George Frederick Cooke as Richard III  1811-12 -

 リチャード三世(1452-85)は、イングランド王国であるヨーク朝の最後の王です。
 いとこのウォリック伯リチャード・ネヴィルに育てられた彼は、兄のエドワード四世が王位に就くと、9歳の時にグロスター公爵の位を得ました。その9年後にウォリック伯はランカスター派に寝返り、エドワード四世は追放されてしまいますが、リチャードは兄を援助し、翌年に王位を復活させています。20歳の時にウォリック伯の娘アン・ネヴィルと結婚し、その領地を我が物にしてリチャードの地位は飛躍的に向上しました。

 1483年にエドワード四世が病死すると、息子のエドワード五世が王位に就いてリチャードが摂政となりましたが、王とその弟はロンドン塔に幽閉されてしまいます。その間にエドワード五世の血筋は不当と決定を下し、リチャード三世として王に即位してしまうのでした。エドワード五世と弟はその後、殺されたと思われます。晴れて王となった彼でしたが、状勢は不安定となって反乱が相次ぎます。一人息子と王妃が続けて病死し、1485年の8月にランカスター派のヘンリー・テューダーが武器を携えて到来。ボズワースの戦いが始まります。リチャード三世は自ら武器を持って獅子奮迅するものの、味方の裏切りにあって戦死してしまうのでした。
 シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」において、彼は背骨が曲がった冷酷で欲深き王として書かれています。それにより極悪人としてのイメージがついてしまいましたが、現在ではそこまでではなかった事が証明されております。史実と物語の様子を踏まえながら、リチャード三世の絵画13点をご覧ください。

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「作者不詳  16世紀」
リチャード三世の肖像画。手は王位を象徴する指輪を持っており、
目は前を見据え、口を引き締めて神経質そうに見えます。
エドワード五世らを陥れて王位に付いたことを誇張され、極悪人
というレッテルを貼られてしまいました。
King_Richard_III 16th unknown

ジョン・オーピエ作  1761-1807年」
リチャード三世は王位に就く為に、12歳のエドワード5世を弟と共に
ロンドン塔に幽閉し、彼等は庶子であると醜聞を広めます。
絵画はもっと幼く見えますが、彼はどう思ったのでしょうか・・・。
The Duke of York Resigned by the Queen Richard III  John Opie

「作者不詳  16世紀頃」
上記の肖像画とよく似た構成ですね。こちらは目に強い光が宿り、
計算高い者のように見えます。史実としてのリチャード三世は
権威欲はあったものの、善政を強いた真面目な君主でありました。
Richard-as-King

サミュエル・ドラモンド作  1814年」
残された絵画のほとんどは、シェイクスピアの戯曲に基づいた作品です。
きらびやかな衣服に身を包んだリチャード三世は、権謀術策を用いて
対抗勢力を潰し、王冠を手に入れるのです。
Edmund Kean as Richard III 1814  Samuel Drummond

トマス・サリー作  1811-12年」
悪役であっても、リチャード三世の役は俳優にとって憧れであった
ようで、俳優プロマイド的な絵画が多く残されています。
こちらはジョージ・フレデリック・クックという俳優としてのリチャード三世。
垂れ目と鷲鼻、ちょび髭がダンディですね。

George Frederick Cooke as Richard III  1811-12

ウィリアム・ハミルトン作  1788年」
これはジョン・フィリップ・ケンブルという俳優としてのリチャード三世。
まだ若手な感じですね。ボズワースの戦いの前夜、殺めた者の
幽霊の夢をテントの中で見て跳び起きるシーンを描いています。

John Philip Kemble (1757-1823)  Richard III

「ウィリアム・ブレイク作  1806年」
エドワード五世とその弟、妻のアンを殺したリチャード三世は、
彼等の幽霊にさいなまれます。懸命に剣を振るも虚しく、彼は
狂気に陥っていきます。ブレイクの絵は怖いですね・・・。
William Blake 1806

Nicolai Abildgaard 作 1743-1809年」
フュースリの作風に似たこの作品も、テントから飛び起き、
槍を握って霊と対抗しようとするリチャード三世が描かれています。
王冠は足元に転げ落ち、その後の展開を物語っていますね。
Richard III   Nicolai Abraham 1743-1809

「ウィリアム・ホガース作   1745年」
デイビット・ギャーリックという俳優としてのリチャード三世。
はっと見つめる彼の表情や姿勢、散らばったアイテムなど、演劇を
意識して描いたことが伺えます。
David Garrick as Richard III (1745)

フランシス・ヘイマン作  1760年」
デイビット・ギャーリックさん二枚目。15年経って、ダンディなお顔に
なっています。 ボズワースの戦いに参戦したリチャード三世は
仲間の裏切りに合い、戦死してしまいます。

David Garrick as Gloucester in Richard III  1760

ナサニエル・ダンス・ホーランド作 1735-1811年」
俳優はどなたかは分かりませんが、かなり恰幅の良いリチャード三
ですね。設定では背の曲がったせむしで、ヒキガエルのように醜い男
とされていますが、俳優は男前を選んでいたことを考えると、
リチャード三世は人気があったのだなぁと思います。
Nathaniel Dance

フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ作   1857年」
劇の中で、リチャード三世は落馬した際に「馬を寄こせ!代わりに
王国をくれてやる!」と叫んだそうです。これはやる気がなくなった
訳ではなく、「戦いが続けられるなら国もいらんわ!」という意気込み
だったようです。
Battle of Bosworth by Philip James de Loutherbourg  1857

「 Thomas Pennant 作 18世紀」
覇気も虚しく戦死してしまったリチャード三世は、裸で晒し者にされ、
勝利側の者の手によって葬られたそうです。32歳の若さでした。
ヨーク朝は終わり、ヘンリー7世が統治するテューダー朝の時代へと
なっていくのです。
The_death_of_Richard_III_at_Bosworth Thomas Pennant 18th

 ご存知の方が多いかもしれませんが、2012年にイングランドのレスターでリチャード三世の遺骨が発掘されました。
 リチャード三世の姉の子孫を見つけてDNA鑑定を行ったところ、その遺骨と一致する部分があったのです。頭部を中心に幾つもの損傷があり、脊柱に湾曲が見られたそうです。戦争によって多くの傷を負って戦死したことと、リチャード三世がせむしであったことがこれにより裏付けられる事となったのです。頭蓋骨から顔面複製も行われ、リチャード三世の本当の顔も知る事ができるようになりました。

Richard III
(画像提供元)

 おかっぱヘアー&なかなか企んでいそうな顔ですね(失礼w) 最初に紹介した肖像画に似ているのが分かります。二年半の調査の後、遺体は多くの人々に見送られながら豪華な棺に入れられ、レスター大聖堂に永眠しております。現在、発掘跡地の付近に「King Richard III Visitor Centre」という施設も建てられており、リチャード三世について深く学ぶことができます。イギリスへ長期旅行することがあれば、レスターへ行ってみるのも面白いですね^^



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