メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

聖人

十二使徒のゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ)の絵画12点。雷の子と呼ばれた激しき聖人

st-james-major-murillo El Apóstol Santiago -

 ヤコブはキリストが選んだ十二使徒の中の一人で、使徒ヨハネの兄です。ヤコブが何人もいる為、ゼベダイのヤコブ、大ヤコブと呼ばれています。以下、大ヤコブと記述させていただきます。
 彼は父親とヨハネと共に漁船で網の手入れをしていたところ、キリストにスカウトされて弟と一緒に弟子となり、布教の道に進むことにしました。兄弟は激しい気性だったようで、ボアゲルネス(雷の子)と呼ばれていました。一行が歓迎されない町に対して、「天から火を降らして焼き払いましょうか」とキリストに提案して叱られたエピソードがあります。大ヤコブは十二使徒の中でも中心的な役割を努め、布教に専念していました。

 彼の逸話に、魔術師ヘルモゲネスを改宗させたというものがあります。魔術師の弟子フィレトゥスが大ヤコブの説教を受けて感銘し、改宗したことを受け、ヘルモゲネスは激怒して弟子を金縛りにしてしまいます。大ヤコブは弟子を解放するよう説得しますが、魔術師は耳を貸さないどころか、呪文を唱えて悪魔や怪物たちを呼び寄せます。大ヤコブはそれを跳ね返し、逆にヘルモゲネスが悪魔に攻撃され、餌食にされそうになります。彼は降参して改宗したと伝えられています。そんな大ヤコブは古代ユダヤの統治者ヘロデ・アグリッパ1世によって捉えられ、殉教してしまいます。西暦44年の事であり、十二使徒の中では一番最初の犠牲者でした。
 キリスト教の重鎮、大ヤコブの絵画12点をご覧ください。

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キリスト教の聖ロクスの絵画12点。ペスト(黒死病)から身を守ってくれる守護聖人

Bernardo Strozzi - St Roch -

 聖ロクスは1295年 - 1327年に生きたカトリック教会の聖人です。
 ペストから守護してくれると考えられていた為、人気のあった聖人でした。ロクスはフランスの総督として生まれましたが、20歳の時に全財産を寄付してローマ巡礼の旅に出ました。ローマではペストに苦しみ、死を待っている人が大勢いましたので、ロクスは患者を懸命に看護しました。彼が患者の頭上に十字架の印を結ぶと、ペストはたちまちに癒えてしまうという奇跡が起きました。それにより人々は救われましたが、ある日ロクス自身がペストに罹ってしまいます。
 他の者へ伝染しないようにロクスは森へ身を隠し、死を迎えようとしました。しかし、どこからともなく犬が現れ、食べ物を運んできたり顔を舐めたりしました。すると、すっかりペストが治ってしまったのです。彼は人々を癒しながら故郷へ帰りましたが、不幸なことにスパイ容疑で捕らえられ、濡れ衣を着せられて獄死してしまったとされています。
 そんな聖ロクスの絵画12点をご覧ください。


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石を投げられ殉教した聖人、聖ステファノの絵画14選。石のある場所に個性が表る

Luca Signorelli, Saint Stephen, late 15th century -

 聖ステファノは新約聖書に登場する聖人です。キリスト教徒で最初に殉教した者と考えられています。
 キリストが昇天して数年が経った頃、ギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人の間でいさかいが起きました。ギリシャ語を話す者は、教会からの配当が充分に受けられないから不平等だというのです。そこで、教会側はキリスト教の代表者である12使徒以外に、7名を選抜して配当を補佐する役目を与えました。その7名の中にステファノは入っていました。
 しかし、ある日ステファノはキリスト教を憎んでいる人々に「あいつは神殿を破壊しようとしている」と濡れ衣を着せられてしまいました。裁判に掛けられたステファノは人々に対して「ユダヤ人は今も昔も大きな過ちを犯している。救世主の命を奪い、神を裏切っている」とはっきりと述べました。それに対してユダヤ人たちは大いに怒り、彼を石打ちの刑で殺してしまいました。ステファノは「罪を彼等に負わせないでください」と言いながら殉教したと伝えられています。
 聖ステファノの絵画14点をご覧ください。


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【画像13点】斬首された自らの首を持って歩く聖ドニ(デニス)と、三名の首の聖人たち

Crucifixion of the Parlement of Paris (detail) 1449 -

 聖ドニはサン・ドニ、聖デニスとも呼ばれているカトリック教の聖人です。
 フランスのパリの司教で、250年頃に殉教したと伝えられています。聖ドニはセーヌ川のシテ島で暮らしており、仲間である聖ルスティクスと、聖エレウテルスと共にキリスト教の布教に励んでいました。しかし、改宗する者が増えてくるにつれて異教の僧侶が彼等を疎く思うようになり、聖ドニ達は高い丘で斬首刑に処されてしまいました。彼ら三名は死後まもなく崇拝の対象になり、遺体はその地に埋葬され、彼等を崇める教会堂が設立されました。
 「黄金伝説」によると聖ドニは斬首された後、自らの首を持ち上げて説教をしながら数km歩いたとされています。人間の摂理を越えた、恐るべき奇跡です。その伝説を元にして、画家たちは聖ドニを自らの首を持った聖人として表しました。また、斬首しても死なずに首を持ったとされている聖人は、他にも三名おります。
 聖ドニの絵画&彫刻10点と、三名の聖人の首を持った姿をご覧ください。少しだけ閲覧注意です。


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聖エドマンド(エドモンド)殉教王の絵画12選。国の為にヴァイキングと戦い、散った王

Marchela Dimitrova -

 エドマンド殉教王は9世紀半ばに、イースト・アングリア王国(現イングランド)の王であった聖人です。
 寛容で善き王として知られており、信仰心は篤く、貧しき者に施しを行っていました。良き家臣を優遇し、媚びる者には厳しく接しました。869年にデーン人(現デンマーク人)のヴァイキングたちがエドマンド王の国に侵入し、両者は激しい戦争になりました。結果はエドマンド王の敗北。国は征服されて荒廃し、住民は虐殺されて王はヴァイキングの手により殺されてしまいます。殺害のされ方は一定しておらず、単に戦争中に殺されたものもあれば、ハリネズミのように矢を射かけられ、斬首されたものもあります。エドマンド王の遺体は埋葬され、その場所はすぐに聖地となりました。それから聖エドマンドは王の鑑となり、広く崇拝される聖人となりました。
 エドマンド殉教王の絵画12点をご覧ください。


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聖ヴェロニカの絵画13点。キリストの顔を布で拭いた聖女と、布にくっきり浮かぶ顔

MAESTRO DE LA LEYENDA DE SANTA URSULA -

 聖ヴェロニカは苦しんでいるキリストにヴェール(布)を渡したとされる聖女です。
 ヴェロニカはエルサレム出身の敬虔なキリスト教徒でした。キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘を登っている際、ヴェロニカは余りの悲惨さに自らはおっていたヴェールを取り、キリストにそっと手渡しました。キリストは額の汗を拭き、感謝を以て彼女に返しました。するとどうでしょう。キリストの顔が転写されたかのようにヴェールに残ったのです。この奇跡が元になってヴェロニカは聖女となり、彼女のアトリビュートはキリストの顔の付いた布となったのです。
 中世ルネサンス時代の画家は、聖ヴェロニカとキリストの聖顔布を思いのままに描きました。ぼやけた顔、くっきりとした顔、不思議な顔。様々な顔をした布を持った、聖ヴェロニカの絵画13点をご覧ください。


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剣がぐさり!?頭と胸に武器が突き刺さった姿で聖人となった、ヴェローナの聖ペテロ

Lorenzo Lotto 1549 -

 ヴェローナの聖ペテロは13世紀に殉教した聖人です。
 イタリアのヴェローナ出身の聖ペテロはペトルス、ピエトロとも呼ばれ、ドミニコ会の修道士でした。ある日、彼が仲間のドミニクと共にミラノで布教をしていると、背後から暗殺者たちが現れました。首謀者はカリーノ・ピエトロ・ダ・バルサモで、異端者だった彼はカトリック教の者を憎んでいたのです。暗殺者たちはドミニクを攻撃し、ペテロの胸にナイフを突き刺し、上頭部に鉈(斧という説も)を一撃させました。ペテロはドミニクの膝の上に倒れ、「私は神を信じます」と血文字で書きながら息絶えたとされています。彼の遺体は教会へ運ばれ、多くの奇跡が起こりました。その一年後にペテロは列聖されました。
 聖ペテロのアトリビュートは頭の鉈と、胸の短剣。暗殺された武器そのままが彼の持物になってしまいました。悲惨な殺された方をした為に、シュールになってしまった聖人の姿をご覧ください。
→ アトリビュートについて詳しく知りたい方はこちら


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【絵画10点】生皮を剥がされた十二使徒。聖バルトロメオは皮剥ぎの刑となり殉教した

Portuguese School (attributed to) - コピー

 聖バルトロメオは聖バルトロマイとも呼ばれ、キリスト教の聖書に登場する十二使徒の一人です。
 伝承によると彼はタダイと一緒にアルメリアへ行って宗教を広めたとされ、この地方では篤く信仰されています。しかし、聖バルトロメオも他の聖人の例に漏れず、アルメリアで殺害されて殉教してしまいます。しかも殺され方が残虐で、身体の皮を丹念に剝がされてから首を落とされたとされています。
 生きたまま皮を剥がされる聖バルトロメオを多くの画家が描きました。閲覧注意の作品を10点お伝えします。
 

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【画像14点】ヨナと魚が一体化。旧約聖書のヨナの絵が魚に喰われすぎてシュール

 1312-1322) Origine

 ヨナは旧約聖書「ヨナ書」に登場するユダヤの預言者です。
 ヨナは強情張りの性格で、神に「町ニネヴェの人々の罪を悔い改めるよう言いなさい」と告げられても、無視して海へ出てしまいます。船に乗ったヨナは大嵐にあい、船員らに海中に放り投げられ、巨大魚(クジラともされる)に呑み込まれてしまいました。ヨナは反省し、魚の腹の中で神へ懺悔します。
 神は仕方がないな、と魚から彼を吐き出させました。ヨナはニネヴェへ行って、キリスト教へ帰依するよう町人へ言いました。すると、王も含めてあっさりと帰依し、罪を悔い改めたのです。神は町の人々の罪を許しました。ヨナはそれが信じられずに、どうして町に災いを起こさないのか問い詰めます。神はヨナに「たとえ罪があった所だとしても、人間や家畜を惜しまずにはいられぬ」と、説明しました。
 以上がヨナ書の大まかな概要ですが、中世の画家たちはヨナを表すために大魚に食われた場面ばかりを描きました。残っている挿絵は多く、そのほとんどが大魚=ヨナ状態になっています。
 魚の怪物の口から生えているように見えるシュールなヨナの姿をご覧ください。


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聖セバスティアヌスの絵画12点。肉体美、セクシーさが時代を経るにつれ増してゆく

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 聖セバスティアヌス(聖セバスチャン)はローマの軍人で、キリスト教に改宗して世間へ広めた功績により、聖人となりました。キリスト教徒となったセバスティアヌスはローマ皇帝に裏切者の烙印を押され、杭に縛り付けられてハリネズミのようになるまで矢を射かけられてしまいます。しかし、奇跡的に彼は助かり、聖イレーネによって介抱されます。治癒したセバスティアヌスは皇帝にキリスト教へ帰依することを勧めますが、皇帝は彼を何度も殴って殺してしまいました。
 セバスティアヌスは人気のある聖人で、古くから多くの画家に描かれてきました。ですが、時代が進むにつれて美を求める画家の気持ちが強まり、男のセクシーな肉体を描くことに力を入れ始めます。全ての画家が肉体美路線ではないものの、これってセクシーすぎない?というセバスティアヌスが大量に存在します。
 段々とセクシーランクが増していく聖セバスティアヌスの作品12点をご覧ください。


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プロフィール
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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