メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

聖書

ダヴィデの子アブサロムの絵画14点。父に謀反して長髪が仇となり絶命した美青年

James Tissot - Death of Absalom -

 旧約聖書の「サムエル記」に登場するアブサロムは、イスラエル王ダヴィデの三男です。彼はかなりの美貌を有しており、中でも滑らかな長髪を自慢にしていました。
 ある日、異母兄であるアムノンが妹のタマルに乱暴を働き、アブサロムは激怒しました。その事をダヴィデに伝えましたが、父はアムノンを裁いてくれません。業を煮やしたアブサロムは、二年後に兄弟全員を集める席をもうけ、手下を派遣してアムノンを殺害してしまいました。彼はシリアの祖父の所へ亡命し、その三年後にダヴィデの赦しを得て故郷へと戻っていきます。

 しかし、アブサロムはその時から父への謀反を計画し始めます。長男であるアムノンが消えた為、次に自分が王座に就くにふさわしいと触れ回り、着々と仲間を増やしていきました。ヘブロンで挙兵したアブサロムはエルサレムを奪い、ダヴィデは都へと落ち延びていきます。危機一髪に陥ったダヴィデでしたが、部下フシャイの機転で兵力を盛り返し、エフライムの森でアブサロム軍と激突します。アブサロム側は大敗し、彼は単身ラバに乗って逃れようとしました。しかし、自慢の長髪が木に引っかかり、宙づりになってしまったのです!
 
 それを知らされた腹心ヨアブはダヴィデに「絶対に手を出すな」と言われていたにも関わらず、手下と共に心臓に槍(矢)を突き刺し、アブサロムを殺してしまいます。その遺体はくぼ地に投げ込まれ、石塚で覆われました。息子の死を知ったダヴィデは深く嘆き悲しんだそうです。
 ロン毛の悲劇アブサロムについての絵画14点をご覧ください。

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聖フロリアンの絵画13点。火炙りされて川に沈められた、消防を司る軍司令官の聖人

Saint Florian by Francesco del Cossa, 1473 - コピー

 聖フロリアン(聖フロリアヌス)はローマ帝国時代の聖人です。
 現在のドイツ・バイエルン地方の軍司令官であった彼は、消防団も率いていました。帝国側はキリスト教の崇拝を辞めさせる為にアキリヌスを送り出しました。アキリアヌスはローマの神々の信仰を強要しますが、フロリアンは断固拒否。怒った帝国側はフロリアンを棍棒で殴り、釘で打ちつけて火で炙って拷問しました。そして首に大石をくくり付け、ドナウ川に沈めてしまったのでした。
 フロリアンはそれにちなんで消防関係者の守護聖人とされ、フロリアン十字は消防団の紋章として広く使用されています。
 では、聖フロリアンの絵画13点をご覧ください。

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旧約聖書エステル記の絵画13点。ハマンの陰謀からユダヤ人を救ったペルシャの妃

Jean-François Portaels 1869 -

 エステル記は旧約聖書の一つで、ペルシャの妃となったユダヤ人エステルが知恵を使って民族を守る物語です。
 モルデカイの養女エステルは、父の勧めによりペルシャ王アハシュエロス(クセルクセス1世)の後妻に選ばれる事になりました。王はアガグ人(古代パレスチナ周辺)であるハマンを高い地位に据え、彼に敬意を表してひざまずくよう人々に布告を出しましたが、モルデカイは拒否しました。元々ハマンはユダヤ人を憎んでいましたので、それを口実にしてユダヤ人の抹殺を計画します。ハマンはアハシュエロス王にユダヤの殺害を認めさせる事に成功したのでした。
 
 王妃エステルはハマンがユダヤ人虐殺を企てている事を知ります。モルデガイに促されてエステルは王にユダヤ人の救済を嘆願する為に、ハマンと同席の酒宴を確約させる事に成功します。その夜、偶然アハシュエロス王はモルデカイが王の暗殺を防いでいた事を知り、彼に褒美を与えました。酒宴の席でエステルは王に自分はユダヤ人であると明かし、ハマンは悪人であると説きました。ハマンは命乞いを行ったものの、王の決定によりモルデカイの処刑用に建てていた支柱で、自分が処刑される羽目となりました。こうしてエステルとモルデカイ親子はユダヤ人達の人々を護る事ができたのでした。
 エステル記の絵画13点をご覧ください。

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マグダラのマリアの悔悛の絵画13点。己の罪を反省する聖女を描いた、人気の主題

1533 ティツィアーノ -

 マグダラのマリアは自らの罪を悔い改め、キリストに付き従った聖女です。
 キリストが磔刑され、三日後に復活して天へと昇った後、彼女は兄のラザロと姉のマルタと一緒にフランスのマルセイユへと渡りました。そこで布教活動を行い、晩年には洞窟で隠遁生活を行いました。その生活は30年余り続き、亡くなったとされています。十字架と頭蓋骨を前にし、自らの罪を悔悛する主題は人気があり、多くの画家に描かれています。
 早速マグダラのマリアの悔悛についての絵画13点をご覧ください。

→ マグダラのマリアの人生についての絵画を見たい方はこちら

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使徒ヨハネの絵画14点。十二使徒であり福音書記ともされる、キリストの愛弟子

Guido Reni -

 使徒ヨハネは新約聖に登場するキリストの弟子です。十二使徒の一人であり、洗礼者ヨハネと区別する為に「使徒」や「福音記者」などの肩書きを付けています。
 彼は兄のヤコブと一緒にガラリヤで漁師を営んでいましたが、キリストと出会って弟子となりました。ペドロ、ヤコブらとともに最も重要な愛弟子となり、信仰を支え続けました。最後の晩餐の場面では「裏切者は誰ですか」とキリストのすぐ隣で問いかけています。キリストの磔刑の際は十二使徒の中でただ一人十字架の下にいたとされ、聖母マリアとマグダラのマリアと共に絵画に描かれています。

 十二使徒達が悲惨な死に方で殉教していく中、ヨハネだけが殉教を免れたとされています。ただ、ローマの迫害の際にヨハネは煮えたぎる油が入った大釜に入れられて殉教する所でしたが、奇跡的に助かりました。その後、パトモス島へ島流しにあい、そこで神の啓示にあって「ヨハネの黙示録」を書き上げたのでした。(使徒ヨハネと福音書記のヨハネは別人物であるという説もあります) 老齢になって釈放されたヨハネはトルコのエフェソスへと戻り、余生を終えたそうです。
 キリストの愛弟子、使徒ヨハネの絵画14点をご覧ください。

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マグダラのマリアの絵画13点。罪を悔悛しイエス・キリストと共に歩んだ愛深き聖女

Bernardino Luini -Maria Maddalena -

 マグダラのマリアは新約聖書に登場する、キリストに付きそう聖女です。聖母マリアと混同を避ける為、出身地を前に冠してマグダラのマリアと呼んでいます。
 一説にはキリストの友であるラザロとマルタの姉妹とされています。富と美貌によって快楽に溺れ、「罪深い女(娼婦と関連する)」と呼ばれるまでになりました。キリストと出会った事で自らの罪を深く悔い、共に伝道の道を歩みました。マグダラのマリアはキリストの足に涙を落とし、自らの長髪で拭い香油を塗ったとされている為、香油壺を持ったり側に置かれたりしている絵画が多いです。ラザロの蘇生、キリストの磔刑&復活などの重要な場面にも彼女は登場しています。キリストの昇天後はフランスのマルセイユで布教に努め、晩年は洞窟で隠遁生活を行ったそうです。
 聖母マリアと同じくらい有名な聖女である、マグダラのマリアについての絵画13点をご覧ください。

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キリストの五つの傷 (聖痕) の絵画14点。救済の概念を絞りすぎてシュールな姿に

Simon Bening, Worship of the Flemish 1525-30 -

 中世時代において、宗教画は「リアルであってはならない」ものでした。
 現世に生きる私達が、神聖なるキリストや神、聖人達を表現できる訳がない、聖なる存在を現実的に描くのは冒涜的である、という理由からです。それ故、中世の作品は象徴性が重視され、ヘタウマみたいな個性的な絵となったのです。その流れの中でイエス・キリストと言う存在は概念化、象徴化されるようになり、独特の表現が用いられるようになりました。

 それがこの「キリストの五つの傷(The five wounds of Christ)」、または「五つの聖なる傷(Five Holy Wounds)」と言う主題です。傷が付いたハートと手足が浮かんでいる姿。なんかもう、シュールすぎますよね・・・^^;
  これはキリストが磔刑された際に受けた傷 (手足は釘で打たれ、胸を槍で刺された) を表しており、彼が人類の原罪を背負って亡くなったという意味を強調しております。この表現は意外に使われていたようで、多くの挿絵が残されていました。
 では、キリストの五つの傷の作品、14点をご覧ください。少しだけ閲覧注意のところがあります。

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キリストの十字架降下の絵画13点。救世主の死に嘆き悲しむ二人のマリアと信者達

Agnolo di Cosimo di Mariano, dit Bronzino  1540-45 -

 キリストの十字架降下は、磔刑されたキリストを降ろし、悲しんでいる主題の事を指します。
 アリマタヤの町にヨセフという人がいました。彼はキリストの遺体を引き取らせて欲しい、とローマ帝国の総督ピラトに頼んだのです。その他の正しい人達もキリストの為に駆けつけました。ヨセフがキリストを十字架から下ろすと、聖母マリアは我が子の身体を愛おしそうに抱きました。遺体には没薬と香料が塗られ、布に包まれて、ヨセフが自分用に作っていた墓に葬られました。その三日後に、キリストは復活を果たすのでした。
 この主題はキリストの磔刑に引き続き、画家に人気で多くの作品が残されています。十字架降下の絵画13点をご覧ください。

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キリストの磔刑の絵画13点。十字架に釘で磔にされ、処刑される悲痛なる救世主の姿

Bernard van Orley, The Crucifixion, 1515-20 -

 キリストの磔刑は、救世主イエスが磔にされて処刑されてしまう場面を表したものであり、キリスト教の中で一番重要なシーンと言えます。
 イスカリオテのユダに裏切られ、ユダヤ教の司祭達に捕らえられてしまったキリスト。一方的に裁判に掛けられ、死罪判決となってしまいます。彼は自らが磔にされる巨大な十字架を背負い、他の二名の強盗を働いた罪人と共にゴルゴダの丘を登ります。頂上に着いたキリストは執行人によって手足に釘を打たれ、十字架にくくり付けられ、さらし者とされてしまったのでした。両脇に二名の罪人も十字架にかけられました。

 真昼の空が急に暗くなってきました。嵐が来そうな天候の中、キリストは大声で「神よ。何故私を見捨てなさったのですか」と言い、それから程なくして命を落としました。これは文字通りの意味ではなく、昔ダヴィデが歌ったという詩の始めの言葉であったようです。翌日、息絶えた事を確認する為に兵士が遺体の胸に槍を刺し、キリストは十字架から降ろされたのでした。
 宗教画において最も多く描かれていると言っても過言ではない、キリストの磔刑の絵画13点をご覧ください。

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イスカリオテのユダの絵画14点。キリストを銀貨30枚で売った裏切者の悲しき人生

Benoît-Hermogaste Molin - 1810-1894 -

 イスカリオテのユダはキリストを銀貨で売ったとされる、キリスト教最大の裏切者と知られている者です。他にもユダと言う名の者がいる為、出身地カリオテからとって「イスカリオテのユダ」と呼ばれています。
 「マタイの福音書」によると、ユダは十二使徒の一人でありながら金銭目的でユダヤの祭司長たちにキリストの引き渡しを持ちかけ、銀貨三十枚を得る約束をしました。その後、キリストと十二使徒は過ぎ越し祭の日に晩餐を行いますが、キリストは「君達の内誰かが私を売り渡すだろう」と言い、ユダにパンを与えました。ユダはその場を素早く離れたのでした。

 そして遂に運命の時が訪れます。ゲッセマネの園でユダは救世主に親愛の接吻をしました。接吻は「この者がキリストである」という敵への合図だったのです。現れた兵隊はキリストを捕らえ、ユダヤの祭司たちは裁判に掛けてキリストを処刑してしまいました。ユダはその罪深い行為が恐ろしくなり、銀貨三十枚を祭司たちの足元に投げ付け、自ら首を吊って命を絶ったとされています。
 では、裏切者の代名詞となっているユダについての絵画14点をご覧ください。一部閲覧注意がございますので、お願いいたします。
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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