メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

絵画

鍛冶するヴァルカン(ヘパイストス)の絵画13点。神話と鍛冶場の狭間にいる男達

Venus at the Forge of Vulcan Felice Riccio -

 ヴァルカンはローマ神話に登場する火と鍛冶の神です。ウルカヌスとも呼ばれ、ギリシア神話のヘパイストスと同一視されています。
 ヴァルカン自身の神話はほぼ現存しておらず、ヘパイストスの物語がほとんどです。彼は単眼の怪物サイクロプスを従え、鍛冶場で様々な武器や宝物を作っているとされています。ゼウスの雷と盾アイギス、アポロンとアルテミスの矢、アキレスの武具や盾などの武器から、青銅の巨人タロス、美女パンドラなどの生命を持つ存在まで幅広く製作しています。

 ヘパイストスは美の神アフロディテ(ヴィーナス)を妻にしていますが、足が不自由であまり魅力的ではない為に浮気されてしまいます。浮気相手は軍神アレス(マルス)で、怒ったヘパイストスは妻とアレスもろとも開発した網で捕縛して、恥を与えたとされています。また、妻に相手にされない不満から、彼はアテナを追いかけまわしたという話もあります。

 画家達は鍛冶を仕事としている者達を、ヴァルカンの工房としてなぞらえました。製作している途中に、ヴィーナス、またはアテナが現れるというシチュエーションは画家の間で流行ったようで、何枚かの作品が残されています。
 では、ヴァルカンについての絵画13点をご覧ください。ヘパイストスやウルカヌスであっても、ヴァルカンと名称を統一させていただきますのでご了承ください。

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フクロウの絵画15点。闇の中、音もなく飛来し獲物を補足する、知恵と凶兆の象徴

Two Owls Gustave Dore -

 鳥類最古の種のひとつともされているフクロウ。夜の森に住まう猛禽類。音もなく滑空し、獲物を捕らえるフクロウは古来より神秘的な存在と考えられていました。古代ギリシアではミネルヴァの使いとして知恵を司り、中世では魔女の使いとして闇の側面を持ち、日本では幸運の象徴として尊ばれる。賢者や監視者や悪魔や使者。時代や地域により様々な解釈をされ、時にはイメージが重なりながら、フクロウの象徴性は厚みを増していきました。
 そんなイメージの宝庫ともいえるフクロウを、画家達は勿論放っておきません。中世から現代まで、フクロウはあらゆるシーンで登場します。象徴を内包していたり、動物としてだったり、その両方であったり。色々な個性的なフクロウが存在します。
 では、フクロウの絵画15点をご覧ください!なお、ミミズクもフクロウとして紹介させていただきますので、ご了承ください。

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弓引く者達の絵画13点。狙いを定め、矢を放つ。遠距離攻撃の礎である伝統武器

Sir Joshua Reynolds Colonel Acland  Lord Sydney1769 -

 弓。それは人類が石と投槍の次に手にした遠距離武器で、その使用は旧~中石器時代へと遡ります。最初は狩りの為に用いられてきた弓矢でしたが、時代が経るにつれて神事や争いにも用いられるようになりました。初期の戦争における弓の位置付けは重要であり、遠くから攻撃が可能である故に奇襲や狙撃に用いられました。弓などの遠距離攻撃は戦争の要とも言えます。
ショートボウやロングボウ、機械弓であるクロスボウやバリスタなど、弓は進化し様々に改良されましたが、その栄華は重火器が台頭するまでのこと。百年戦争の頃(14世紀末)の精度が低かった大砲は、ルネサンス期に入ると大砲、小銃共に精度が上がり、戦争の中心となっていきます。その結果、弓の存在は急速に薄れていってしまい、実際の戦争においては姿を消してしまいました。ただ、弓は貴族の作法や競技、物語の中などに生き残り、今に伝わっています。弓をきりりと引き絞り、矢を放つ。この一連の動作は優雅で凛々しく、魅力的に映りますね^^
では、弓を持つ者達の絵画13点をご覧ください。

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近代のメメント・モリの絵画11点。多種多様で奥深き、死を想えの思想【第三弾】

Van Gogh Giclée Head of a Skeleton with a Burning Cigarette -

 ラテン語で死を想えという意味の「メメント・モリ」。
 この言葉は古代ローマの時代から使われており、はじめは「死があるのだから、今を楽しもう」というポジティヴな内容でしたが、キリスト教の天国と地獄の思想が普及するにつれ、「徳を積みたまえ。死ぬ前に」という警句的なニュアンスとなり、時代が進むと戦争や死そのものの、恐怖や皮肉を表現するようにもなりました。「死を想え」という語句は、時代や考え方によって意味が異なります。ただ、「死」そのものの象徴としての死神は、いつの時代においても普遍的に存在します。

 このブログが「メメント・モリ」なので、死をテーマにした作品を多く扱っています。様々な意味が込められ、奥深きメメント・モリ。今回は近代の絵画を中心に紹介したいと思います。昔の意味を踏襲した形であったり、皮肉を盛り込んだ新しい表現の仕方であったり…。色々意味ありげな文を書きましたが、良いと思った作品をノリで掲載しました(笑)
 では、メメント・モリ シリーズ第三弾をご覧ください!

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インパクトのある絵画12点。驚愕、おどけ、変顔、絶叫…ひたすら個性が光る作品

Self-portrait by Pieter-Jacobsz van Laer 1635-37 -

 古典的な絵画のモチーフは比較的決まっており、神話、聖書、寓意、静物、農民画、風景、肖像、歴史など、ある程度テーマに沿っています。中にはカリカチュア(皮肉)のような滑稽さを表した作品や、実験的な作品、遊び心のある作品もありますが、「絵画」を想像すると、どこか真面目で、すましたようなかしこまった感じのものを考えがちではないでしょうか。
 そんな中で「画家の人、面白がってこれを描いたのかしら?」と思わせるような、インパクト勝負の絵画が存在します。表情やポーズ、シチュエーションなど、とにかく目立ってなんぼ!印象に残ったら勝ちです!
 では、インパクトのある12点の絵画をご覧ください。寄せ集めのバラバラな感じですが、お許しください^^;

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悪魔と住民の絵画11点。闇の異形とゆるく真剣に付き合う、中世の幻想ワールド

Jensky kodex selma z apokalypsy a prelati -

 聖や闇の存在が、現代よりも深く信じられていた中世。
 心を惑わし堕落させようと企む悪魔は、人々にとって脅威でした。甘言で誘惑して悪事を誘発させ、罪を犯させる。罪深き者は死後、天使の祝福を受けることができない。笑みを浮かべし悪魔は、穢れし魂を地獄へと連れていく。地獄へ落とされた者は永遠に責め苦を受け続ける…。
 現世でも死後でも人々を苦しめる恐ろしき悪魔。本来なら醜くおぞましい姿です。ですが、中世のゆるふわな作風のせいで、悪魔がきもかわいいとさえ言える、ユニークなお姿になってしまっているのです。ブログの読者の方々にとって、中世のゆるーい作風はもうお馴染みですね(笑)
 では、悪魔と住民にまつわる絵画11点をご覧ください。

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サタンを踏むミカエルの絵画12点。微笑む大天使は悪魔を足蹴にする【第二弾】

Juan de la Abadía 1486

 新約聖書の「ヨハネの黙示録」によると、大天使ミカエルと配下の天使たちは、サタン(ルシファー)とその部下たちと激しく戦い、彼等を地の底へと突き落としたとされています。サタンはかつて美しい天使であったものの、堕天使となり邪悪なる悪魔と変貌したのでした。サタンは竜や怪物、人型の悪魔として表現されています。
 善なる勝利と悪の敗北。その勧善懲悪の栄光なるエピソードは多くの画家に描かれ、教会を彩っています。では、涼し気な表情のミカエル様が、色々な個性的な姿をしている悪魔(サタン)をひたすら踏みつける絵画12点をご覧ください!

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イエスの養父、聖ヨセフの絵画13点。天使のお告げより悟る、妻の御宿りと逃避行

Posterazzi The Dream Of Saint Joseph -

 新約聖書に登場する聖ヨセフはマリアの夫であり、イエスの養父。ナザレのヨセフとも呼ばれています。
 ヨセフは旧約聖書のユダヤの王ダビデの末裔とされ、5人兄弟の中では一番信心深かったようです。職業は大工。エルサレムの大司祭の名でマリアと婚約をしましたが、彼女が結婚前に妊娠したことを知り、深く悩みます。マリアの為を思って、公表せずにひそかに縁を切ろうとしたヨセフ。しかし、彼の夢に天使が現れ、マリアが宿したのは神の子であると伝えます。ヨセフはその奇跡を尊び、結婚を果たしたのです。

 その後、マリアと共に息子イエスを育てたヨセフですが、その他のエピソードはあまりなく、エジプトへの逃避行のお告げを天使より授かり、家族で逃げるという活躍が残されるくらいです。彼の死去に関する記述もありません。伝承によると西暦20~30年に死去したとされています。30年だとしたら、イエスの磔刑とほぼ同時期になりますね。ちなみにマリアは西暦41年頃とされているようです。
 聖母マリアと比べると、あまりぱっとしない印象のヨセフですが、それでも多くの画家によって描かれています。今回は、主に二種類の聖ヨセフのお告げの絵画を紹介したいと思います。では、絵画13点をご覧ください。

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飲み食いする人々の絵画12点。宴会や日常で飲食に携わり、楽しむ愉快な者達

Italian School 19th Monks Cooking’ -

 あけましておめでとうございます。2023年もよろしくお願いいたします!
 今年はじめての記事はこちらになります^^

 中世~近世の農民や市民、職人達は生活を営み、食べていくのに懸命でした。仕事が休みなのは一週間のうち日曜日だけで、早朝から起きて、日没まで働きっぱなしだったそうです。身体を酷使し、疲れ果てて仕事をしても少ない賃金。わずかの衣食住で生きていかなければなりません。日曜は仕事を禁じられていたので、職人達は「日曜以外働きっぱなしでは、ギルド内で話し合う余裕すらない。月曜に休みを!」と訴えていたそうです。
 城や宮殿に暮らす貴族、修道院や教会で暮らす聖職者は厳格なルールの中で生きていました。こうしなければならない、これはやってはならない、こうあるべきだのオンパレード。階級が高い者も、低い者もルールでがんじがらめになっていた部分がありました。

 もちろん全ての者達がそのような生活ではなかったと思いますし、お祭り休日が割とあったとされている為、息抜きする時間もあったと思います。ただ、現代に生きる私達より厳しいルールに縛られ、生きていたことには間違いありません。現代でもストレス社会は問題になっておりますが、中世~近世の住民も「やってられねぇ!」とヤケ酒を飲みたくなるようなストレス社会に生きていたのです。

 彼等にとっての息抜きの一つは、飲んだり食べたり騒いだりすること。祭事は必ずと言っていいほど、宴会を行って飲み食いを行っていました。日常でも食は大事にされていました。絵画ではそんな様子の彼等が生き生きと描かれています。
 では、飲み食いする人々の絵画12点をご覧ください。

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血からワインを作るキリストの絵画11点。我が血液はワインなりを実践した救世主

ec flamande, pressoir mystique, 1600 -

 キリスト教ではない方でも、イエス・キリストの血とワイン(葡萄酒)と関連があることを知っている方はいるのではないでしょうか。新約聖書の「最後の晩餐」において、キリストはパンをとって「これが私の身体である」と言い、ワインの入った杯をとって「これが私の血である」と言って弟子達に与えたということから、パンとワインはキリストを表す重要なものになりました。

 ユダヤ教の過ぎ越し祭では、子羊を殺めてその血を神の生贄に捧げることが行われました。その犠牲は「罪があがなわれる契約の血」とされています。旧約聖書のイサクの犠牲においても、子羊の犠牲の儀が行われています。キリストのパンとワインはそれを象徴しています。教会のミサでそれらが使用されることで需要が高まり、西洋においてワインはメジャーな存在になっていったそうです。
 「イエス・キリストの聖なる血=ワイン」という構図は絵画でも表現され、救世主自らがワインを作ったり、血をそのままワインとして民衆が飲んでしまう、なんていう作品もあります。
 では、血がワインにかわるキリストの絵画11点をご覧ください。

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プロフィール
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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