dorian-gray 1930 majeska 4 -

 「ドリアン・グレイの肖像」はオスカー・ワイルド作の長編小説であり、「ジキル博士とハイド氏」はロバート・ルイス・スティーブンソン作の中編小説です。いずれも善と悪の二重人格を題材にした物語として知られています。

 美青年ドリアン・グレイは奔放な生こそ最高の美だというヘンリー卿の言葉におだてられ、画家のバジルに描いてもらった肖像画に向かい「絵の方が歳をとればいい」と零します。ドリアンは女優シヴィルと婚約したものの見捨て、彼女は悲しみの余り命を絶ってしまいます。
 肖像画が醜く変貌していくのを見て見ぬふりをし、ドリアンは20年間歳をとらずに奔放な生を送っていました。醜い肖像画を非難したバジルをドリアンは殺してしまい、その後シヴィルの弟が不慮の事故で他界してしまいます。改心しようとするドリアンは、醜悪な肖像画をこそ自分の良心だと知って壊そうとします。しかし、悲鳴を聞いて駆け付けた者が見た光景は、美青年の肖像画と醜い老人の遺体だったのでした・・・。

 一方、弁護士アターソンはジキル博士から「私が消えたらハイド氏が財産を相続する」という遺言状を託され、困っていました。というのも、ハイドは少女を踏みつけるような外道で不気味な若者だったからでした。弁護士が問い質しても博士は「問題ない」と言うだけでした。その一年後、ハイドが老紳士を撲殺する光景をメイドが目撃します。ハイドの住居を捜索すると、ジキルのステッキが凶器として発見されました。次第にジキルは訪問者を拒み始め、ラニョン博士は彼の秘密を知ってショック死を遂げてしまいます。
 ある夜、ジキルの執事がアターソンの元を訪ね、書斎にこもった主人の様子が変だと告げます。二人が扉を壊すと、ハイドの遺体が横たわっていました。ジキルの姿はありません。事務机には手記が残されており、「私の欠点は欲望を求める二面性。善悪を切り離す為に薬を開発し、ハイドという別人が生まれた。だが、薬を投与しなくてもハイドに変わってしまい、ジキルのままでいる新薬が底を尽きた。私はこうして生涯を閉じる」という真実が書かれていたのでした・・・。
 では、人格分離により破滅した二人の男についての絵画12点をご覧ください。

PR
 



ドリアン・グレイの肖像



「Henriette Stern (Madame Yna Majeska) 作  1930年」
純真無垢だった美青年ドリアン・グレイ。友人の画家バジルに
肖像画を描いてもらって喜びます。しかし、「官能で奔放こそ崇高な
芸術だー!」と吹聴するヘンリー卿と会った事で、彼の人生は
大きく歪んでいったのでした・・・。
dorian-gray 1930 majeska 3

「Lippincott’s Monthly Magazineという雑誌の挿絵  1890年」
ドリアンは美しい演技を見せる若手女優シヴィルと恋仲になり、
婚約を発表します。しかし、美男美女の夫婦は実現しませんでした。
Lippincott’s Monthly Magazine in 1890

「Henriette Stern (Madame Yna Majeska) 作  1930年」
シヴィルはドリアンとの真実の愛を知った為、愛の演技ができなく
なってしまいました。その様子に彼は興ざめし、彼女に対して
辛辣な言葉を浴びせます。そのせいで、シヴィルは命を絶って
しまったのでした。
dorian-gray 1930 majeska 2

「Henriette Stern (Madame Yna Majeska) 作  1930年」
ドリアンが享楽に耽って悪事を行う度、バジルの描いた肖像画は
醜く変貌していきました。ドリアンは20年間歳をとらないまま、
ずっとヘンリー卿の言う通りの生活を送っていました。
dorian-gray 1930 majeska 4

「Henriette Stern (Madame Yna Majeska) 作  1930年」
肖像画が醜くなっていることを知った画家バジルはドリアンを責め、
彼に刺されて死んでしまいます。旧知のアランという者がバジルの
遺体を消しましたが、アランも罪悪感により命を絶ってしまったのでした。
dorian-gray 1930 majeska

「作者不詳  小説の挿絵より」
結果的に多くの者の命を奪ったドリアンは、直視できない程醜悪に
なった肖像画を見て、これこそ自分の良心だと悟ります。
ドリアンがナイフで肖像画を切りつけると、絵は元の美青年に、
彼は醜い老人へと戻り、彼は命を終えたのでした。
Death of Dorian Gray



ジキル博士とハイド氏



チャールズ・R・マコーレー作  1904年」
少女を踏み付けたという外道で不気味な青年ハイド。
弁護士アターソンは善良なジキル博士から「私の財産はハイド氏に
相続してね」という遺言状を託されて困惑していました。
Charles Raymond Macauley  1904

チャールズ・R・マコーレー作  20世紀前半
その一年後、ハイドは老紳士を撲殺するという事件を起こします。
凶器のステッキはアターソンがジキルへと送ったもので、
ジキルはその後不審な行動をとるようになりました。
Jekyll and Hyde

「作者不詳  小説の挿絵より  19世紀」
ラニョン博士はハイドはジキルの悪の側面で、薬の作用でハイドに
変身しっぱなしになりそうだという事を知り、ショックのあまり病死
してしまうのでした。
Transformation of Dr. Jekyll into Mr. Hyde

「Sydney George Hulme Beaman 作  1930年」
「う、うおおぉー!!」とハイドに変身しているジキル博士の図。
ジキルはエスカレートするハイドへの変化を止めようと書斎に
こもりきりになってしまいます。
Sydney George Hulme Beaman 1930

E・J・サリバン作  1928年」
右半身がジキル、左半身がハイドの二面性を分かりやすく表した
挿絵。薬を使ってハイドへの変身を止めようとしていましたが、
薬は底を尽き、ジキルは真実を語った手記を残したのでした。
Edmund joseph sullivan 1928

E・J・サリバン作  1928年」
書斎に入ったアターソンと執事が見たものは、毒薬で自ら命を絶ったと
思われるハイドの遺体でした。それは今にも生を終えようとする、
ジキルの最後の抵抗なのでした。

Jekyll and Hyde 2

 ドリアン・グレイの肖像の物語は後世にも影響を与え、「老けたくない」と加齢に抗って整形や植毛、滋養剤に異常に執着し、若さを保とうする人のことを指して「ドリアン・グレイ症候群」と言い、名前が容姿に無意識のうちに影響を与えるという事を「ドリアン・グレイ効果」というようです。太郎は素朴そう、賢太郎は賢そう、俊太郎は速そう。
 そういった名前のイメージが周囲の影響により無意識に作用して、実際にそのような人格を形成してしまうそうなのです。人にレッテルを貼ったり貼られたりするのは個人的に嫌なのですが、そういう事はあり得そうだなと思ってしまいます。

 話しは吹っ飛びますが、果物の王様であるドリアンもドリアン・グレイに関係があるのかと思ったら、どうやら無関係のようです。 ドリアンはマレー語で、刺を持つものという意味のようです。見た目は美しいけれど、中身は凄い事になっている・・・という由来から関係あると思ったんですけれどね^^;←ぇ

→ 「ドリアン・グレイの肖像」参考HP:https://www.britishlibrary.cn/en/works/picture-of-dorian-gray/


PR