メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

イエス・キリスト

キリストと罪の女の絵画13点。罪が無い者が石を投げよと告げ、女性を救った物語

Lucas Cranach the Elder 1532 -

 この物語はヨハネの福音書に見られ、キリストが姦通の罪を犯した女性を庇い「罪のない者だけが石を投げよ」と言って周囲を黙らせた物語です。
 ある日、キリストが宮で話していると、律法学者やファリサイ派の人達が一人の女性を連れてきて、こう言いました。「先生、この女は姦通の罪で捕まりました。モーセの律法は石を投げて殺すよう命じていますが、どう思いますか?」これはキリストを捕まえる為の口実で、律法通りにしたら「お前の説く愛はどうした」と言えるし、許せというなら「律法に背いたな!」と言えるのです。キリストは身を屈めて何かを指で書いていました。彼等が催促をすると、キリストはこう答えました。

「貴方がたの中で罪のない者が、この女に石を投げつけるがよい」と。
 人々は黙り込んだまま次々に出ていき、 遂にはキリストと女性だけになりました。罪のない者など誰もいなかったのです。そしてキリストは「私も貴女を罰しません。家にお帰りなさい。もう罪を犯さないように」と告げたそうです。
 「罪がない者が石を投げよ」と告げるシーンの絵画13点をご覧ください。

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イグナチオ・デ・ロヨラの絵画13点。ザビエル達とイエズス会を創設した元軍人の聖人

Peter Paul Rubens  1600 -

 イグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)はイエズス会の創設者の一人であり、初代総長の修道士です。
 バスク地方のギプスコアにある城で生まれた彼は、12兄弟の末っ子でした。15歳の時に親戚の騎士の従者のとなり、20代後半の頃には軍人として各地を転々としていました。しかし、1521年に行われた戦争で銃弾が足に当たり、父の城で療養を余儀なくされました。
 療養中にロヨラはキリストの物語や聖人伝を読み、聖人達の生きざまに感銘を受けます。その時から彼の夢は「聖地に赴いて異教の者をを改宗させたい」となったのでした。ロヨラはそれからベネディクト会修道院を訪れて世俗的な生との決別を誓い、啓示を受けました。

 教養と神学を知る為にアルカラ大学とパリ大学で学び、その間に6名の同志を得ました。1534年にロヨラと6名の仲間はモンマルトルの丘に登り、今後7人は同じグループとして活動し、神に生涯をささげる誓いを立てました。これがかの有名なイエズス会の始まりで、その中にはフランシスコ・ザビエルもいました。教皇パウルス3世に修道会としての認可をもらい、ロヨラは初代総長となりました。 
 ロヨラは会員達を各地に派遣して、一般学校と神学校を創設させます。そして1548年に著書「霊操」が出版されました。そこには霊的指導を求めて来た人に対して行った、一連の黙想のテーマ集が書かれています。1556年にローマで死去(マラリアという説があります)。その66年後に聖人として列聖されました。
 では、イグナチオ・デ・ロヨラの絵画13点をご覧ください。


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使徒ヨハネの絵画14点。十二使徒であり福音書記ともされる、キリストの愛弟子

Guido Reni -

 使徒ヨハネは新約聖に登場するキリストの弟子です。十二使徒の一人であり、洗礼者ヨハネと区別する為に「使徒」や「福音記者」などの肩書きを付けています。
 彼は兄のヤコブと一緒にガラリヤで漁師を営んでいましたが、キリストと出会って弟子となりました。ペドロ、ヤコブらとともに最も重要な愛弟子となり、信仰を支え続けました。最後の晩餐の場面では「裏切者は誰ですか」とキリストのすぐ隣で問いかけています。キリストの磔刑の際は十二使徒の中でただ一人十字架の下にいたとされ、聖母マリアとマグダラのマリアと共に絵画に描かれています。

 十二使徒達が悲惨な死に方で殉教していく中、ヨハネだけが殉教を免れたとされています。ただ、ローマの迫害の際にヨハネは煮えたぎる油が入った大釜に入れられて殉教する所でしたが、奇跡的に助かりました。その後、パトモス島へ島流しにあい、そこで神の啓示にあって「ヨハネの黙示録」を書き上げたのでした。(使徒ヨハネと福音書記のヨハネは別人物であるという説もあります) 老齢になって釈放されたヨハネはトルコのエフェソスへと戻り、余生を終えたそうです。
 キリストの愛弟子、使徒ヨハネの絵画14点をご覧ください。

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マグダラのマリアの絵画13点。罪を悔悛しイエス・キリストと共に歩んだ愛深き聖女

Bernardino Luini -Maria Maddalena -

 マグダラのマリアは新約聖書に登場する、キリストに付きそう聖女です。聖母マリアと混同を避ける為、出身地を前に冠してマグダラのマリアと呼んでいます。
 一説にはキリストの友であるラザロとマルタの姉妹とされています。富と美貌によって快楽に溺れ、「罪深い女(娼婦と関連する)」と呼ばれるまでになりました。キリストと出会った事で自らの罪を深く悔い、共に伝道の道を歩みました。マグダラのマリアはキリストの足に涙を落とし、自らの長髪で拭い香油を塗ったとされている為、香油壺を持ったり側に置かれたりしている絵画が多いです。ラザロの蘇生、キリストの磔刑&復活などの重要な場面にも彼女は登場しています。キリストの昇天後はフランスのマルセイユで布教に努め、晩年は洞窟で隠遁生活を行ったそうです。
 聖母マリアと同じくらい有名な聖女である、マグダラのマリアについての絵画13点をご覧ください。

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キリストの五つの傷 (聖痕) の絵画14点。救済の概念を絞りすぎてシュールな姿に

Simon Bening, Worship of the Flemish 1525-30 -

 中世時代において、宗教画は「リアルであってはならない」ものでした。
 現世に生きる私達が、神聖なるキリストや神、聖人達を表現できる訳がない、聖なる存在を現実的に描くのは冒涜的である、という理由からです。それ故、中世の作品は象徴性が重視され、ヘタウマみたいな個性的な絵となったのです。その流れの中でイエス・キリストと言う存在は概念化、象徴化されるようになり、独特の表現が用いられるようになりました。

 それがこの「キリストの五つの傷(The five wounds of Christ)」、または「五つの聖なる傷(Five Holy Wounds)」と言う主題です。傷が付いたハートと手足が浮かんでいる姿。なんかもう、シュールすぎますよね・・・^^;
  これはキリストが磔刑された際に受けた傷 (手足は釘で打たれ、胸を槍で刺された) を表しており、彼が人類の原罪を背負って亡くなったという意味を強調しております。この表現は意外に使われていたようで、多くの挿絵が残されていました。
 では、キリストの五つの傷の作品、14点をご覧ください。少しだけ閲覧注意のところがあります。

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キリストの十字架降下の絵画13点。救世主の死に嘆き悲しむ二人のマリアと信者達

Agnolo di Cosimo di Mariano, dit Bronzino  1540-45 -

 キリストの十字架降下は、磔刑されたキリストを降ろし、悲しんでいる主題の事を指します。
 アリマタヤの町にヨセフという人がいました。彼はキリストの遺体を引き取らせて欲しい、とローマ帝国の総督ピラトに頼んだのです。その他の正しい人達もキリストの為に駆けつけました。ヨセフがキリストを十字架から下ろすと、聖母マリアは我が子の身体を愛おしそうに抱きました。遺体には没薬と香料が塗られ、布に包まれて、ヨセフが自分用に作っていた墓に葬られました。その三日後に、キリストは復活を果たすのでした。
 この主題はキリストの磔刑に引き続き、画家に人気で多くの作品が残されています。十字架降下の絵画13点をご覧ください。

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キリストの磔刑の絵画13点。十字架に釘で磔にされ、処刑される悲痛なる救世主の姿

Bernard van Orley, The Crucifixion, 1515-20 -

 キリストの磔刑は、救世主イエスが磔にされて処刑されてしまう場面を表したものであり、キリスト教の中で一番重要なシーンと言えます。
 イスカリオテのユダに裏切られ、ユダヤ教の司祭達に捕らえられてしまったキリスト。一方的に裁判に掛けられ、死罪判決となってしまいます。彼は自らが磔にされる巨大な十字架を背負い、他の二名の強盗を働いた罪人と共にゴルゴダの丘を登ります。頂上に着いたキリストは執行人によって手足に釘を打たれ、十字架にくくり付けられ、さらし者とされてしまったのでした。両脇に二名の罪人も十字架にかけられました。

 真昼の空が急に暗くなってきました。嵐が来そうな天候の中、キリストは大声で「神よ。何故私を見捨てなさったのですか」と言い、それから程なくして命を落としました。これは文字通りの意味ではなく、昔ダヴィデが歌ったという詩の始めの言葉であったようです。翌日、息絶えた事を確認する為に兵士が遺体の胸に槍を刺し、キリストは十字架から降ろされたのでした。
 宗教画において最も多く描かれていると言っても過言ではない、キリストの磔刑の絵画13点をご覧ください。

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イスカリオテのユダの絵画14点。キリストを銀貨30枚で売った裏切者の悲しき人生

Benoît-Hermogaste Molin - 1810-1894 -

 イスカリオテのユダはキリストを銀貨で売ったとされる、キリスト教最大の裏切者と知られている者です。他にもユダと言う名の者がいる為、出身地カリオテからとって「イスカリオテのユダ」と呼ばれています。
 「マタイの福音書」によると、ユダは十二使徒の一人でありながら金銭目的でユダヤの祭司長たちにキリストの引き渡しを持ちかけ、銀貨三十枚を得る約束をしました。その後、キリストと十二使徒は過ぎ越し祭の日に晩餐を行いますが、キリストは「君達の内誰かが私を売り渡すだろう」と言い、ユダにパンを与えました。ユダはその場を素早く離れたのでした。

 そして遂に運命の時が訪れます。ゲッセマネの園でユダは救世主に親愛の接吻をしました。接吻は「この者がキリストである」という敵への合図だったのです。現れた兵隊はキリストを捕らえ、ユダヤの祭司たちは裁判に掛けてキリストを処刑してしまいました。ユダはその罪深い行為が恐ろしくなり、銀貨三十枚を祭司たちの足元に投げ付け、自ら首を吊って命を絶ったとされています。
 では、裏切者の代名詞となっているユダについての絵画14点をご覧ください。一部閲覧注意がございますので、お願いいたします。
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若さの泉の絵画14点。老人が入ると青年へ。願望から伝説が生まれた若返りの泉

formerly attributed to Cristoforo de Predis 1450-65 -

 「若さの泉」は、入るだけで老人が瞬く間に若返るとされた伝説の泉です。「若返りの泉」「青春の泉」とも呼ばれています。
 西洋でいつ頃伝説が普及したかは定かではありませんが、中世時代にはあったようです。元々、水は不思議な力を持つと考えられており、新生児を水に浸ける洗礼が行われていました。また、新約聖書でキリストが「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわきあがるであろう」と語っており、原罪の贖いの為に流した血液と結び合わされ、泉はキリストや生命の象徴とされていました。こうした泉に対する神秘思想は一般に広がり、ずっと過去より存在した「泉に入ると若返えって青春を取り戻す」という伝説が普及するに至ったのです。
 「若さの泉」の作品は中世頃にも見られますが、ルネサンスと19世紀の象徴主義や近代絵画に流行し、何枚かの絵画が残されています。では、若さの泉についての絵画14点をご覧ください。

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聖カタリナの神秘の結婚の絵画13点。聖母に導かれ、イエス・キリストと結婚した聖女

Parmigianino -

 アレクサンドリアの聖カタリナは(287-305年)は「十四救難聖人」に数えられ、イエス・キリストと結婚した聖女とされています。
 アルメニア王の娘として生を受けた彼女は、周囲の者から結婚して欲しいと催促されても頑なに拒否していました。カタリナは血筋、富、知恵、容姿いずれにおいても自分より勝る者としか結婚しないと宣言していたのです。かなりの才女で美貌である彼女の要望に応える男性を知る者は誰もおりません。彼女は完璧なる理想の男性を待ち焦がれていました。

 そんな折、カタリナの元に隠者アドリアヌスがやってきます。彼は聖母マリアとキリストの使いで、彼女に教えを説きながら砂漠へといざないます。その先には豪華な修道院があり、聖人たちに導かれて聖母の元へ到着しました。カタリナを歓待したマリアは新しい衣服と洗礼を行うよう言い、身を清めた彼女はキリストの御前へと赴きます。マリアが「貴方への愛ゆえに地上の全てを捨てたカタリナが来ております」と告げると、キリストは「妻よ。手を出しなさい」と言い、カタリナの指に聖なる指輪をはめ込んだのでした。(カタリナがキリストと結婚する幻想を見たという説もあります)
 この「神秘の結婚」と呼ばれるテーマは人気のある主題だったようで、多くの作品が残されています。様々な年齢のキリストを見比べながら、神秘の結婚についての絵画13点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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