メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

歴史

飲み食いする人々の絵画12点。宴会や日常で飲食に携わり、楽しむ愉快な者達

Italian School 19th Monks Cooking’ -

 あけましておめでとうございます。2023年もよろしくお願いいたします!
 今年はじめての記事はこちらになります^^

 中世~近世の農民や市民、職人達は生活を営み、食べていくのに懸命でした。仕事が休みなのは一週間のうち日曜日だけで、早朝から起きて、日没まで働きっぱなしだったそうです。身体を酷使し、疲れ果てて仕事をしても少ない賃金。わずかの衣食住で生きていかなければなりません。日曜は仕事を禁じられていたので、職人達は「日曜以外働きっぱなしでは、ギルド内で話し合う余裕すらない。月曜に休みを!」と訴えていたそうです。
 城や宮殿に暮らす貴族、修道院や教会で暮らす聖職者は厳格なルールの中で生きていました。こうしなければならない、これはやってはならない、こうあるべきだのオンパレード。階級が高い者も、低い者もルールでがんじがらめになっていた部分がありました。

 もちろん全ての者達がそのような生活ではなかったと思いますし、お祭り休日が割とあったとされている為、息抜きする時間もあったと思います。ただ、現代に生きる私達より厳しいルールに縛られ、生きていたことには間違いありません。現代でもストレス社会は問題になっておりますが、中世~近世の住民も「やってられねぇ!」とヤケ酒を飲みたくなるようなストレス社会に生きていたのです。

 彼等にとっての息抜きの一つは、飲んだり食べたり騒いだりすること。祭事は必ずと言っていいほど、宴会を行って飲み食いを行っていました。日常でも食は大事にされていました。絵画ではそんな様子の彼等が生き生きと描かれています。
 では、飲み食いする人々の絵画12点をご覧ください。

  bottan_03_01

ネズミの絵画11点。家を縦横無尽に走りまわり、死のペストを運ぶ陰の脅威者

Johann Amadeus Wink Still Life with Mouse Fruit  Flowers 18th -

 家に穴を開け屋根裏を走りまわり、穀物を食い荒らしてフンを落とす。現代でも害獣とされ、駆除の対象になってしまうネズミ。
 中世、近世のヨーロッパにおいてもネズミは忌み嫌われる存在で、不吉や死、病気の象徴として恐れられ、駆除されていました。ですが、衛生管理が良くなかった為、次々と数を増やしたネズミは家庭に当たり前のように住み着いていました。また、15世紀にネズミを獲物としていた猫が、宗教上の理由で駆除され数を減らしたことも、ネズミの増加に拍車をかけました。18世紀頃になるまで、ネズミは人々の恐怖であり続けたのです。

 中世、近世ヨーロッパを覆った病原菌ペスト(黒死病)の原因は、ネズミについた蚤とされています。ペスト菌を持つ蚤をネズミが連れて歩き、蚤が人間に吸血して感染させていったのです。ペスト蔓延の直接的な存在ではありませんが、ネズミは暗黒時代に陥れた立役者とも言えるでしょう。そんなネズミにまつわる作品を、画家の何名かが様々な視点で描いています。
 では、ネズミにまつわる絵画11点をご覧ください。

bottan_03_01

蚤をとる人の絵画12点。民衆の生活に深く根差した、跳ねるペスト蔓延の暗躍者

The Young Beggar by Bartolome Esteban Murillo1645-50 -

 現代の私達にとって、蚤(ノミ)は生活している中で頻繁に出くわすものではありません。ペットや外部から拾って増えてしまったとしても、駆除できる範囲内だと思います。
 中世、近世のヨーロッパにおける蚤は、民衆の生活の一部であったと言っても過言ではなく、外や家中に飛び回っていました。薬草などの虫よけはあったものの、殺虫剤があるはずもなく、蚤やダニに血が吸われ放題。頭や身体についた蚤を捕まえて潰すという行為が、常習化していたのです。当時、恐ろしい病気ペスト(黒死病)が猛威を振るった原因は、ネズミに寄生したケオプスネズミノミとされています。ペスト菌を持つ蚤をネズミが運び、蚤が人間に噛みついて感染させたのです。
 「身体についた蚤をとる」という行為は農民画のモチーフとして描かれ、民衆がどのように蚤と付き合い、冷静に対処しているかが分かります。
 では、蚤をとる人の絵画12点をご覧ください。

bottan_03_01

ディオゲネスの絵画12点。アレクサンドロス大王を唸らせた古代ギリシアの哲学者

Diogenes lantern search honest 17th attributed to Mattia Preti -

 ディオゲネスは紀元前4世紀の古代ギリシアの哲学者で、アンティステネスの弟子、ソクラテスの孫弟子とされています。キュニコス派(犬儒派)の思想を守り、彼は「徳」を積むことが人生最大の目的であり、肉体的、精神的な鍛練を重んじ、清貧することが重要だと考えました。物を所持することを拒否した彼はぼろを着て放浪し、大樽もしくは甕(かめ)を住処としていました。犬のような生活を送ったとされていた為、「犬のディオゲネス」とも呼ばれたのです。

 有名なエピソードとして以下があります。ある日、アレクサンドロス大王がディオゲネスの元へ訪れます。彼は日向ぼっこをしていました。大王が「何か望むものはないか?」とたずねたところ「そこは日陰になるからどいてください」と答えました。その後少し会話をし、大王は去り際に「私がアレクサンドロスでなかったら、ディオゲネスになりたい」と感心の言葉を残したそうです。このエピソードは、何名もの画家によって描かれています。他にもディオゲネスは様々な逸話を持っています。

 しかしながら、彼の最期に関してははっきりしていません。タコを食べて当たったからとも、犬に足を噛みつかれたからとも、息を止める修行をしたからとも言われているのです。犬のディオゲネスと言われた彼が、犬によって殺められてしまったとしたら、皮肉ですね…。真相は闇の中です。
 では、ディオゲネスに関する絵画12点をご覧ください。

bottan_03_01

遊ぶ子供達の絵画12点。おもちゃや動物、自然とたわむれる、やんちゃな子供達

Joseph Wright 'of Derby' 1734–97 Two Boys with a Bladder -

 現代の子供達は何をして「遊ぶ」でしょうか。現代では自分で遊ぶ手段を考えなくても、エンターテインメントが溢れていて、遊ぶ行為は無数に存在します。テレビゲームやスマホゲーム、漫画や映画、アニメ、それ関連のおもちゃ、アミューズメントなどなど。おもちゃのパソコンが売られているのを見たり、次々と新しいゲーム機が登場したりするのを知ると「ハイテクになったなぁ・・・」としみじみ思います。かくいう私は、ポケモンとかたまごっちの世代ですw

 近世や近代に生きる子供たちは、もちろんそのようなゲーム機を持っていません。漫画もありませんし、ディ〇ニーラ〇ドもありません。YouTubeも見れないし、映画もアニメもありません。彼等は自然で手に入れた物をおもちゃにし、職人が手作りで作ったおもちゃを使い、友達や動物とたわむれ、自然の中で遊びを見出しました。今の私たちでも「懐かしい」と思えるような、昔ながらの遊び方をしていたのです。
 では、遊ぶ子供たちの絵画12点をご覧ください。

bottan_03_01

瀉血(しゃけつ)の絵画12点。有害物が排除されると信じ血を抜く、迷信深き治療法

Jacob Toorenvliet 1666 -

 瀉血(しゃけつ)というのは、病気を治す為に身体に溜まった有害物を排除しようと、血を抜くという治療法です。中世、近世のヨーロッパやアメリカで盛んに行われました。
 医学的知識が乏しかった当時、どんな病気であっても「身体から膿(うみ)を出すように、血を出せば治る!」と思う医者が多かったようで、熱や下痢など、なんでもかんでも瀉血を施したそうです。発祥はギリシアからとされており、怪我や打撲、骨折の部分を切開し炎症をなおしたり、頭痛が起こるとこめかみを切開して痛みを軽減させようとしました。衛生的にも不十分であったため、感染症を引き起こしたり、瀉血のしすぎで患者を弱らせ、絶命させる原因になったりしたそうです。

 一部の治療法には有益ですが、「瀉血をしたら病気が治る」という医学的な根拠はまったくありません。それでも当時の人々は瀉血を信じ、病気を治そうと医者に血を抜いてもらいに行っていたのです。
 では、瀉血に関する絵画12点をご覧ください。
  bottan_03_01

つけぼくろの絵画13点。小さい一つじゃ足りない。ほくろだらけの近世のお化粧

Portrait of Mademoiselle Guimard ballerina Frederic 18th -

 泣きほくろや口元のほくろはどこかセクシーに感じられ、あったらいいなぁと思う人もいるのではないでしょうか。ただそれはワンポイントで、いっぱいはいらない人が殆どのはず。
 16世紀~18世紀末のイギリスやフランスなどのヨーロッパの上流階級で、「パッチ化粧(つけぼくろ)」というものが流行りました。それは顔にウールや絹、ビロードで作られたほくろをいくつも貼るというもの。ほくろだけではなく、星や月のマークなどなんでもありです。ほくろというよりも、フェイスペイントに近いものかもしれません。もともとは軟膏やおできなどの痕を隠す為に使用されていましたが、「白い肌が目立つ為の手段」というお洒落の一つとなったそうです。老若男女とわず人気となり、なんと聖職者も流行に乗っちゃった人がいたとか。
 では、つけぼくろに関する絵画13点をご覧ください。

bottan_03_01

魔笛の絵画12点。真実の愛と光と闇の神秘が語られた、モーツァルトの喜劇オペラ

Don Giovanni and magic flute KARL JOSEPH GEIGER -

 「魔笛」は1791年にモーツァルトが作曲した生涯最後のオペラです。舞台は古代エジプト。
 ある日、王子タミーノは大蛇に襲われてしまいます。夜の女王の従者三名に助けられた彼は、女王から「娘のパミーナがザラストロに誘拐された、救い出してきて」と依頼されました。タミーノはそれを引き受け、魔法の笛と鳥を捕まえる男パパゲーノと共にザラストロの神殿へと向かいました。そこでタミーノは本当の悪者は夜の女王であることを知ります。タミーノはザラストロの部下モノスタトスに捕らえられてしまったものの、タミーノとパミーナは初対面で恋に落ちてしまいます。

 ザラストロは真実の愛の為に、タミーノとパパゲーノに「沈黙の試練」を与えました。すぐに了承したタミーノに対し、渋るパパゲーノは「若い娘パパゲーナを与えよう」と言われて納得しました。沈黙を守るタミーノの元に夜の女王の従者たちが現れ、沈黙を破ろうとしますが失敗します。その頃、パミーナの元へ夜の女王が登場し、「ザラストロを刺しなさい。さもなくば縁を切る」と娘へナイフを渡しました。パミーナは悩み、ザラストロに相談すると、彼は「この神殿は復讐をしない」と諭すのでした。
 試練中で口を閉ざすタミーノにパミーナは嫌われたと思い、自害を考えます。一方、パパゲーノは老婆から変身した若い娘パパゲーナを見るや否や恋に落ちていました。しかし、「まだ早い」と彼女は神官たちによって連れ去られ、パパゲーノも自害しようとします。

 ナイフで自害しようとしていたパミーナはタミーノの元へ連れられ、誤解が解けます。二人は魔法の笛を使ってその後の試練もやり遂げました。パパゲーノも魔法の鈴を使って無事にパパゲーナと再会し、喜び合います。夜の女王は寝返ったモノスタトスと共にザラストロの神殿へ襲撃しますが、光に勝つことはできませんでした。ザラストロはイシス神とオシリス神を讃え、若きカップル達を祝福したのでした。
 では、「魔笛」の作品12点をご覧ください。


bottan_03_01

ユダヤの英雄ユダ・マカバイの絵画12点。エルサレムを奪還し宗教と地を守った豪勇

The Triumph of Judas Maccabeus, 1635 Rubens, Peter Paul -

 ユダ・マカバイは前2世紀頃に生きたとされる、ユダヤの民族的英雄です。旧約聖書の「マカバイ伝」に登場します。
 セレウコス朝シリアの王アンティオコス4世エピファネスはエルサレムを占領し、ユダヤ教を迫害して神殿を略奪し、偶像崇拝を強要しました。憤るユダヤの民。モデインという町に住む祭司マタティアと五人の息子達は独立を求めて蜂起しました。息子の一人がマカバイ(金杯)と呼ばれたユダで、この争いはマカバイ戦争とされました。
 蜂起の翌年にマタティアは死去し、ユダ・マカバイが反乱軍のリーダーとなってシリア軍と争いました。並々ならぬ指導力を発揮し、イスラエル側は敵を打ち倒していきます。シリアの王はリュシアスに制圧を命じて大軍を動かしますが、ユダ・マカバイはそれを退ける事に成功します。一時休戦を結んで宗教の自由を認めさせ、ユダ・マカバイはユダヤ教を復活させました。

 その後も、ユダ・マカバイは周辺の民族と争いを続けていきます。シリア王が病死すると息子が跡を継ぎ、再びユダヤ側に進行してきましたので、彼は応戦したものの、敗北して追い詰められてしまいます。しかし、シリア側の将軍がクーデターを起こした為、両者は和平を結んで事なきを得ました。それからも数回シリア側と戦いが続きます。彼はシリア側に対抗すべく、ローマと同盟関係になることにしました。
 しかし紀元前160年、シリア側は2万弱の兵に対し、ユダ・マカバイの兵は800名という圧倒的に不利な戦争(エラサの戦い)が起こります。「逃げろ!」という助言を訊かず、彼は「男らしく死のう」と敵に立ち向かっていきます。勇猛果敢に戦い、ユダ・マカバイは戦地にて命を落としました。兄弟二人は遺体を引き取り、その中の一人ヨナタンが彼の後を継いで兵を率いたそうです。 
 では、ユダ・マカバイについての絵画12点をご覧ください。

bottan_03_01

不気味な静物画の絵画13点。静寂の画面に配置された自然の恵みという生活の糧

Mushrooms Butterflies Otto Marseus van Schrieck 1619-78 -

 静止した自然物や人工物を自由に配置し、画面を構成する西洋画のジャンルの一つである静物画。
 静物画といえども対象物、込められた意味などでカテゴリーは細かく分けることができ、コレクションやヴァニタス(虚しさの寓意)、果物や花束、台所や晩餐の品物などがあります。 一枚の絵画に複数のカテゴリーが含まれている場合もあり、中には静物画という名称から外れ、品物と共に昆虫や爬虫類などの生物を描き込んでいる作品もあったり、背景の描写がある作品もあります。
 今回はこのブログの雰囲気に合わせ、ちょっと不気味でおどろおどろしく思えるような物を描いた台所画を集めてみました。では、個性的な静物画13点をご覧ください。一部グロテスクな絵画があるのでご了承ください。

bottan_03_01
プロフィール
aicon

管理人:


中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

button

メメント・モリについて

アーカイブ
記事検索
記事検索
【ブックカフェ Tür テューア】
line logo2
【異形の怪物LINEスタンプ】
line logo2


ブログランキング・にほんブログ村へ

―最新記事をお届け―

buttons

buttons - コピー (2)

buttons - コピー

PC用広告