メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

ダークな絵画

サン・バルテルミの虐殺の絵画12点。カトリックがプロテスタントを殺戮した悲しき事件

Joseph-Nicolas Robert-Fleury -

 サン・バルテルミの虐殺は1572年8月24日のフランスで、カトリック教徒がプロテスタント教徒を大虐殺した事件です。
 フランスでのカトリックはプロテスタントの事をユグノーと呼んでおり、1562-98年に渡って双方の間でユグノー戦争が起きていました。そんな折、国王シャルル9世の母カトリーヌ・ド・メディシスが、二つの教徒の和解を目指そうと、プロテスタントの指導者ナバラ王アンリと、王の妹であるマルグリットを結婚することを提案しました。1572年8月に結婚式は執り行われ、プロテスタントの中核であるコリニー提督など多くの貴族たちがパリに訪れ、結婚を祝いました。
 しかし、コリニー提督が狙撃される事件が起きて双方との溝は更に深まる事態となり、その二日後のサン・バルテルミの祝日に大虐殺は起きてしまいます。カトリックの強硬派がコリニー提督を暗殺し、シャルル9世の命によりプロテスタント派の貴族が大勢殺されます。その波紋は市民にまで及び、市内だけではなく地方でもプロテスタントの虐殺は行われてしまいました。その犠牲者は1~3万人と考えられています。
 では、サン・バルテルミの虐殺についての絵画12点をご覧ください。

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オディロン・ルドンの絵画17点。幻想的で不気味な世界観を手掛けるフランスの画家

spirit-of-the-forest-1890 -

 オディロン・ルドン(1840-1916)は、幻想的で個性あふれる作品を手掛けたフランスの画家です。
 本名はベルトラン・ジャン・ルドン。名は父から由来しているものの、ルドンは母の愛称「オディーユ」からとった「オディロン」という名前を終始用いていました。彼は南フランスの都市ボルドーで裕福な家庭に生まれた次男でしたが、母親は長男を溺愛しており、ルドンは生後二日目にして田舎町ペイル・ルバードへ里子に預けられます。11歳になるまで親元を離れて寂しい思いをして育ったルドンは、絵を描いたり、森を歩いたり、本を読んだりして一人遊びをする内向的な子供となりました。

 厳しい父の言いつけで建築家の試験を受けたものの不合格となり、20歳の頃に植物学者と知り合って微生物の魅力に憑りつかれたルドンは版画を手掛けるようになります。24歳の頃に単身パリへ出た彼は何人かの芸術家の指導を受けました。普仏戦争を生き延びた後はパリで定住し、カミーユ・ファルグと結婚します。個展の開催や画集を出したルドンは徐々に名が売れていくようになりました。彼の作風は独特で、誰も真似ができないものでした。ルドンは孤独な心に住まう無意識を作品に反映させたのです。

 ルドンが46歳の時に待望の長男ジャンが生まれたにも関わらず、直ぐに亡くなってしまいます。この頃の画風はかなり暗く、鬱々としたものでした。しかし、3年後に次男アリが誕生した事でルドンの作風は一変します。色彩が踊るかのようなカラフルなパステル画を手掛けるようになったのです。世間からも作品が認められ、現代美術の最先端として有名な展覧会にも出品しました。ルドンの最期は風邪による免疫力の低下でした。元々病弱だったのと、次男アリが従軍して行方不明となった為に心配が祟ったのでした。死後もルドンの作品は人々に不思議な感覚を与え続け、シュールレアリスト達は彼を偉大な先駆者として見なしているのです。
 では、オディロン・ルドンの絵画17点をご覧ください。

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夢魔と悪夢の絵画13点。フュースリから派生した、美女に忍び寄る不気味な悪魔

After Henry Fuseli's   19th -

 夢魔は睡眠中の人の夢に現れて、交わりを持とうとする悪魔の一種です。
 男性の夢魔はインキュバス(インクブス)、女性の夢魔はサキュバス(スクブス)と呼ばれています。コウモリに変身して部屋に侵入し、理想の相手を模したり、超絶美形の姿となったりして犠牲者に怪しまれないように事を成し遂げるとされています。しかし、夢魔の正体は非常に醜い化け物なのです。中世ルネサンス時代は本気で夢魔がいると信じられ、不義の子供が産まれた場合は夢魔が影響していると考えられました。
 そして、ロマン派の巨匠ヨハン・ハインリヒ・フュースリによって夢魔は絵画の世界に登場し、女性の上に乗る不気味な怪物を描く追随者が次々と現れます。また、夢魔を風刺に用いたり、悪夢を主題にした絵画を手掛ける者も出現したのです。
 夢魔や悪夢に関連した絵画13点をご覧ください。

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シェイクスピア作マクベスの絵画16点。血塗られた王は魔女達の予言通りに絶命する

 Buchel (1872–1950) -

 「マクベス」は1606年頃にシェイクスピアによって書かれた戯曲です。実在のスコットランド王であるマクベスをモデルとしており、「ハムレット」「オセロ」「リア王」と並び、四大悲劇とされています。
 ダンカン王に仕える将軍マクベスとバンクォーは戦争に勝利を収めました。その帰り道に三人の魔女と出会い、マクベスは「いずれ王になる方」バンクォーは「子孫が王となろう」と伝えられます。マクベスは武勲によりコーデの領主となり、王になることを期待しました。しかし、王は息子マルカムを継承者にすることを決め、彼は失意の中で王を暗殺することを考えます。それを後押ししたのは妻でした。まだ迷いがあるマクベスを叱咤し、暗殺計画を練りました。かくして二人は宴会途中で寝室へ忍び込み、短剣でダンカン王を殺してしまったのです。

 遺体が発見されて城内は騒然となり、二人の王子は危険を感じて国外へ逃げます。それが原因で王子に犯人の嫌疑がかけられ、マクベスが王を務めることになりました。王となった彼は喜びますが、バンクォーの予言に強い不安を覚えます。マクベスはバンクォーと息子フリーアンスに刺客を送り、殺害しようとするものの、息子は逃げ延びます。マクベスと夫人は次第に精神を病んでいき、マクベスは暴君と化していきました。安心を得ようと現王は魔女の元へ再び赴きます。「女の股から産まれた者はお前を倒せない。バーナムの森が来ない限り安全だ」という予言を受け、彼はこんな予言は実現しないだろうとほっとしました。一方、貴族のマクダフはマルカム王子の元へ訪れ、マクベス討伐の策を練っていました。

 マクベス王の元へ進撃してくるマグダフとマルカム王子の軍。その軍は木の枝を隠れ蓑として利用しており、その姿はまるで森のようでした。予言が実現してうろたえるマクベス。そして夫人は夢遊病を患い、自らの罪を嘆いて衰弱して死んでしまいます。自暴自棄になって戦場へ赴くマクベスの元へ、マグダフが現れました。「女の股から出た者に私は倒せないぞ!」と言うと、彼は「私は母の腹を破って出たのだ!」と告げます。激闘の末にマクベスは命を落とし、マルカム王子がスコットランド王となったのでした。
 では、権威の虜になって狂気に陥ったマクベスと夫人の絵画16点をご覧下さい。

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新約聖書の幼児虐殺の絵画14点。救世主の到来を恐れたヘロデ王は暴挙に走る

François-Joseph Navez  1824 -

 幼児虐殺は新約聖書の物語の一つです。英語ではMassacre of the Innocents(罪なき者の虐殺)と言います。
 マタイの福音書によれば、ユダヤのヘロデ王は東方の賢者たちから新しいユダヤの王が生まれたことを知ります。彼は地位が奪われることを恐れ、学者たちを集めてベツヘレムにて救世主が誕生したことを突き止めます。ヘロデ王は東方の賢者たちから詳しい話を聞こうとしましたが、彼等は王の陰謀に気付き、行方をくらましてしまいました。それに怒ったヘロデ王はベツヘレムの二歳以下の幼児を全て殺すよう兵士に命じたのです。
 一方、キリストの養い親ヨセフは天使の夢を見ました。彼は「息子と妻を連れてエジプトへ逃げなさい。ヘロデがイエスの命を狙っています」と語りました。ヨセフは飛び起きてマリアに事情を説明し、エジプトへ向けて出発します。こうしてキリストは間一髪でヘロデ王の驚異を逃れたのです。しかし、ベツヘレムの幼児たちは虐殺され、彼等が聖書における最初の殉教者となってしまったのでした。
 権威に狂った王が下した残酷な命令。幼児虐殺の絵画14点をご覧ください。

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ヴラド三世の絵画13選。串刺し公と呼ばれ、ドラキュラのモデルになったワラキア君主

Ambras Castle 1560 -

 ヴラド三世は15世紀に生きたワラキア公国(ルーマニア南部)の君主です。冷酷で非情とも思える統治をしていた為、串刺し公(ヴラド・ツェペシュ)、ドラキュラ公とも呼ばれていました。
 ヴラド三世は1431年にヴラド二世の次男として生まれました。彼が十代の時に、弟と共にオスマン帝国の人質となります。その三年後に父と兄が暗殺され、ヴラディスラフがワラキア公の地位に付きますが、ヴラド三世が帝国を利用して、君主の座を奪います。一度は失脚したものの返り咲いたヴラド三世は、反対派の貴族を虐殺し、権力の絶対化を進めました。彼は支援者だったオスマン帝国に反逆し、使者を串刺しにして返したので、帝国との戦争が始まりました。帝国のメフメト二世がワラキア公国へ攻め込んできた際、ヴラド三世はゲリラ戦や焦土作戦を使って反抗し、彼の兵士を大量に串刺しにして見せつけました。メフメト二世はこのショッキングな光景によって戦意を失い、撤退したとされています。

 しかし、今度はオスマン帝国がヴラド三世の弟ラドゥを支援し、ヴラド三世を失脚させます。彼は落ち延びた先のハンガリー王に捕らえられ、12年間幽閉されてしまいます。解放後、ヴラド三世は正教会からカトリックに改宗し、立て直しを図り、三度目のワラキア公になることができたものの、1476年にオスマン帝国と戦って戦死してしまいます。享年45歳でした。
 権力や国土の為なら残酷なことも辞さない、恐ろしきヴラド三世に関係する絵画13点をご覧ください。

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のこぎりで切られて殉教したイザヤの絵画12点。真っ二つになってしまった預言者

Bible 16th -

 「イザヤ書」の著者であるイザヤは、紀元前8世紀頃に生きた預言者です。
 彼はイスラエル王国に対する神の裁きと救済、メシアの到来などを預言し、信仰や罪の悔い改めを説きました。イザヤの死について確かなことは分かりませんが、初期キリスト教時代に執筆された書物「イザヤの殉教と昇天 」によると、彼はユダ王国の王マナセに捕まり、身体をのこぎりで二つに切られて殉教したとされています。この衝撃的な殉教の仕方は人々に強い印象を与えたのか、中世写本を中心に作品が残されています。中世時代の画風なので、エグくて恐ろしいことをやっていても、どこかシュールでちょっと変に見えてしまう作品ばかりです。
 預言者イザヤの殉教の絵画、12点をご覧ください。以下、閲覧注意となります!
→ イザヤについてもう少し詳しく知りたい方はこちら

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西洋キリスト教の地獄の絵画12選。悪魔は罪人を捕らえ、永遠に責め苦を与える

(Detail) Attributed To Jan Van Eyck  1430-1440 -

 キリスト教における地獄は、生前罪を犯した者へ罰を与える場所です。
 英語の「ヘル」は北欧神話の冥界を総べる女神ヘルから由来していますが、地獄は神話における冥界とは異なり、悪魔が罪人を酷く拷問し、責め苦を与えています。地獄へ落ちた者は天界へは決して行けず、最後の審判の後も永遠に苦しみ続けることになります。地獄の拷問は犯した罪によって様々ありますが、炎と関連付けられたものが多いように感じます。
 地獄の描写を表した有名な文学作品に、14世紀のダンテ・アリギエーリの「神曲」があります。ざっくり言えば作者自身がギリシャの詩人ヴェルギリウスと共に地獄へ降り、恐ろしい内情を見ながらも、天界まで登るといった内容です。物語には作者の色眼鏡が含まれていますが、後の芸術作品に大きく影響を与え、地獄の情景を決定するものとなりました。恐ろしい地獄を描いた絵画、12点をご覧ください。

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メランコリア(憂鬱気質)の絵画12点。暗く沈んだ感情は、芸術創造の根源とされる

Mary Magdalene as Melancholy  Artemisia Gentileschi  1621-22 -

 メランコリーは日本語で「憂鬱(ゆううつ)」であり、気分が優れない落ち込んだ気分のことを指しますが、メランコリアは古代ギリシア医学の学説「四体液説」に由来します。
 四体液説は「人体は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つで構成される」という考え方であり、人間の性格もそれらのバランスによって決まるとされています。その中で黒胆汁が多い者が「メランコリア(憂鬱気質)」と考えられており、現代で言えばうつ病に近いメランコリアの性質は余り良いものではないとされていました。しかし、哲学者や詩人、芸術家などの人物はメランコリアである比率が高いとされ、ルネサンス以降、メランコリアは芸術、創造を生み出す霊感の根源であると思われ、学者の文献、画家の寓意画に盛んに描かれることになりました。
 メランコリアの様子を描いた作品、12点をご覧ください。

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【作品13点】半分人間で半分骸骨。絵画や彫刻で流行った、メメント・モリの一形態

18th century Austrian vanitas -

 メメント・モリはラテン語で「死を忘れるな」という意味の、宗教、美術的スローガンです。
 始まりはローマ時代とされていますが、キリスト教が普及するようなってから、このスローガンは重要視され、様々な作品形態が生まれました。それはヴァニタスであったり、死と舞踏や死の勝利であったり、死と乙女であったりします。今回紹介する「half man(ハーフマン)」もそうで、縦から真っ二つに半分人間、半分骸骨で表された人体のことです。人間はいつかは死に、骨になるという強烈なメッセージが込められています。
 生と死、栄枯盛衰を表す「ハーフマン」の絵画と彫刻、13点をご覧ください。


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プロフィール
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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