George Frederic Watts 1885 -

 ミノタウロスはギリシャ神話に登場する、頭が牛で身体が人間の怪物です。
 クレタ島のミノス王は後に生贄に捧げよという誓約で、海神ポセイドンから白い雄牛を授けられます。しかし、王は牛の余りの美しさに手放したくなくなり、異なる牛を生贄に捧げてしまうのでした。それに怒ったポセイドンは、雄牛を愛すという呪いを王妃パシパエにかけてしまいます。恋煩いに陥った王妃は名工ダイダロス(イカロスの父)に相談し、雌牛の模型を作ってもらいます。それに入った彼女は雄牛と思いを遂げ、牛の頭をした赤ん坊を産みました。

 ミノタウロスと呼ばれた子供は日に日に成長し、その凶暴さが目に余るようになってきました。ミノス王はダイダロスに命じてラビリンス(迷宮)を作らせ、奥地に幽閉してしまいます。ミノタウロスの食料として、占領地のアテナイから7名の少年少女が毎年迷宮に送られました。三度目の生贄が行われようとした時、アテナイの英雄テセウスが退治に名乗りをあげ、ミノタウロスを倒す事に成功しました。ミノス王の娘アリアドネから授けられた毛糸を使って、テセウスは脱出不可能とされたラビリンスからも脱出したのでした。
 神の罰によって産まれた悲しき怪物、ミノタウロスの絵画12点をご覧ください。

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「ギュスターヴ・モロー作  1876-80年」
ポセイドンの怒りにより、雄牛に恋した妃パシパエ。
ダイダロスに作ってもらった雌牛の模型の中に入って、愛し合います。
Gustave Moreau Pasiphae and the Bull 1876-80

「古代ギリシャの壁画  340年頃」
その結果、牛頭人身の怪物が産まれたのでした。
本名はアステリオスですが、ミノス王の牛という意味のミノタウロスと
いう名で呼ばれるようになりました。ムッキムキの赤ちゃんですね・・・。
Pasiphae wife of the King of Crete Minos  340BCE

「Jean-Baptiste Peytavin 作  1808年」
ミノタウロスは成長するにつれ、強大になり凶暴になっていきます。
ミノス王はダイダロスに迷宮を作るよう命じ、怪物を閉じ込めることに
しました。このミノタウロスはちゃんと服を着て武器を持っていますね。
Jean-Baptiste Peytavin Seven Athenians Delivered  Minotaur, 1808

「Jean-François-Pierre Peyron 作  1744–1814年」
しかし、我が子であるミノタウロスを餓死させる事もできず、毎年
アテナイから7名の少年と7名の少女を生贄に出すことに決めました。
人々は嘆き悲しむだけで、成す術がありません。
Jean-François-Pierre Peyron 1744–1814 ミノタウロスの生贄

「Campana Cassoni の巨匠作 1500-25年」
そこに現れたるは英雄テセウス。彼は自分から生贄になると名乗って、
ミノタウロスを退治することにしました。この絵画は異時同図法で
描かれており、テセウスが依頼を受け、ミノタウロスを退治する場面が
表されています。
Master of the Campana Cassoni 1500-25 Theseus and the Minotaur

リチャード・ウェストール作  1765–1836年」
ラビリンスに入る際、ミノス王の娘アリアドネは剣と迷わないように
毛糸をテセウスに渡します。脱出不可能とされたラビリンスでも、
これを伝っていくことで生きて帰ることができたのです。
Richard Westall 1765–1836

「ギュスターヴ・モロー作  1855年」
第三の生贄として入ったテセウスは、遂にミノタウロスを発見します。
生贄にされた他の少年少女も一緒ですね。ミノタウロスがセクシー
ポーズをしているように見えるのは私だけだろうか・・・。
Gustave Moreau Athenians Delivered to the Minotaur, 1855

「エドワード・バーン・ジョーンズ作 1861年」
毛糸を持ちながら慎重に迷宮を歩くテセウスを、じっと見ている
ミノタウロス。にょきっと出ている顔が可愛いですねw
Edward Burne-Jones Theseus and the Minotaur 1861

「古代ギリシャの壺に描かれた作品  年代不明」
ミノタウロスと出くわしたテセウスは格闘の末、剣で倒します。
個人的に3mくらいの巨体かと思ったら、人並みのサイズで描く作品が
ほとんどです。頭をホールドし、剣で眉間をぐさっ!です。
Minotaur

ウィリアム・ラッセル・フリント作 1912年」
ごつごつとした岩場の中、口に剣を突っ込むテセウス。
ミノタウロスは「ぎょえっ!」と言った感じに目を剥いています。
William Russell Flint Theseus killing the Minotaur 1912

チーマ・ダ・コネリアーノ作  1505年」
それ、ケンタウロスだから!何度この絵画のタイトルを調べても
「ミノタウロスを退治するテセウス」。うーん、作者さんが間違えたのか、
ネットで何か勘違いが起こったのか・・・。ミステリーな絵画です。
Giovanni Battista Cima da Conegliano - Theseus  Minotaur  1505

「ジョージ・フレデリック・ワッツ作 1885年」
狂暴で手に負えなくなり、生贄を食べていたとはいえ、元を正せば
ミノス王が雄牛を生贄に捧げなかったのが原因。それなのに
ミノタウロスは閉じ込め退治されてしまい、なんだか可哀想です。
「僕の人生って・・」と寂しげな背中が語っています。
George Frederic Watts 1885

 この記事を書いていて、ふと思いついた事があります。それは「一年で少年少女14名って、ミノタウロスの食料としては少なくない?」ということ。
 調べてみると、牛(乳牛だけど…)が一年間に食べる量は約5800kg、人間が一年間に食べる量は約550kgだそうです。牛と人間では10倍くらいの差があるんですね。ミノタウロスが牛と人間50%ずつの遺伝子なら、約2750kgの摂取が必要と考えられます。生贄の少年が50㎏、少女が40kgと平均して考えても、50×7=350と40×7=280で350+280=630kgになります。うーん、毎日1.5kg以上は食べられる計算で、人間の一年間の食べる量よりは多いけれど、牛人間であることを加味すると、足りないご飯になりそうです。生贄は恐ろしいことですが、少年少女30名ずつは必要になってきてしまいます。
 テセウスに負けてしまった原因は、もしかして空腹にあったかもしれませんね・・・^^;


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