メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

イスラエル

シバの女王の絵画13点。イスラエル王ソロモンに難問を仕掛けた博識な伝説の女王

Queen Of Sheba by Edward Slocombe -

 シバの女王は旧約聖書などに登場する伝説の女王です。
 旧約聖書の「列王記」によると、イスラエル王国のソロモンの見識ぶりを聞いたシバの女王は、知識を試そうと大量の贈り物を持ってエルサレムへと赴きました。女王は数々の難問をソロモンに浴びせますが、彼は事も無げに即答してしまいます。その賢さや国の様子にすっかり感心してしまった女王は、ソロモンに6トンもの金や香料などの贈り物をしました。ソロモンも彼女に対して敬意を表して贈り物をし、女王一行は帰国していったとされています。
 この話が元となり、様々な異説や伝説が生まれました。シバの王国はエチオピアやエジプト、南アラビアなどにあると考えられており、新約聖書や黄金伝説、アラビアやエチオピアの文献にも伝説が残されております。女王の本名はニカウレー、ビルキース、マケダなどとされています。
 では、シバの女王の絵画13点をご覧ください。

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サウルとヨナタンの絵画13点。ダヴィデを憎悪した王と、親友となった心優しき王子

Death of King Saul 1848 Elie Marcuse -

 旧約聖書の「サムエル記」に登場するサウルとヨナタンは、紀元前10世紀頃に生きたとされるイスラエル王国の初代の王と王子です。
 預言者サムエルがイスラエルの民を率いていた頃、王が欲しいという声が民から上がりました。サムエルは神の指示を頼りに王を探し、サウルを選びました。民は王となったサウルを歓迎し、彼は息子ヨナタンと部下達と共に国を守る為に懸命に戦いました。しかし、「アマレク人にまつわる者全て滅ぼせ」という神の指示に従わなかったので、神はサウルから離れ、サムエルはエッサイの子ダヴィデを次の導き手と決め、彼の頭に油を注ぎました。

 ダヴィデは敵将ゴリアテを討ち取って有名となり、神に見放されたサウルは王位に執着し出します。しかし、実直な息子ヨナタンはダヴィデの親友となり、義兄弟の契りを交わしました。竪琴の名手であるダヴィデはサウルを癒そうと音楽を奏でますが、サウルは嫉妬に狂って彼を殺そうと槍を投げ付けます。対するダヴィデは何度もサウルを殺める機会はありましたが、決して実行しませんでした。サウルは苦悩しながらも、嫉妬に燃える日々を送っていました。
 
 ペリシテ人が行軍してきた際、サウルは神の預言を得たくてもサムエルが他界していた為、降霊ができる魔女にサムエルの霊を呼び寄せさせました。サムエルは「イスラエルの軍勢はペリシテ人の手に渡る」と言い残します。サウルとヨナタンは懸命にペリシテ軍と戦いましたが、ギルボア山で追い詰められてヨナタンは戦死し、サウルは剣を立てて自ら倒れ込んで命を絶ちました。二人の遺体はペリシテ人に奪われてさらし者にされてしまいましたが、取り戻され、後に王となったダヴィデによって丁重に墓に葬られたそうです。
 では、サウルとヨナタンにまつわる絵画13点をご覧ください。

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よきサマリア人の絵画13点。永遠の命や隣人愛とは何かを問う、キリスト教のたとえ

Giacomo Conti 18th -

 「よきサマリア人のたとえ」は新約聖書のルカの福音書に記されている、キリストが語った永遠の命や隣人愛に関するたとえ話です。
 ある日の事。律法学者はキリストを試してみようと、「何をしたら永遠の命が得られるのですか?」と問い掛けました。それに対しキリストは「律法にはどのように書いてあるのか?」と返します。学者は「心や力を尽くし、主なる神を愛せ。また、自分を愛するように隣人を愛せとあります」と答えたので、キリストは「そのようにせよ」と言いました。学者は負けじと「では、隣人とは一体誰の事です?」と訊いたので、キリストはこのようなたとえ話をしました。

「強盗がある人を襲い、着物をはぎとって半殺しにしたまま逃げ去った。その後、一人の祭司が瀕死の人の側を通りかかるも、無視をした。更にレビ人が通りかかるも、無視をした。ところが、通りがかりのサマリア人が彼を気の毒に思い、傷口を消毒して包帯を巻き、宿屋へ連れて行って介抱した。翌日、サマリア人はデナリ二つを払い「この怪我人を看ていて下さい。余計な費用は私が払いますから」と言った。さぁ、通りがかりの三人のうち、誰が怪我人の隣人となったか」

 「それは慈悲深い事をした人でしょう」と答えた律法学者に対し、キリストは「では、貴方も同じようにしなさい」と返したのでした。怪我人を介抱するサマリア人のテーマは画家に好まれ、多くの作品が残されています。
 では、よきサマリア人の絵画13点をご覧ください。

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キリストの嘲笑の絵画15点。囚われの救世主は、民衆に野次られ攻撃されてしまう

Giulio Cesare Procaccini (1574–1625) - コピー

 「キリストの嘲笑」は、民衆たちによって嘲笑されるキリストを描いた作品を指します。
 裏切者ユダによってキリストは逮捕され、懐疑の目を向ける民衆たちの前に晒られてしまいます。大司祭に「お前が神の子ならば奇跡を起こしてみせよ」と言われ、「嘘なんだからそんな事はできないだろ!」と民衆にキリストは嘲笑され、その後、総督ピラトが有名な言葉「エッケ・ホモ(この人を見よ)」と言うのです。
 悪意ある民衆に攻撃される救世主という、悲惨とも思える主題なのですが、北方ルネサンスやバロック時代に多くの絵画が残されています。鞭打ちや茨冠、拷問や嘲笑、エッケ・ホモという絵画テーマは類似しており、一つの絵画に幾つの主題が含まれている場合もあります。
 では、キリストの嘲笑の絵画15点をご覧ください。酷い描写が含まれていますので、宗教的に抵抗のある方はご注意ください。

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ヤコブとエサウの絵画15点。旧約聖書の双子の兄弟は、長子権が原因で仲違いする

Rebecca   Isaac Blessing Jacob  Govert Flinck - コピー

 エサウとヤコブは、旧約聖書の「創世記」に登場する双子の兄弟です。
 父はイサク、母はリベカで、父は狩りを得意とするエサウを可愛がり、母は羊の世話をするヤコブを可愛がっていました。本当なら兄であるエサウが長子の権利を得るはずでしたが、エサウは空腹のあまり弟の作っていたレンズマメの料理が食べたくなり、権利を譲ろうと口約束をしてしまいます。

 父イサクは高齢で目が見えなくなっていた為、手の毛深さでエサウを判断していました。エサウはかなり毛深かったのです。それを知っていた母リベカとヤコブは、毛の付いた手袋をつけるという一計を案じました。それに騙されたイサクはエサウに祝福しているつもりで、ヤコブに長子権を与えてしまいました。後にそれを知ったエサウは、怒り狂って弟を殺そうと考えます。リベカはそれに気づいてヤコブを叔父の家へ逃亡させるのでした。
 二人は憎み合ったままで、20年の歳月が経った頃。ヤコブの使者がエサウの元に現れ、「再会しよう」と持ち掛けました。エサウはそれに400名の共を連れて応じます。ヤコブはその数に恐れを成し、7回身を屈め、低姿勢で待ちました。しかし、エサウは弟を憎むことなく、過去の事を水に流して抱きしめたのです。ヤコブもそれに返し、二人はやっと和解したのでした。
 では、二人の兄弟の仲違いと再会の絵画15点をご覧ください。

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ギデオンの絵画14点。旧約聖書の士師記に現る、神の導きでイスラエルを救った者

1625 -26  Nicolas Poussin -

 ギデオンは旧約聖書の「士師記」に登場する、イスラエルを救ったヘブライ人の指導者です。
 イスラエルは40年間平和であったものの、人々が神をないがしろにするようになりました。すると、ミディアン人が攻めてきて征服してしまったのです。イスラエルの人々は圧政に苦しんで主に助けを求めると、神はギデオンに天使を遣わします。貧しい生活者のギデオンは「貴方が国を救済しなさい」と告げられ驚き、「どうして私なんかが?神のご意志が真実なら、しるしを見せてください」と言います。すると、天使は岩から炎を出し、肉とパンを焼いたのです。ギデオンは神の意志のままに異教の偶像を破壊し、仲間を増やします。しかし、ミディアン人も同志を募り、敵は膨大な数となりました。

 ギデオンは再度神にしるしを求めました。「もし私が救済者とおっしゃるなら、羊の毛の上だけが濡れて、地面は乾いているようにしてください」と。神はそのようにして、羊の毛が乾いて、地面が濡れるという反対の奇跡も行いました。ギデオンの決心は固くなりましたが、神は「戦う民が多すぎる。もっと減らしなさい」と告げ、最終的に軍は300名となりました。300名でどう大軍と戦うのかと彼が不安に思っていると、神は夢の御告げを与えたのです。

 そして深夜。ギデオンは300名に水がめと角笛を持たせ、三隊に分けました。ギデオン率いる先発隊が敵陣へと進み、角笛を吹いて水がめを砕き、「主の為に、ギデオンの為に剣を!」と叫びました。それに続き、他の二隊も敵を包囲しながら、全く同じことを行ったのです。敵はパニックを起こして同士討ちを行い、敗走してしまいました。彼等は敵を追撃し、将軍の首を討ち取りました。こうしてイスラエルは国を取り戻し、ギデオンが王となって国を統治したのです。その平和は40年間続いたとされています。
 神の御力によって大軍を打ち破った指導者、ギデオンの絵画14点をご覧ください。

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ヘロデ王の一族の絵画13点。キリストやヨハネ、パウロに関わる残虐なユダヤの王

Théophile Lybaert  1883 -

 ヘロデ大王(紀元前73年頃-紀元前4年)はローマ時代にユダヤ地区を統治した王です。
 ハスモン朝の王子の側近にアンティパトロスという武将がおり、ヘロデの父親でした。彼はローマの権力者ユリウス・カエサルの信用を得て、カエサルの死後は元老院派に歩みより、ヘロデをガリラヤ地方の知事にさせます。その後ハスモン朝のヒカルノス二世の甥が反逆し、親ローマ派であったヘロデの身にも危機が及びます。ローマへと逃亡したヘロデは元老院からローマの軍勢を貸し与えられ、エルサレムにて反逆者を討伐しました。手柄を得たヘロデはユダヤの分封王となり、ヘロデ朝が成立したのです。
 王位についたヘロデはオクタヴィアヌス派に付き、生き残っていたハスモン朝の血縁者を抹殺しようとします。また、自らに楯突いた者はレビ族の祭司であろうと迷わず処刑し、独裁政治を貫きました。新約聖書においては救世主の到来を恐れてベツレヘムの二歳以下の新生児を虐殺したとされています。しかし、ヘロデ王はローマに準じた大建築物を幾つも建造し、人気を高めました。王の死後は息子三名が分割してユダヤ地区を収め、ガリラヤ地方の領主となったヘロデ・アンティパスがイエス・キリストや洗礼者ヨハネとに関わっていくのです。
 ヘロデ王とその後継者たちの絵画13点をご覧ください。
 
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聖ヒエロニムスの絵画16点。聖書をラテン語に翻訳し、ライオンを助けた過激な聖人

Matthias Stom  17th -

 聖ヒエロニムス(347年頃―420年)は聖職者と神学者であり、聖書をラテン語に翻訳しました。本名はエウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムス。
 彼は現在クロアチアになっている地帯ダルマティアに生まれました。始めはキリスト教に興味がなく、古典を熱心に勉強して各地を転々としていましたが、20代後半頃に重病を患ってしまいます。これを期に神学に身を捧げることを決心し、シリアの砂漠で隠遁生活を送りました。聖職者となった彼はローマで教皇ダマスス1世の庇護を受けます。当時、聖書にはラテン語訳のものはあっても断片的なもので、皆が理解できる完全版というものはありませんでした。故にダマスス一世の命でヒエロニムスはラテン語の聖書を作ろうと、多様な聖書を使って翻訳作業を行いました。
 教皇が崩御すると、彼はエルサレム、エジプト、ベツヘレムなどへ赴き、405年頃にラテン語版聖書を完成させます。この聖書はすぐに西洋周辺で用いられるようになり、校訂を繰り返しながらも現代に至るまでラテン語聖書の決定版としての地位を保ち続けているのです。
 バイリンガルの知識人であり、過激な性格であった聖ヒエロニムスの絵画、16点をご覧ください。

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商人を打ち倒すキリストの絵画15点。神殿内で鞭を振り、動物や金を蹴散らし大暴れ

Bernardino Mei  1655 -

 常に冷静で温厚なキリストだってブチ切れる時はあります。新約聖書において、キリストが大暴れする衝撃的なお話があるのです。
 キリストと弟子たちはイスラエルへ行った際、「過ぎ越し祭」が賑やかに行われていました。祈りを捧げる神殿内も人でごった返しており、動物たちの鳴き声が響いていました。イスラエルでは罪を清める為に動物を生贄として奉納する習慣があり、神への捧げ物ですから無傷の動物が必要とされていました。その為、境内には牛や羊、鳩が売られていました。また、ローマの硬貨をお賽銭にするのは罰当たりな行為とされていたので、イスラエルの古い硬貨に変える両替屋も商売に精を出していました。

 その光景を見て、キリストは激怒しました。落ちていたロープを結んで鞭を作り、振り回しながら動物たちを追い散らし、両替屋の台を蹴り倒して金を飛び散らかしました。憤怒像の如く怒り狂う姿は誰も止められません。そして、「こんなものはここから出せ!私の父の家を商売の家にしてはならぬ!」と怒鳴りました。神への真摯な祈りを捧げる場、神への誠意を示す奉納が「金儲け」という俗性に穢されたことにどうにも我慢がならなかったのです。商人たちはキリストの激しい行いに文句を言うことができず、神殿を後にしました。
 「神殿から商人を追い出すキリスト (Christ Drives Money-Changers from the Temple)」という主題である、キリストが大暴れをする作品15点をご覧ください。

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新約聖書の幼児虐殺の絵画14点。救世主の到来を恐れたヘロデ王は暴挙に走る

François-Joseph Navez  1824 -

 幼児虐殺は新約聖書の物語の一つです。英語ではMassacre of the Innocents(罪なき者の虐殺)と言います。
 マタイの福音書によれば、ユダヤのヘロデ王は東方の賢者たちから新しいユダヤの王が生まれたことを知ります。彼は地位が奪われることを恐れ、学者たちを集めてベツヘレムにて救世主が誕生したことを突き止めます。ヘロデ王は東方の賢者たちから詳しい話を聞こうとしましたが、彼等は王の陰謀に気付き、行方をくらましてしまいました。それに怒ったヘロデ王はベツヘレムの二歳以下の幼児を全て殺すよう兵士に命じたのです。
 一方、キリストの養い親ヨセフは天使の夢を見ました。彼は「息子と妻を連れてエジプトへ逃げなさい。ヘロデがイエスの命を狙っています」と語りました。ヨセフは飛び起きてマリアに事情を説明し、エジプトへ向けて出発します。こうしてキリストは間一髪でヘロデ王の驚異を逃れたのです。しかし、ベツヘレムの幼児たちは虐殺され、彼等が聖書における最初の殉教者となってしまったのでした。
 権威に狂った王が下した残酷な命令。幼児虐殺の絵画14点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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