
ユダ・マカバイは前2世紀頃に生きたとされる、ユダヤの民族的英雄です。旧約聖書の「マカバイ伝」に登場します。
セレウコス朝シリアの王アンティオコス4世エピファネスはエルサレムを占領し、ユダヤ教を迫害して神殿を略奪し、偶像崇拝を強要しました。憤るユダヤの民。モデインという町に住む祭司マタティアと五人の息子達は独立を求めて蜂起しました。息子の一人がマカバイ(金杯)と呼ばれたユダで、この争いはマカバイ戦争とされました。
蜂起の翌年にマタティアは死去し、ユダ・マカバイが反乱軍のリーダーとなってシリア軍と争いました。並々ならぬ指導力を発揮し、イスラエル側は敵を打ち倒していきます。シリアの王はリュシアスに制圧を命じて大軍を動かしますが、ユダ・マカバイはそれを退ける事に成功します。一時休戦を結んで宗教の自由を認めさせ、ユダ・マカバイはユダヤ教を復活させました。
その後も、ユダ・マカバイは周辺の民族と争いを続けていきます。シリア王が病死すると息子が跡を継ぎ、再びユダヤ側に進行してきましたので、彼は応戦したものの、敗北して追い詰められてしまいます。しかし、シリア側の将軍がクーデターを起こした為、両者は和平を結んで事なきを得ました。それからも数回シリア側と戦いが続きます。彼はシリア側に対抗すべく、ローマと同盟関係になることにしました。
しかし紀元前160年、シリア側は2万弱の兵に対し、ユダ・マカバイの兵は800名という圧倒的に不利な戦争(エラサの戦い)が起こります。「逃げろ!」という助言を訊かず、彼は「男らしく死のう」と敵に立ち向かっていきます。勇猛果敢に戦い、ユダ・マカバイは戦地にて命を落としました。兄弟二人は遺体を引き取り、その中の一人ヨナタンが彼の後を継いで兵を率いたそうです。
では、ユダ・マカバイについての絵画12点をご覧ください。
