
中世の時代、人間は神が創造した存在だから人間が勝手にいじってはならぬ、という思想であったので解剖や手術はほとんど行われませんでした。しかし、ルネサンスが興るにつれ、人体について興味を抱いた者が解剖を行うようになります。かのレオナルド・ダ・ヴィンチも解剖を見学していたとか。しかし、この時代でも神の作った人体を解剖する者は卑しい存在とされ、他から距離を置かれていました。
更に時代が進んでバロックとなると、解剖も医学の進歩の為の手段と考えられるようになり、17世紀のフランドルでは解剖学の学者の講義が公に行われるようになりました。アムステルダムの医師会では年に一回の解剖が認められていたようです。被検体は処刑された犯罪者であり、その解剖は学生たちや一般に開放され、入場券を取った者は誰でも見ることができました。
西洋諸国、特にフランドルでは解剖の講義をしている場面や、解剖した人体を中心にして学者たちがポーズを取っている絵画が幾つか存在します。
では、解剖に関する絵画13点をご覧ください。閲覧注意の作品がありますので、ご了承ください。
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「バルトロメウス・アングリカスの著書の挿絵より 15世紀」
男性の死体を解剖する5名の学者。15世紀はルネサンス初期辺り
なので、人体に対する興味が沸き出して来た頃でしょうか。
このイギリス人の作者さんはパリで神学を教え、フランシスコ会に
入会していたそう。神学と解剖は反発しなかったのでしょうかね。

「チャールズ・フィリップス作 1730年」
イギリスの外科医であるウィリアム・チェゼルデンさんの講義を
描いた作品。周囲に6名の貴族と思われる見学者が神妙そうな
面持ちで眺めています。

「 Adriaen van der Groes 作 1709年」
ドイツの画家が描いた作品。筋肉剥き出しの彫像(?)と、骸骨が
並ぶ中、筋肉が露わになった被検体が横たわっています。
解剖を見ている人は良いのですが、ポーズを決めている
右側二人が気になる・・・。

「Cornelis Troost 作 1728年」
Willem Roell 博士はアムステルダム大学の教授で、外科医の
ギルドから依頼されて描いた作品です。教授らしき人物がカメラ
目線で被験者の足の皮を剥いでいますね。恐ろしい事をしている
のに、みんなリラックスしすぎでしょう・・・。

「レンブラント・ファンレイン作 1632年」
有名な「テュルプ博士の解剖学講義」という作品。 博士が腕の
筋肉を説明し、受講した人が熱心に聞いているシーン。
wikiによると、遺体は矢作り職人のアーリス・キントであり、
凶器強盗の罪で午前中に処刑されたばかりであったとか・・・。

「レンブラント・ファン・レイン作 1656年」
こちらは「デイマン博士の解剖学講義」。もっと全体がある作品
ですが、他の部分は残念ながら火災によって焼失してしまいました。
頭がべろりで脳が露わに・・・。エグイです。

「ピーテル・ファン・ミーレフェルト作 1596-1623年」
お腹が解剖された被検体を中心にして、大勢の学者や医者達が
固まっている作品。解剖学の講義を絵として残そうというよりも、
記念写真のような感じになっていますね・・・。

「コルネリス・デ・マン作 1621-1706年」
コルネリス・スフラーフェサンデ教授の講義。肋骨が露わになった
被検体はさり気なくいるだけになり、みんな好き好きのポーズを
取っています。現代の感性では考えられませんね・・・。

「Frans Denys 作 1648年」
ヨアンネス教授率いる学者たち。こちらは上記の作品よりも、
解剖学の講義としての絵画という風情がありますね。
本当に講義室に旗を持った二体の骸骨がいたのかな・・・。
本物だったら怖すぎます。

「Nicolaes Pickenoy 作 1588-1656年」
Sebastiaen Egbertsz 博士の骨の講義。
6名の男性が人の骨を中心にして集まっています。
その後、18世紀後半になると「頭蓋骨を研究すれば精神や
人種についてが分かる」という骨相学が流行するのでした。

「Edouard Hamman 作 1848年」
描いた作品。周囲に6名の貴族と思われる見学者が神妙そうな
面持ちで眺めています。

「 Adriaen van der Groes 作 1709年」
ドイツの画家が描いた作品。筋肉剥き出しの彫像(?)と、骸骨が
並ぶ中、筋肉が露わになった被検体が横たわっています。
解剖を見ている人は良いのですが、ポーズを決めている
右側二人が気になる・・・。

「Cornelis Troost 作 1728年」
Willem Roell 博士はアムステルダム大学の教授で、外科医の
ギルドから依頼されて描いた作品です。教授らしき人物がカメラ
目線で被験者の足の皮を剥いでいますね。恐ろしい事をしている
のに、みんなリラックスしすぎでしょう・・・。

「レンブラント・ファンレイン作 1632年」
有名な「テュルプ博士の解剖学講義」という作品。 博士が腕の
筋肉を説明し、受講した人が熱心に聞いているシーン。
wikiによると、遺体は矢作り職人のアーリス・キントであり、
凶器強盗の罪で午前中に処刑されたばかりであったとか・・・。

「レンブラント・ファン・レイン作 1656年」
こちらは「デイマン博士の解剖学講義」。もっと全体がある作品
ですが、他の部分は残念ながら火災によって焼失してしまいました。
頭がべろりで脳が露わに・・・。エグイです。

「ピーテル・ファン・ミーレフェルト作 1596-1623年」
お腹が解剖された被検体を中心にして、大勢の学者や医者達が
固まっている作品。解剖学の講義を絵として残そうというよりも、
記念写真のような感じになっていますね・・・。

「コルネリス・デ・マン作 1621-1706年」
コルネリス・スフラーフェサンデ教授の講義。肋骨が露わになった
被検体はさり気なくいるだけになり、みんな好き好きのポーズを
取っています。現代の感性では考えられませんね・・・。

「Frans Denys 作 1648年」
ヨアンネス教授率いる学者たち。こちらは上記の作品よりも、
解剖学の講義としての絵画という風情がありますね。
本当に講義室に旗を持った二体の骸骨がいたのかな・・・。
本物だったら怖すぎます。

「Nicolaes Pickenoy 作 1588-1656年」
Sebastiaen Egbertsz 博士の骨の講義。
6名の男性が人の骨を中心にして集まっています。
その後、18世紀後半になると「頭蓋骨を研究すれば精神や
人種についてが分かる」という骨相学が流行するのでした。

「Edouard Hamman 作 1848年」
16世紀初頭に生きた解剖学者アンドレアス・ヴェサリウスを描いた
作品。彼は著作「ファブリカ」を手掛け、現代人体解剖の創始者とも
言われています。19世紀の画家が敬意を表して描いたのでしょうか。

「アーネスト・ボード作 1877–1934年」
こちらは14世紀初頭のイタリアの医者モンディーノ・デ・ルッツィ
を描いた作品。彼は人体解剖を行いながら講義をするという
事を最初に始めた人物とされています。この時期は過去の
医学偉人を描くのが流行りだったのでしょうかね。

「ガブリエル・フォン・マックス作 1869年」
こちらは個人を描いたものではなく、「解剖学者」という職業そのもの
を描いた作品。おじさんは少女の遺体の布に手をかけ、感慨深い
表情を浮かべています。権威や学術目的の作品と異なり、これは
禁断めいた雰囲気が醸し出されていますね・・・。

冒頭で「中世時代は神の思想により解剖はほとんど行われていなかった」と書きましたが、よく調べてみると時代や場所によってではあるものの禁断とはされていなかったようです。現に先ほど紹介した13-14世紀の医者モンディーノ・デ・ルッツィはボローニャ大学で学び、そこで講師を務めています。(祖父と父は薬屋で叔父は医学の教授) 彼は教育には解剖は必要だと考え、はじめて公開の解剖講義を行ったのでした。また、彼はボローニャ大使となって各地を周り、亡くなった際には教会に埋葬されたそうです。もちろん教会側から見たら彼の行動は面白くなかったかもしれませんが、禁止や罰則を与えるような権威は、教会側にはなかったように思われます。
人を解剖することは確かに倫理観の問題に触れます。フランドル絵画のように、被検体と共に集合写真であるかのようにポーズを取る学者たちの行動は理解に苦しみます。現代なら大炎上するどころか逮捕されるレベルのように感じます・・・。ただ、残酷に感じる解剖の歴史は、現代の医学の進歩において必要なことでもあったのかなと思いました。
作品。彼は著作「ファブリカ」を手掛け、現代人体解剖の創始者とも
言われています。19世紀の画家が敬意を表して描いたのでしょうか。

「アーネスト・ボード作 1877–1934年」
こちらは14世紀初頭のイタリアの医者モンディーノ・デ・ルッツィ
を描いた作品。彼は人体解剖を行いながら講義をするという
事を最初に始めた人物とされています。この時期は過去の
医学偉人を描くのが流行りだったのでしょうかね。

「ガブリエル・フォン・マックス作 1869年」
こちらは個人を描いたものではなく、「解剖学者」という職業そのもの
を描いた作品。おじさんは少女の遺体の布に手をかけ、感慨深い
表情を浮かべています。権威や学術目的の作品と異なり、これは
禁断めいた雰囲気が醸し出されていますね・・・。

冒頭で「中世時代は神の思想により解剖はほとんど行われていなかった」と書きましたが、よく調べてみると時代や場所によってではあるものの禁断とはされていなかったようです。現に先ほど紹介した13-14世紀の医者モンディーノ・デ・ルッツィはボローニャ大学で学び、そこで講師を務めています。(祖父と父は薬屋で叔父は医学の教授) 彼は教育には解剖は必要だと考え、はじめて公開の解剖講義を行ったのでした。また、彼はボローニャ大使となって各地を周り、亡くなった際には教会に埋葬されたそうです。もちろん教会側から見たら彼の行動は面白くなかったかもしれませんが、禁止や罰則を与えるような権威は、教会側にはなかったように思われます。
人を解剖することは確かに倫理観の問題に触れます。フランドル絵画のように、被検体と共に集合写真であるかのようにポーズを取る学者たちの行動は理解に苦しみます。現代なら大炎上するどころか逮捕されるレベルのように感じます・・・。ただ、残酷に感じる解剖の歴史は、現代の医学の進歩において必要なことでもあったのかなと思いました。
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>> フリーダムの脅威はキュベレーあわわに勝るっ?!
あわわ、勘違い失礼しました^^;
何年か前のニュースにでも流れたのかと思っちゃいましたw
近代であるなら起こり得そうな事件ですよね…。