メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

シュール

ハルピュイア(ハーピー)の絵画13点。アルゴナウタイ等に登場する鳥と女の怪物

Edvard Munch 1899 -

 ギリシャ神話に登場するハルピュイアはハーピーとも呼ばれ、アルゴナウタイの航海やアイネイアスの冒険のシーンに現れています。上半身が女性で下半身が鳥の姿とされ、翼で上空を飛んでいます。
 地母神ガイアと海神ポントスの子タウマスと、オケアノスの娘エレクトラの間に生まれたとされています。人間に未来を教えた為に、神の怒りを買って盲目にされたピーネウスという王がいるのですが、更に苦しめようと神々はハルピュイアを遣わしました。王が食事を食べようとする度に、上空からハルピュイアの大軍がやってきて、食べ物をさらっていきました。残った食物も臭気が凄くて食べられたものではなかったとか・・・。地味に酷い嫌がらせです。

 その後、ハルピュイアはアルゴナウタイの遠征隊によって追い払われ、違う島に移住しました。そこに上陸したのは英雄アイネイアスと仲間達。彼等が食事をしようと準備すると、同様にハルピュイアがやってきてご飯をかっさらいました。彼等が剣で切りつけようとしても、素早いし固いしで無駄に終わります。ハルピュイアは「旅の終わりに恐ろしい飢えが起こる」と予言して飛び去ってしまいまいした。アイネイアス達は予言通り飢餓に襲われましたが、終着点へ着いて事なきを得たそうです。
 では、怪鳥ハルピュイアについての絵画13点をご覧ください。

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中世彩飾写本のクジラ&イルカの絵画13点。作者の想像力でシュールな怪魚と化す

Paris 1900 15th manuscript Jonah and the Whale -

 島国である私達にとってはクジラやイルカは比較的身近な存在であり、昔から共生して暮らしてきました。クジラの肉を食べたことがある人もいるのではないでしょうか。
 西洋においてもクジラやイルカは付近を回遊しており、決して見られない環境ではありません。しかし、中世初期時代の海は北欧のヴァイキングが席巻しており、海に乗り出すのは危険が伴う為に西洋の人々は好んでいきませんでした。彼等が次々と海に繰り出していったのは15世紀半ばの大航海時代以降のことであり、それ以前は海は未知の怪物が潜んでいる恐ろしい場所だと思われていたのです。
 クジラやイルカの存在を旅人や宣教師の話で聞いた事はあれど、見たことがない人が大部分を占めたと思います。見たことがない人がクジラのような巨大な海の生物を描いたらどうなるか。「これがクジラなの?」と思うようなとんでもない姿になってしまいますよね。
 では、シュールなクジラ&イルカと思われるの写本挿絵13点をご覧ください。

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中世写本の装飾文字人間の作品13点。アルファベットがシュールな生物に変化する

GiovanninoDeGrassi 1390 -

 皆様は中学か高校の美術の授業で、漢字をイラストで表現するという授業をしたことはありますか?例えば「雲」という漢字をもくもくとした雲で描いてみたり、「猫」と言う漢字を寝転がる猫として描いてみたり。
 なんと、似たような事を中世時代の西洋人もやっていたのです。
 中世の彩飾写本に描かれている頭文字は、イラストで描かれているものがあります。それらの多くは人間や怪物、物語のワンシーンで表現されています。漢字は一文字で意味が通じるもので、一文字だとほぼ意味を成さないアルファベットとは異なりますが、西洋の人は様々な面白いイラストでアルファベットを装飾しようとしていたのです。
 では、13点の写本の装飾文字をご覧ください。

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アタランテとヒッポメネスの絵画13点。結婚を賭けたレースに黄金の林檎で勝利する

Willem van Herp 1650 -

 アタランテとヒッポメネスはギリシャ神話に登場する、徒競走で結婚する事となった男女です。
 アタランテはアルゴナウタイにも参加した優れた女狩人でした。彼女は男子を欲していたアルカディア王によって捨てられ、雌熊に育てられたのです。アタランテの名声が高まるにつれ、「嫁に欲しい」という男が詰めかけました。しかし、彼女は「私と徒競走して勝利したら結婚する。ただし、負けたら絶命よ」という条件を出しました。俊足に覚えのある若者がぞくぞくと立候補しますが、アタランテの素早さに完敗し、屍の山が生まれます。そんな中で名のり上げたのは、ヒッポメネス青年でした。

 彼はアタランテに敵わないと自覚していたので、ある秘策を持っていました。アフロディテ(ヴィーナス)に祈り、三つの黄金の林檎を授かっていたのです。「それらを走っている最中に順番に落としなさい」と女神はアドバイスしました。ヒッポメネスは言われたとおりにし、彼女が三つ目の林檎を拾っている間にゴールしました。かなりのズルですが、ともかく二人は結婚したのでした。
 しかし、彼等はキュベレーの聖域で情事をしてしまい、(アフロディテへの感謝を怠った為に女神が怒り、愛に狂わせたという説があります) そろって獅子の姿に変えられてしまったとされています。
 林檎を落として拾うアタランテとヒッポメネスの絵画13点をご覧ください。

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中世の悪魔についての絵画13点。西洋人が描きだした、シュールでゆるい悪魔の姿

Hellmouth, 1461, Jacobi de Ancharano (alias de Teramo) -

 神に反逆し人間を誘惑する者、悪魔。
 悪魔という概念は古くから存在し、キリスト教が成立する以前のゾロアスター教などの宗教でも、神に敵対する邪悪なる者がいると考えられてきました。キリスト教における悪魔は「神に謀反したルシファー側に付いた天使が地獄に落とされて堕天使となり、悪魔となった」と一般的にはされていますが、キリスト教に反する土着信仰や多神教の神々なども悪魔として数えられるようになりました。中世時代の人々は悪魔を「山羊のような角とコウモリのような羽、身体の所々に顔が付いている人間と獣が混じったかのような姿」と考え、様々な個性的な悪魔を描きだしたのです。
 では、中世時代の悪魔の姿13点をご覧ください。

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中世彩飾写本の不可思議な怪物14点。きもかわいい愉快なモンスターたち【第二弾】

 1325-1340 -

 中世時代、写本は「写字生」と呼ばれる修道院に属する修道士がせっせと書いていました。
 多くの修道院には写字を行う「写字室」が建てられ、君主や教会に依頼された本を手掛けていました。場所によっては羊皮紙の製作から製本まで、彩飾写本の作製の全てを行っていたようです。キリスト教の教義を伝える手段にもなる為、写字は修道院の大事な仕事であったのと同時に 、写本を貴族たちに売ることで貴重な収入源にもなっていました。
 彩飾写本はその名の通り、字だけではなく様々な装飾や挿絵が入れられています。その殆どは物語に関連した挿絵なのですが、中にはどうしてこんな怪物がいるの!?と思われるへんてこりんなモンスターが現れます。
 写字生のストレス発散なのか、趣味なのかは不明ですが、とにかく不思議でキモカワイイ怪物14点をご覧ください!

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オディロン・ルドンの絵画17点。幻想的で不気味な世界観を手掛けるフランスの画家

spirit-of-the-forest-1890 -

 オディロン・ルドン(1840-1916)は、幻想的で個性あふれる作品を手掛けたフランスの画家です。
 本名はベルトラン・ジャン・ルドン。名は父から由来しているものの、ルドンは母の愛称「オディーユ」からとった「オディロン」という名前を終始用いていました。彼は南フランスの都市ボルドーで裕福な家庭に生まれた次男でしたが、母親は長男を溺愛しており、ルドンは生後二日目にして田舎町ペイル・ルバードへ里子に預けられます。11歳になるまで親元を離れて寂しい思いをして育ったルドンは、絵を描いたり、森を歩いたり、本を読んだりして一人遊びをする内向的な子供となりました。

 厳しい父の言いつけで建築家の試験を受けたものの不合格となり、20歳の頃に植物学者と知り合って微生物の魅力に憑りつかれたルドンは版画を手掛けるようになります。24歳の頃に単身パリへ出た彼は何人かの芸術家の指導を受けました。普仏戦争を生き延びた後はパリで定住し、カミーユ・ファルグと結婚します。個展の開催や画集を出したルドンは徐々に名が売れていくようになりました。彼の作風は独特で、誰も真似ができないものでした。ルドンは孤独な心に住まう無意識を作品に反映させたのです。

 ルドンが46歳の時に待望の長男ジャンが生まれたにも関わらず、直ぐに亡くなってしまいます。この頃の画風はかなり暗く、鬱々としたものでした。しかし、3年後に次男アリが誕生した事でルドンの作風は一変します。色彩が踊るかのようなカラフルなパステル画を手掛けるようになったのです。世間からも作品が認められ、現代美術の最先端として有名な展覧会にも出品しました。ルドンの最期は風邪による免疫力の低下でした。元々病弱だったのと、次男アリが従軍して行方不明となった為に心配が祟ったのでした。死後もルドンの作品は人々に不思議な感覚を与え続け、シュールレアリスト達は彼を偉大な先駆者として見なしているのです。
 では、オディロン・ルドンの絵画17点をご覧ください。

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キリストの洗礼の中世挿絵13点。暗黒時代のイエスの洗礼作品は個性的だった

Book of Hours   Medieval and Renaissance Manuscripts -

 キリストの洗礼は、イエスがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けたという新約聖書の物語です。
 洗礼は古代イスラエルの時代より続いており、当時の洗礼方法は全身を川に浸すという浸礼(しんれい)を行っていました。中世西洋ではこの物語を「川に浸るキリスト」、「椀で頭に水をかけるヨハネ」、「祝福に来た神の化身である鳩」、「服を持つ天使」等で表現しておりますが、その描写がリアルではありえない、中世ならではの興味深い状態になっているのです。
 独創的な状態で洗礼をするキリスト達の中世挿絵、13点をご覧ください。

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ラザロの復活の絵画14点。キリストの奇跡によって死後4日目に蘇生する聖人

フアン・デ・フランデス  1514 -

 ラザロは死を迎えたものの、キリストによって復活した聖人です。
 「ヨハネによる福音書」によれば、ある日キリスト一行は友人であるラザロが病気であるという知らせを受けます。彼等は急いで駆けつけたものの、既に手遅れとなり、死後4日が経っていることを知りました。キリストは大層悲しんで涙を流しましたが、墓の前に立ってラザロの妹マルタに「石を取り除けて欲しい」と言います。彼女は「4日目なので臭っておりましょう」と拒否しようとしますが、キリストは「信じるなら神の栄光が見られます」と答えました。人々が石をどかすと、キリストは「ラザロ、出てきなさい」と言いました。するとどうでしょう。死んだはずのラザロが何事もなかったかのように、布を巻いたまま歩いて来たではありませんか。この復活を見た人々は仰天し、キリストの奇跡を信じたとされています。
 伝承によるとラザロはその後、トルコ南に位置する島キプロスの主教になったとされています。キプロス島にある聖ラザロ教会の地下にラザロの墓地があります。別の伝説ではマルタと末妹マリア(聖母とは別人)と共にフランスの都市へ着き、マルセイユで布教に臨んだとされています。
 キリストの奇跡の一つ、ラザロの復活の絵画14点をご覧ください。

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ネットショップ「めめんと・もり -美術と神話の不思議かいぶつ雑貨- 」がオープン!

表紙 -

 2017年10月1日(日)より、ネットショップ「めめんと・もり -美術と神話の不思議かいぶつ雑貨-」がオープンしました!
 美術と神話に関連した怪物のぬいぐるみや雑貨を販売するショップで、一つ一つ手作りをしております。現在ヒエロニムス・ボスのかいぶつと、クトゥルフの神々がございます。早速詳細を見てきましょう!
 なお、上記の画像をクリックしていただいてもネットショップへ飛ぶことができます。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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