メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

生と死

近代のメメント・モリの絵画11点。多種多様で奥深き、死を想えの思想【第三弾】

Van Gogh Giclée Head of a Skeleton with a Burning Cigarette -

 ラテン語で死を想えという意味の「メメント・モリ」。
 この言葉は古代ローマの時代から使われており、はじめは「死があるのだから、今を楽しもう」というポジティヴな内容でしたが、キリスト教の天国と地獄の思想が普及するにつれ、「徳を積みたまえ。死ぬ前に」という警句的なニュアンスとなり、時代が進むと戦争や死そのものの、恐怖や皮肉を表現するようにもなりました。「死を想え」という語句は、時代や考え方によって意味が異なります。ただ、「死」そのものの象徴としての死神は、いつの時代においても普遍的に存在します。

 このブログが「メメント・モリ」なので、死をテーマにした作品を多く扱っています。様々な意味が込められ、奥深きメメント・モリ。今回は近代の絵画を中心に紹介したいと思います。昔の意味を踏襲した形であったり、皮肉を盛り込んだ新しい表現の仕方であったり…。色々意味ありげな文を書きましたが、良いと思った作品をノリで掲載しました(笑)
 では、メメント・モリ シリーズ第三弾をご覧ください!

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三人の生者と三人の死者の絵画10点。死が運命を告げる、メメント・モリの一種

Book of Hours, France Paris 1480 –90 -

 ある日、貴族(権威者)は蓋の空いた棺を見つける。その棺から三人の死者が現れ、私は教皇、枢機卿、法律家だったと言い、彼等はこう厳かに告げる。「君達も私達のようになる運命だ」とー・・・。
 この物語は「死の勝利」や「死の舞踏」と同様に、「メメント・モリ(死を思え)」の思想を表現した一つの主題です。人はどのような立場にいても命を落とす。死は必ず訪れるのだから、生前の行いをかえりみよう。という意味が込められています。東方に起源があるとされており、十字軍によってヨーロッパにもたらされ、13世紀頃にフランスを中心にして広まっていきました。
 では、三人の正者と三人の死者、もしくは三名の死者の絵画10点をご覧ください。
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決闘(一騎打ち)の絵画13点。プライドや愛を守るため、命運を賭けた二者の激闘

Emile-Antoine Bayard (1884) - An Affair of Honor -

 決闘は決められたルールのもと、二人が武器を使って命を賭けて戦い合うことです。
 はじまりはゲルマン民族の伝統とされており、6世紀頃には制度となっていました。法律では解決できなかった事件や、名誉挽回の為に決闘を申し込んだのでした。時代や国により条件は異なりますが、申し込まれた決闘を断る事は「いくじなし!」と周囲から後ろ指を指されてしまうので、受託しなくてはなりませんでした。武器は剣や短剣、近代では銃を使いました。どちらかが戦意喪失すれば決闘が終わりということもあれば、どちらかが死ぬまで決闘が終わらないこともあり、敗者は処刑するという恐ろしいルールの場合もありました。

 西洋では15~16世紀に合法的な決闘は廃れ、決闘裁判はほぼ行われなくなりましたが、個人的な決闘はたびたび起こっていたそうです。フランスではアンリ四世の統治中、年平均235人が命を落としたとか。多いじゃないですか・・・。数は少ないものの女性間でも決闘は行われたそうです。
 では、決闘の絵画13点をご覧ください。

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解剖についての絵画13点。大学や病院で人体を用いて解剖を学ぶ研究者たちの姿

The Anatomy Lesson of Dr. Nicolaes Tulp, by Rembrandt, 1632 -

 中世の時代、人間は神が創造した存在だから人間が勝手にいじってはならぬ、という思想であったので解剖や手術はほとんど行われませんでした。しかし、ルネサンスが興るにつれ、人体について興味を抱いた者が解剖を行うようになります。かのレオナルド・ダ・ヴィンチも解剖を見学していたとか。しかし、この時代でも神の作った人体を解剖する者は卑しい存在とされ、他から距離を置かれていました。

 更に時代が進んでバロックとなると、解剖も医学の進歩の為の手段と考えられるようになり、17世紀のフランドルでは解剖学の学者の講義が公に行われるようになりました。アムステルダムの医師会では年に一回の解剖が認められていたようです。被検体は処刑された犯罪者であり、その解剖は学生たちや一般に開放され、入場券を取った者は誰でも見ることができました。
 西洋諸国、特にフランドルでは解剖の講義をしている場面や、解剖した人体を中心にして学者たちがポーズを取っている絵画が幾つか存在します。
 では、解剖に関する絵画13点をご覧ください。閲覧注意の作品がありますので、ご了承ください。

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メメント・モリの絵画13点。死を想えという意味の、死の象徴に満ちた主題【第二弾】

Memento mori painting by Carstian Luyckx -

 ラテン語で「死を想え」という意味である「メメント・モリ」。
 人の生はいつかは終わる。それを忘れるなという警句としての意味を含んでいます。このメメント・モリのテーマは多くの画家や彫刻家、小説家に愛され、沢山の作品が世に生み出されています。もうすぐこのサイト「メメント・モリ ‐西洋美術の謎と闇₋」は二周年を迎えるので、原点に還って第二弾を掲載することにしました。
 では、死のモチーフが溢れるメメント・モリの絵画13点をご覧ください。トラウマになりそうな閲覧注意の作品がありますので、くれぐれもご注意くださいね。

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アルカディアの絵画12点。ギリシャの牧歌的な土地を夢見た楽園。しかし理想郷は…

Nicolas Poussin, Shepherds of Arcadia 1637 -

 アルカディアはギリシャのペロポネソス半島の中央に位置する地域名であり、後に楽園やユートピアであるという伝承が広まり、理想郷を指す言葉として使われるようになりました。名称はリュカオンの娘カリストとゼウスの息子であるアルカスに由来します。(小熊座となった息子さん。アルカディアの王となったという伝承もあります)
 実在のアルカディアは前4世紀頃にメガロポリスが建設され、牧畜を生業として生活していましたが、農耕に適さない貧しい山岳地帯であったそうです。牧歌的な美しい風景の中で牧畜をする生活が、後世の人々には理想郷だと映ったのだと思います。現代においてもアルカディアは存在し、ギリシャの古代アルカディア地方とエーゲ海沿岸の土地を含め、アルカディア県としているそうです。

 画家は理想郷アルカディアを想像し、緑あふれる美しい景色を描きました。しかし、中には「理想郷であっても人間の摂理は変えられない」という皮肉めいた作品を残す者も・・・。
 では、アルカディアの絵画12点をご覧ください。

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西洋キリスト教の地獄の絵画12選。悪魔は罪人を捕らえ、永遠に責め苦を与える

(Detail) Attributed To Jan Van Eyck  1430-1440 -

 キリスト教における地獄は、生前罪を犯した者へ罰を与える場所です。
 英語の「ヘル」は北欧神話の冥界を総べる女神ヘルから由来していますが、地獄は神話における冥界とは異なり、悪魔が罪人を酷く拷問し、責め苦を与えています。地獄へ落ちた者は天界へは決して行けず、最後の審判の後も永遠に苦しみ続けることになります。地獄の拷問は犯した罪によって様々ありますが、炎と関連付けられたものが多いように感じます。
 地獄の描写を表した有名な文学作品に、14世紀のダンテ・アリギエーリの「神曲」があります。ざっくり言えば作者自身がギリシャの詩人ヴェルギリウスと共に地獄へ降り、恐ろしい内情を見ながらも、天界まで登るといった内容です。物語には作者の色眼鏡が含まれていますが、後の芸術作品に大きく影響を与え、地獄の情景を決定するものとなりました。恐ろしい地獄を描いた絵画、12点をご覧ください。

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メランコリア(憂鬱気質)の絵画12点。暗く沈んだ感情は、芸術創造の根源とされる

Mary Magdalene as Melancholy  Artemisia Gentileschi  1621-22 -

 メランコリーは日本語で「憂鬱(ゆううつ)」であり、気分が優れない落ち込んだ気分のことを指しますが、メランコリアは古代ギリシア医学の学説「四体液説」に由来します。
 四体液説は「人体は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つで構成される」という考え方であり、人間の性格もそれらのバランスによって決まるとされています。その中で黒胆汁が多い者が「メランコリア(憂鬱気質)」と考えられており、現代で言えばうつ病に近いメランコリアの性質は余り良いものではないとされていました。しかし、哲学者や詩人、芸術家などの人物はメランコリアである比率が高いとされ、ルネサンス以降、メランコリアは芸術、創造を生み出す霊感の根源であると思われ、学者の文献、画家の寓意画に盛んに描かれることになりました。
 メランコリアの様子を描いた作品、12点をご覧ください。

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蠅(はえ)が描かれた絵画12点。だまし絵の技法や腐敗の象徴として登場する虫

JACOB VAN HULSDONCK ANTWERP 1582 - 1647

 蠅(はえ)は西洋絵画において、様々な用途、用法で描かれてきました。
 老廃物や腐敗物などに蠅はたかり人に害を及ぼすので、蠅は当時においても嫌われた存在でした。中世絵画や虚しさを表す静物画「ヴァニタス」において、蠅は腐敗や死の象徴として、髑髏や枯れた花、なま物と一緒に描かれたのです。また、ルネサンス時代ではリアルな奥行き感を付け、立体感を出す遠近法が発明されました。三次元に近付いたことを受け、この世と絵画世界を曖昧にする「だまし絵」が台頭し、画家たちは絵画の中に額縁やカーテンを描いたり、リアルな棚を描いたりしました。そのだまし絵の一つとして蠅を描き込むという事があり、あたかも絵画世界の中に蠅が入り込んだか、絵画に蠅がくっついたかといった感じに表現されるのです。
 今回は蠅が描かれた絵画12点をご覧ください。



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【作品13点】半分人間で半分骸骨。絵画や彫刻で流行った、メメント・モリの一形態

18th century Austrian vanitas -

 メメント・モリはラテン語で「死を忘れるな」という意味の、宗教、美術的スローガンです。
 始まりはローマ時代とされていますが、キリスト教が普及するようなってから、このスローガンは重要視され、様々な作品形態が生まれました。それはヴァニタスであったり、死と舞踏や死の勝利であったり、死と乙女であったりします。今回紹介する「half man(ハーフマン)」もそうで、縦から真っ二つに半分人間、半分骸骨で表された人体のことです。人間はいつかは死に、骨になるという強烈なメッセージが込められています。
 生と死、栄枯盛衰を表す「ハーフマン」の絵画と彫刻、13点をご覧ください。


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プロフィール
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管理人:


中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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