Joseph-Nicolas Robert-Fleury -

 サン・バルテルミの虐殺は1572年8月24日のフランスで、カトリック教徒がプロテスタント教徒を大虐殺した事件です。
 フランスでのカトリックはプロテスタントの事をユグノーと呼んでおり、1562-98年に渡って双方の間でユグノー戦争が起きていました。そんな折、国王シャルル9世の母カトリーヌ・ド・メディシスが、二つの教徒の和解を目指そうと、プロテスタントの指導者ナバラ王アンリと、王の妹であるマルグリットを結婚することを提案しました。1572年8月に結婚式は執り行われ、プロテスタントの中核であるコリニー提督など多くの貴族たちがパリに訪れ、結婚を祝いました。
 しかし、コリニー提督が狙撃される事件が起きて双方との溝は更に深まる事態となり、その二日後のサン・バルテルミの祝日に大虐殺は起きてしまいます。カトリックの強硬派がコリニー提督を暗殺し、シャルル9世の命によりプロテスタント派の貴族が大勢殺されます。その波紋は市民にまで及び、市内だけではなく地方でもプロテスタントの虐殺は行われてしまいました。その犠牲者は1~3万人と考えられています。
 では、サン・バルテルミの虐殺についての絵画12点をご覧ください。

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フランソワ・デュボア作  1529-84年」
カトリックとプロテスタント(ユグノー)を和解させようと、国王の母
カトリーヌはプロテスタントの指導者ナバラ王アンリと、国王の妹
マルグリッドを結婚させました。しかし、それが多大な悲劇を招く
事となったのでした。
François Dubois 1572-84

「中央の奥部分アップ」
カトリックの兵たちに次々と殺されていく人々・・・。
折り重なる裸体の遺体がその悲惨さを物語っています。
st bartholomew s day massacre

「作者不詳  19世紀頃」
虐殺の火種は地方にも及び、8月24日のサン・バルテルミの日
から秋まで虐殺は続いたとされています。同じキリスト教なのに、
ただ信仰の仕方が異なるというだけで女性や子供、老人も
殺されてしまうなんて・・・。
St BartholomewS Massacre

「フランス出身の画家作  16世紀」
コリニー提督の肖像画。宮廷貴族でシャルル9世の信頼も得ていた
彼ですが、プロテスタント改革派に属していた為にカトリック側の
恨みを買っていました。結婚式の5日後に狙撃事件が起き、
コリニー提督は負傷してしまいます。そして・・・。
French School 16th

「Jean Baptiste Morret 作  1788年」
その二日後のサン・バルテルミの祝日。コリニー提督の宿舎に
キーズ公の兵が乱入。彼は刺殺されて首を斬り落とされ、胴体は
切り刻まれて焼かれたそう・・・。酷すぎる。
Death Gaspard de Coligny  Jean Baptiste Morret 1788

「ジョルジョ・ヴァザーリ作  1572-73年」
教皇グレゴリウス13世が画家に描かせた作品。この教皇の元に
コリニー提督の首が届けられ、彼は「よくやった」と国王に黄金の
薔薇を送ったとか。この絵画を描いたヴァザーリの心境は
いかなるものがあったのでしょう・・・。
Giorgio Vasari 1572-73

アレクサンドル=エヴァリスト・フラゴナール作  1836年」
ルーヴル宮にいたプロテスタントの貴族達はスイス人の傭兵に
中庭へと集められ、虐殺されたそうです。この絵画は
王の妹
マルグリットの寝室に逃げ込むプロテスタントの貴族を描いています。
銃を持つ人に「やめて」と手で押しとどめていますね。
Alexandre-Évariste Fragonard  1836

「作者不詳の挿絵  1842年」
こちらの貴族もライフルのような銃を持っていますね。銃はイスラム
からヨーロッパに伝えられ、15世紀頃には生産していたそうなので、
この事件にも銃は使われていたと思われます。プロテスタントなら
無差別に撃っていたと考えると恐ろしいですね。
1842  Bartholomäusnacht

「Carl Huns 作  1868年」
「サン・バルテルミの日の前夜」という題名。一人の老貴族が
キリストの磔刑像の前で帽子の手入れをしています。
レイピアや鎧が置かれ、翌日には粛清者と称した加害者に
なろうという意思が感じられます。
Carl Huns 1868

ジョゼフ・ニコラス・ロバート・フルーリー作  1797-1890年」
こちらもプロテスタント貴族を殺そうとしている場面。老人だろうと
少年だろうと容赦なく槍とナイフを振り下ろそうとしています。
上記の老人と同様の、十字の帽子を被っている者がいますね。
Joseph-Nicolas Robert-Fleury

エドゥアール・ドゥバ=ポンサン作  1880年」
悲惨な現場を見まわる王の母カトリーヌ・ド・メディシス。双方の
融和を図って結婚を提案した彼女ですが、一説にはコリニー提督の
暗殺に一役買っていたとされており、この虐殺にも関与していた
可能性があります。恐ろしや・・・。
Édouard Debat-Ponsan 1880

ジョン・エヴァレット・ミレー作  1852年」
「オフィーリア」でお馴染みのミレーは、マイヤベーアのオペラ
「ユグノー教徒」を題材にした作品を描いています。カトリックと
プロテスタントの争いに引き裂かれる恋人の悲劇。彼を助けようと
改宗を必死に説得する彼女でしたが、彼は死を選んだのでした・・・。
John Everett Millais 1852

ジョン・エヴァレット・ミレー作  1886年」
約30年後に描かれた、ミレーの同テーマの作品はだいぶ描写が
変わりました。若い恋人達というよりも、熟年の愛(?)に変化して
いますね。カトリックを示す白い布を巻いて彼女は「行かないで」と
懇願するものの、プロテスタントの彼は「それは出来ぬ」と言うのでした。
Sir John Everett Millais, Bt 1886

 前回に引き続き、サン・バルテルミの虐殺のことを知った大学時代の私は、何を思ったのか、勢いで訳の分からない詩を書き上げてしまいました(笑) サン・バルテルミの虐殺に触発された詩といえど、脚色がされまくっており、整合性は全くありません。完全なる創作です。だからカトリックの方怒らないでください・・・。
 闇歴史でかなり恥ずかしいですが、「こいつイタイ奴だな」と思って、つたない文章を読んで鼻で笑ってやってください。←ぇ

 ―slaughter (虐殺)―

 神よ 我らに救いを

 時代の流れと共にずれが広がる歯車
 略奪、高慢の愚信者は
 今や殺戮の狂信者
 異端者を探し出しては
 虐殺に明け暮れる
 狂信者が崇拝するのは 偽りの神
 狂える者が創り出した 愚神

 嗚呼 災いだ 
 和解をしよう、と甘い言葉を吐き
 この言葉を信じやって来た者達に
 祝福する聖なる鐘を鳴らす
 重く、深く、荘厳に

 死の審判が下された
 仕組まれた騙し
 絶望の裏切り
 全ては嘘
 我らを殺す為の罠
 災いだ 災いだ

 聖なる所業、と
 正当化しているが
 所詮は殺し
 清き物は何もない

 思想が統一されれば
 争いは起こらない
 絶対的な支配により
 恐怖を植えつければ
 争いは起こらない
 だったら今の現状は何?

 今、無知なる者により
 数多の可能性が消え去る

 武器が飛び交い
 断末魔が木魂する
 灯火が消えそうな蜻蛉の様に
 儚く、脆く
 暗黒の空を赤く染め上げてゆく
 亡骸が重なり、重なる
 いつしか紅い朝日が昇る

 ただ祈るしか術が無かった
 愚神などではなく
 真実の神に
 突然後ろから
 無慈悲な光が反射し
 煌めいて消えた

 嗚呼神よ 我らに救いを

 ちなみに、サン・バルテルミは聖バルトロマイの日で、この聖人は皮剥ぎの刑によって殉教したとされています。なんというか、虐殺も恐ろしいことですが聖人も恐ろしい殉教の仕方をしていますね・・・^^;

→ 聖バルトロマイ(聖バルトロメオ)についての絵画を見たい方はこちら


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