Alessandro Allori 1605 -

 マルタとマリアは新約聖書に登場する姉妹で、おもてなしをせずにキリストの話を聞くマリア(聖母やマグダラのマリアとは別人)に、マルタが不満に思ってキリストに諭される物語です。
 ある日、キリスト一行はとある村で姉妹がいる家に迎え入れられました。マルタは「イエス様をちゃんとおもてなししなくちゃ!」と忙しく立ち回り、色々な準備に追われていました。一方、マリアはキリストの足元に座って話に聞き入っており、まったく動こうとしません。一人せわしなく準備をしているマルタはそれをずるく思い、キリストにこう問いかけました。「主よ。マリアは私だけに準備をさせています。何とも思いになりませんか。手伝うようにおっしゃっていただけませんか?」対するキリストはこう返しました。「マルタ。あなたは悩みすぎている。必要なのは一つだけなのだ。マリアは良い方を選んだのだから、それを取り上げてはならない」と。

 この物語は「マリアが正解でおもてなしをするマルタが悪い」と言っている訳ではなく、「おもてなしをするのは良い事だが、お話をする間は手を休めて聞き入ってもいい。それを非難してはいけないよ」という意味が込められています。マルタが「客人が来たから早く準備しなきゃ!」と焦って神の話を聞き逃しているのに対し、マリアは「お話が終わってから、しっかりと準備しましょう」と思っているのだと思います。
 準備を頑張るマルタにお話を聞くマリア。対照的な二人の絵画14点をご覧ください。

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ジョヴァンニ・ダ・ミラノ作  1366年」
キリスト一行がやって来て大忙しのマルタ。座り込んで聞く
マリアに腹を立てているようです。十二使徒や信徒達が大挙
して家へやって来るのだから、「準備手伝ってよ」と思うのも
無理はありませんね・・・。
Giovanni da Milano 1366

「Defendente Ferrari 作  1500-5年」
神殿のようなお家でキリストの話に聞き入るマリア。
背後で「あの~ちょっといいかしら」とマルタが遠慮がちに声を
かけようとしています。左の女性は聖母マリアかしら?同名
三人が集まったら、こんがらがりそうですね^^;
Defendente Ferrari 1500-5

「ジョルジョ・ヴァザーリ作   1540年」
立派な屋内でお食事の準備をするマルタ。
準備を・・・と言うマルタに十二使徒の誰かが手で制しています。
マリアさんの座り方がなんだか凄いし、左奥の人がギリシャの
アポロンのような恰好をしているような!?
Giorgio Vasari 1540

ピーテル・アールツェン作  1553年」
前景には果物や野菜など日常で使われる物や当時の人々が
おり、マルタとマリア、キリストはごく後景に描かれています。
民衆画が描きたかったのか、「おもてなしは大切だ!」という
画家のちょっとした神への反抗が描かれているのか・・・。
Pieter Aertsen 1553

「ピーテル・アールツェン作  1559年」
ワンちゃんを膝に乗っけてキリストのお話を聞くマリアに対し、
マルタはほうきと編み物と野菜と兎二羽をぶらさげて、かなり
忙しそう・・・。マルタの穏やかな表情の裏には「何ワンちゃんを
もふもふしているのよ」と言うふつふつとした怒りが・・・。←ぇ
Pieter aertsen, gesù in casa di marta e maria, 1559

ハンス・フレーデマン・デ・フリース作  1566年」
建物を描くことに全身全霊を注いだマルタとマリアの物語。
マルタの姿が見えないように思えますが・・・。もしかしたら、
奥でなにやら腕を振っている黄色の服の人かな?
Hans Vredeman de Vries 1566

グレゴリオ・パガニ作  1558–1605年」
「あの~マリアが何もやらないから、手伝うよう言って下さいますこと?」
とキリストにやんわりと言うマルタ。それに対しキリストは
「マリアは良い方を選んだから取り上げてはいけないよ」と
やんわりと拒絶するのでした。
Gregorio Pagani 1558–1605

「ジャコポ・ティントレット作  1567年」
こちらのマルタは「何で手伝わないの!?」ときつめに言っている
ように見えますね。聖書では「とある村」と言う記述なのに、
描かれる建物は豪華なものが多いような気がします。
1567 Jacopo Robusti Tintoretto

フランチェスコ・バッサーノ(子)作  1577年」
野外なのか屋内なのか、訳の分からない不思議な構造をした家。
キリストが来た時にはもう、女中さんらしき人が準備をしている
ようですね。食事をしている人もいますしw
Francesco Bassano the Youn 1577

アレッサンドロ・アローリ作  1605年」
おもてなしの食器を持つマルタと聖書と香油(?)を持つマリア。
キリストは美味しそうなご飯に背を向け、マリアの方を指さしています。
Alessandro Allori 1605

「Georg Friedrich Stettner の追随者作  17世紀」
こちらも前列にずらっと食べ物を並べていますね。
ルネサンス~バロックのフランドル絵画は民衆画が流行したので
その影響もあるのでしょう。農民にとって、この命題は悩ましいもの
だったのかもしれませんね。
attributed to Georg Friedrich Stettner  17th

マティス・ミュッソン作  1640-50年」
「私はこんなに準備をしたのよ」とばかりに色々置かれていますね。
鹿はこれから捌くつもりなのでしょうか。大変そうです。
Matthijs Musson 1640-50

「ディエゴ・ベラスケス作  1618年」
一風変わった作品ですね。右上ではマルタのマリアの物語が展開
しておりますが、前景では老女に指図される女性が一人。
「私は継母に口酸っぱく言われるから、聖書より準備に追われて
しまうのよ」という不満と批判が込められているような気がします。
Christ in the House of Martha and Mary, Diego Velázquez, 1618

「ルーベンスとヤン・ブリューゲル(子)の共作  1628年」
人物と風景を得意とする巨匠二人のコラボ作品。なんだか
和やかな雰囲気にも思えますね。こんなのどかな天気なら、
私も準備をしたくなくなります(笑)w
Jan Brueghel the Younger and Peter Paul Rubens 1628

 おもてなしか神の言葉か。どちらを優先すべきかは意見の分かれるところだと思います。
 家に入った時刻や人数は分かりませんが、キリストと十二使徒+αの食事(昼食や夕食)や就寝の場所の準備をするのだとしたら、数時間はかかってしまうと思います。便利な家電が揃っている現代とは違い、火をくべるのも肉を捌くのも一苦労だったと思います。予約ではなく飛び入りだった為、足りない食べ物や日用品の買い出しも必要だったでしょう。(兎や鹿を捌いて調理して焼くのは時間がかかりそうです・・・)

 キリスト的には「神の話を聞いてからでも準備は遅くない」と考えているのだと思いますが、お話がどれだけ長く続くかにもよりますよね。30分くらいならともかく、1時間を超えると気が揉めそうです。他に使用人さんがいたかどうかも不明であるものの、マルタとマリアの二人ともキリストの話に聞き入っていたら、準備は進まずに食事の提供が遅くなってしまいます。蛍光灯どころかランプでさえない時代、日没になったら何も見えなくなってしまいます。マルタが「早めに準備してしっかりとおもてなしをして、イエス様のお話を後でゆっくりと聞きましょう」と思うのも無理はないように思います。

 個人的には、キリストが「今から少しだけ話すから準備の手を休めて欲しい。よろしくね」とマルタとマリアに一言伝えるのが万全であるように思います^^;


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