Peter von Cornelius  1813-16 -

 賢い乙女と愚かな乙女(十人の処女たちのたとえ)は、日頃からの準備や勤勉を怠るなかれという警句が込められたイエス・キリストのたとえ話です。
 灯を持って花婿をむかえる10名の乙女がおり、5名は賢く5名は愚かな乙女でした。賢い乙女は灯の他に油を持っていましたが、愚かな乙女は準備していませんでした。花婿が時間に遅れたので、灯の油が足りなくなってしまいました。賢い乙女は油を追加しましたが、愚かな乙女の灯は消えてしまいます。
 油を分けてくれと頼んでも「もう余分はないの。急いで買いに行きなさいな」と言われ、愚かな乙女達は油を求めて店に走っていきます。その間に花婿が到着し、賢い乙女たちは花婿と共に婚礼の部屋へと入りました。遅れてしまった愚かな乙女たちは中に入る事は許されず、花婿に「私はお前達を知らないな」とまで言われて締め出されてしまったのでした。

 これは天国へと入る門の比喩であり、天国へと入る為には臨終の間際では間に合わない。日頃から準備し、敬虔に祈って真面目に生活しなさいという意味が込められているのです。
 では、賢い乙女と愚かな乙女についての絵画13点をご覧ください。

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「東ローマ帝国彩色写本より  6世紀」
替えの油を持っていた乙女たちは天国へ、灯だけしか持って
いなかった乙女は門前払いをくらってしまっています。たとえ話は
花婿ですが、キリストが語る天国への道の話なので救世主自らが
花婿として登場します。
Purpureus' - Byzantine School 6th

「Peter Lisaert IV 作  1595-1629年」
この例えは「備えあれば患いなし」の他に「勤勉を怠るな」という
意味があります。この絵画の前のご婦人方は、洗濯物や
洗濯板(?)を持って仕事しているのに対し、奥のご婦人方は
きゃっきゃうふふと遊んでいるようです。
Pieter Lisaert

フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドー作  1789-1862年」
右側の賢い乙女達は灯を手に持ち、愚かな乙女達に「どうだー!」と
見せております。キリストやマリアは賢い乙女達に視線を送って
おり、愚かな乙女達は悲しさのあまり倒れ伏しているようです。

The Wise and Foolish Virgins  Wilhelm Schadow

Julius Wilhelm Louis Rotermund 作  1826-59年」
10名の乙女は構成上大変だったのか、二人の乙女で物語が
表現されています。どちらの乙女が天国へといざなわれたのかは
一目瞭然ですね。
ROTERMUND, JULIUS

「ウィリアム・ブレイク作  1800年」
ブレイクの乙女達は独特の姿をしていますね・・・。
天使に導かれる乙女達と、追いすがる愚かな乙女達。
しかし買いに行きなさいと言われてしまっております。
William Blake 1800

Ernst Friedrich von Liphart 作  1886年」
ただ準備を怠っただけで天国へ行くことができないのは
厳しいですよね。キリストに祝福された彼女らを見て、
悔しさのあまり悶絶です・・・。
Baron Ernest Friedrich von Liphart 1886

「Leonhard Sturm 作 カール・フォン・ピロティが加筆  1884年」
キリストのたとえというより、神話的な雰囲気がただよう作品です。
賢い乙女達はお花をまとって笑顔で右側の天国へGOです。
中央の二人は「何でもしますから油をください」「跪いたって駄目な
ものは駄目よ」と会話しているのでしょうかね。
Leonhard Sturm after a painting by Karl von Piloty 1884

ペーター・フォン・コルネリウス作  1813-16年」
天国へと向かう者達が前景を支配し、愚かな乙女達は
中央よりの右奥へと追いやられてしまっています。キリストだけ
ではなく、聖人や天使までがお出迎えです。
Peter von Cornelius  1813-16

「Charles Haslewood Shannon 作  1863-1937年」
「蜘蛛の糸」をなんとなく彷彿とさせる、おどろおどろしい乙女達。
天使を掴みながら天上へと昇ろうとする乙女達の足元に、
「私も連れて行ってくれー!」と追いすがる乙女達。そんな彼女らに
天使は武器まで持って阻止しようとしています。
Charles Haslewood Shannon-

「Jan Adam Kruseman 作 1848年」
こちらも乙女二人で対比させています。右の乙女は油が入った
壺を持ち、灯りがしっかりと灯っています。左の乙女は灯が消えた
のみならず居眠りまでしてしまっている様子。
Jan Adam Kruseman 1848

フィービー・アンナ・トラクエア作  1852-1936年」
先程までの厳しい警句から打って変わって和やかな乙女達。
勤勉>怠惰という対比もなく、「みんなで油を分け与えて天国へ
行こうよ!」っていう雰囲気がします。うん、これがいいね。←ぇ

Phoebe Traquair

「Charles Haslewood Shannon 作  1863-1937年」
こちらも伝統的な二分性ではなく、灯りを持った乙女達が眠る
乙女を起こし、船に乗せようとしているようです。19-20世紀に
なると、みんなで天国へ行こう。という風潮になるのでしょうかね。
Charles Haslewood Shannon

ウィリアム・ジョン・ウィンライト作  1899年」
最後に、乙女10名でハイ、ポーズ♪
灯りを持ってみんなで天国へ行けると思いきや、背後の愚かな
乙女達が入り遅れちゃいそうな予感!?
William John Wainwright 1899

 現代の感覚でこの物語を読むと、「ちょっとくらい油を分けてくれてもいいじゃない」「お前らなぞ知らんと言った主人、冷たすぎる・・・」「天国厳しすぎ!」と思ってしまいがちですが、災害などの緊急事態に照らし合わせてみると、納得できる部分があります。
 「非常食や救急キットなどを準備している人」と「準備していない人」がおり、災害直後で救援が来ないとなると、「準備していない人」はかなり困ってしまう事になります。「準備している人」にご飯をくださいとお願いをしても、「家族分しか準備していないから、申し訳ないけど分けられない」と言われてしまうかもしれません。この状況では「何で分けてくれないの!?」と怒る事はできませんよね・・・。

 それでも「愚かな乙女達」は灯りは持ってきて準備はちゃんとしていたことになるので、「天国へと行けてもいいじゃない」とも私は思います。何か救いがあってもいいのではと。「準備はできる限りのことを行い、それでも何か不足があれば助け合うようにする」。
 何やら色々矛盾めいたことを語りましたが、これが一番であるように思いますね。うん、これから災害用リュックの中身を再確認します^^;



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