に忠実に描いた現実主義者だと私は思っていたのですが、一種の誇張がなされていることを知りました。
 この作品はダヴィッドの工房で量産され、幾つかの複製が存在します。最後に三点紹介しますね。


「ジャック・ルイ・ダヴィッドの工房作  1793年」
真作には木箱に「A MARAT DAVID」と書かれているのですが、
この作品にはそれがありません。メモやペンが若干ぼけているように
見えるのは経年の為なのかな・・・?
Studio of Jacques-Louis David  1793

フランソワ・ジェラールとJérôme-Martin Langloisの追随者作 1793年」
こちらも木箱には何も書かれていません。上より少し姿が小さめかも?
Attribué à François Gérard ou à Jérome-Martin  1793

Gioacchino Giuseppe Serangeli の追随者作  1793年」
こちらは木箱に色々書いてありますね。メモの字がすこーし小さい
ような・・・。比較してもよく分からなくなってきました(笑)
Attribué à Gioacchino Serangeli 1793

→ シャルロット・コルデーについての絵画を見たい方はこちら


PR