Emile-Antoine Bayard (1884) - An Affair of Honor -

 決闘は決められたルールのもと、二人が武器を使って命を賭けて戦い合うことです。
 はじまりはゲルマン民族の伝統とされており、6世紀頃には制度となっていました。法律では解決できなかった事件や、名誉挽回の為に決闘を申し込んだのでした。時代や国により条件は異なりますが、申し込まれた決闘を断る事は「いくじなし!」と周囲から後ろ指を指されてしまうので、受託しなくてはなりませんでした。武器は剣や短剣、近代では銃を使いました。どちらかが戦意喪失すれば決闘が終わりということもあれば、どちらかが死ぬまで決闘が終わらないこともあり、敗者は処刑するという恐ろしいルールの場合もありました。

 西洋では15~16世紀に合法的な決闘は廃れ、決闘裁判はほぼ行われなくなりましたが、個人的な決闘はたびたび起こっていたそうです。フランスではアンリ四世の統治中、年平均235人が命を落としたとか。多いじゃないですか・・・。数は少ないものの女性間でも決闘は行われたそうです。
 では、決闘の絵画13点をご覧ください。

PR
 



「作者不詳 写本の挿絵より  1295-1363年」
盾と剣を使った一騎打ちの図。両者公平となるように、太陽が
水平となる場所で行われていたとされています。
二人とも余裕ありげな表情をしておりますが、太陽が右の者を
見ているので彼が勝利したのでしょうか・・・。
Gerichtlicher Zweikampf 1295-1363

パウルス・ヘクトル・マイアーの蒐集による写本の一部  16世紀」
アウグスブルクの決闘による裁判。15-6世紀頃まで法律で裁く
ことができない問題があると、「神が判決を下してくださる」と
決闘裁判が行われました。勝利した者を神が選んだと判決するのです。
Representación juicio combate Augsburgo Paulus Hector Mair 1544

「フランシス・デ・ゴヤ作  1820-23年」
初期の頃は貴族の特権であった決闘も、時代を経るにつれて
平民も行うようになりました。こちらは二人の平民と思しき
男性が棍棒を振り上げ、互いに殴りかかろうとしております。
Duel With Cudgels by Francisco Goya 1820-23

ロバート・アレクサンダー・ヒリングフォード作  1828-1904年」
軍人間と思われる決闘。命や国がかかっている戦争についての
意見は食い違う事が多かった事でしょう。意見や名誉を賭け、
味方の立場でありながら決闘する者も多かったに違いありません。
The Duel Fair Play by Robert Alexander Hillingford

ジョン・ペティー作  1839-93年」
尻込み気味で観戦する者がいない分、ちょっと地味に見えて
しまいますね^^;命を賭けた決闘もありますが、相手が負けを
認めたり、怪我をしたりしたら終了する場合も勿論ありました。
John Pettie Sword and Dagger Fight  Hand Beats Cold Death Aside

マルクス・ストーン作  1840-1921年」
うら若き乙女が「止めて!」と決闘を止めようとしています。
中年の貴族の元へ彼女が嫁いでいくのを、幼馴染の青年が
許せず、決闘を申し込んだと私は想像しました!←ぇ
MARCUS STONE An Interrupted Duel 1840-1921

エミール・バヤール作 1884年」
決闘は男性がやるものという印象が強いですが、少ないながら
女性同士がやった事例も存在します。彼女達は自らの名誉を
守ろうと、互いに武器で戦い合ったのです。
流石に服は着ていたと思いますが・・・^^;
Emile-Antoine Bayard (1884) - An Affair of Honor

エミール・バヤール作 1884年」
「和解」という題名。ダークレッドの衣服の方が勝利したようですね。
亡くなる寸前かと思ったら、女性の決闘はだいたい相手に怪我を
させて終了する事例ばかりのようで、この絵画の女性も腕をざくっと
やられて戦意喪失したのかもしれません。
Emile Antoine Bayard The Reconciliation 1884

チャールズ・コッドマン作 1800-42年」
こちらの男性の決闘も決着が付いたようです。
奥の白シャツの者はまだいきり立っているように剣を拭いており、
手前では肩を貫かれた者がぐったりとしています。
ち、治療をすれば助かるのかしら・・・。
Charles Codman the duel

アイザック・ロバート・クラックシャンク作  1789-1856年」
拳銃が普及するようになると、拳銃での決闘も起こりました。
互いに後ろを向いて数歩進み、振り向いてバーンと撃つ。
弾は1~3発以内と決められていたようです。この作品では
右の男性の方が早かったようですね・・・。
From The English Spy  Robert Cruikshank

イリヤ・レーピン作  1844-1930年」
寒々とした雪原の中、行われた決闘。胸を打たれた男性は既に
事切れているようです。名誉や愛を守るという口実の命の奪い合いは、
なんとも儚く虚しいように感じてしまいます。

The Duel Ilya Efimovich Repin

「Adrian Volkov 作  1869年」
ロシアの作家アレクサンドル・プーシキンVSフランス士官ジョルジュ・ダンテス
の決闘。ダンテスはプーシキンの妻ナターリアの姉と結婚しましたが、
彼はナターリアに言い寄り、怒ったプーシキンが決闘を申し込みました。
結果はダンテスの勝利。怒りも虚しくプーシキンは息を引き取りました。
Duel Alexander Pushkin and Georges d'Anthès 1869 Adrian Volkov

イリヤ・レーピン作  1899年」
上記のプーシキンさん作の小説「エヴゲーニイ・オネーギン」に登場
する決闘シーン。主人公オネーギンは友人レンスキイを怒らせて
しまい、決闘により殺めてしまいます。決闘シーンを書いた作家が
自ら決闘により命を落とすのは、皮肉に感じてしまいますね・・・。
fictional Eugene Onegin and Vladimir Lensky  Ilya Repin 1899

 西洋で15-6世紀に決闘は下火になったと明記しましたが、ロシアでは18世紀後半から19世紀初頭にかけて決闘が流行したようです。もともとロシアでは「決闘は野蛮な風習だ」とされ、行われていませんでした。それがピョートル大帝の時代に「欧州と肩を並べる為」と決闘が肯定化され、エリート階級の間で決闘が流行することになってしまったのです。 しかも、ロシアの決闘は銃を用いルールとしての距離も近かったので、死者が続出しました。上記のアレクサンドル・プーシキンの時代と重なりますね。
 プーシキン博物館へ行くと、実際に使って彼の命を奪った拳銃が展示されているそう・・・。プーシキン以外にも、作家のミハイル・レールモントフも決闘により命を落としています。
 野蛮な風習とされていたはずなのに、皇帝が肯定する(ギャグじゃないですよ!^^;)だけで流行し、殺し合いが始まる。決闘の行為だけではなく、社会の影響力の恐ろしさを感じますね・・・。



PR