メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

古典文学

ロミオとジュリエットの絵画13点。悲恋の代表作とも言える、シェイクスピアの戯曲

Romeo and Juliet  Mather Brown -

 ロミオとジュリエット(ロメオとジュリエットとも)は、16世紀後半に書かれたシェイクスピアの戯曲です。
 14世紀のイタリアのヴェローナが舞台。神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世と、ローマ教皇グレゴリウス9世は互いに対立しており、皇帝派と教皇派に分かれて熾烈な戦いを繰り広げていました。モンタギュー家とキャピュレット家もその例に漏れず、互いを憎み合っていました。

 モンタギュー家の息子ロミオはある日友人と共にキャピュレット家に侵入し、ジュリエットと出会います。たちまち恋に落ちた二人は修道士ロレンスの元で結婚の誓いを立てます。しかし、そのすぐ後にロミオは争いに巻き込まれ、親友を殺されたロミオは怒りのあまり、キャピュレット夫人の甥を殺めてしまいます。そのせいでロミオは都市を追放され、ジュリエットはヴェローナ大公の親戚パリスと婚姻を勧められるも拒否した為、家から勘当されかかります。

  困ったジュリエットはロレンスに助けを求めます。修道士は「薬で仮死状態となって葬られ、迎えに来たロミオと共に此処から逃げなさい」と提案しました。それに賭けた彼女は2日間仮死になる薬を飲み、霊廟に葬られました。しかし、ロミオへの伝達が上手くいかずに彼はジュリエットが本当に亡くなったと思い込みます。そして毒をあおって息絶えてしまったのです。仮死状態から目覚めた時、ジュリエットはロミオの亡骸を発見し、自分も短剣で胸を刺して生を終えたのでした。この痛ましい事件があり、いがみ合っていた両家は和解をしたとされています。
 悲恋の代表格ロミオとジュリエットの絵画13点をご覧ください。

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サテュロスと農夫の絵画13点。イソップ寓話より派生した、牧神とスープの家族絵画

Jan Steen The Satyr and the Peasant 1660 -

 サテュロスと農夫は、イソップ寓話「サテュロスと旅人」から派生して、サテュロスと一緒に家族が描かれている構成の絵画の事を指します。フランドルを中心に作品が残されています。
 極寒の日の夜、旅人は天候の悪さに先に進めなくなってしまいました。同情したサテュロスは旅人を自分の家(洞窟)へと招待します。旅人は礼を言い、凍えて感覚がなくなった両手を温めようと息を吹きかけました。彼が温まって来た頃、サテュロスは充分に温められた料理でもてなします。スープがとても熱かった為、旅人は息をふーふーして冷まそうとしました。それを見ていたサテュロスはぶるぶる震え出し、こう叫んだのです。「二種類の息を出せるような奴は家に入れたくない!」と。こうして旅人はサテュロスの家を追い出されてしまったのです。
 この普段やってしまいがちな行為は、サテュロスにとっては気持ち悪く映ったのでしょう。この寓話はどういう教訓を含んでいるかは断言できませんが、「節操を持ちましょう」「郷に入っては郷に従え」的な感じなのでしょうかね。(調べてみたら、性格が分からない奴とは付き合えないという意味のようです。それってどうよ^^;)
 では、イソップ寓話の進化版というべきサテュロスと農夫についての絵画13点をご覧ください。

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イソップ童話(寓話)の絵画14点。ギリシャのアイソーポスが紡いだ、ためになる寓話集

Aesop Composing His Fables  Charles Landseer -

 イソップ寓話(童話)は、紀元前6世紀頃の古代ギリシャ時代の人物アイソーポス(イソップ)が作ったとされる寓話集です。(寓話は例え話によって人の生活に馴染みの深いできごとを伝え、学ばせることを目的とした物語)
 アイソーポスは元々奴隷でしたが、話をするのが上手で解放されたとされています。それからは寓話の語り手として旅をしたと言われています。彼は沢山の寓話を製作しましたが、現在伝わっている寓話すべてがアイソーポス作という訳ではなく、古代メソポタミアより伝わった話や現地の民話、後世の寓話も含まれているようです。

 有名なイソップ寓話としては、「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「犬と肉」「北風と太陽」「金の斧銀の斧」などが知られています。日本に寓話が伝わったのは1593年とされ、イエズス会の宣教師が書物を翻訳したそうです。思ったよりも古くから伝わってきているんですね。後に教科書にも取り入れられるようになり、「ウサギとカメ」のように、日本の昔話ではないかと思ってしまうような程にまで馴染み深くなりました。(私は若い頃、日本昔話だと信じ切っていました^^;)
 妙に納得してしまう話ばかりのイソップ寓話の絵画14点をご覧ください。

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ノートルダムの鐘の絵画13点。男女の愛憎悲劇を描いた、ヴィクトル・ユゴーの小説

Luc-Olivier Merson 1846-1920 -

 ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムの鐘)は、19世紀のフランスロマン主義の小説家ヴィクトル・ユゴーの物語です。
 舞台は15世紀のパリ。ノートルダム大聖堂の前に醜い赤ん坊が捨てられており、助祭長であるフロロが育てます。赤ん坊はカジモドと名付けられ、ノートルダムの鐘付きとして成長しました。ある日、パリにジプシーが現れ、フロロはその中の美少女エスメラルダを愛してしまいます。信仰と愛の板挟みになったフロロは、遂にカジモドを利用して彼女を誘拐しようとしました。

 計略は失敗し、カジモドは捕らえられて彼女は衛兵フェビュスと付き合うようになります。捕まったカジモドは街でさらし者になっていましたが、エスメラルダだけは彼を庇った為、恋心を抱くようになりました。フロロはエスメラルダを諦めきれず、二人が逢引きしている場へ行き、フェビュスを刺して逃げます。彼女はフェビュスを重体にした濡れ衣を着せられ、魔女裁判により死刑が下されました。

 カジモドはエスメラルダを救出してノートルダム大聖堂にかくまいましたが、フロロは暴動を誘導して混乱を引き起こして彼女を誘拐。自分の愛人となるか、死刑となるかを選択させます。エスメラルダは後者を選び、衛兵に引き渡されて処刑されてしまいました。その光景をノートルダムの塔から笑いながら見ていたフロロを、怒ったカジモドは突き落として殺してしまいます。
 その数年後、処刑場の後から白骨死体が出てきて、その横には異様な骨格をした白骨が寄りそっていました。それらを離そうとすると、粉々に砕けてしまったそうです。
 登場人物がほぼ全滅。悲劇の物語であるノートルダムの鐘の絵画13点をご覧ください。

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ダンテとベアトリーチェの絵画14点。神曲の作者と永遠の理想女性の素顔と関係性

Andrea Pierini  1853

 13-14世紀のイタリアフィレンツェの政治家であり、有名著書「神曲」の作者であるダンテ・アリギエーリ。そして、彼の永遠の想い人が可憐な女性ベアトリーチェ。
 ダンテが彼女と出会ったのは9歳の時でした。春のお祭カレンディマッジョで同年の少女であるベアトリーチェを見かけ、彼女の事が頭から離れられなくなってしまいます。それから9年後、二人は再会しましたが、会釈をしただけですれ違ってしまうのでした。
 ダンテは恋煩いをしてしまうものの、悟られるのが恥ずかしくて別の二名の女性に数編の詩を送ってしまいます。そのせいでダンテの風評が落ち、それを知ったベアトリーチェは「ふしだらな男」と見なして挨拶すらしてくれなくなってしまったのです。なんたる青春の皮肉な事か・・・^^; こうして失望に沈んだダンテは許嫁である女性と20歳の時に結婚しますが、心はベアトリーチェを想い続けていました。

 ベアトリーチェも銀行家の元へ嫁ぎ、平穏な人生を送るかと思いきや、彼女は24歳という若さで病死してしまいます。その事を知ったダンテは酷いショックを受け、痛手を癒そうと古典文学を読み耽るようになりました。それに触発された彼はベアトリーチェの存在を「永遠の淑女」にして賛美し続けようと、生涯をかけて詩篇を作ろうと決心したのです。こうしてダンテは著書「新生」、「神曲」等を書き、現代まで知られるような詩人となったのでした。
 では、ダンテとベアトリーチェに関する絵画14点をご覧ください。(ほぼダンテなので許してください^^;)

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「神曲」の絵画14点。イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが書した中世最大の詩篇

Dante and Virgil Flown by Ceron 1893 Roberto Bompiani - コピー

 「神曲」は13、4世紀のイタリアの詩人、政治家であるダンテ・アリギエーリが書した作品です。
 自分自身を主人公とした、一万以上の韻文から成る長編叙事詩であり、煉獄篇、地獄篇、天国編の三部に分けられています。中世イタリアの代表作と言っても過言ではなく、文学界でも特に有名な存在です。原題はLa Divina Commediaであり、英語だとThe Divine Comedy。日本語だと「神聖喜劇」と訳せます。だからと言って笑える話という訳ではなく、俗語で書かれたハッピーエンドの物語という事から付けられたそうです。

 内容としては、1300年の金曜日にダンテは深い森の中へ迷い込んでしまいます。そこで彼はローマの詩人ヴェルギリウスに出会い、地獄、煉獄、天国と三つの世界に案内されるのです。地獄の九圏には有名な英雄や歴史人が罰を受けており、彼等の物語を訊き、地球の中心部には魔王ルチーフェロが封印されております。ダンテは煉獄の頂上でヴェルギリウスと別れ、山頂でかつて愛した女性の現身である淑女ベアトリーチェと再会します。彼女の導きで天国へと昇天していき、天を巡って至高の天上へと昇りつめていき、天使や聖人達と出会いました。ダンテは永遠なる存在を前にして、見神の域へと達したのでした。
 では、「神曲」にまつわる絵画14点をご覧ください。

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フォルスタッフの絵画14点。シェイクスピアのヘンリー四世に登場する、強欲な老騎士

Falstaff with a Tankard of Wine and a Pipe  Mihály Zichy -

 フォルスタッフはシェイクスピアの戯曲「ヘンリー四世 一部&二部」と「ウィンザーの陽気な女房たち」に登場する老騎士です。
 大酒飲みで肥満体、臆病者で好色、強欲で嘘つき、追い剥ぎをするごろつきの悪人という、ダメダメな騎士ですが、頭が切れてユーモアに富み、たまに真相を突いた警句を吐くという深遠な一面も持ち合わせています。そのギャップは開演当初から多くの人に愛され、フォルスタッフはシェイクスピアの物語から飛び出して多くの二次創作が作られ、現代でも語り継がれております。

 「ヘンリー四世」によると、フォルスタッフはヘンリー四世の息子ハル王子の放蕩仲間で、飲んだくれて遊び呆けていました。ある日、ノーサンバランド伯の者達はヘンリー四世に謀反し、戦争を起こします。王は王子に鎮圧を命じ、ハル王子は名誉挽回の為にホットスパーを一騎打ちの末に倒します。ずっと逃げ回っていたフォルスタッフはホットスパーを倒したのは自分の手柄だと主張しますが、その嘘は見破られてしまうのでした。

 ホットスパーの死にノーサンバランド伯は怒り、応戦してきました。フォルスタッフは判事のシャロ―を頼って、兵士を募ったものの、役に立たない者ばかり。ハル王子の弟ジョン王子の策略で謀反者達は捕まり、処刑によって反乱は鎮圧されたものの、ヘンリー四世は重病に伏せり、ハル王子に王冠を託して息絶えてしまいます。王位を授かってヘンリー五世となった彼は、馴れ馴れしく話し掛けて来たフォルスタッフを拒絶し、罪で投獄してしまったのです。その後、フォルスタッフはフランスまで放浪したあげく、汗かき病によって死んでしまったとされています。
 愛すべき悪人、憎めないごろつきであるフォルスタッフの絵画14点をご覧ください。

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ジークフリートの絵画14点。北欧神話のシグルズを起源とした、ドイツの英雄

Ferdinand Leeke    Siegfried forges the sword -

 ジークフリートはドイツの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の英雄で、北欧神話の「ヴォルスンガ・サガ」の英雄シグルズと起源が同じと考えられております。
 ネーデルラントのジークムント王とジークリント王妃との間に生まれた彼は、若い時に悪竜を倒すという偉業を成します。その際に魔力を含んだ竜の血を浴びて不死身となりましたが、背中の一点に葉っぱが張り付いて血が付かず、そこだけが弱点となってしまったのでした。

 大人となったジークフリートはブルグント国のグンター王の妹クリームヒルトに求婚しようと思い立ち、国へ渡ります。戦争で多くの手柄を立てた彼は王に認められるものの、アイスランドの王女ブリュンヒルトとグンター王との結婚が成立するよう手助けを頼まれます。ブリュンヒルトは求婚者と競技を行い、彼女が勝てば男を殺し、負ければ結婚すると宣言していたのです。姿を消す魔法の隠れ蓑を使ってジークフリートはグンター王を助け、ブリュンヒルトに勝利して結婚を承諾させます。ジークフリートはクリームヒルトと結婚し、父の後を継いで王となりました。

 何年か経ったある日の事。ブルグントの王宮でグンター達と再会したジークフリートに悲劇が訪れます。クリームヒルトとブリュンヒルトがどっちの夫が強いかで口喧嘩を始めてしまい、クリームヒルトが「競技をやったのは王じゃなく、姿を消していたジークフリートだったのよ!」と本当の事をばらしてしまいます。重鎮ハーゲンは王や王妃の名誉に傷が付くことを恐れ、ジークフリートの暗殺を計画します。言葉巧みにグンター王を説得したハーゲンは「背中の一点だけが生身である」という事をクリームヒルトから聞き出しました。そして、ジークフリートが泉の水を飲もうとかがんだ時、槍で突き刺して殺してしまったのでした。怒り狂ったクリームヒルトはハーゲンへの復讐を決意し、この悲劇が皮切りとなって多大の犠牲を出しながらブルグントは滅亡してしまうのです・・・。
 ジークフリートについての絵画14点をご覧ください。
 

 
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クー・フーリンの挿絵13点。光の神ルーの息子である、ケルト神話の荒ぶる英雄

Joseph Christian Leyendecker Cuchulain in Battle 1911 - コピー

 クー・フーリンはケルト神話に登場する半神半人の英雄です。
 光の神ルーが父で、母はコノア王の親族デヒティネ。ある日、王宮からデヒティネと50名の乙女が消えてしまい、三年間行方知れずでした。彼女達はルーの屋敷に住んでおり、王が国に戻るよう言うと、デヒティネは赤ん坊を渡したのです。彼は「セタンタ」と名付けられ、後に英雄クー・フーリンとなったのです。
 クー・フーリンは「クランの猛犬」という意味で、少年の時に獰猛な猛犬を簡単に殺したことからそのあだ名が付けられました。青年となった彼はフォルガルの娘エメルに求婚するも、断られてしまいます。その為、影の国の女勇者スカアハの元で修行することにしました。

 その後、彼は師匠に槍ゲイ・ボルグを授けられ、一人前となってエメルと結婚を果たしますが、コノートの女王メイヴが立派な牛を奪おうと進軍してきたのです。クー・フーリン以外の武人たちは呪われて進軍できない状態にあった為、彼一人で対抗しました。その力は凄まじく、敵は次々と倒されていきます。しかし、「毎日一人の戦士を出してクー・フーリンと一騎打ちをさせる。その間は進軍しても良い」という契約が為され、クー・フーリンは歴戦の勇士だけではなく、修業時代の親友までをも、手に掛けなければならなくなったのです。長い間続いた戦争もクー・フーリン側の勝利に終わりました。
 ですが、プライドを深く傷つけられた女王は、クー・フーリンを暗殺しようと次々と刺客を送ったのです。彼は自らの死期が近い事を悟り、王や妻に別れを告げました。クー・フーリンは敵に奪われたゲイ・ボルグに胸を刺されて絶命してしまいます。倒れないように自らの身体を柱でくくり付けるという、英雄らしい最期でした。
 では、クー・フーリンの挿絵12点と、1点の彫刻をご覧ください。

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リチャード三世の絵画13点。シェイクスピアの戯曲にもなった、狡知のイングランド王

George Frederick Cooke as Richard III  1811-12 -

 リチャード三世(1452-85)は、イングランド王国であるヨーク朝の最後の王です。
 いとこのウォリック伯リチャード・ネヴィルに育てられた彼は、兄のエドワード四世が王位に就くと、9歳の時にグロスター公爵の位を得ました。その9年後にウォリック伯はランカスター派に寝返り、エドワード四世は追放されてしまいますが、リチャードは兄を援助し、翌年に王位を復活させています。20歳の時にウォリック伯の娘アン・ネヴィルと結婚し、その領地を我が物にしてリチャードの地位は飛躍的に向上しました。

 1483年にエドワード四世が病死すると、息子のエドワード五世が王位に就いてリチャードが摂政となりましたが、王とその弟はロンドン塔に幽閉されてしまいます。その間にエドワード五世の血筋は不当と決定を下し、リチャード三世として王に即位してしまうのでした。エドワード五世と弟はその後、殺されたと思われます。晴れて王となった彼でしたが、状勢は不安定となって反乱が相次ぎます。一人息子と王妃が続けて病死し、1485年の8月にランカスター派のヘンリー・テューダーが武器を携えて到来。ボズワースの戦いが始まります。リチャード三世は自ら武器を持って獅子奮迅するものの、味方の裏切りにあって戦死してしまうのでした。
 シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」において、彼は背骨が曲がった冷酷で欲深き王として書かれています。それにより極悪人としてのイメージがついてしまいましたが、現在ではそこまでではなかった事が証明されております。史実と物語の様子を踏まえながら、リチャード三世の絵画13点をご覧ください。

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プロフィール
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管理人:


中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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