メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

中世・ルネサンス

農民の踊りの絵画15点。ブリューゲル一族から広がるフランドルの愉快なお祭り作品

ルーベンス A Peasant Dance (1636-40) -

 農民の踊りは、フランドルの農民たちが結婚式などのお祝いで踊る場面を描いた作品です。
 ピーテル・ブリューゲル(父)の作品が主に知られており、農民の生活を生き生きと描いた初めての画家とされています。彼は裕福層の出身にかかわらず、農民と共に過ごし、お祭を楽しんだそうです。愛想が良くて悪戯好きだったというから、人気者だったのでしょう。ブリューゲルの描いた農民の踊りのモチーフは、後に息子に引き継がれ、後にフランドルの画家、他国へと渡っていきます。その絵画は当時の風習や様式、文化のみならず、農民の楽し気な雰囲気までもが閉じ込められているのです。
 ブリューゲルから派生した農民の踊りの絵画、15点をご覧下さい。

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「レオナルド・ダ・ヴィンチとアンギアーリの戦い」の展覧会が日本を巡回中!

レオナルド

 現在、レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンンギアーリの戦い」展が広島県で開催されております!
 この展覧会は2015年の東京展から始まり、三年の時をかけて8県を巡る予定であるようです。既に4県は終了してしまい、残りが4県となっております。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品が見られる貴重な展覧会となるので、非常に気になるところ。
 さっそく詳細を見ていきましょう!

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錬金術師(アルケミスト)の絵画13点。賢者の石と金の錬成に生涯を掛けた研究者達

Joseph Wright of Derby  1771 リンの発見 -

 錬金術師は卑金属からの金の錬成や、不老不死となる賢者の石やエリクサーの錬成、人造人間の錬成などを研究した者のことを指します。
 始まりは古代ギリシャからで、古代エジプトからイスラムに伝わり、12世紀には西洋でも盛んに研究されるようになりました。万物は火、風、水、土の四大元素から成り立っており、元素は分解や相互変化ができるとされました。この四つの元素を金の配合と同じにすれば金が生成できると考えられました。この思想は占星術と結び付けられ、神秘を纏っていく内に不老不死を可能とする「賢者の石」の思想も生まれることになりました。中世の錬金術師たちはこの物質を錬成しようと、こぞって研究を行いました。

 化学者としての発明も数多くあり、錬金術師は磁器の製法の発見、蒸留の技術、硫酸・硝酸・塩酸や実験道具の開発などを行いました。17世紀後半になると四大元素は否定され、アントワーヌ・ラヴォアジエが「質量保存の法則」と33ヶの元素を発表すると、錬金術は近代化学に変貌していきます。金や永遠の命を求める錬金術師の熱意が化学を底上げしたといっても過言ではないように思います。
 様々な実験を行う錬金術師の絵画、13点をご覧ください。

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テンプル騎士団の絵画13点。十字軍を率いたが、異端とされて火刑となった組織

Claude Jacquand  1846 - コピー

 テンプル騎士団は12‐14世紀頃に活躍した、エルサレムへの巡礼者を守護する騎士団の一つです。
 第一回十字軍が成功し、西洋人の手によるエルサレムの統治が行われましたが、治安は非常に悪いものでした。そこで、巡礼者が安全に歩けるようにとユーグ・ド・パイヤンが1118年に9名の有志を募って「キリストの貧しき騎士」を名乗り、道の安全を守りました。彼等の行為は高く評価を受け、かつて神殿のあった場所を王が授けた為に「テンプル騎士団」と呼ばれるようになりました。

 彼等は修道士であると同時に戦士であり、厳しい戒律を有していました。その勇猛果敢さはお墨付きで、数々の戦いに参加して勝利を収めました。組織が拡大するにつれ、独自の財務管理や銀行のようなシステムを持つようになり、テンプル騎士団は全ヨーロッパに広がっていきました。他にも騎士団は無数にありましたが、テンプル騎士団が最も強い権力を持つようになったのです。しかし、財力や権力が高まれば、周囲からの風当たりは強まるもの。イスラムとの戦争で総長が戦死すると、テンプル騎士団の威信は地に落ちて行きます。さらにフランス王フィリップ4世は騎士団の財産を欲しており、壊滅を図ろうと「奴らは男色と悪魔崇拝をしている」として、彼等を起訴してしまいます。1307年、騎士団の者は一斉に逮捕され、嘘の自白をするまで徹底的に拷問をされます。教皇クレメンス5世もフィリップ4世とグルであり、テンプル騎士団の解散を命じました。四名の指導者は口封じのために火あぶりにされ、騎士団は崩壊してしまったのです。
 権力に潰された悲劇の組織、テンプル騎士団についての絵画13点をご覧ください。

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クラーナハがヒエロニムス・ボスの最後の審判を模写!?二つを比較してみました

ボスクラナッハ比較

 ヒエロニムス・ボスの最後の審判の画像を検索していた時、画質の高い綺麗な画像が出てきたので、ぽちっと押してみました。すると、「ん?何かが違う?色がおかしいような・・・」と。そして、画像をアップしてみたら「そっくりだけど、ち、違う・・・!これは誰だ?」
 作者を調べてみたら、「ルーカス・クラーナハ(父)」となっていました。クラーナハ(1472–1553)はドイツで活躍した北方ルネサンスの画家です。2016‐17年に東京でクラーナハ展が行われていたので、知っている方も多いのではないでしょうか。彼は妖艶な女性を得意とした多産の画家なのですが、ボスの最後の審判を模写していたなんて、初めて知りました。調べてみると、クラーナハは1508-9年頃にフランドル旅行をしており、そこで最後の審判に出会ったようです。当たり前なことですが、カメラや画集がない当時では毎日実物を見ながら模写をしたのでしょう。
 今回はヒエロニムス・ボスの真作と、ルーカス・クラーナハの模写を比較していきたいと思います。やはり同じ作品でも、画家の個性がきらりと表れますよ!

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映画「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」がDVDで発売。巨匠の絵画を自宅で!

レオナルド・ダ・ヴィンチ

 映画「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」のDVDが、2017年6月7日に発売されます!
 この映画は2015年にイタリアのミラノ万博で上映され、日本では2017年1月28日に上映されたものです。ダ・ヴィンチの最新の研究や作品、歴史的背景何もかもが語られる82分間となっておりますので、早速あらすじや予告編などを見ていきましょう!

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北方ルネサンスの画家15名をご紹介!フランドルとドイツの有名&マイナーな画家

最後の審判

 北方ルネサンスは、フランドル(オランダ、ベルギー)やドイツの北ヨーロッパにて興ったルネサンスの運動です。
 なお、フランスやイングランド、東ヨーロッパの美術も北方ルネサンスに入る場合があります。ルネサンスは「再生」「復活」を意味するフランス語で、中世絵画の殻を捨て、ギリシャローマ文化を復興させようという動きです。イタリアルネサンスと異なり、一部の北方は独自の進化を遂げ、15世紀前半頃からルネサンスの萌芽が芽生えました。北方の絵画は宗教色が濃く残ってはいたものの、非常に細密で写実性に優れた作品でした。意味深な寓意(ぐうい)や警句が描かれたものもあり、祭壇画や肖像画が多く描かれ、祭壇画は多翼タイプ、肖像画は小さいサイズのものがよく見られました。
 今回は北方ルネサンス時代に生きた、フランドルとドイツ出身の画家15名を紹介します。


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ルネサンスのカルロ・クリヴェッリの絵画13点。イタリアの風情漂う高貴な宗教画

カルロ・クリヴェッリ作  1480年 -

 カルロ・クリヴェッリ(1430頃-1495)は、イタリアのヴェネツィア出身であるルネサンス初期の画家です。
 弟にヴィットーリオ・クリヴェッリがおり、たまに共同制作を行いました。Jacobello del Fiore を師匠にしていたと言われ、アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニやアンドレア・マンテーニャなどの影響を受けていました。彼はヴェネツィアで学んだ後、フランツコ・スクワルチーネの工房で働き、1457年に既婚女性と不倫関係となり、6か月の懲役を科せられました。その後様々な土地へ移り住み、イストニアに滞在、1495年にマルケで亡くなるまで絵を描き続けました。
 フィレンツェで起こった自然主義な作風とは異なり、クリヴェッリは煌びやかで象徴的な作品を手がけ、遠近法やだまし絵的手法などを積極的に取り入れていました。当時、油彩画の技法がフランドルより伝わっていましたが、彼はテンペラ画と金箔の金打ちという古風な作風にこだわり続けました。ルネサンス期に古典的な作品を描くことに対する批判もあったそうです。それでも、彼が手掛ける気品漂う冷厳な聖母の姿は、多くの模倣者を生みました。
 「多翼祭壇画の詩人」と謳われているカルロ・クリヴェッリの作品、13点をご覧ください。


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エクソシスト(悪魔祓い)の絵画11選。映画にもなった、悪魔に憑かれた人を助ける者

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 エクソシストはカトリック派のキリスト教の用語で、高位な存在の力を借り、悪霊や悪魔を人体から追い出す者のことを指します。
 「悪魔祓い」という行為やそれを行う者は古代より世界中で行われてきましたが、250年頃のローマ時代におけるキリスト教の初期段階からエクソシストという役職はみられました。カトリック教において司祭がエクソシストに任命されることが多く、厳密に決められた方法にのっとって、悪魔祓いの儀式は行われます。中世ルネサンスは迷信や悪魔(悪霊)が深く信じられていた時代で、疫病や戦争で死亡率も高かったことから、精神を錯乱させてしまう者が多数いたと思います。エクソシストたちはそういった者の心を癒す傍ら、神の御力を借りて身体に宿った悪魔を退治していたのです。
 悪魔祓いを行うエクソシストの絵画、11点をご覧ください。
 

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ピーテル・ブリューゲル(父)の絵画15点。宗教と教訓とフランドルの民衆を描いた画家

Pieter_Bruegel_the_Elder_1568 -

 ピーテル・ブリューゲル(父)は1525頃~69年にフランドル地方で活躍した北方ルネサンスの画家です。
 人気の高い画家なので、知っている方がほとんどなのではないでしょうか。宗教画と教訓、風刺画だけではなく、美しいフランドルの風景や当時のありのままの民衆を描きました。宗教や神話をモチーフにした絵画でも、伝統的なそのままの図式ではなく、独自の要素や当時の歴史的背景を取り込みました。ブリューゲルの描く怪物はヒエロニムス・ボスの影響も見受けられますが、彼は自らのものに吸収して、オリジナリティのある怪物に仕上げています。ブリューゲルの作品はバリエーションに富んでいて、多様性があります。しかし、彼の作品は民衆目線となって考えられ、どれも深いメッセージが込められているのです。
 民衆の画家、ブリューゲル(父)の絵画15点をご覧ください。


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プロフィール
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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