メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

絵画

オーギュスト・ルノワールのマイナー絵画15点。こんな作品も描いた印象派の巨匠

Pierre-Auguste_Renoir Diana als Jägerin 1867 -

 ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)はフランスの印象派の画家です。
 彼はリモージュという町に生まれ、3歳の時にパリに移りました。十代の時に磁器の絵付きや扇子の装飾などの仕事を行い、20歳の時に画家になろうと決意。アカデミズム絵画を手掛けるシャルル・グレールの塾に入り、そこでモネやバジールらと出会い、23歳の時にサロンで初入選を果たします。普仏戦争の後にモネやピサロと共に「第一回印象派展」を行いますが、結果は厳しい批判を受けました。二回、三回の印象派展は芳しくはなかったものの、徐々にファンが現れるようになります。37歳の時に再びサロンに応募したところ入選し、印象派展からは距離を置くようになります。
 
 その二年後にアルジェリアとイタリアを旅行し、古典的な作品に感銘を受けたルノワールは、明確な線を描くようになります。ですが、自らの画風は違うと思った彼はまた温かみのある風合いの裸体画を描き、その頃にはルノワールの名声は高まっていました。しかし、56歳の時に自転車事故でリウマチを発症、以後は病気と闘いながらの作品制作となります。晩年は南フランスに移り住み、家族や風景、裸婦などをモチーフにして数々の作品を生み出しました。名声は西洋中に広がり、マティスやピカソなど若き画家が自宅訪問したと伝えられています。その頃彫刻にも興味を抱き、彫刻デッサンを手掛けるようになります。4000点以上作品があるとされる多産の画家ルノワールは、1919年12月に肺の血液が異常に増える肺うっ血という病により亡くなりました。享年78年でした。

 ルノワールの作品は光に満ちた風景画や人物画、水浴画が多いですが、趣向を変えて神話や物語に関連した、ちょっとマイナーな作品をご紹介したいと思います。あくまでも主観的なものなので、「これメジャーじゃん!」と思ってもお許しください。
 では、ルノワールのマイナーな作品15点+αをご覧ください。

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ディエゴ・ベラスケスの絵画14点。バロックを代表するスペイン黄金時代の巨匠

Portrait of Innocent X Oil 1650 -

 ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)は、バロック時代における画家です。17世紀スペインの最も偉大なる画家と言っても過言ではなく、多くの画家に影響を与えています。
 ベラスケスは南部の都市セビリアに生まれ、11歳頃に画家のフランシスコ・パチェーコに弟子入りしました。彼の仕事の呑み込みは早く、18歳の時には独立し、室内の情景や静物画を手がけました。翌年には師匠の娘フアナと結婚します。24歳に首都マドリードへ二度目の旅行した際、国王フェリペ4世の肖像画を描くことになりました。その出来栄えを気に入った王は彼を宮廷画家に任命し、それから37年間、ベラスケスは宮廷画家として働きました。

 彼の作品の特徴として、服のしわや装飾品、背景などを粗いとも言えるタッチで描くのに、遠目で見ると立体的、写実的に見えることです。「何でこのように見えるの?」と不思議に思ってしまう程、リアルに立ち現れてくるのです。それにより印象派の画家マネは彼のことを「画家の中の画家」と呼んで称賛したそう。ベラスケスは同時代の巨匠ルーベンスとも親交を持ち、イタリア旅行へと行った後、宮廷画家だけではなく王宮の重役に就くようになります。しかし、1660年にフランス国王ルイ14世の婚礼の準備をしていた際、突然病に倒れて亡くなってしまいます。享年61歳でした。
 独断と偏見に基づいてチョイスした、ベラスケスの絵画14点+αをご覧ください。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの絵画15点。バロックを代表するフランドル界の巨匠

Boreas abducts Oreithya - by Peter Paul Rubens -

 ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)はバロック期に活躍したフランドルの画家、外交官です。
 両親は迫害によりベルギーのアントウェルペンからドイツへと避難し、そこでルーベンスを生みました。彼が10歳の時に父親が亡くなり、故郷へと戻ります。そこでルーベンスは様々なことを学び、貴族の未亡人の小姓となります。芸術の才能を認められた彼は画家組合に入会し、当時の主要な画家に指導を受けながら先代の作品の模写を徹底して行うことで、一人前の画家となりました。23歳の時にイタリアへ向かい、ルネサンスの巨匠の作品を吸収し、古代ギリシャの作品を学びました。その三年後には外交官としてスペイン王フェリペ3世の元へ赴き、絵画の制作依頼を受けながら各地を転々としました。しかし、ルーベンスが31歳の時に母親が亡くなり、アントウェルペンへ帰郷。ネーデルラント君主の妃イサベルの宮廷画家となった彼は故郷に工房を持ち、幾多の依頼を受けました。

 弟子を入れたルーベンスの工房は組織化し、中には美術館や図書館がありました。ルーベンスが構図や下絵、仕上げを施し、弟子が拡大や中途作業を行いました。弟子の特性を理解し、任せる者を景色や動物によって変え、賃金は描いた分量により決めていたそうです。弟子の中で一番頭角を現したのがアンソニー・ヴァン・ダイクで、共同制作する時もありました。その後、ルーベンスは外交官を行いながら各地で肖像画や連作を手掛け、国際的に有名となりました。晩年は故郷周辺で仕事をしながら暮らしていましたが、痛風を患っていた彼は1640年5月に心不全により亡くなりました。現在故郷の聖ヤーコプ教会に静かに眠っています。
 ルーベンスの作品は数限りなくあり、どれを紹介して良いか迷ってしまいましたが、あえてあまり観たことがないマイナーそうなものを選びました。作品は年代順に並んでいます。では、バロック時代の多産の巨匠ルーベンスの絵画15点をご覧ください。

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近代絵画の父ポール・セザンヌのダークな作品16点。感覚の実現を追究した画家

Paul Cézanne - Young Man With a Skull -

 ポール・セザンヌ(1839-1906)はフランス出身のポスト印象派の画家です。
 ロマン主義的な作風を手掛けた後、印象派グループに在籍しておりましたが、独自の画風を確立してピカソやマティス、ブラックなどの現代画家に強い影響を与えました。その為「近代絵画の父」と称されています。セザンヌといえば机と果物が描かれた静物画や風景画、水浴画などがよく知られていますが、油絵約900点、水彩画約350点、デッサン約350点のとても多くの作品を残しています。

 彼は1860~70年代を中心して、暴力や死、女性の神秘や美、誘惑をテーマにして描きました。実際のモデルを用いず、想像だけで描く「構想画」を使ってロマン主義的な絵画を描き、内面の感情を強調しようとしたのです。その後、モネやルノワールが属する印象派と出会って風景画や水浴画、人物画を手掛けるようになりますが、印象派の者達が光の表現や時間の色合いの推移を表現しようとしたのに対し、セザンヌは「感覚の実現」にこだわりました。対象をそのまま模写せず、自らの感覚を通して世界を構築しようとしたのです。印象派から離れた後は静物画と人物画に精を出すようになりました。また、晩年にはヴァニタスを主題とした頭蓋骨が置かれた絵画も制作しております。
 今回は初期の頃のロマン主義的なテーマの作品と、晩年のヴァニタス画を紹介していきいたいと思います。ダーク系の絵画ばかりで見るポール・セザンヌの絵画16点をご覧ください。

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東京「アルチンボルド展」へ行ってきました!混雑状況やショップ、感想を語ります!

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 8月29日(火)に東京の国立西洋美術館で開催されている「アルチンボルド展」を見に、一人旅をしてきました!
 野菜や魚、お花などを寄せ集めて肖像画を描いた奇才の画家ジュゼッペ・アルチンボルド。彼の斬新な作品は多くの追随者を生み出し、後の様式に大きく影響を与えました。今回の展覧会は全作品が92点、アルチンボルドの作品が27点、更にはレオナルド・ダ・ヴィンチの素描が見られるという豪華な内容でした!
 では、混雑状況や感想、ショップ情報などをお伝えしていきます!

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「大エルミタージュ美術館展」へ行ってきました!混雑状況や感想、おすすめ絵画は?

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 8月18日(金)に名古屋の愛知県美術館で開催されている「大エルミタージュ美術館展」へ行ってきました!
 こちらはロシア大帝のエカテリーナ二世が収集した、1万7千点以上もの絵画コレクションの中の一部をお借りして、「オールド・マスター 西洋絵画の巨匠たち」というテーマの展覧会となっております。全85点の作品は、国や時代が異なっており、それぞれの特徴や流れを観ることができます。
 では、展覧会の感想や混雑状況、おすすめの絵画をお伝えしていきます!

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オスロ国立美術館の見どころを教えます!見るべき絵画と、出会えるムンク作品は?

ムンク -

 7月28日から8月6日まで10日間の北欧旅行へ行ってきましたので、ノルウェーにある最大の美術館、オスロ国立美術館へ入りました!
 ノルウェーの画家と言ったらエドヴァルド・ムンク。ムンクと言ったら「叫び」。「叫び」は日本では五本の指に入るほど有名な絵画ではないでしょうか。叫びの作品は全部で四枚あるとされており、その中の一枚がこの美術館に収蔵されています。しかし、それだけではありません。オスロ国立美術館には「叫び」以外のムンクの作品がありますし、他にも有名な作品が展示されていました。国立美術館の見どころや作品解説をしていきますので、早速ご覧ください!

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暗殺の天使シャルロット・コルデーの絵画12点。フランスの革命者マラーを殺した女性

Charles Louis Müller (1815-1892) -

 シャルロット・コルデー(1768-93)は、ジャコバン派の指導者の一人マラーを暗殺した女性です。
 フランスのノルマンディーに住む貧乏貴族の元に産まれた彼女は、劇作家ピエール・コルネイユの子孫でした。13歳の時に母が亡くなり、修道院へ入りました。読書好きで物静かな少女で、祖先のコルネイユの作品やプルタルコスの作品を愛読していました。革命の煽りにより修道院は閉鎖され、カーン市に住む叔母の元に身を寄せます。国内が荒れていく中、コルデーは革命推進派であるジャコバン派を憎悪し、保守派であるジロンド派を支持するようになりました。争いに敗れてカーンへやって来たジロンド派の議員と会話をして、彼女はジャン・ポール・マラーを殺害しようと思い立ちます。
 1793年、彼女は単身パリへ赴き、マラーの自宅を訪ねます。彼は人民に対して入室を許可していました。皮膚病の為に浴槽に入っていたマラーに、コルデーはカーンで計画されている陰謀のメモを渡します。その時、彼女は隠し持っていたナイフで勢いよく胸を刺したのです!マラーは絶命し、彼女はその日のうちに逮捕され、革命裁判で死刑判決を受けて4日後にギロチンで処刑されてしまいました。誕生日の10日前、享年24歳でした。
 その美貌から「暗殺の天使」とも称された、シャルロット・コルデーの絵画12点をご覧ください。

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マラーの死の絵画13点。恐怖政治を強いたフランス革命指導者は、女に暗殺される

 The Death of Marat -

 ジャン・ポール・マラー(1743-93)は、フランス革命におけるジャコバン派の指導者の一人です。
 マラーはスイスの家庭に生まれ、ヨーロッパ各地で勉学に励んだ後、ロンドンで医者になりました。30代の頃にフランスに呼ばれ、6年間王の弟であるアルトワ伯(シャルル10世)のもとで働きます。彼はその頃から社会体制に不満を抱いており、変革運動を始めていました。1789年に起こったバスティーユ牢獄をきっかけとし、フランス革命が本格的に勃発します。マラーは政府に過激な攻撃を繰り返し、一時はイギリスに亡命するも、数か月後に戻ってテュイルリー王宮の襲撃や、反革命派の虐殺に関わりました。1792年にジャコバン派に所属し、ロベスピエール、ダントンらと指揮を執りました。反対勢力であるジロンド派を攻撃し、勢力を増大させ、1793年1月の議決によってルイ16世とマリー・アントワネットは処刑されてしまいます。その後、国内は大いに荒れ、ジャコバン派は恐怖政治を行い始めます。

 マラーはその時患っていた皮膚病が悪化し、自宅で浴槽に浸かりながら職務を行っていました。万人の面会を許していたマラーの元に、シャルロット・コルデーという女性が訪れます。彼女は陰謀についての話を巧みにして、隠し持っていたナイフで胸を刺してマラーを暗殺してしまいます。コルデーはジロンド派の支持者でした。7月に起こったこの事件は大センセーションを巻き起こし、数々の絵画が描かれました。マラーの死の作品は格好のプロパガンダとなり、ジャコバン派は盛り上がりを見せようとしますが、恐怖政治を糾弾され、同月に指導者ロベスピエールも処刑されてしまいました。
 マラーの死についての絵画13点+αをご覧ください。

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人造人間ホムンクルスについての絵画11点。フラスコで生み出された知恵ある小人

Homunculus in a vial -

 ホムンクルスは錬金術師によって生み出された小人で、中世ルネサンスの時期に盛んに研究されました。
 「フラスコの中の人」と言われている通り、フラスコに納まるくらいのサイズで、中から取り出したら死んでしまうとされています。産まれた時からあらゆる知識を有しているそうです。ホムンクルスの作り方としては諸説あります。一つ目には人間の精液を入れ、40日間密閉して腐敗させます。そうすると透明で人型のようなものが現れ、それに人間の血液を与え続け、馬の胎内の同温度で保温します。すると40週間後、人間の姿のホムンクルスが誕生します。

 二つ目として、クリスタルガラスの容器に5月の三日月の夜露と青年の血液を適量入れます。一か月後に透明の液と赤い沈殿物ができますが、上澄みを取り、動物の抽出液を加え、下の赤い沈殿物は過熱をしながら一ヵ月置きます。やがて沈殿物は内臓や血管などを形成するようになり、それに4週間ごとに上澄みの液を振りかけてあげます。すると、4か月後には樹が生え、小さい少年と少女が生まれているのです。なんだか現実と幻想が入り混じった、不思議な作り方ですよね・・・。現代では「そんなのでできるわけないじゃん!」と思うのですが、当時の方たちは本気で取り組んでいたのでしょう。
 ホムンクルスに関わる絵画11点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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