メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

聖書

十二使徒の足を洗うキリスト(洗足式)の絵画13点。立場なく清め合う美徳のたとえ

Jesus Washing Peter’s Feet by Ford Madox Brown -

 洗足式は最後の晩餐の際、イエス・キリストが弟子の足を洗ったという記述により生じた儀式です。地位や立場関係なく互いの身を清め、徳を高め合おうという意味が込められています。
 新訳聖書によると、過ぎ越し祭が行われる木曜日、キリストと十二使徒達は食事を共にとりました。その時、弟子の間で「一番になるのは誰か」でもめ始めたのです。キリストはおもむろに立ち上がり、タオルを腰にはさんで洗面器と水を用意し、使徒達の後ろにまわって一人一人の足を洗い出したではありませんか。

 使徒達は驚きの余り成すがままにされていましたが、ペトロは「私の足なんか洗ってはなりません!」と足を引っ込めました。すると「洗わしてくれなかったら私の友ではない」とキリストが断言したので、ペトロは「じゃあ足だけじゃなくて頭も手も洗ってください!」とお願いしました。キリストは「君たちは清いので足だけで構わない。皆ではないが・・・」と意味ありげな事を発し、こう彼等に警句しました。「君たちは私を先生と呼んでいる。私が足を洗ったのだから、君たちも互いに仕え合わなければならない。私がしたようにしなさい」と。
 では、弟子たちの足をふきふき洗うキリストの絵画13点をご覧ください。

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賢い乙女と愚かな乙女の絵画13点。準備や勉学を怠るなかれというキリスト教の逸話

Peter von Cornelius  1813-16 -

 賢い乙女と愚かな乙女(十人の処女たちのたとえ)は、日頃からの準備や勤勉を怠るなかれという警句が込められたイエス・キリストのたとえ話です。
 灯を持って花婿をむかえる10名の乙女がおり、5名は賢く5名は愚かな乙女でした。賢い乙女は灯の他に油を持っていましたが、愚かな乙女は準備していませんでした。花婿が時間に遅れたので、灯の油が足りなくなってしまいました。賢い乙女は油を追加しましたが、愚かな乙女の灯は消えてしまいます。
 油を分けてくれと頼んでも「もう余分はないの。急いで買いに行きなさいな」と言われ、愚かな乙女達は油を求めて店に走っていきます。その間に花婿が到着し、賢い乙女たちは花婿と共に婚礼の部屋へと入りました。遅れてしまった愚かな乙女たちは中に入る事は許されず、花婿に「私はお前達を知らないな」とまで言われて締め出されてしまったのでした。

 これは天国へと入る門の比喩であり、天国へと入る為には臨終の間際では間に合わない。日頃から準備し、敬虔に祈って真面目に生活しなさいという意味が込められているのです。
 では、賢い乙女と愚かな乙女についての絵画13点をご覧ください。

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聖家族の絵画13点。幼子イエスと聖母マリア、ヨセフを中心に様々な聖人が集う作品

Joseph Paelinck 1781-1839 -

 聖家族はキリスト教美術のテーマの一つであり、幼子イエス・キリストと聖母マリア、養父ヨセフが描かれている場面の事を指します。彼等以外にもマリアの母アンナや洗礼者ヨハネ、その他の聖人達が加えられている場合もあります。
 幼少期のキリストの記述はそれほど聖書上にはありませんが、「キリストの降誕」や「東方三博士の礼拝」、「エジプトの逃避と滞在」等の物語を基盤にして、キリストとマリア、ヨセフの三名は「家族」の理想的な原型として考えられるようになり、聖家族というモチーフは生まれました。また、「エジプトの逃避と滞在」のテーマも聖家族の一体系とみられる場合もあります。聖家族の作品は15~17世紀のルネサンス、バロック時代に描かれ、今日でも数多くの作品が残っています。
 では、聖なる息子とご両親、聖人達が集まった聖家族の絵画13点をご覧ください。

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聖エラスムスの絵画14点。拷問に耐えたが、巻き取り棒で腸を出されて殉教した聖人

Heinrich Vogtherr 1516 -

 聖エラスムスは3~4世紀頃に生きたとされる、カトリックの聖人です。アンティオキアのエラスムスとも呼ばれ、生きながらに腸を巻き取られて殉教したとされています。
 聖エラスムスはシリアのアンティオキアの司祭でした。彼はキリスト教を迫害しているローマ皇帝ディオクレティアヌス帝に捕らえられ、激しい拷問を受ける事になります。その内容は凄まじく、暴行、汚物をかける、斧で打ち、蛇やミミズのいる穴に投げ込む、煮えたぎる油&硫黄に放り込む等を行いました。しかし、聖エラスムスは何事もなく無傷でおり、彼が神に祈ると拷問史達に落雷が起きたそうです。

 この時は聖エラスムスは生き延び、マクシミアヌス帝の時代になりました。今度も彼は拷問を受ける事になり、鋭い針が突き出した樽に入れて転がす、やっとこで歯を抜く、指に鉄の爪を打ちつける、松脂や硫黄、鉛等を熱して口に流し込みましたが効果はなく、聖エラスムスは生きていました。
 しかし、無敵の聖エラスムスにも臨終の時が訪れます。303年、イリュリアの場でまたもや捕らえられた聖エラスムスは、片腹を裂かれて腸を引っぱり出され、巻き上げ機に腸を結ばれて巻き上げていかれたのです!こうして殉教してしまった聖エラスムスですが、この逸話は印象に残ったのか、何名かの画家によって生々しい作品が残されています。
 では、腸をぐるぐると巻き取られてしまった聖エラスムスについての絵画14点をご覧ください。閲覧注意になりますので、ご了承ください。

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ロンギヌスの槍に関する絵画13点。キリストを突き刺したローマ兵の伝説なる聖遺物

Gerard de la Vallee Longinus piercing Christ’s side a spear -

 ロンギヌスの槍は、キリストの磔刑時において彼が息を引き取ったのかを確認する為に、脇腹を刺したとされている槍です。聖槍とも呼ばれています。
 伝説によると、槍の所有者であるロンギヌスはローマ兵であり白内障を患っていました。槍を脇腹に刺したところ、滴った血が目に当たって病気が治り、彼はキリスト教に改宗して聖人となりました。重要な聖遺物とされたロンギヌスの槍は、真偽のほどは定かではありませんが歴史上に度々登場します。

 イエスの処刑から約600~700年後には、槍は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあるアヤソフィア大聖堂にあるとされていました。その600年後にフランス国王ルイ6世が先端部のみを買い取りましたが、フランス革命により行方不明。本体の部分は15世紀にオスマン帝国のスルタンが教皇インノケンティウス8世に送り、現在においてもサン・ピエトロ大聖堂に非公開で保管されているそうです。

 また、このローマの聖槍以外にも「アンティオキアの聖槍」、「神聖ローマ皇帝の聖槍」、「アルメニアの聖槍」など様々な槍が「ロンギヌスの槍」であると解釈され神聖視されてきました。アーサー王の聖杯伝説においてもロンギヌスの槍は登場し、様々な伝承や伝説が融合した結果、「所有する者に世界を制する力を与える」という魔力めいた能力まで有するようになります。北欧やケルトの神話や民話において、伝説の武器を使いこなす者は国を総べる。というエピソードが度々みられるので、その影響がみられるような気がします。
 では、伝説のロンギヌスの槍にまつわる絵画13点をご覧ください。

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天地創造の絵画13点。唯一神は6日の間に天地と動物、アダムとイブを創造する

The Creation Of The Birds And Fish by Flemish School -

 旧約聖書の「創世記」よると、世界は6日間の間に神によって創造されたとされています。
 1日目は宇宙と地球、昼夜を形作り、2日目は天空、3日目には大地と海、植物を創造します。そして4日目には太陽と月と星が生まれ、5日目には魚と鳥、6日目には獣と家畜と人間(アダムとイブ)が創られました。7日目になって神は休憩したとされています。天地創造の題材はルネサンスやバロックの画家達に人気があり、幾つかの絵画が残されています。
 では、世界と人間を生み出している神の姿13点をご覧ください。

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聖ウルスラの絵画13点。ローマ巡礼後のケルンで大勢の乙女と共に殉教した聖女

St Ursula Virgins The Master of the Legend of Saint Barbara -

 聖ウルスラは4世紀頃に生きたとされる、ブリタニア出身の伝説の聖女です。
 「黄金伝説」によると、ブリトン人の王の娘であったウルスラは、異教徒であるイングランドの王子に求愛されます。彼女は結婚を承諾する条件として、「キリスト教徒に改宗する」「十人の同伴者と11000人の乙女を集める」「ローマへの巡礼の旅に出る」という約束を取り付けました。王子は了承し、ウルスラは11000人の乙女を連れてローマへ巡礼の旅に出かけたのです。
 無事にローマ巡礼を果たした一行でしたが、帰り道に悲劇が訪れます。ケルン(ドイツ)で北アジアの遊牧騎馬民族であるフン族に襲われ、11000人の乙女と共に虐殺されてしまったのでした。ウルスラと乙女たちはケルンで丁重に葬られ、聖ウルスラ教会が建立されたそうです。
 罪なく殺されたウルスラと乙女たちの絵画13点をご覧ください。

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ペトロの否認の絵画13点。鶏の鳴く前に私はキリストの仲間ではないと三度宣言する

Follower of Gerard Seghers 1628 -

 ペトロ(ペテロ)の否認は、キリストがユダヤ側に捕まった際に、女中の「貴方も仲間だろう」という言葉に対し、ペトロが三度「違う」と宣言してしまった事件のことです。
 最後の晩餐の時、キリストは十二使徒のペトロに対して「貴方は鶏が鳴く前に、三度私の事を知らないというだろう」と告げ、ペトロは「そんな事はありえません!」と返します。その翌日、裏切者のユダが銀貨30枚でユダヤの祭司長たちにキリストを売り渡してしまいます。ペトロはキリストを守ろうと応戦しますが失敗。使徒たちは事件に怯え、その場から逃げ去ってしまいました。
 その後、責任を感じたペトロはキリストが捕らえられている屋敷に忍び込み、様子をうかがおうとしました。しかし女中の一人に見つかり、「あなた、イエスと一緒にいたでしょ」と言われるとペトロは「違う。分からない」と否定します。ペトロが三回否定した時、甲高い声で鶏が鳴いたのです。かつてキリストに言われたことを思い出し、「その通りだった!」とペトロは号泣するのでした。
 否認のシーンはバロック期の画家達に人気があり、暗闇の中で「違う」というペトロが沢山存在します。では、ペトロの否認の絵画13点をご覧ください。

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十二使徒 聖アンデレの絵画13点。布教に励み、X字型の十字架に架けられた聖人

Barroso Miguel -

 聖アンデレは新約聖書に登場し、十二使徒のうちの一人です。
 「マルコによる福音書」によると、ガラリヤで兄弟のペトロ、ヨハネとヤコブと共に漁をしていたところ、キリストが現れて教えを説いた途端に、不漁続きだった網に大量の魚がかかりました。彼等が驚いてひれ伏すと、キリストは「魚じゃなくて人を採る漁師になろう。ついて来なさい!」と声をかけ、四人は弟子となったそうです。また、わずかな食糧を持ってきた少年をアンデレが連れて来た際、キリストが奇跡を起こし、その少しの量で5000人分もの飢えた信徒のお腹を満たすことができました。

 キリストの昇天後、アンデレは黒海沿岸あたりで積極的に布教を行っておりましたが、ギリシャでローマ総督アイゲアテスに捕まって投獄され、処刑されることになりました。十字架の刑となった時、アンデレは「イエス様と同じでは恐れ多いので、斜めにしてください」と願い出た為、X字型の十字架に磔にされて殉教したとされています。十字架に磔にされて息絶える二日間の間に、二万人もの人に信仰を説いたという伝説もあります。
 他の使徒より影は薄いけれど、真面目に頑張る聖アンデレの絵画13点をご覧ください。

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ベルシャザルの饗宴の絵画13点。神の言をダニエルに説かれ絶えた新バビロニア王

Belshazzar's Feast Rembrandt 1635-38 -

 ベルシャザルはカルデア人の新バビロニア王国の王です。
 旧約聖書の「ダニエル書」によると、ある日、ベルシャザルはが1000名もの貴族や後宮の者達と宴を開き、ワインを飲んでいました。突然、人間の手の指が表れ、壁に字を書くという超常現象が起こります。ベルシャザルは戦慄し、その字が読める者を探しましたが、誰も現れません。母親が「父ネブカドネザルの治世中にダニエルという神官長がおりました。彼ならいけるかもしれません」と進言した為、ベルシャザルはダニエルを呼び、文字の意味を聞いてみました。

 すると、ダニエルは「神はネブカドネザルに栄光を与えた。しかし、彼は横暴に振舞い王位を追われ、世界を総べるのは神という事を知った。ベルシャザル王、貴方も神に従おうとしなかった。故に神は手を遣わせ、文字を書いたのです。貴方の王国はメディアとペルシアに分けられるでしょう」と答えました。そしてその日の夜、ベルシャザル王は殺されてしまい、国はその通りになってしまったのでした。
 新バビロニア王国の終末をもたらした神の御告げの場である、ベルシャザルの饗宴の絵画13点をご覧下さい。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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