メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

フランドル絵画

ベルギー象徴主義の絵画14点。世紀末に興った、神話や歴史を題材にした幻想芸術

Death at the Ball, by Felicien Rops, 1875 -

 象徴主義は19世紀後半より始まった芸術運動です。
 この時代は科学的な進歩がめまぐるしく、街並みや自然の風景、時事問題など現実的な側面に目を向ける風潮がありました。しかし、一部の者達はそれに反発し、神話や聖書、伝説などの古典的なテーマを好んで取り上げるようになります。彼等は現実の世界では描写できないような象徴(シンボル)を描きだすことで、生死や宗教性、神秘性などの観念を表現しようとしました。象徴主義はイギリスのラファエル前派より始まり、フランスやベルギーに伝播していきました。
 ベルギー象徴主義の画家はヴィールツやロップス、クノップフなどが代表に上げられます。フランドル地方は古来より独立した芸術形態を持ち、彼等はその流れを受け継いでいます。また、16世紀の画家ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲル(父)からも影響を受け、幻想的で皮肉めいた世界を表そうとする者も現れました。
 ベルギー象徴主義の作品といっても多数ある為、このブログらしく生死をテーマにした作品を取り上げたいと思います。では、14点の絵画をご覧ください。


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狂王女フアナの絵画13点。権力に揉まれ、夫フィリップ美公の死により狂った王女

Jeanne la Folle 1856 Louis Gallait -

 カスティーリャ王女のフアナ(1479‐1555)は、夫フィリップ美公の関係から精神を崩し始め、夫の死をきっかけに狂気に陥ってしまった悲劇の女性です。狂王女フアナとも呼ばれています。
 フアナはカスティーリャ王女のイザベル1世とアラゴン国王フェルナンド2世との間に次女として生まれました。(現在のスペイン) 17歳の時にブルゴーニュ公フィリップ美公と結婚し、ネーデルラントへ嫁いでいきます。始めこそ二人は愛し合うも、真面目なフアナは女たらしであるフィリップが許せず、夫の心は次第に離れてゆきます。結婚から数年後、フアナの兄弟と世継ぎが相次いで亡くなり、彼女はカスティーリャの王位継承者に任命される事になりました。

 夫と共にカスティーリャへ行ったフアナ。しかし、フィリップはその地を嫌って祖国へと帰ってしまいました。ショックを受けたフアナは養育が困難になり、5人の子供は兄嫁や父が引き取る事となりました。24歳の時に母イザベル1世が亡くなり、フアナは王位を継ぐこととなります。フィリップは「妻は精神不安定だから俺に王位をくれ」と主張しましたが、彼の野心を見抜いていたイザベル1世は遺言でフアナに王位を託し、決して譲ろうとしませんでした。アラゴン国王である父フェルナンド2世も娘の王位を認めます。そんな最中、フィリップがスポーツ後に飲んだ水にあたり、1506年に急死してしまいました。

 夫の死を知ったフアナは完全に正気を失い、フィリップの棺を乗せた馬車に乗ってカスティーリャをさまよい続けたとされています。夫の死の二年後、フアナは父親により修道院に隣接した城に幽閉されてしまいました。彼女は「狂王女」と呼ばれ、政治から完全に隔離されました。フアナは夫の死の後に産まれた娘カタリナに固執し、長男カルロスがカタリナを離そうとすると、狂乱に陥ってしまったそうです。幽閉から約47年経ち、フアナは76歳でその生涯を閉じました。正気を失ってしまったとしても、彼女は「女王」という誇りは持ちつづけていたそうです。王位は息子カルロス1世に受け継がれ、後に孫フェリペ2世へと渡っていきました。
 では、愛に裏切られ死に絶望する、狂王女フアナの絵画13点をご覧ください。

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キリストと罪の女の絵画13点。罪が無い者が石を投げよと告げ、女性を救った物語

Lucas Cranach the Elder 1532 -

 この物語はヨハネの福音書に見られ、キリストが姦通の罪を犯した女性を庇い「罪のない者だけが石を投げよ」と言って周囲を黙らせた物語です。
 ある日、キリストが宮で話していると、律法学者やファリサイ派の人達が一人の女性を連れてきて、こう言いました。「先生、この女は姦通の罪で捕まりました。モーセの律法は石を投げて殺すよう命じていますが、どう思いますか?」これはキリストを捕まえる為の口実で、律法通りにしたら「お前の説く愛はどうした」と言えるし、許せというなら「律法に背いたな!」と言えるのです。キリストは身を屈めて何かを指で書いていました。彼等が催促をすると、キリストはこう答えました。

「貴方がたの中で罪のない者が、この女に石を投げつけるがよい」と。
 人々は黙り込んだまま次々に出ていき、 遂にはキリストと女性だけになりました。罪のない者など誰もいなかったのです。そしてキリストは「私も貴女を罰しません。家にお帰りなさい。もう罪を犯さないように」と告げたそうです。
 「罪がない者が石を投げよ」と告げるシーンの絵画13点をご覧ください。

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ヒエロニムス・ボスの絵画を赤外線にかけたら新発見が!下地を赤裸々に見せます

Bosch 表紙

 2016年はヒエロニムス・ボスの没後100年の節目に当たり、様々なボスのプロジェクトが持ち上がりました。この赤外線の調査もその一環で、色を塗った下にあるモノクロの下地(グリザイユ)の部分が調べられました。(X線でも調べられました) すると、描かれていなかったものが浮かび上がった作品があったのです!
 もう2018年にもなって紹介が遅れてしまいましたが、赤外線によりスケスケになったボスの絵画をご覧ください。変化がないものと変化があるものがございます。では、レッツ、スケルトン!


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盗賊(強盗)の絵画13点。旅人や貴族の身ぐるみを剥ぐ、西洋の追い剥ぎの悪しき姿

David Vinckboons, The Nest Robber 1576-1632 -

 土地が開拓されていなかった時代、都市から都市への移動は命がけの行為でした。自然の猛威や猛獣なども危険で気を付けるべき存在ですが、最も厄介な存在は盗賊(追いはぎ)達でした。彼等は何名かでグループを作って旅人を狙い、凶器で脅して身ぐるみを全て奪うのです。
 山の中に拠点を置いて通行人を襲う盗賊を山賊、海で船を使って他の船を襲撃する盗賊を海賊と呼び、戦争に参加した傭兵も強盗に変貌することがありました。旅の途中の農民や貴族を襲うだけではなく、村まるごとを襲い、略奪するものも現れました。そうなったら人々は逃げるしかなく、全てを奪い尽くされてしまうのです。
 北方ルネサンスや近代の画家が描いた、強盗の絵画13点をご覧ください。

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サテュロスと農夫の絵画13点。イソップ寓話より派生した、牧神とスープの家族絵画

Jan Steen The Satyr and the Peasant 1660 -

 サテュロスと農夫は、イソップ寓話「サテュロスと旅人」から派生して、サテュロスと一緒に家族が描かれている構成の絵画の事を指します。フランドルを中心に作品が残されています。
 極寒の日の夜、旅人は天候の悪さに先に進めなくなってしまいました。同情したサテュロスは旅人を自分の家(洞窟)へと招待します。旅人は礼を言い、凍えて感覚がなくなった両手を温めようと息を吹きかけました。彼が温まって来た頃、サテュロスは充分に温められた料理でもてなします。スープがとても熱かった為、旅人は息をふーふーして冷まそうとしました。それを見ていたサテュロスはぶるぶる震え出し、こう叫んだのです。「二種類の息を出せるような奴は家に入れたくない!」と。こうして旅人はサテュロスの家を追い出されてしまったのです。
 この普段やってしまいがちな行為は、サテュロスにとっては気持ち悪く映ったのでしょう。この寓話はどういう教訓を含んでいるかは断言できませんが、「節操を持ちましょう」「郷に入っては郷に従え」的な感じなのでしょうかね。(調べてみたら、性格が分からない奴とは付き合えないという意味のようです。それってどうよ^^;)
 では、イソップ寓話の進化版というべきサテュロスと農夫についての絵画13点をご覧ください。

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「ブリューゲル展 画家一族150年の系譜」へ行ってきました!一族だらけの展覧会

ブリューゲル展1 -

 2018年5月25日(金)に、愛知県の豊田市美術館で開催されている「ブリューゲル展 画家一族150年の系譜」へ行ってきました!出展された作品は101点。その中の約8割がブリューゲル一家の作品でした。正にブリューゲルのブリューゲルによるブリューゲルの為の展覧会で、これでもかというくらいこの一族を知れる展覧会となりました(笑)
 記事を書くのが遅れてしまいましたが、詳細をご覧ください!

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祭壇画の開閉した全貌はこちら。ゲントやイーゼンハイム、最後の審判などの外側

Isenheim altarpiece - First view -

 中世ルネサンス時代に多く製作され、美しく教会や修道院を飾った祭壇画。
 二連、三連、多翼型と色々祭壇画にも種類があります。翼状になった祭壇画は畳むことができ、ミサを行っていない時間は閉じられていたそうです。もちろん閉じられた部分にも絵が描いてあるのですが、私達が美術の本やネットで観られる祭壇画は開けられたものが多く、閉じた絵画はあまり知られていないのではないでしょうか。
 今回は8点の祭壇画の閉じられた部分をご紹介したいと思います。

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キリストの嘲笑の絵画15点。囚われの救世主は、民衆に野次られ攻撃されてしまう

Giulio Cesare Procaccini (1574–1625) - コピー

 「キリストの嘲笑」は、民衆たちによって嘲笑されるキリストを描いた作品を指します。
 裏切者ユダによってキリストは逮捕され、懐疑の目を向ける民衆たちの前に晒られてしまいます。大司祭に「お前が神の子ならば奇跡を起こしてみせよ」と言われ、「嘘なんだからそんな事はできないだろ!」と民衆にキリストは嘲笑され、その後、総督ピラトが有名な言葉「エッケ・ホモ(この人を見よ)」と言うのです。
 悪意ある民衆に攻撃される救世主という、悲惨とも思える主題なのですが、北方ルネサンスやバロック時代に多くの絵画が残されています。鞭打ちや茨冠、拷問や嘲笑、エッケ・ホモという絵画テーマは類似しており、一つの絵画に幾つの主題が含まれている場合もあります。
 では、キリストの嘲笑の絵画15点をご覧ください。酷い描写が含まれていますので、宗教的に抵抗のある方はご注意ください。

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猿の絵画13点。17世紀のフランドルで流行した、人を猿に置き換える風刺&民衆画

David Teniers the Younger, 17 -

 猿がまるで人間のように描かれた絵画を見たことがあるでしょうか。
 猿が絵を描いていたり、彫刻をしていたり、お茶をしていたり、煙草を吸っていたり・・・。猿の絵画が登場したのは16世紀頃で、ブリューゲルなどのフランドル画家が始まりとされており、17世紀にダフィット・テニールス(子)が多く手がけると猿画の流行が起こりました。
 西洋において、猿はあまり良いイメージを持たれておらず、「ケチ」「見栄っ張り」「ずる賢い」「物まね師」などの負の性格を象徴しています。時に悪魔の化身として描かれ、鎖に繋がれた猿は「悪の敗北」を意味します。猿は人間や社会の不合理で愚かな面を風刺するのに使われ、テニールス(子)や他の画家達は人間を猿に置き換えた猿画を描きました。しかし、猿画は悪い面ばかりではありません。滑稽な人々を温かい目で見て、冗談や茶目っ気の気持ちを込めて描いた作品もあるのです。
 では、猿の風刺&民衆画の絵画13点をご覧ください。

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プロフィール
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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