Jean-François Portaels 1869 -

 エステル記は旧約聖書の一つで、ペルシャの妃となったユダヤ人エステルが知恵を使って民族を守る物語です。
 モルデカイの養女エステルは、父の勧めによりペルシャ王アハシュエロス(クセルクセス1世)の後妻に選ばれる事になりました。王はアガグ人(古代パレスチナ周辺)であるハマンを高い地位に据え、彼に敬意を表してひざまずくよう人々に布告を出しましたが、モルデカイは拒否しました。元々ハマンはユダヤ人を憎んでいましたので、それを口実にしてユダヤ人の抹殺を計画します。ハマンはアハシュエロス王にユダヤの殺害を認めさせる事に成功したのでした。
 
 王妃エステルはハマンがユダヤ人虐殺を企てている事を知ります。モルデガイに促されてエステルは王にユダヤ人の救済を嘆願する為に、ハマンと同席の酒宴を確約させる事に成功します。その夜、偶然アハシュエロス王はモルデカイが王の暗殺を防いでいた事を知り、彼に褒美を与えました。酒宴の席でエステルは王に自分はユダヤ人であると明かし、ハマンは悪人であると説きました。ハマンは命乞いを行ったものの、王の決定によりモルデカイの処刑用に建てていた支柱で、自分が処刑される羽目となりました。こうしてエステルとモルデカイ親子はユダヤ人達の人々を護る事ができたのでした。
 エステル記の絵画13点をご覧ください。

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アールト・デ・ヘルデル作  1645-1727年」
ユダヤ人であるエステルとモルデカイの義理親子。ペルシャ王の
アハシュエロスが後妻を募集していたので、父は「よし、エステル。
いっちょ行ってきなさい」と応募して見事に妃となります。
レンブラント調の雰囲気が出ておりますね。

esther and mordecai aert de gelder

ポール・リロイ作  1884年」
王はハマンを大臣に選び、「ハマンにひざまずけ」という布告を人々
に出しますが、モルデカイは無視。「なんだあのジジイは」と怒った
ハマンは、元々ユダヤ人を憎んでいた事もあり、ユダヤ人抹殺
計画を考えます。
1884  Haman And Mordecai  paul alexandre alfred leroy

アールト・デ・ヘルデル作  1682年」
ハマンは王にユダヤ人の悪口を散々吹き込み、ペルシャ帝国による
ユダヤ人の殺害を決定させます。その恐ろしい大虐殺はアダルの
13日に行われる事となりました。現代で言えば2~3月に当たるそう。
Arent de Gelder  1682- ahasuerus and haman

「ティントレット作  1546-7年」
この恐ろしい事実を知ったエステルは、王に謁見します。
しかし、王の呼び出しなしに近づく行為は死罪となるとされていた為、
彼女は不安で一杯でした。エステルは怒りに満ちた王の顔を見て
気絶してしまったのでした。
Esther before Ahasuerus Tintoretto 1546-7

Franz Caucig作  1815年」
このエステルが気絶をするシーンは聖書をヘブライ語から
ギリシャ語に翻訳する際に付け足されたようで、原文には存在
していません。それなのに幾つかの絵画が残されています。余程
印象に残ったシーンだったのですかね。
Queen Esther Before Ahasuerus’ , Francesco Caucig, 1815

ヤン・フィクトルス作  1640年」
エステルは無事に謁見を済ませ、ハマンと王と三人で酒宴をする
のを了承させました。そして、そこで言い放ったのです。
「私の民族はこいつによって滅ぼされようとしています」と。
エステルのぶっちゃけに、ハマンは顔が真っ青です。
The Banquet of Esther’, Jan Victors, 1640

ヤン・リーフェンス作  1625年」
エステルのカミングアウトに、じろりとハマンを睨む王。
「お前は私の妃を辱めようとしておるのか・・・!」と怒りに震えます。
さり気なく握られた両手が怒りを表しまくっていますね。
The Feast of Esther’, Jan Lievens, 1625

ヤン・ステーン作  1668年」
ヤンさんという別人三人目。ファン・エイクもヤンさんだし、
フランドルでは人気な名前なのかな?
こちらは沢山の人々の中で酒宴が行われておりますね。
Esther, Ahasuerus, and Haman Jan Steen 1668

ピエトロ・パオリーニ作  1625年」
自らの立場が危ういと知った途端、命乞いをしだすハマン。
彼は捨てられた子犬のようなウルウルした目をしているつもりかも
しれませんが、そんなおじさんでは駄目です。エステルは呆れた
というジェスチャーをしていますね。
Intercession Esther Ahasuerus  Haman  Pietro Paolini  1625

エドワード・アーミテージ作  1865年」
こちらもエステル妃の膝に手を乗せ、生真面目な顔で命乞いをする
ハマン。男性二人が「何をするんじゃ!」と引き離そうとしていますね。
Festival of Esther’, Edward Armitage 1865

「ピーテル・ラストマン作  1583-1633年」
うえ~ん許して~(泣) やめろって言っているじゃないの!(怒)
もういい加減にせい!お前は処刑じゃ!(怒)
めっちゃ縋りついていますね^^;
Haman Begging Esther For Mercy  Pieter Lastman

「レンブラント・ファン・レイン作  1648-65年」
「運命を悟るハマン」という題のレンブラントの作品。先程の往生際の
悪いハマンとは対照的に、悟り切った表情をしていますね。
背後のモルデカイや王と思われる人物も静かな様子です。
Rembrandt_-_Haman_Recognizes_his_Fate 1648-65

ジャン=フランソワ・ポルテール作  1869年」
王妃エステルの活躍で(モルデカイの暗躍も)、多くのユダヤ人の
命を救う事ができました。旧約聖書と言えば「神」が中心である話
ばかりですが、このエステル記はユダヤ人自身の力により
民を護ったことが書かれているのです。
Jean-François Portaels 1869

 実際にエステルやモルデカイが生きていたという証拠はありませんが、ユダヤ教の解釈では二人の存在は史実に基づいており、二人のと思われる墓がイランのハマダーン州に存在するようです。
 また、ヘロドトスが記す書物では、アハシュエロス(クセルクセス1世)王の妃はアメストリスとされており、アメストリスとエステルを同一視するという説もあります。ですが、彼女は残酷な独裁者とされており、ヘロドトスは「ペルシャの子供14人を生き埋めにし、地下にいるとされる神に捧げていた。ペルシャの風習なのだろう」と言っています。この話の信憑性はあまり高くないですし、エステルがペルシャの風習を行うのも疑問を持つので、異なる人物のように感じます。
 エステルとモルデカイは迫害されつづけて来たユダヤ人のヒーローであり、理想化された人物なのかなぁと私は思います。



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