メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

フランス

仮面舞踏会の絵画13点。イタリア ルネサンスより流行った、素性を隠す妖しき祭典

Angelo Caroselli - Masquerade -

 仮面舞踏会(マスカレード)は15世紀のイタリアより始まった、仮面を被って素性を隠し参加するダンスパーティーのことです。
 イタリアのヴェネツィアでは、仮面を被って踊る「ヴェネツィア・カーニバル」が1162年頃に興りました。また、中世後期の宮廷内では、特別な機会の時に派手な衣装を着て行進したり、仮装して余興したりする「仮装舞踏会(モリスコ)」が流行っていました。これらのイベントが混ざり合い、仮面を被りながら踊る公的な式典である「仮面舞踏会」は誕生したのです。
 仮面舞踏会は17、18世紀に西洋全土に広がり、上流階級の間で大人気のイベントとなりました。仮面をした者たちは素性が分からないよう工夫を施し、踊ったり話したりしながら誰かを当てるという余興を行っていました。目元だけではなく顔を覆うタイプのものや、装飾をしたものなど様々なデザインの仮面が生まれたのです。仮面舞踏会は人気すぎてトラブルも多く、決闘での死者や暗殺なども起きており、風紀を乱すイベントとして禁止令を出した国王もいたほどでした。仮面舞踏会の文化は現在でも受け継がれており、妖しくも華やかなダンスパーティが密やかに行われているのです。
 仮面舞踏会に関する絵画13点をご覧ください。

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ジル・ド・レの作品12点。ジャンヌを支援したが、欲望の為に少年達を虐殺した軍人

Éloi Firmin Féron 1835 -

 ジル・ド・レ(1405-40)は百年戦争時代に生きた軍人貴族です。
 フランスのブルターニュ地方生まれ。彼が11歳の時に両親が死去してしまい、祖父に育てられます。祖父ジャン・ド・クランは目的の為なら手段を選ばない人であり、彼はその背を見て学んでいきました。祖父は彼を政略結婚に利用し、領主の娘カトリーヌを誘拐して強引に二人を結ばせました。祖父のコネにより軍人となると、ジル・ド・レはシャルル七世の側近に重宝されて軍を扱える立場となりました。1429年のオルレアンの戦いにおいて、ジャンヌ・ダルクに協力して一躍英雄となりますが、彼女がイングランドに捕らえられて処刑されてしまい、ジル・ド・レは領地にこもってしまいます。

 派手好きだった彼は美術品を買い漁ったり、連日豪華な宴を催したりしました。莫大にあった富は尽き始め、自称錬金術師のフランソワ・プレラーティらの影響もあり、錬金術や黒魔術に耽溺してしまいます。正義感がある一方、私利私欲の為なら何事も辞さない側面があるジル・ド・レは、黒魔術の利用の為に町の少年たちを拉致するようになります。悪魔への生贄の為に少年の心臓を捧げていたのですが、じきに辱めと殺人の快楽に目覚めてしまい、多くの少年らは残虐な欲望の為に殺されたのでした。

 近隣ではジル・ド・レが犯人だという噂が流れていましたが、百年戦争の功労者であり名門の出である彼を逮捕するのは、難しい問題でした。しかし、1440年にジル・ド・レは聖職者を捕らえる為にミサ中の教会に軍で押し入り、大罪を犯します。それを口実に大司教は「悪魔崇拝、少年惨殺、掟破りの罪」で告発し、彼は逮捕されます。裁判で恐ろしい行為が次々と暴露され、城からおびただしい少年の死体が出て来ました。犠牲者の数は300~1500名にも上ると伝えられています。同年10月、彼は絞首刑にされました。彼の遺体の周りには人だかりができ、魂が救済されるよう祈りが捧げられていたそうです。
 ジル・ド・レの作品と、青ひげに関する作品12点をご覧ください。

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狂えるオルランドの絵画14点。十二勇士(パラディン)をモデルにしたイタリア叙事詩

angelika-and-medor  Orlando Furioso  Ludovico Ariosto -
 

 「狂えるオルランド」は、ルドヴィーコ・アリオスト作によって1516年に発行された、フランスを舞台にしたイタリアの叙事詩です。内容はマッテーオ・マリーア・ボイアルド作の未完の叙事詩、「恋するオルランド」の続編、「ローランの歌」の前日談という形式をとっており、シャルルマーニュと十二人の勇士(パラディン)の活躍、オルランドの失恋と発狂、イタリアの有力貴族であるエステ家の起源が書かれています。
 ある日、王主催の馬上試合にアンジェリカという美人の姫がやって来て、パラディンの一人オルランド(フランス読みでローラン)は恋煩いをしてしまいます。彼女を求めて世界中を旅し、再三の帰還命令も無視して歩き回るオルランド。しかし、恋は実らずに彼は発狂してしまうのでした。

 一方、フランスの女騎士ブラダマンテはイスラムの戦士ルッジェーロと恋に落ちます。敵同士であった二人は周囲の激しい反対に合いますが、困難にめげずに愛を貫き、結ばれます。こうして二人の子孫がエステ家となったのでした。また、他にも支流の物語がたくさんあり、その中にはオルランドの理性を求めて王子が月へ行った話、ルッジェーロがアンジェリカを救う話、中国やタタール人の王との戦いの話などが散りばめられております。めちゃくちゃ長い話で、登場人物も多いので、これらのことだけで全貌を知ることはできませんが、物語を知る一存になれば幸いです。
 では、狂えるオルランドに関する絵画14点をご覧ください。

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ローランの歌の挿絵13点。騎士ローランの武勲を称える、フランスの英雄叙事詩

Batalla_Roncesvalles -

 「ローランの歌」はシャルルマーニュの甥ローランを称える、11世紀に成立したフランスの英雄叙事詩です。
 シャルルマーニュには優れた12名の勇士(パラディン)がおり、その中の一人がローランでした。サラセン帝国の支配下にあるイベリア半島を奪い返そうと、彼等はスペインで戦闘していました。戦いは優勢となり、サラセン側の王は停戦交渉を持ち掛け、もしシャルルマーニュがフランク王国へ帰るなら、自分はキリスト教へ改宗して人質をも差し出そう、と言いました。条件を呑もうか考える王に、ローランは「止めよう。罠だ」と、ガヌロンは「受け入れよう」と進言しました。
 結局シャルルマーニュは条件を呑むことにして、使者を誰にしようか悩みます。そこで、ローランは「ガヌロンを推薦する」と言って、それが採用されました。しかし使者の役目は危険がつきもの。ガヌロンは「自分を殺して、領地を乗っ取るつもりか?」と疑心暗鬼に駆られ、ローランへの復讐を目論んでしまいました。

 使者としてサラセン側へ行ったガヌロンは、退却しようとしたシャルルマーニュの軍を背後から襲撃し、ローランを殺害しようと王たちと計画を立てました。フランク王国へ帰ることを決めたシャルルマーニュは、「最後尾を誰にしよう」と言うと、自軍へと戻ったガヌロンはローランを推薦します。殿軍を務めることになったローランの元に、サラセンの大軍が押し寄せてきます。敵の余りの多さに軍は総崩れとなり、ローランはやっとのことで援軍を呼ぼうと角笛を吹きました。裏切りに気付いたシャルルマーニュらは直ぐに戦闘に加わり、更に援軍を寄こします。その間にローランは獅子奮迅の戦いを見せていましたが、親友は命を落とし、遂に彼も力尽きてしまいます。戦争には勝利したものの、英雄は戦場でその命を散らしてしまったのでした。
 中世と近代の二種類から、ローランの歌の作品13点をご覧ください。

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オーギュスト・ルノワールのマイナー絵画15点。こんな作品も描いた印象派の巨匠

Pierre-Auguste_Renoir Diana als Jägerin 1867 -

 ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)はフランスの印象派の画家です。
 彼はリモージュという町に生まれ、3歳の時にパリに移りました。十代の時に磁器の絵付きや扇子の装飾などの仕事を行い、20歳の時に画家になろうと決意。アカデミズム絵画を手掛けるシャルル・グレールの塾に入り、そこでモネやバジールらと出会い、23歳の時にサロンで初入選を果たします。普仏戦争の後にモネやピサロと共に「第一回印象派展」を行いますが、結果は厳しい批判を受けました。二回、三回の印象派展は芳しくはなかったものの、徐々にファンが現れるようになります。37歳の時に再びサロンに応募したところ入選し、印象派展からは距離を置くようになります。
 
 その二年後にアルジェリアとイタリアを旅行し、古典的な作品に感銘を受けたルノワールは、明確な線を描くようになります。ですが、自らの画風は違うと思った彼はまた温かみのある風合いの裸体画を描き、その頃にはルノワールの名声は高まっていました。しかし、56歳の時に自転車事故でリウマチを発症、以後は病気と闘いながらの作品制作となります。晩年は南フランスに移り住み、家族や風景、裸婦などをモチーフにして数々の作品を生み出しました。名声は西洋中に広がり、マティスやピカソなど若き画家が自宅訪問したと伝えられています。その頃彫刻にも興味を抱き、彫刻デッサンを手掛けるようになります。4000点以上作品があるとされる多産の画家ルノワールは、1919年12月に肺の血液が異常に増える肺うっ血という病により亡くなりました。享年78年でした。

 ルノワールの作品は光に満ちた風景画や人物画、水浴画が多いですが、趣向を変えて神話や物語に関連した、ちょっとマイナーな作品をご紹介したいと思います。あくまでも主観的なものなので、「これメジャーじゃん!」と思ってもお許しください。
 では、ルノワールのマイナーな作品15点+αをご覧ください。

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近代絵画の父ポール・セザンヌのダークな作品16点。感覚の実現を追究した画家

Paul Cézanne - Young Man With a Skull -

 ポール・セザンヌ(1839-1906)はフランス出身のポスト印象派の画家です。
 ロマン主義的な作風を手掛けた後、印象派グループに在籍しておりましたが、独自の画風を確立してピカソやマティス、ブラックなどの現代画家に強い影響を与えました。その為「近代絵画の父」と称されています。セザンヌといえば机と果物が描かれた静物画や風景画、水浴画などがよく知られていますが、油絵約900点、水彩画約350点、デッサン約350点のとても多くの作品を残しています。

 彼は1860~70年代を中心して、暴力や死、女性の神秘や美、誘惑をテーマにして描きました。実際のモデルを用いず、想像だけで描く「構想画」を使ってロマン主義的な絵画を描き、内面の感情を強調しようとしたのです。その後、モネやルノワールが属する印象派と出会って風景画や水浴画、人物画を手掛けるようになりますが、印象派の者達が光の表現や時間の色合いの推移を表現しようとしたのに対し、セザンヌは「感覚の実現」にこだわりました。対象をそのまま模写せず、自らの感覚を通して世界を構築しようとしたのです。印象派から離れた後は静物画と人物画に精を出すようになりました。また、晩年にはヴァニタスを主題とした頭蓋骨が置かれた絵画も制作しております。
 今回は初期の頃のロマン主義的なテーマの作品と、晩年のヴァニタス画を紹介していきいたいと思います。ダーク系の絵画ばかりで見るポール・セザンヌの絵画16点をご覧ください。

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フランス絵画の宝庫 ランス美術館展の展覧会が豪華!ダヴィッドにドラクロワなど…

フランス絵画の宝庫

 2017年4月22日~6月25日まで、損保ジャパン日本興亜美術館にて「フランス絵画の宝庫 ランス美術館展」が開催されております!(東京の展覧会は終わってしまいましたが、巡回展があります。詳しくは記事下にあります)
 ランス美術館で保存されている大切な作品約70点を借り、17世紀―20世紀までの華麗なるフランスの歴史が語られます。ダヴィッド、ドラクロワ、クールベ、ピサロ、コロー、ゴーギャン、ミレー、フジタなど、一度はどこかで聞いた有名な画家たちが展覧会へ集結します!早速内容を見ていきましょう。

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フランス皇帝ナポレオンの絵画12選。イケメン長身と小太りおチビ、理想と現実の差

Paul Delaroche 1840 -

 ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)はフランス革命期の軍人、政治家であり、ナポレオン一世として皇帝にも即位しました。
 コルシカ島に生まれたナポレオンはフランスへ行き、陸軍士官学校を卒業します。砲兵士官へ入ると、まもなくフランス革命が勃発します。王党派を支持するイギリスやスペインの艦隊を砲撃で追い払い、この功績によって一気に昇進することになります。一度は逮捕されるものの、反乱を鎮圧する為にナポレオンは呼びだされ、戦う度に彼の功績は増してゆきました。1798年にはエジプトを支配し、国民の英雄となっていました。その時には、総裁政府は弱体化しており、ナポレオンはクーデターを決行して政府を倒し、フランス革命に終止符を打ちました。
 フランスの全権力を握ったナポレオンは征服戦争を展開し、1804年にナポレオン一世としてフランス皇帝となります。しかし、ロシア遠征が失敗したことによって事態は急転し、彼は退位させられます。一度は復権しましたが、1815年のワーテルローの戦いに敗れてセントヘレナ島に流され、そのまま人生の幕を閉じました。

 ナポレオンの肖像画を多くの画家が描きました。ただ、その絵画が両極端で、彼を美化してイケメンに描く画家と、彼をありのままか、それより酷く描く画家の二者が存在しました。
 小男で小太りと噂される、ナポレオンの理想と現実の絵画12選を、両者を比較しながらご覧ください。



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ジャンヌ・ダルクの絵画15選。オルレアンの乙女から一転、国の謀略により火刑となる

Charles Amable Lenoir -

 ジャンヌ・ダルクは「オルレアンの乙女」とも呼ばれ、15世紀のフランスに生きた実在の女性です。
 12歳の時に「フランスの皇太子を即位させよ」という神の啓示を受け、自ら戦争に出向いて兵士たちを指揮し、イングランドとの戦争で負け続きだったフランスに勝利をもたらしました。しかし、彼女はブルゴーニュ公国に捕虜として捕らえられ、敵国イングランドへ引き渡されてしまいます。そこで異端審問を受けて死刑判決を言い渡されます。1431年、ジャンヌ・ダルクは火刑に処されました。若干19歳でした。ですが、それから数十年後には彼女の無実が証明され、20世紀には神の声を聴いたことが認められ、カトリック教の聖人に列されています。
 ジャンヌ・ダルクの勇ましく美しい絵画、15点をご覧ください。


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ボスにブリューゲル、アルチンボルド!フランスの採石場跡が3Dマッピング絵画に!

Bosch, Brueghel , Arcimboldo2

 フランスのプロヴァンスにある「キャリエール・ド・ルミエール(光の採掘場)」は、採石場の跡地を利用してアートショーを行っています。その方法が、全方位のプロジェクションマッピングなのです。70ヶものプロジェクターを使用し、採石場の壁や天井、床に映し出される絵画の画像は大迫力で、見る人のほとんどは鳥肌が立つと言われています。過去にはヴァン・ゴッホ、モネ、ピカソ、マティス、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、シャガールなどの絵画が取り上げられました。
 そして、2017年の今年はルネサンス時代のファンタスティックを代表する画家「ヒエロニムス・ボス(ボッシュ)」「ピーテル・ブリューゲル」「ジュゼッペ・アルチンボルド」の三名の絵画が映し出されるのです!
 早速詳細を見ていきましょう!



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プロフィール
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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