メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

イエス・キリスト

イエスの養父、聖ヨセフの絵画13点。天使のお告げより悟る、妻の御宿りと逃避行

Posterazzi The Dream Of Saint Joseph -

 新約聖書に登場する聖ヨセフはマリアの夫であり、イエスの養父。ナザレのヨセフとも呼ばれています。
 ヨセフは旧約聖書のユダヤの王ダビデの末裔とされ、5人兄弟の中では一番信心深かったようです。職業は大工。エルサレムの大司祭の名でマリアと婚約をしましたが、彼女が結婚前に妊娠したことを知り、深く悩みます。マリアの為を思って、公表せずにひそかに縁を切ろうとしたヨセフ。しかし、彼の夢に天使が現れ、マリアが宿したのは神の子であると伝えます。ヨセフはその奇跡を尊び、結婚を果たしたのです。

 その後、マリアと共に息子イエスを育てたヨセフですが、その他のエピソードはあまりなく、エジプトへの逃避行のお告げを天使より授かり、家族で逃げるという活躍が残されるくらいです。彼の死去に関する記述もありません。伝承によると西暦20~30年に死去したとされています。30年だとしたら、イエスの磔刑とほぼ同時期になりますね。ちなみにマリアは西暦41年頃とされているようです。
 聖母マリアと比べると、あまりぱっとしない印象のヨセフですが、それでも多くの画家によって描かれています。今回は、主に二種類の聖ヨセフのお告げの絵画を紹介したいと思います。では、絵画13点をご覧ください。

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血からワインを作るキリストの絵画11点。我が血液はワインなりを実践した救世主

ec flamande, pressoir mystique, 1600 -

 キリスト教ではない方でも、イエス・キリストの血とワイン(葡萄酒)と関連があることを知っている方はいるのではないでしょうか。新約聖書の「最後の晩餐」において、キリストはパンをとって「これが私の身体である」と言い、ワインの入った杯をとって「これが私の血である」と言って弟子達に与えたということから、パンとワインはキリストを表す重要なものになりました。

 ユダヤ教の過ぎ越し祭では、子羊を殺めてその血を神の生贄に捧げることが行われました。その犠牲は「罪があがなわれる契約の血」とされています。旧約聖書のイサクの犠牲においても、子羊の犠牲の儀が行われています。キリストのパンとワインはそれを象徴しています。教会のミサでそれらが使用されることで需要が高まり、西洋においてワインはメジャーな存在になっていったそうです。
 「イエス・キリストの聖なる血=ワイン」という構図は絵画でも表現され、救世主自らがワインを作ったり、血をそのままワインとして民衆が飲んでしまう、なんていう作品もあります。
 では、血がワインにかわるキリストの絵画11点をご覧ください。

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エッサイの樹の絵画12点。旧約のダヴィデから新約へと繋がる、キリストの系譜

The O Antiphons as Medieval Carols O Root of Jesse -

 キリストの系統樹と言われる、エッサイの樹。
 旧約聖書、新約聖書共に言及されており、ダヴィデ王の父親であるエッサイから、最上のキリストにいたる系統樹を表現し、「イエスこそダヴィデの系統から生まれると予言された救い主である」という事を強調する為の画題となっています。イタリアよりも北方地域にてよく見られるテーマです。

 エッサイが根の部分を果たし、そこからダヴィデ、ソロモンをはじめとする旧約聖書の王達が幹や枝におり、最上部には聖母マリアに抱かれた幼子イエスの姿が描かれています。エッサイからキリストの間には約43世代いるのですが、流石にそこまでは加えられないので12人の王であったり、ダヴィデ&ソロモンのみであったりします。横側に預言者や、当時の教会の関係者が描かれている事もあります。
 では、血筋を巡るエッサイの樹の絵画12点をご覧ください。

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割礼を受けるキリストの絵画12点。大事な部分の皮を切除する、ユダヤの風習

Parmigianino The Circumcision 1523 -

 割礼とは男女に施される宗教的な、または衛生上的な施術です。男子は大事な部分の一部を切除するそうです。歴史は古く、イスラエルの他、古代エジプトやバビロニアなどの地域で宗教的な観点で割礼が行われました。
 旧約聖書の「創世記」にて、神がアブラハムにこう命じました。「あなたたちの男子はすべて割礼を受ける。切り取りなさい。これが契約のしるしとなる。・・・生まれてから8日目に割礼を受けなければならない」と。割礼を受けることはイスラエルの民ということ。この風習により、ユダヤの民であるイエス・キリストや十二使徒はみな割礼を受けました。

 新約聖書にも割礼の記述はあります。初期のキリスト教の会議において割礼は廃止となり、後年の西洋の者達にとってこの風習はそこまで行わない存在であったものの、このシーンは想像よりも多くの画家に描かれていました。
 では、割礼の絵画12点をご覧ください。ショッキングな描写はないものの、閲覧注意となりますので、そういった場面が苦手な方はご注意ください。

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海上を歩くキリストの絵画12点。暴風荒れる中しずしずと進み、使徒ペトロを導く

Juius Von Klever

 十二使徒と共に宣教し、徐々に信徒を増やしてきたイエス・キリスト。
 彼は少しのパンと魚で4~5000名程の群衆を満腹にさせる、という奇跡を行うと群衆はどよめきました。「彼こそ救世主メシアだ!王にしよう!」と。「世界を我々のものにしよう!」と言い出すものもあらわれました。キリストは群衆の邪な考えを感じ、人々を解散させて弟子達に船に乗り、ガリラヤ湖を渡ってカファルナウムへ行くように言いました。キリストは一人山に登り、神に祈ります。

 弟子達の乗った船は湖の真ん中あたりまできました。天気が悪く波はうねり、進むのに一苦労です。その時、使徒の誰かが「幽霊だー!」と叫びました。見ると、暗闇の水面に何者かが近づいてきます。皆、大パニックです。
 すると何者かは「安心しなさい。恐れることはありません」と言いました。ペトロ(ペテロ)は勇気を振り絞り「主よ。水上を歩けるよう、命令してください」と答えました。ペトロはゆっくりと水上を歩いてキリストの元へ行こうとしますが、暴風を感じて怖くなってしまった途端、沈み始めてしまいます。「主よ!」とペトロが助けを求めると、キリストは彼の手を掴み「信仰の少ない人よ、疑いに負けたのは何故ですか?」と問いかけました。
 二人が船に乗り込むと、暴風がやみました。船はするすると岸へと近付いていきます。弟子達はその奇跡に驚き「確かにあなたは神の子です」と敬意を表しました。
 海上を歩くキリストとペトロの絵画12点をご覧ください。

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クレルヴォーの聖ベルナルドゥスの絵画12点。マリアの彫像から母乳を飲む奇跡

Attributed to Jean Bellegambe St Bernard Clairveau Lactation -

 クレルヴォーの聖ベルナルドゥスは12世紀頃に生きたフランスの神学者です。
 ベルナルドゥスはフォンテーヌで騎士の息子として生まれました。母が信仰厚き人であったので、彼は修道院に入ることを希望し、20代の頃にシトー修道院へと足を踏み入れます。その三年後にクレルヴォー修道院が設立され、彼はその院長に抜擢されました。ベルナルドゥスは優れた説教と聖性、厳粛さを備えていた為、巡礼者が押し掛けるようになりました。その名声はいやにも高まり、彼は静かな修道院生活を望んでいたものの、教皇までもが彼に助言を求めるようになってしまったのです。

 ベルナルドゥスは教会分裂を収束させ、異端を抑圧し、十字軍勧誘の演説をするなどの業績を成し遂げました。しかし、熱狂的な支持を得た十字軍は失敗に終わります。このことがベルナルドゥスの影響力を弱めていき、様々な出来事も重なり、年齢の事もあって彼は世間から離れていくようになります。彼は1153年、クレルヴォー修道院の中で息を引き取りました。

 そのような人生を歩んだ彼に、一つの逸話があります。聖ベルナルドゥスは聖母マリアを特に信仰していました。ある日、彼が聖堂で「貴女の母たることを私にお示しください」 と祈りを捧げていると、なんと聖母マリアの彫像が動き出したではありませんか!しかも「母」であることを示す為、彼に母乳を飲ませたそう。なんというか、物凄い内容ですね。その物語は画家に衝撃を与えたようで、何枚かの作品が残されています。
 では、聖ベルナルドゥスについての絵画12点をご覧ください。

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父なる神の絵画13点。人間の所業を見透かし裁く、宗教の礎である世界の創造主

Pompeo Girolamo Batoni 1779 -

 「神」。それは人間が想像を絶するような絶対的で超越的な存在であり、崇拝する対象。
 ユダヤ教、イスラム教、キリスト教において神は唯一とされ、神と同列の存在はいないとされています。唯一神の名は「ヤハウェ」や「エホバ」と呼ばれており、慈悲深くも厳しい全能の存在と考えられています。
 旧約聖書でモーセは「偶像崇拝をしてはならぬ」と神をかたどった像を破壊しましたが、キリスト教のカトリック教は偶像崇拝を否定しておらず、後年の画家たちは「神」の姿を何枚も描いています。神は豊かなひげを生やした賢者風の老人として表現されることがほとんどで、それは神との仲立ち人である教皇の影響がみられたり、異教の主神の雰囲気を思わせる厳格な姿を思わせる場合もあります。
 では、父なる神の西洋絵画13点をご覧ください。


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眠る子供の絵画13点。天使やクピド、イエス、死などの象徴として眠る無垢な子供達

Sleeping Angel Leon Basile Perrault -

 すやすやと気持ちよさそうに眠る幼い子供。多くの人はその子を愛らしく感じ、世間の垢にまみれていないピュアな存在であるように思うのではないでしょうか。幼い子供は現代でも純粋無垢の象徴とされていますね。
 それは過去の西洋でも同様で、子供は純粋の象徴として、神の使いである天使や、愛を司るギリシャ神話の神クピド、人類の罪をあがなったイエス・キリストの化身として描かれることがあります。そして、無防備な「眠り」も無垢に結び付けられ、眠る子供というテーマが何名の画家によって描かれました。

 また、子供は誕生したばかりの存在として「生」の象徴とされる反面、出生して直ぐに命を落としてしまう可能性がある、もしくは生の表裏によって「死」のテーマにも登場します。眠る子供は死と結びつけられ、頭蓋骨や砂時計、花などと共に描かれました。
 では、様々な象徴となって眠る子供の絵画13点をご覧ください。

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どうしてこうなった宗教画13点。どこか不自然で突っ込みたくなる聖なる方達【第三弾】

Lombardy School, 18th Century. Christ Blessing -

 イエス・キリストや聖母マリア、天使、聖人などが描かれた宗教画は、信仰してきた対象を描くゆえに、神秘的で荘厳、均整のとれた美しい作品である場合がほとんどです。彼等の姿はほぼ形式化され、画家が異なれどもよく似た姿で描かれてきました。その表情も思慮深く、賢者そうな雰囲気をたたえているものが多いです。
 しかし、中には「どうしてこうなった」と思えるような作品が存在します。その原因は時代特有のものであったり、象徴的なものだったり、画家の個性であったり・・・。「こんな理由なのかなぁ」と思いつつも、思わず突っ込みたくなってしまう作品たち。
 では、「どうしてこうなった」と思える宗教画13点をご覧ください。衝撃的なものはありませんが、個性がきらりと光る作品をお楽しみください。

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エマオへの途上と晩餐の絵画13点。復活したキリストが弟子の旅に同行する奇跡

Supper at Emmaus by Caravaggio, 1601 -

 エマオへの途上と晩餐は、二人の弟子の旅に復活したキリストが同行するという、新約聖書で語られる物語です。
 キリストが復活した日の午後、弟子のクレオパともう一人の弟子はエルサレムからエマオへと向かって旅をしていました。二人は救世主の磔刑と復活の噂について話していました。すると、そこに旅人が現れて二人と共に歩き出します。旅人はキリストその人であったものの、二人は目がさえぎられていて気付きません。旅人が「何のことを話しているのか?」と訊ねて来た為、彼等はその一連の出来事を伝えて「あの方は見当たりませんでした」と言うと、旅人は「預言者の言う事を信用しない者達よ」と答え、彼は聖書に記述されている救世主の話を始めました。

 エマオへと到達しようという頃、旅人は更に進んでいこうとしたので、弟子は「一緒に宿に泊まりましょう」と誘いました。旅人は承諾し食卓に付きます。旅人はパンを手に取り、祈りの賛美を唱え、パンを二つに裂いて彼等に渡しました。その時、弟子たちは彼がイエス・キリストその人だという事を悟ります。はっとした時にはキリストの姿は既に消えていました。彼等は慌ててエルサレムへと引き返し、使徒達にその奇跡を伝えると、「こちらではペトロが奇跡にあった。イエス様は本当に復活なさったのだ!」と大騒ぎになったのでした。
 では、エマオへの途上と晩餐の絵画13点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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