聖書

新約聖書に登場する聖ヨセフはマリアの夫であり、イエスの養父。ナザレのヨセフとも呼ばれています。
ヨセフは旧約聖書のユダヤの王ダビデの末裔とされ、5人兄弟の中では一番信心深かったようです。職業は大工。エルサレムの大司祭の名でマリアと婚約をしましたが、彼女が結婚前に妊娠したことを知り、深く悩みます。マリアの為を思って、公表せずにひそかに縁を切ろうとしたヨセフ。しかし、彼の夢に天使が現れ、マリアが宿したのは神の子であると伝えます。ヨセフはその奇跡を尊び、結婚を果たしたのです。
その後、マリアと共に息子イエスを育てたヨセフですが、その他のエピソードはあまりなく、エジプトへの逃避行のお告げを天使より授かり、家族で逃げるという活躍が残されるくらいです。彼の死去に関する記述もありません。伝承によると西暦20~30年に死去したとされています。30年だとしたら、イエスの磔刑とほぼ同時期になりますね。ちなみにマリアは西暦41年頃とされているようです。
聖母マリアと比べると、あまりぱっとしない印象のヨセフですが、それでも多くの画家によって描かれています。今回は、主に二種類の聖ヨセフのお告げの絵画を紹介したいと思います。では、絵画13点をご覧ください。


キリスト教ではない方でも、イエス・キリストの血とワイン(葡萄酒)と関連があることを知っている方はいるのではないでしょうか。新約聖書の「最後の晩餐」において、キリストはパンをとって「これが私の身体である」と言い、ワインの入った杯をとって「これが私の血である」と言って弟子達に与えたということから、パンとワインはキリストを表す重要なものになりました。
ユダヤ教の過ぎ越し祭では、子羊を殺めてその血を神の生贄に捧げることが行われました。その犠牲は「罪があがなわれる契約の血」とされています。旧約聖書のイサクの犠牲においても、子羊の犠牲の儀が行われています。キリストのパンとワインはそれを象徴しています。教会のミサでそれらが使用されることで需要が高まり、西洋においてワインはメジャーな存在になっていったそうです。
「イエス・キリストの聖なる血=ワイン」という構図は絵画でも表現され、救世主自らがワインを作ったり、血をそのままワインとして民衆が飲んでしまう、なんていう作品もあります。
では、血がワインにかわるキリストの絵画11点をご覧ください。


シチリアの聖アガタは、3世紀頃に生きたとされる聖女です。
シチリア島のカタニアの貴族として生まれた聖アガタ。美しく教養がある彼女は、ローマ人の権力者から結婚を申し込まれたものの拒否します。怒った権力者は彼女をキリスト教徒という理由で告発し、捕らえてしまいます。そして聖アガタは改宗を迫られ、両方の乳房を切り取る拷問にかけられたのです。それでもなお信仰を捨てない聖アガタの元に聖ペトロの幻視が現れ、励まされて傷が治癒したという逸話もあります。その後、アガタは火あぶりされることになりましたが、ここでも地震が起きて刑を免れたという奇跡が起きました。そのまま獄中の中で殉教したとされています。
この物語に由来して、聖アガタのアトリビュート(持物)は乳房が乗った皿!なんともシュールですが、自らの切り取られた乳房をお皿に乗せて手に持っている姿として描かれるのです。聖ペトロが現れ彼女を介抱する絵画も画家によって何枚も描かれています。
では、聖アガタの絵画13点をご覧ください。あまりに酷い絵画は掲載していませんが、閲覧注意となりますのでご了承ください。


キリストの系統樹と言われる、エッサイの樹。
旧約聖書、新約聖書共に言及されており、ダヴィデ王の父親であるエッサイから、最上のキリストにいたる系統樹を表現し、「イエスこそダヴィデの系統から生まれると予言された救い主である」という事を強調する為の画題となっています。イタリアよりも北方地域にてよく見られるテーマです。
エッサイが根の部分を果たし、そこからダヴィデ、ソロモンをはじめとする旧約聖書の王達が幹や枝におり、最上部には聖母マリアに抱かれた幼子イエスの姿が描かれています。エッサイからキリストの間には約43世代いるのですが、流石にそこまでは加えられないので12人の王であったり、ダヴィデ&ソロモンのみであったりします。横側に預言者や、当時の教会の関係者が描かれている事もあります。
では、血筋を巡るエッサイの樹の絵画12点をご覧ください。


ルツ記は旧約聖書に記載されている、モアブ人女性ルツを主人公とする物語です。
ユダのベツレヘム出身のエリメレク、妻ナオミと二人の息子はモアブに移り住み、息子の一人はルツと結婚します。やがて男たちは皆死んでしまい、自国へと帰るナオミにルツはついていくことを決心します。ルツがベツレヘムの畑にて貧しく麦の落穂を拾っていた時、その畑の所有者に「落穂を沢山拾って。さぁ食べて水を飲みなさい」と食事を勧められ、多くの麦をもらいました。所有者はボアズという人物で、図らずもエリメレクの遠縁だったのです。ルツとナオミは深く感謝し、慎ましく暮らしました。
やがてナオミは「あなたは主人の元へゆくべきです」と、ルツにボアズの床へ行くよう勧めます。ルツはそれに従いますが、彼は「私の他に権利の高い親戚がいる」と床を共にすることをよしとせず、何事もなく翌朝ルツに贈り物を持たせて家に帰らせます。ボアズはその親戚と会い、親族の贖いの責任を自身が負い、エリメレクの土地や息子の妻を譲り受ける事を、証人のもとで承諾させました。
こうしてルツはボアズの正式な妻となりました。ルツは息子オベデを産みます。オベデは将来ダヴィデ王の祖父となる人物なのです。この物語は「異邦人でありながらも姑についていき、敬虔な心で仕事をした慎ましきルツ。欲望に負けず、知恵を以て正式な契約にのっとってルツを妻としたボアズ」を讃えています。血なまぐさいシーンがある聖書内において、争いのない穏やかで静かな物語と言えますね。
では、ルツ記の絵画11点をご覧ください。


割礼とは男女に施される宗教的な、または衛生上的な施術です。男子は大事な部分の一部を切除するそうです。歴史は古く、イスラエルの他、古代エジプトやバビロニアなどの地域で宗教的な観点で割礼が行われました。
旧約聖書の「創世記」にて、神がアブラハムにこう命じました。「あなたたちの男子はすべて割礼を受ける。切り取りなさい。これが契約のしるしとなる。・・・生まれてから8日目に割礼を受けなければならない」と。割礼を受けることはイスラエルの民ということ。この風習により、ユダヤの民であるイエス・キリストや十二使徒はみな割礼を受けました。
新約聖書にも割礼の記述はあります。初期のキリスト教の会議において割礼は廃止となり、後年の西洋の者達にとってこの風習はそこまで行わない存在であったものの、このシーンは想像よりも多くの画家に描かれていました。
では、割礼の絵画12点をご覧ください。ショッキングな描写はないものの、閲覧注意となりますので、そういった場面が苦手な方はご注意ください。


十二使徒と共に宣教し、徐々に信徒を増やしてきたイエス・キリスト。
彼は少しのパンと魚で4~5000名程の群衆を満腹にさせる、という奇跡を行うと群衆はどよめきました。「彼こそ救世主メシアだ!王にしよう!」と。「世界を我々のものにしよう!」と言い出すものもあらわれました。キリストは群衆の邪な考えを感じ、人々を解散させて弟子達に船に乗り、ガリラヤ湖を渡ってカファルナウムへ行くように言いました。キリストは一人山に登り、神に祈ります。
弟子達の乗った船は湖の真ん中あたりまできました。天気が悪く波はうねり、進むのに一苦労です。その時、使徒の誰かが「幽霊だー!」と叫びました。見ると、暗闇の水面に何者かが近づいてきます。皆、大パニックです。
すると何者かは「安心しなさい。恐れることはありません」と言いました。ペトロ(ペテロ)は勇気を振り絞り「主よ。水上を歩けるよう、命令してください」と答えました。ペトロはゆっくりと水上を歩いてキリストの元へ行こうとしますが、暴風を感じて怖くなってしまった途端、沈み始めてしまいます。「主よ!」とペトロが助けを求めると、キリストは彼の手を掴み「信仰の少ない人よ、疑いに負けたのは何故ですか?」と問いかけました。
二人が船に乗り込むと、暴風がやみました。船はするすると岸へと近付いていきます。弟子達はその奇跡に驚き「確かにあなたは神の子です」と敬意を表しました。
海上を歩くキリストとペトロの絵画12点をご覧ください。


クレルヴォーの聖ベルナルドゥスは12世紀頃に生きたフランスの神学者です。
ベルナルドゥスはフォンテーヌで騎士の息子として生まれました。母が信仰厚き人であったので、彼は修道院に入ることを希望し、20代の頃にシトー修道院へと足を踏み入れます。その三年後にクレルヴォー修道院が設立され、彼はその院長に抜擢されました。ベルナルドゥスは優れた説教と聖性、厳粛さを備えていた為、巡礼者が押し掛けるようになりました。その名声はいやにも高まり、彼は静かな修道院生活を望んでいたものの、教皇までもが彼に助言を求めるようになってしまったのです。
ベルナルドゥスは教会分裂を収束させ、異端を抑圧し、十字軍勧誘の演説をするなどの業績を成し遂げました。しかし、熱狂的な支持を得た十字軍は失敗に終わります。このことがベルナルドゥスの影響力を弱めていき、様々な出来事も重なり、年齢の事もあって彼は世間から離れていくようになります。彼は1153年、クレルヴォー修道院の中で息を引き取りました。
そのような人生を歩んだ彼に、一つの逸話があります。聖ベルナルドゥスは聖母マリアを特に信仰していました。ある日、彼が聖堂で「貴女の母たることを私にお示しください」 と祈りを捧げていると、なんと聖母マリアの彫像が動き出したではありませんか!しかも「母」であることを示す為、彼に母乳を飲ませたそう。なんというか、物凄い内容ですね。その物語は画家に衝撃を与えたようで、何枚かの作品が残されています。
では、聖ベルナルドゥスについての絵画12点をご覧ください。

「神」。それは人間が想像を絶するような絶対的で超越的な存在であり、崇拝する対象。
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教において神は唯一とされ、神と同列の存在はいないとされています。唯一神の名は「ヤハウェ」や「エホバ」と呼ばれており、慈悲深くも厳しい全能の存在と考えられています。
旧約聖書でモーセは「偶像崇拝をしてはならぬ」と神をかたどった像を破壊しましたが、キリスト教のカトリック教は偶像崇拝を否定しておらず、後年の画家たちは「神」の姿を何枚も描いています。神は豊かなひげを生やした賢者風の老人として表現されることがほとんどで、それは神との仲立ち人である教皇の影響がみられたり、異教の主神の雰囲気を思わせる厳格な姿を思わせる場合もあります。
では、父なる神の西洋絵画13点をご覧ください。

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