メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

イエス・キリスト

聖人の法悦の絵画14点。天使やキリストに遭遇する幻視をした者に生じる恍惚感

Giovanni Battista Piazzetta St. Teresa in Ecstasy -

 法悦(ほうえつ)は、宗教の教えを聞いたり、信仰することで心に喜びを感じることです。陶酔感や恍惚感をもたらすこともあります。
 天使やイエス・キリストの幻視に遭遇した際、何名かの聖人は法悦を体験したとされています。代表的なのは聖テレジアという聖女の法悦。彼女は天使と出会い、以下のような体験をしたそうです。

 私は黄金の槍を手にする天使の姿を見た。穂先が燃えているように見えるその槍は、私の胸元を狙っており、次の瞬間槍が私の身体を貫き通したかのようだった。天使が槍を引き抜いた、あるいは引き抜いたかのように感じられたときに、私は神の大いなる愛による激しい炎に包まれた。
 私の苦痛はこの上もなく、その場にうずくまってうめき声を上げるほどだった。この苦痛は耐えがたかったが、それ以上に甘美感のほうが勝っており、止めて欲しいとは思わなかった。
 
 私の魂はまさしく神そのもので満たされていたからである。感じている苦痛は肉体的なものではなく精神的なものだった。愛情にあふれた愛撫はとても心地よく、そのときの私の魂はまさしく神とともにあった。この素晴らしい体験をもたらしてくれた神の恩寵に対して、私はひざまずいて祈りを捧げた。
―Wikipediaより抜粋
 このシーンは神聖なるテーマでありながら、どこか性的な要素と結びついているように感じられたのか、敬虔な宗教画というよりも、セクシュアルな雰囲気をかもしだしている絵画も中には存在します。聖テレジアの他にも、コルトナの聖マルガリタ、シエナの聖カタリナ、アッシジの聖フランチェスコ、アルカンタラの聖ペドロ、マグダラのマリアなどの法悦の場面が絵画で描かれています。
 では、聖人の法悦についての絵画14点をご覧ください。

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カナの婚礼の絵画13点。婚宴の場で水を葡萄酒に変えた、イエス・キリストの初奇跡

Maerten de Vos 1597 -

 カナの婚礼(カナの婚宴)は、ヨハネの福音書に記されているイエス・キリストの最初の奇跡の物語です。
 故郷ガリラヤのカナの地で、キリスト一行は婚礼の祝宴に招かれます。結婚するのは聖母マリアの姉妹の息子。マリアは忙しく準備を行います。宴も過ぎて来た頃、葡萄酒がなくなってきてしまいました。マリアは困り、「イエス、どうしましょう」とSOSを出したので、キリストは召使いに「水がめに水をいっぱい入れて世話係のところへ持ってきなさい」と助言をしました。するとどうでしょう。ただの水が高級な葡萄酒に変わったのです!

 世話係は喜んで花婿にこう言いました。「普通、高級な葡萄酒をまず出しておいて、酔いが回って来た頃に劣った酒を出すものですが、あなたはいい葡萄酒を取っておかれたのですね!」と。弟子達はこの奇跡を目の当たりにし、キリストを深く信じたそうです。
 では、カナの婚礼に参加して水をワインに変化させるキリストの絵画13点をご覧ください。

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聖パウロ(サウロ)の絵画13点。キリストを幻視した奇跡により改心し、殉教した聖人

Jan Lievens St Paul 1627-29 -

 聖パウロは1世紀頃に生きたキリスト教の迫害者でしたが、幻視の奇跡により改心した聖人です。ユダヤ名はサウロで、新約聖書の著者の一人とされています。
 新約聖書の「使徒行伝」によると、サウロ(パウロ)はエルサレムのラビ(宗教指導者)の元で学び、熱心なユダヤ教信仰者でした。その為、キリスト教に反対しており、ステファノを石打ちの刑にする事にも賛成していました。しかし、サウロがダマスコへ向かう途中、天から光が降り注ぎイエス・キリストの声が響きました。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」と。そしてサウロの目が突然見えなくなってしまったのです。アナニアというキリスト教徒が彼の為に祈ると、なんと目が再び見えるようになりました。この奇跡を体験してサウロは改宗することにし、名前もパウロと改めたのでした。

 かつて信仰したユダヤ教の信徒から激しい迫害を受けながらも、パウロはアンティオキアを拠点にして弟子達と共に布教に励みました。三回の布教旅行を行った後、エルサレムで捕縛されて裁判の為にローマへと送られ、二年間軟禁生活となってしまいました。伝説によると、ネロ帝の時代にローマで斬首刑となり殉教したと考えられています。
 では、聖パウロの絵画13点をご覧ください。

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マルタとマリアの絵画14点。懸命なおもてなしとイエス・キリストのお話の優先順位

Alessandro Allori 1605 -

 マルタとマリアは新約聖書に登場する姉妹で、おもてなしをせずにキリストの話を聞くマリア(聖母やマグダラのマリアとは別人)に、マルタが不満に思ってキリストに諭される物語です。
 ある日、キリスト一行はとある村で姉妹がいる家に迎え入れられました。マルタは「イエス様をちゃんとおもてなししなくちゃ!」と忙しく立ち回り、色々な準備に追われていました。一方、マリアはキリストの足元に座って話に聞き入っており、まったく動こうとしません。一人せわしなく準備をしているマルタはそれをずるく思い、キリストにこう問いかけました。「主よ。マリアは私だけに準備をさせています。何とも思いになりませんか。手伝うようにおっしゃっていただけませんか?」対するキリストはこう返しました。「マルタ。あなたは悩みすぎている。必要なのは一つだけなのだ。マリアは良い方を選んだのだから、それを取り上げてはならない」と。

 この物語は「マリアが正解でおもてなしをするマルタが悪い」と言っている訳ではなく、「おもてなしをするのは良い事だが、お話をする間は手を休めて聞き入ってもいい。それを非難してはいけないよ」という意味が込められています。マルタが「客人が来たから早く準備しなきゃ!」と焦って神の話を聞き逃しているのに対し、マリアは「お話が終わってから、しっかりと準備しましょう」と思っているのだと思います。
 準備を頑張るマルタにお話を聞くマリア。対照的な二人の絵画14点をご覧ください。

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十二使徒の足を洗うキリスト(洗足式)の絵画13点。立場なく清め合う美徳のたとえ

Jesus Washing Peter’s Feet by Ford Madox Brown -

 洗足式は最後の晩餐の際、イエス・キリストが弟子の足を洗ったという記述により生じた儀式です。地位や立場関係なく互いの身を清め、徳を高め合おうという意味が込められています。
 新訳聖書によると、過ぎ越し祭が行われる木曜日、キリストと十二使徒達は食事を共にとりました。その時、弟子の間で「一番になるのは誰か」でもめ始めたのです。キリストはおもむろに立ち上がり、タオルを腰にはさんで洗面器と水を用意し、使徒達の後ろにまわって一人一人の足を洗い出したではありませんか。

 使徒達は驚きの余り成すがままにされていましたが、ペトロは「私の足なんか洗ってはなりません!」と足を引っ込めました。すると「洗わしてくれなかったら私の友ではない」とキリストが断言したので、ペトロは「じゃあ足だけじゃなくて頭も手も洗ってください!」とお願いしました。キリストは「君たちは清いので足だけで構わない。皆ではないが・・・」と意味ありげな事を発し、こう彼等に警句しました。「君たちは私を先生と呼んでいる。私が足を洗ったのだから、君たちも互いに仕え合わなければならない。私がしたようにしなさい」と。
 では、弟子たちの足をふきふき洗うキリストの絵画13点をご覧ください。

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賢い乙女と愚かな乙女の絵画13点。準備や勉学を怠るなかれというキリスト教の逸話

Peter von Cornelius  1813-16 -

 賢い乙女と愚かな乙女(十人の処女たちのたとえ)は、日頃からの準備や勤勉を怠るなかれという警句が込められたイエス・キリストのたとえ話です。
 灯を持って花婿をむかえる10名の乙女がおり、5名は賢く5名は愚かな乙女でした。賢い乙女は灯の他に油を持っていましたが、愚かな乙女は準備していませんでした。花婿が時間に遅れたので、灯の油が足りなくなってしまいました。賢い乙女は油を追加しましたが、愚かな乙女の灯は消えてしまいます。
 油を分けてくれと頼んでも「もう余分はないの。急いで買いに行きなさいな」と言われ、愚かな乙女達は油を求めて店に走っていきます。その間に花婿が到着し、賢い乙女たちは花婿と共に婚礼の部屋へと入りました。遅れてしまった愚かな乙女たちは中に入る事は許されず、花婿に「私はお前達を知らないな」とまで言われて締め出されてしまったのでした。

 これは天国へと入る門の比喩であり、天国へと入る為には臨終の間際では間に合わない。日頃から準備し、敬虔に祈って真面目に生活しなさいという意味が込められているのです。
 では、賢い乙女と愚かな乙女についての絵画13点をご覧ください。

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聖家族の絵画13点。幼子イエスと聖母マリア、ヨセフを中心に様々な聖人が集う作品

Joseph Paelinck 1781-1839 -

 聖家族はキリスト教美術のテーマの一つであり、幼子イエス・キリストと聖母マリア、養父ヨセフが描かれている場面の事を指します。彼等以外にもマリアの母アンナや洗礼者ヨハネ、その他の聖人達が加えられている場合もあります。
 幼少期のキリストの記述はそれほど聖書上にはありませんが、「キリストの降誕」や「東方三博士の礼拝」、「エジプトの逃避と滞在」等の物語を基盤にして、キリストとマリア、ヨセフの三名は「家族」の理想的な原型として考えられるようになり、聖家族というモチーフは生まれました。また、「エジプトの逃避と滞在」のテーマも聖家族の一体系とみられる場合もあります。聖家族の作品は15~17世紀のルネサンス、バロック時代に描かれ、今日でも数多くの作品が残っています。
 では、聖なる息子とご両親、聖人達が集まった聖家族の絵画13点をご覧ください。

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ロンギヌスの槍に関する絵画13点。キリストを突き刺したローマ兵の伝説なる聖遺物

Gerard de la Vallee Longinus piercing Christ’s side a spear -

 ロンギヌスの槍は、キリストの磔刑時において彼が息を引き取ったのかを確認する為に、脇腹を刺したとされている槍です。聖槍とも呼ばれています。
 伝説によると、槍の所有者であるロンギヌスはローマ兵であり白内障を患っていました。槍を脇腹に刺したところ、滴った血が目に当たって病気が治り、彼はキリスト教に改宗して聖人となりました。重要な聖遺物とされたロンギヌスの槍は、真偽のほどは定かではありませんが歴史上に度々登場します。

 イエスの処刑から約600~700年後には、槍は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあるアヤソフィア大聖堂にあるとされていました。その600年後にフランス国王ルイ6世が先端部のみを買い取りましたが、フランス革命により行方不明。本体の部分は15世紀にオスマン帝国のスルタンが教皇インノケンティウス8世に送り、現在においてもサン・ピエトロ大聖堂に非公開で保管されているそうです。

 また、このローマの聖槍以外にも「アンティオキアの聖槍」、「神聖ローマ皇帝の聖槍」、「アルメニアの聖槍」など様々な槍が「ロンギヌスの槍」であると解釈され神聖視されてきました。アーサー王の聖杯伝説においてもロンギヌスの槍は登場し、様々な伝承や伝説が融合した結果、「所有する者に世界を制する力を与える」という魔力めいた能力まで有するようになります。北欧やケルトの神話や民話において、伝説の武器を使いこなす者は国を総べる。というエピソードが度々みられるので、その影響がみられるような気がします。
 では、伝説のロンギヌスの槍にまつわる絵画13点をご覧ください。

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ペトロの否認の絵画13点。鶏の鳴く前に私はキリストの仲間ではないと三度宣言する

Follower of Gerard Seghers 1628 -

 ペトロ(ペテロ)の否認は、キリストがユダヤ側に捕まった際に、女中の「貴方も仲間だろう」という言葉に対し、ペトロが三度「違う」と宣言してしまった事件のことです。
 最後の晩餐の時、キリストは十二使徒のペトロに対して「貴方は鶏が鳴く前に、三度私の事を知らないというだろう」と告げ、ペトロは「そんな事はありえません!」と返します。その翌日、裏切者のユダが銀貨30枚でユダヤの祭司長たちにキリストを売り渡してしまいます。ペトロはキリストを守ろうと応戦しますが失敗。使徒たちは事件に怯え、その場から逃げ去ってしまいました。
 その後、責任を感じたペトロはキリストが捕らえられている屋敷に忍び込み、様子をうかがおうとしました。しかし女中の一人に見つかり、「あなた、イエスと一緒にいたでしょ」と言われるとペトロは「違う。分からない」と否定します。ペトロが三回否定した時、甲高い声で鶏が鳴いたのです。かつてキリストに言われたことを思い出し、「その通りだった!」とペトロは号泣するのでした。
 否認のシーンはバロック期の画家達に人気があり、暗闇の中で「違う」というペトロが沢山存在します。では、ペトロの否認の絵画13点をご覧ください。

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十二使徒 聖アンデレの絵画13点。布教に励み、X字型の十字架に架けられた聖人

Barroso Miguel -

 聖アンデレは新約聖書に登場し、十二使徒のうちの一人です。
 「マルコによる福音書」によると、ガラリヤで兄弟のペトロ、ヨハネとヤコブと共に漁をしていたところ、キリストが現れて教えを説いた途端に、不漁続きだった網に大量の魚がかかりました。彼等が驚いてひれ伏すと、キリストは「魚じゃなくて人を採る漁師になろう。ついて来なさい!」と声をかけ、四人は弟子となったそうです。また、わずかな食糧を持ってきた少年をアンデレが連れて来た際、キリストが奇跡を起こし、その少しの量で5000人分もの飢えた信徒のお腹を満たすことができました。

 キリストの昇天後、アンデレは黒海沿岸あたりで積極的に布教を行っておりましたが、ギリシャでローマ総督アイゲアテスに捕まって投獄され、処刑されることになりました。十字架の刑となった時、アンデレは「イエス様と同じでは恐れ多いので、斜めにしてください」と願い出た為、X字型の十字架に磔にされて殉教したとされています。十字架に磔にされて息絶える二日間の間に、二万人もの人に信仰を説いたという伝説もあります。
 他の使徒より影は薄いけれど、真面目に頑張る聖アンデレの絵画13点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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