ferrari luca 1650 -

 ソフォニスバ(紀元前203年頃)は、第二次ポエニ戦争時代に生きた、カルタゴの美女です。
 カルタゴの将軍ハスドルバル・ギスコの娘として生まれた彼女は、東ヌミディア王国の王子マシニッサと婚約していましたが、東ヌミディアは共和政ローマとの戦争で大敗して王を失ってしまい、西ヌミディア王国が吸収してしまいます。それにより、ソフォニスバは西ヌミディアの王シュファクスと結婚しました。ヌミディアとカルタゴは同盟国となり、ローマ軍に対抗しますが、ローマ司令官の大スキピオとの戦争により破れてシュファクスは捕虜となってしまいます。彼は紀元前203年頃にローマで殺されてしまいました。

 一方、東ヌミディアの王子マシニッサはローマの傘下へと入り、大スキピオを援助しました。その功績により、マシニッサはヌミディア王へと選出されます。その時、マシニッサはかつての許嫁ソフォニスバを見つけ、妻とする事にしたのです。
 しかし、カルタゴ将軍の娘であるソフォニスバにとって、ローマは敵国でした。ローマ側としても同様で、大スキピオはソフォニスバとの結婚を容認せず、彼女をローマへと連行する事に決めました。ソフォニスバは捕虜の扱いとなる事を恥辱とし、毒盃を飲み干して自ら命を絶ったのでした。
  このローマ時代の物語は日本ではマイナーですが、多くの絵画が描かれています。では、毒盃を飲んで自死しようとしているソフォニスバの絵画12点をご覧ください。

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「シモン・ヴーエ作  1623年」
夫マシニッサか、もしくはお付きの従者から毒盃を受け取る
ソフォニスバ。ローマに組した夫ですが、彼女は敵国の傘下に
入る気も捕虜になる気もありませんでした。
それより背後の女性が怖すぎて気になってしまう・・・^^;
Simon Vouet Sophonisba Receiving Poisoned Chalice 1623

「Andrea Casali 作 1705–84年」
ローマ司令官の大スキピオらしき人が「ローマへと行きなさい」
と指を指していますが、ソフォニスバはアフタヌーンティーを楽しむ
かのように毒に手を伸ばしています。優雅で毅然とした姿です。
Sophonisba Taking Poison  Andrea Casali 1705–84

ジョヴァンニ・バッティスタ・チプリアーニ作  1727 - 85年」
こちらも将軍が指を指して彼女を誘っていますが、手前では
従者の少年が毒盃どころかナイフまで持ち出しています。
ソフォニスバは微笑みを浮かべてナイフ側へと視線を送っていますね。
Death Sophonisba Cipriani, Giovanni Battista 1727 - 85

Rutilio di Lorenzo Manetti 作  1571-1639年」
毒盃を仰ぐ瞬間、と言った感じのソフォニスバさん。
右は夫マシニッサでしょうか。全体的に人々が上側に配置されて
おり、面白い構図をしていますね。

Rutilio ManettiMasinissa and Sophonisba

マッティア・プレティ作  1670年」
夫マシニッサのようなおじさんから毒盃を受け取っているソフォニスバ。
既に毒を飲んだかのような、青白い顔色をしています。
愛のキューピッドも悲しそうな表情をしていますね。

The Death of Sophonisba, by Mattia Preti 1670

「二コラ・レニエ作 1650年」
ローマへと連行しますという手紙を持ち、毒盃を飲み干した
ソフォニスバ。次の瞬間に盃が地面に落ち、パリーンと言う音が
響きそうです。背後の侍女二人の悲しみがひしひしと感じられます。
1650 by Nicolas Regnier

「ニコラス・レニエの追随者作  1665–67年」
15年後くらいに追随者の人がほぼ同じ構図で手掛けた作品。
ソフォニスバの表情が険しくなり、背後の人が老婆に変身しましたね。
Nicolas Régnier 1665–1667(attributed to)

アントーニオ・ペッレグリーニ作  1708-13年」
「私と共にローマの傘下へ入れ」「嫌よ!そんな事なら死を選ぶわ!」
という夫婦喧嘩なのでしょうか。←ぇ
マシニッサは長年ヌミディアの国王に君臨し、カルタゴへと侵攻して
第三次ポエニ戦争の引き金のきっかけとなりました。
Giovanni Antonio Pellegrini Sophonisba 1708-13

ジャンバッティスタ・ピットーニ作  1730年」
毒の影響を受け、倒れ伏すソフォニスバ。
こちらの侍女は手を組んで悲しみを表現しています。
The Death of Sophonisba  Giambattista Pittoni 1730

「グエルチーノ作  1630年」
半身を露わにしたセクシーな衣装で毒を飲み干したソフォニスバ。
この姿はどこかエジプトの女王クレオパトラを彷彿とさせます。
クレオパトラも蛇の毒で自らの命を絶ったとされているので、
重ねて考えられているように思います。
Dying Sophonisba, by Guercino 1630

ルカ・フェラーリ作  1650年」
毒盃を捧げ持ち、目線を天へと向けるソフォニスバ。
カルタゴを創設したフェニキア人はどんな容姿をしていたのか
具体的には分かっていません。ただ、エジプトやトルコに近い容姿を
していたのかもしれません。それでも絵画は白人ばかりです。
ferrari luca 1650

「Antoni Gruszecki 作  1793年」
自国は敗北し、夫は敵国の側へ。自らの境遇を悲嘆した彼女は
大粒の涙を零しています。泣き腫らした目。引き結んだ口。
作品を見ていると、こちらまで心苦しい感じがしますね。
Sophonisba, by Antoni Gruszecki  (1793)

 ソフォニスバの歴史をテーマにして、1605年頃にジョン・マーストンというイングランドの人が「ソフォニスバ、驚くべき女人」という戯曲を手掛けています。
 この戯曲の中では、西ヌミディア王国の王シュファクスがかなりの悪者になっています。マシニッサと結婚したソフォニスバを欲する余り、シュファクスはソフォニスバを乱暴しようとします。更に彼はローマ側に付いたマシニッサと一騎打ちをして敗北し、ソフォニスバが手に入らないと見て取るや「彼女は反逆の悪女だ」とローマ側に吹聴しました。そのせいでソフォニスバはローマへと連行されることになり、毒盃で自らの命を絶ったのでした。
 戯曲のシナリオを作るうえでヒーロー&ヒロイン&悪者を作るのは仕方がないことかもしれませんが、全部の汚名を着させられる事になった、シュファクスさんがなんだか可哀想な気がします・・・^^;

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