メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

新約聖書

聖母の戴冠の絵画12点。昇天したマリアは神とイエス・キリストに王冠を授けられる

Enguerrand Charonton Coronation of Mary  1454 -

 「聖母戴冠」は、マリアが天上で神によって王冠を授けられている絵画のことを指します。
 聖書にはそのような記述はありませんが、マリアは死して三日後に復活を果たし、天国へと昇って行ったとされています。そこで彼女は戴冠を受けるのです。王冠を授ける者は神であったり、キリストであったり、三位一体であったりします。十二使徒が上空を仰いでいたり、天使や聖人たちが祝福していたりする場合もあります。王冠の意味は女帝というよりも、女教皇である方が正しいかもしれません。権威より栄光や信仰。マリアは聖なる教えを伝えていく最たる者、といった立場なのだと思います。
 栄誉に満ちた聖母戴冠の絵画、12点をご覧ください。
→ マリアの死についての絵画を見たい方はこちら
→ マリアの被昇天についての絵画を見たい方はこちら

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聖母の被昇天の絵画12点。マリアは死後、天使に連れられて天国へと上昇する

Guido Reni -1617 -

 カトリック教において、聖母マリアは亡くなったあと三日後に復活し、天国へ昇天したとされています。
 「聖母の被昇天」と呼ばれるマリアの復活の場面はたくさんの画家に描かれ、ルネサンスやバロック時代を中心に残されています。伝説では三日後に聖トマスらが墓を覗いてみると、マリアは忽然と消えていた、となっているのですが、天使を伴って天へと昇っていくマリアの姿が描かれる場合が多いです。(時に十二使徒も描かれます) 被昇天の日は始め1月18日だと考えられていましたが、6~7世紀頃に8月15日と改められ、祝日とされました。現在に至ってもマリアの復活の祝祭が行われています。
 神秘的な「聖母の被昇天」の絵画、12点をご覧ください。
→ マリアの死についての絵画を見たい方はこちら
 
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聖母マリアの死の絵画12点。キリストの母は永遠の眠りについて天国へ昇っていく

The Death of the Virgin 1472–80 -

 キリスト正教会によると、マリアは晩年をエルサレムで過ごしたとされています。彼女は己の死が近いことを悟って近辺の整理をし、その訪れを待ちました。すると、ばらばらに旅をしていた12使徒全員が家を訪ね、悲しんで口々に別れを惜しみました。マリアは最期に使徒達に会えたことに安心して平穏の眠りにつき、墓の中に入ります。三日後に使徒たちが墓を訪れてみると、マリアの身体はそこにはなく、昇天したということが分かりました。
 伝説では以上のような内容なのですが、聖母マリアの消息はキリストの磔刑以降分かっておりません。享年も50~70歳とまちまちとなっており不明です。マリアの死は「眠りにつく」と表現され、英語では「The Falling Asleep of the Virgin」などとも言われます。三日後の復活の後、天へと召されていくマリアの場面を「聖母の被昇天」と呼び、天国にいるキリストと神によって冠を受けている場面を「聖母戴冠」と呼びます。
 今回は眠りにつくマリアの絵画12点をご覧下さい。

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「この人を見よ(エッケ・ホモ)」の絵画15選。ピラトに示されたキリストは民衆に晒される

Guercino - Ecco Homo  1647 -

 「エッケ・ホモ」はラテン語で「この人を見よ」という意味であり、ローマ帝国の総督ピラトが発した言葉です。
 キリストは有罪となって磔刑を宣告され、鞭を打たれて茨冠を被せられました。そしてうるさく騒ぎ立てる民衆の前に引き出されました。その時にピラトは民衆に向かって「エッケ・ホモ」と言ったのです。この言葉は劇的で、重要なシーンであった為、「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」と共に多くの絵画が生まれました。
 始まりは9~10世紀頃のビザンティン美術とされ、通常はエルサレムの街を背景に、キリストとピラト、侮蔑する民衆が描かれます。15世紀以降になると肖像画としてのエッケ・ホモも描かれるようになり、フランドル地方で特に人気となりました。茨冠や縛られた縄、十字架などが添えられた肖像画としてのエッケ・ホモは様々なバリエーションがあり、「受難」という宗教的イメージを強めていきました。
 「この人を見よ」という主題の絵画15点をご覧ください。



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「我に触れるな」の絵画16点。復活したキリストがマグダラのマリアへ告げた言葉

Agnolo Bronzino Noli Me Tangere -

 「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」はキリストが復活した後、最初に出会ったマグダラのマリアに向かって放った言葉です。
 ヨハネの福音書によれば、キリストが埋葬された墓地へマグダラのマリアと女たちが行くと、墓が暴かれているのを目の当たりにしました。墓の両側には二人の御使いがいます。そして背後に人影が見えたので、マリアは「私の主を一体どこへ移動させてしまったのですか」と問います。人影を墓の管理人だと思ったのです。しかし、彼は「マリアよ」と優しく言ったので、キリストであると分かりました。彼女は嬉しくて近付こうとしますが、キリストは「私に触れるな。まだ父の御許へ行っていないのだから」と伝えます。
 「我に触れるな」という台詞は劇的であった為か、実に多くの絵画作品が残されています。大半は近づこうとするマグダラのマリアと、それを避けようとしたり拒否するキリストで表わされます。しかし、中には「ん?」と思う個性的な作品も一部存在します。
 「我に触れるな」と言い放つキリストと、触れたいマグダラのマリアの姿の絵画16点をご覧ください。

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反キリスト(アンチキリスト)の絵画14点。終末に現れる、獣の数字を持つ邪なる存在

antichrist 16th -

 反キリストは邪悪なる偽の救世主のことを指します。
 キリストが善なら彼は悪。真実に反し、悪魔の具現化した存在だとされています。反キリストを象徴している獣の数字666は有名ですね。ヨハネの黙示録において、反キリストと悪の王たちは嘘の説教で人々を惑わせて世界を掌握し、真実を捻じ曲げようとしますが、ハルマゲドンへ赴いた彼等は激しい雷と地震に巻き込まれます。絵画の中では反キリストは赤い龍や大悪魔サタンと混同され、聖ミカエルに踏み付けられる反キリストの作品も存在します。(→ ヨハネの黙示録について詳しく知りたい方はこちら)
 また、広義に言えばキリストの教えに背き、宗教的に対立している者達を全て「反キリスト」とみなします。異教の者達や、ロシアの君主、はたまたローマ教皇でさえ「反キリスト」の烙印を押された者もいます。彼は言うなれば、キリストと敵対する悪の象徴的な存在です。
 邪悪なる反キリストの絵画、14点をご覧ください。

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十二使徒のゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ)の絵画12点。雷の子と呼ばれた激しき聖人

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 ヤコブはキリストが選んだ十二使徒の中の一人で、使徒ヨハネの兄です。ヤコブが何人もいる為、ゼベダイのヤコブ、大ヤコブと呼ばれています。以下、大ヤコブと記述させていただきます。
 彼は父親とヨハネと共に漁船で網の手入れをしていたところ、キリストにスカウトされて弟と一緒に弟子となり、布教の道に進むことにしました。兄弟は激しい気性だったようで、ボアゲルネス(雷の子)と呼ばれていました。一行が歓迎されない町に対して、「天から火を降らして焼き払いましょうか」とキリストに提案して叱られたエピソードがあります。大ヤコブは十二使徒の中でも中心的な役割を努め、布教に専念していました。

 彼の逸話に、魔術師ヘルモゲネスを改宗させたというものがあります。魔術師の弟子フィレトゥスが大ヤコブの説教を受けて感銘し、改宗したことを受け、ヘルモゲネスは激怒して弟子を金縛りにしてしまいます。大ヤコブは弟子を解放するよう説得しますが、魔術師は耳を貸さないどころか、呪文を唱えて悪魔や怪物たちを呼び寄せます。大ヤコブはそれを跳ね返し、逆にヘルモゲネスが悪魔に攻撃され、餌食にされそうになります。彼は降参して改宗したと伝えられています。そんな大ヤコブは古代ユダヤの統治者ヘロデ・アグリッパ1世によって捉えられ、殉教してしまいます。西暦44年の事であり、十二使徒の中では一番最初の犠牲者でした。
 キリスト教の重鎮、大ヤコブの絵画12点をご覧ください。

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世界の救世主という主題のキリストの肖像画14選。ダ・ヴィンチも描いた宗教モチーフ

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 「Salvator Mundi (サルヴァトール・ムンディ)」は世界の救世主という意味のラテン語で、右手は祝福の印、左手は世界を象徴する球体を持ったキリストを描いた宗教的な主題を指します。このテーマは特に北方ルネサンスの者達に人気があり、ルネサンスの時代に盛んに描かれました。かの有名な画家レオナルド・ダ・ヴィンチもこのモチーフを描いており、後年に追随者を生み出しました。
 Salvator Mundi の作品、14点をご覧ください。

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どうしてこうなったキリストの絵画12点。救世主よ、顔が溶けておられます 【第二弾】

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 キリスト教の始祖イエス・キリストは過去から今まで、数多くの画家に描かれてきました。ピエタや悲しみの人、磔刑など新約聖書のすべての物語は絵画で表現されてきました。長い期間の間に「茶の肩までの長髪で、髭を生やした痩せた男性」というキリスト像は形成され、固定化されてきました。人類の救世主であるキリストは、思慮深く、静かで賢者そうな雰囲気を称えた感じに表現される作品がほとんどです。
 しかし、中には「どうしてこうなった?」と思える作品が存在します。わざとこうしたのか、勝手にこうなってしまったのか。画家はどう思ってその作品を描いたのか。疑問が多数に浮かぶ作品が、中世時代だけではなく、ルネサンスやバロック時代の絵画でもあります。
 「どうしてこうなった」と思えるキリストの絵画、12点をご覧ください。段々とレベルが高くなっていきますよ。


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キリスト「悲しみの人」の絵画14選。罪を背負って苦しみ血を流した救世主の肖像画

Jan Mostaert 1475 - 1555 56 -

 「悲しみの人(Man of Sorrows)」はキリストを表現する作品の中において、苦しみ悲しんでいるキリストの肖像的な宗教画のことを指します。基本、胸の傷と手の釘の傷を見せた姿で描かれ、時には茨冠を被ったり、十字架や棺桶、拷問具などがあったり、天使が共に描かれたりします。悲しみの人の作品の萌芽は8世紀頃のビザンチンのモザイク画より始まったとされ、13世紀頃に西洋に普及し、特にフランドル地方に多く見られました。これらの作品を観る事で、敬虔な信者の方はキリストに深い敬愛と祈りのイメージを覚えるのです。
 神秘的であり酷くもある「悲しみの人」の絵画14点をご覧ください。


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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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