メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

バロック

ヤコブとエサウの絵画15点。旧約聖書の双子の兄弟は、長子権が原因で仲違いする

Rebecca   Isaac Blessing Jacob  Govert Flinck - コピー

 エサウとヤコブは、旧約聖書の「創世記」に登場する双子の兄弟です。
 父はイサク、母はリベカで、父は狩りを得意とするエサウを可愛がり、母は羊の世話をするヤコブを可愛がっていました。本当なら兄であるエサウが長子の権利を得るはずでしたが、エサウは空腹のあまり弟の作っていたレンズマメの料理が食べたくなり、権利を譲ろうと口約束をしてしまいます。

 父イサクは高齢で目が見えなくなっていた為、手の毛深さでエサウを判断していました。エサウはかなり毛深かったのです。それを知っていた母リベカとヤコブは、毛の付いた手袋をつけるという一計を案じました。それに騙されたイサクはエサウに祝福しているつもりで、ヤコブに長子権を与えてしまいました。後にそれを知ったエサウは、怒り狂って弟を殺そうと考えます。リベカはそれに気づいてヤコブを叔父の家へ逃亡させるのでした。
 二人は憎み合ったままで、20年の歳月が経った頃。ヤコブの使者がエサウの元に現れ、「再会しよう」と持ち掛けました。エサウはそれに400名の共を連れて応じます。ヤコブはその数に恐れを成し、7回身を屈め、低姿勢で待ちました。しかし、エサウは弟を憎むことなく、過去の事を水に流して抱きしめたのです。ヤコブもそれに返し、二人はやっと和解したのでした。
 では、二人の兄弟の仲違いと再会の絵画15点をご覧ください。

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聖女アポロニアの絵画14点。歯を全部抜かれて殉教した、歯にまつわる守護聖人

Guido Reni -

 アポロニアはローマ時代のアレクサンドリア(エジプト)で、歯を抜かれて殉教した聖女です。
 彼女はキリスト教会内で非常に尊敬を集めていました。しかし、248年のローマ建国1000年祭の式典で、詩人が「災難が降りかかるだろう」と予言します。それによって国内は混乱し、怒りの矛先はキリスト教徒へ向けられました。4世紀にコンスタンティヌス1世がキリスト教を国教と認めるまで、肩身の狭い立場にあった彼等は、民衆の恰好の餌食となってしまったのです。
 聖アポロニアは捕らえられ、異教に改宗しろと迫られます。しかし、彼女は拒否したばかりか異教の像を破壊したのです。怒った民衆は やっとこ で歯を全て引き抜くという拷問を行います。(殴って歯を折ったとも) 彼等は城門の外に薪をつみ、火を付けて「改宗しなかったら生きながら燃やしてやる」と脅しました。聖アポロニアは怯むことなく自らその炎の中へ入っていき、殉教したのでした。
 「歯」にまつわる聖アポロニアの絵画14点をご覧ください。少しだけ閲覧を注意してくださいね。

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聖ヒエロニムスの絵画16点。聖書をラテン語に翻訳し、ライオンを助けた過激な聖人

Matthias Stom  17th -

 聖ヒエロニムス(347年頃―420年)は聖職者と神学者であり、聖書をラテン語に翻訳しました。本名はエウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムス。
 彼は現在クロアチアになっている地帯ダルマティアに生まれました。始めはキリスト教に興味がなく、古典を熱心に勉強して各地を転々としていましたが、20代後半頃に重病を患ってしまいます。これを期に神学に身を捧げることを決心し、シリアの砂漠で隠遁生活を送りました。聖職者となった彼はローマで教皇ダマスス1世の庇護を受けます。当時、聖書にはラテン語訳のものはあっても断片的なもので、皆が理解できる完全版というものはありませんでした。故にダマスス一世の命でヒエロニムスはラテン語の聖書を作ろうと、多様な聖書を使って翻訳作業を行いました。
 教皇が崩御すると、彼はエルサレム、エジプト、ベツヘレムなどへ赴き、405年頃にラテン語版聖書を完成させます。この聖書はすぐに西洋周辺で用いられるようになり、校訂を繰り返しながらも現代に至るまでラテン語聖書の決定版としての地位を保ち続けているのです。
 バイリンガルの知識人であり、過激な性格であった聖ヒエロニムスの絵画、16点をご覧ください。

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2018年10月「ルーベンス展―バロックの誕生」の展覧会が東京にて開催される!

ルーベンス展

 2018年10月16日(火)〜2019年1月20日(日)まで、東京の国立西洋美術館にて「ルーベンス展―バロックの誕生 展」が開催されます。近年では最大規模となるルーベンス展となりますので、大注目の展覧会です!
 まだまだ先のことで情報が公開されておりませんが、現在分かる作品と概要をお伝えいたします。

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スザンナと長老らの絵画13点。ダニエル書にある好色爺さんと節操ある女性の物語

Hendrick Goltzius  1558–1617 -

 スザンナと長老の物語は、旧約聖書のダニエル書に入っている短編の一つです。
 ある日、ヘブライ人の美しい女性スザンナは人払いをして庭で水浴していました。しかし、二人の好色な長老がそれをのぞき見していたのです。そればかりではなく、スザンナが帰宅しようとした時に眼前に立ちはだかり、「我等と関係を持たなければ、恋人と密会していたと夫に告発するぞ!」と脅迫しました。彼女はそれに屈することなく拒否したので、虚偽の罪で逮捕されてしまいます。まさに死刑にされようとしていた時、ダニエルという青年が異議を唱えます。彼は長老らにスザンナと男が密会した詳細を訪ねると、二人の話は一致しませんでした。逢引きした木が、一人は乳香樹、一人はカシの木と主張したのです。これにより嘘がばれ、長老らが処刑されることになりました。
 好色と偽りが罰せられ、美徳が勝利するというこの物語は1500年以降多くの画家に描かれてきました。スザンナと長老たちの絵画13点をご覧ください。


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ラザロの復活の絵画14点。キリストの奇跡によって死後4日目に蘇生する聖人

フアン・デ・フランデス  1514 -

 ラザロは死を迎えたものの、キリストによって復活した聖人です。
 「ヨハネによる福音書」によれば、ある日キリスト一行は友人であるラザロが病気であるという知らせを受けます。彼等は急いで駆けつけたものの、既に手遅れとなり、死後4日が経っていることを知りました。キリストは大層悲しんで涙を流しましたが、墓の前に立ってラザロの妹マルタに「石を取り除けて欲しい」と言います。彼女は「4日目なので臭っておりましょう」と拒否しようとしますが、キリストは「信じるなら神の栄光が見られます」と答えました。人々が石をどかすと、キリストは「ラザロ、出てきなさい」と言いました。するとどうでしょう。死んだはずのラザロが何事もなかったかのように、布を巻いたまま歩いて来たではありませんか。この復活を見た人々は仰天し、キリストの奇跡を信じたとされています。
 伝承によるとラザロはその後、トルコ南に位置する島キプロスの主教になったとされています。キプロス島にある聖ラザロ教会の地下にラザロの墓地があります。別の伝説ではマルタと末妹マリア(聖母とは別人)と共にフランスの都市へ着き、マルセイユで布教に臨んだとされています。
 キリストの奇跡の一つ、ラザロの復活の絵画14点をご覧ください。

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フランシスコ・ザビエルの絵画13点。始めて日本でキリスト教を伝えた、有名な聖人

Mattia Preti (Il Cavaliere Calabrese), Francis Xavier 17th -

 おそらくこの名を知らない人はいないのではないでしょうか。フランシスコ・ザビエル(1506-52)はカトリック教の宣教師であり、イエズス会の創設者の一人です。また、キリスト教を日本で始めて伝えました。
 彼は現在の北スペイン辺りにあるナバラ王国で地方貴族の家に生まれました。パリ大学に留学し、聖バルブ学院に入っている時、イグナチオ・デ・ロヨラと出会います。彼から強い影響を受けたザビエルは聖職者になることを決意。そして感銘を受けた青年らが集まり、ロヨラを総長にして「巡礼と奉仕、教皇が望むところ何処へでも行こう」と誓いが立てられ、イエズス会が創立されました。

 世界への宣教を目的にしていたイエズス会はポルトガル王ジョアン3世の依頼で、早速インド西海岸のゴアへ旅立ちます。ゴアへ着いた彼等は布教を開始し、そこで日本人と出会いました。ザビエルらは彼の導きで日本を目指し、鹿児島県へ到着します。薩摩国の大名、島津貴久に宣教の許可を得て布教を行い、キリスト教の良さを伝えますが、仏僧との折り合いが悪くなり、肥前国、周防国、京の国へと渡っていきます。徐々に信徒は増えていき、600名程になったと言われています。日本滞在から二年後、ザビエルらは一旦インドへ戻り、日本で布教するには文化に影響を与えている中国から行う方がいいと判断し、中国へ渡ります。しかし、中国への道筋は思いのほか険しく、ザビエルは病を患ってしまい、志半ばで息を引き取ってしまいました。享年47歳でした。その後、遺体はマラッカ経由でゴアに移されて安置され、70年後に聖人として数えられるようになりました。
 異国の地で布教を精力的に行ったフランシスコ・ザビエルの絵画13点をご覧ください。

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ディエゴ・ベラスケスの絵画14点。バロックを代表するスペイン黄金時代の巨匠

Portrait of Innocent X Oil 1650 -

 ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)は、バロック時代における画家です。17世紀スペインの最も偉大なる画家と言っても過言ではなく、多くの画家に影響を与えています。
 ベラスケスは南部の都市セビリアに生まれ、11歳頃に画家のフランシスコ・パチェーコに弟子入りしました。彼の仕事の呑み込みは早く、18歳の時には独立し、室内の情景や静物画を手がけました。翌年には師匠の娘フアナと結婚します。24歳に首都マドリードへ二度目の旅行した際、国王フェリペ4世の肖像画を描くことになりました。その出来栄えを気に入った王は彼を宮廷画家に任命し、それから37年間、ベラスケスは宮廷画家として働きました。

 彼の作品の特徴として、服のしわや装飾品、背景などを粗いとも言えるタッチで描くのに、遠目で見ると立体的、写実的に見えることです。「何でこのように見えるの?」と不思議に思ってしまう程、リアルに立ち現れてくるのです。それにより印象派の画家マネは彼のことを「画家の中の画家」と呼んで称賛したそう。ベラスケスは同時代の巨匠ルーベンスとも親交を持ち、イタリア旅行へと行った後、宮廷画家だけではなく王宮の重役に就くようになります。しかし、1660年にフランス国王ルイ14世の婚礼の準備をしていた際、突然病に倒れて亡くなってしまいます。享年61歳でした。
 独断と偏見に基づいてチョイスした、ベラスケスの絵画14点+αをご覧ください。

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ピーテル・パウル・ルーベンスの絵画15点。バロックを代表するフランドル界の巨匠

Boreas abducts Oreithya - by Peter Paul Rubens -

 ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)はバロック期に活躍したフランドルの画家、外交官です。
 両親は迫害によりベルギーのアントウェルペンからドイツへと避難し、そこでルーベンスを生みました。彼が10歳の時に父親が亡くなり、故郷へと戻ります。そこでルーベンスは様々なことを学び、貴族の未亡人の小姓となります。芸術の才能を認められた彼は画家組合に入会し、当時の主要な画家に指導を受けながら先代の作品の模写を徹底して行うことで、一人前の画家となりました。23歳の時にイタリアへ向かい、ルネサンスの巨匠の作品を吸収し、古代ギリシャの作品を学びました。その三年後には外交官としてスペイン王フェリペ3世の元へ赴き、絵画の制作依頼を受けながら各地を転々としました。しかし、ルーベンスが31歳の時に母親が亡くなり、アントウェルペンへ帰郷。ネーデルラント君主の妃イサベルの宮廷画家となった彼は故郷に工房を持ち、幾多の依頼を受けました。

 弟子を入れたルーベンスの工房は組織化し、中には美術館や図書館がありました。ルーベンスが構図や下絵、仕上げを施し、弟子が拡大や中途作業を行いました。弟子の特性を理解し、任せる者を景色や動物によって変え、賃金は描いた分量により決めていたそうです。弟子の中で一番頭角を現したのがアンソニー・ヴァン・ダイクで、共同制作する時もありました。その後、ルーベンスは外交官を行いながら各地で肖像画や連作を手掛け、国際的に有名となりました。晩年は故郷周辺で仕事をしながら暮らしていましたが、痛風を患っていた彼は1640年5月に心不全により亡くなりました。現在故郷の聖ヤーコプ教会に静かに眠っています。
 ルーベンスの作品は数限りなくあり、どれを紹介して良いか迷ってしまいましたが、あえてあまり観たことがないマイナーそうなものを選びました。作品は年代順に並んでいます。では、バロック時代の多産の巨匠ルーベンスの絵画15点をご覧ください。

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旧約聖書のヤエルの絵画14点。金槌で頭に釘を打って将軍を倒した、勇敢な女性

Ottavio Vannini  1640s -

 旧約聖書の「士師記」に登場するヤエルは、将軍の頭を釘で打って倒した女性です。
 当時、カナンとイスラエルは争っていました。イスラエルが勝った時、カナンの将軍シセラはヤエルの天幕の中へ逃げ込みました。ヤエルはへベルの妻であり、夫はカナンの王と知り合いだったので、助けてくれると思ったのでしょう。ヤエルは「どうぞ、お入りください」と言って彼にミルクを飲ませ、布で覆いました。シセラは安心して布の中でじっとしていました。やがて彼は熟睡してしまいます。
 しかし、ヤエルはイスラエルの味方でした。彼女は天幕の釘を取ると、金槌を手にします。そしてシセラの元へゆっくりと歩いていくと、おもむろに釘を彼の頭に当て、力いっぱい金槌を振り下ろしたのです!ガーンと!釘は頭を突き抜けて地面にまで刺さり、シセラは即死をしました。こうして彼女はイスラエルの将軍バラクを見つけ、貴方の探している敵はこちらです、と死んでいるシセラを差し出したのです。
 金槌で頭に釘を打つという凄まじい攻撃をして敵将を討ち取った、ヤエルの絵画14点をご覧ください。

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プロフィール
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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