メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

マリア

マルタとマリアの絵画14点。懸命なおもてなしとイエス・キリストのお話の優先順位

Alessandro Allori 1605 -

 マルタとマリアは新約聖書に登場する姉妹で、おもてなしをせずにキリストの話を聞くマリア(聖母やマグダラのマリアとは別人)に、マルタが不満に思ってキリストに諭される物語です。
 ある日、キリスト一行はとある村で姉妹がいる家に迎え入れられました。マルタは「イエス様をちゃんとおもてなししなくちゃ!」と忙しく立ち回り、色々な準備に追われていました。一方、マリアはキリストの足元に座って話に聞き入っており、まったく動こうとしません。一人せわしなく準備をしているマルタはそれをずるく思い、キリストにこう問いかけました。「主よ。マリアは私だけに準備をさせています。何とも思いになりませんか。手伝うようにおっしゃっていただけませんか?」対するキリストはこう返しました。「マルタ。あなたは悩みすぎている。必要なのは一つだけなのだ。マリアは良い方を選んだのだから、それを取り上げてはならない」と。

 この物語は「マリアが正解でおもてなしをするマルタが悪い」と言っている訳ではなく、「おもてなしをするのは良い事だが、お話をする間は手を休めて聞き入ってもいい。それを非難してはいけないよ」という意味が込められています。マルタが「客人が来たから早く準備しなきゃ!」と焦って神の話を聞き逃しているのに対し、マリアは「お話が終わってから、しっかりと準備しましょう」と思っているのだと思います。
 準備を頑張るマルタにお話を聞くマリア。対照的な二人の絵画14点をご覧ください。

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聖家族の絵画13点。幼子イエスと聖母マリア、ヨセフを中心に様々な聖人が集う作品

Joseph Paelinck 1781-1839 -

 聖家族はキリスト教美術のテーマの一つであり、幼子イエス・キリストと聖母マリア、養父ヨセフが描かれている場面の事を指します。彼等以外にもマリアの母アンナや洗礼者ヨハネ、その他の聖人達が加えられている場合もあります。
 幼少期のキリストの記述はそれほど聖書上にはありませんが、「キリストの降誕」や「東方三博士の礼拝」、「エジプトの逃避と滞在」等の物語を基盤にして、キリストとマリア、ヨセフの三名は「家族」の理想的な原型として考えられるようになり、聖家族というモチーフは生まれました。また、「エジプトの逃避と滞在」のテーマも聖家族の一体系とみられる場合もあります。聖家族の作品は15~17世紀のルネサンス、バロック時代に描かれ、今日でも数多くの作品が残っています。
 では、聖なる息子とご両親、聖人達が集まった聖家族の絵画13点をご覧ください。

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天使の楽隊の絵画13点。唯一神を称えて聖歌を歌い奏でる、美麗なる天使達の姿

Sir Edward Coley Burne-Jones 1833 – 1898 -

 神と人間の仲介役を務める天使は、預言者や聖人に様々なお告げを伝えています。
 聖書には天使が聖歌を歌ったり楽器を奏でる場面は出てきませんが、天使が歌を歌ったり、楽器を弾いたりする絵画は数多く存在します。それはギリシャの女神ニケがリラの音色で人々を従わせるという伝承に基づいているともされていますが、中世やルネサンスの時代は世俗的な楽器は(バグパイプ、ハープ、手回しオルガンなど)卑しいものとされ、聖なる音楽とは区別されていました。天使達が楽器を奏でる姿を描いたのは、芸術家たちが「神を賛美しているなら、立ったまま褒め称えたりしているより、美しい旋律を奏でる音楽の方がいいだろう」と考えたからなのかもしれません。聖歌やキリスト教音楽の発達も関係しているように思います。教会は音楽に満ちあふれていますしね^^
 では、天使の楽隊についての絵画13点をご覧ください。

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キリストの十字架降下の絵画13点。救世主の死に嘆き悲しむ二人のマリアと信者達

Agnolo di Cosimo di Mariano, dit Bronzino  1540-45 -

 キリストの十字架降下は、磔刑されたキリストを降ろし、悲しんでいる主題の事を指します。
 アリマタヤの町にヨセフという人がいました。彼はキリストの遺体を引き取らせて欲しい、とローマ帝国の総督ピラトに頼んだのです。その他の正しい人達もキリストの為に駆けつけました。ヨセフがキリストを十字架から下ろすと、聖母マリアは我が子の身体を愛おしそうに抱きました。遺体には没薬と香料が塗られ、布に包まれて、ヨセフが自分用に作っていた墓に葬られました。その三日後に、キリストは復活を果たすのでした。
 この主題はキリストの磔刑に引き続き、画家に人気で多くの作品が残されています。十字架降下の絵画13点をご覧ください。

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聖カタリナの神秘の結婚の絵画13点。聖母に導かれ、イエス・キリストと結婚した聖女

Parmigianino -

 アレクサンドリアの聖カタリナは(287-305年)は「十四救難聖人」に数えられ、イエス・キリストと結婚した聖女とされています。
 アルメニア王の娘として生を受けた彼女は、周囲の者から結婚して欲しいと催促されても頑なに拒否していました。カタリナは血筋、富、知恵、容姿いずれにおいても自分より勝る者としか結婚しないと宣言していたのです。かなりの才女で美貌である彼女の要望に応える男性を知る者は誰もおりません。彼女は完璧なる理想の男性を待ち焦がれていました。

 そんな折、カタリナの元に隠者アドリアヌスがやってきます。彼は聖母マリアとキリストの使いで、彼女に教えを説きながら砂漠へといざないます。その先には豪華な修道院があり、聖人たちに導かれて聖母の元へ到着しました。カタリナを歓待したマリアは新しい衣服と洗礼を行うよう言い、身を清めた彼女はキリストの御前へと赴きます。マリアが「貴方への愛ゆえに地上の全てを捨てたカタリナが来ております」と告げると、キリストは「妻よ。手を出しなさい」と言い、カタリナの指に聖なる指輪をはめ込んだのでした。(カタリナがキリストと結婚する幻想を見たという説もあります)
 この「神秘の結婚」と呼ばれるテーマは人気のある主題だったようで、多くの作品が残されています。様々な年齢のキリストを見比べながら、神秘の結婚についての絵画13点をご覧ください。

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アレキサンドリアの聖カタリナの絵画14点。車輪の拷問器具を壊した知的な聖女

Bartolomeo Cavarozzi Santa Catalina de Alejandría -

 アレクサンドリアの聖カタリナ(287-305年)は「十四救難聖人」に数えられる聖女です。シエナの聖カタリナという同名の聖女がいる為、アレクサンドリアと出身地を前に付けて区別しています。
 アルメニア王の娘として生まれた彼女は最高の教育を受け、知・美・血・富・心の全てにおいて自分に勝る男としか結婚しないと宣言していました。この頃、アドリアヌスという隠者が聖母マリアの導きを得てカタリナの元へ現れ、宗教の教えを説いてキリスト達の所へ連れて行きました。洗礼を受けたカタリナは完璧な存在であるキリストと会い、指輪を授けられて婚約したとされています。このシーンは「神秘の結婚」として、多くの絵画が残されています。

 しばらくして、アレクサンドリアにローマ皇帝マクセンティウスが訪問してきました。皇帝はキリスト教を迫害していた為、カタリナはその誤りを説こうとしました。彼女は皇帝が差し向けた50人の異教の賢者を論破し、彼等を改宗させてしまいます。皇帝はカタリナを口説こうとして拒否された為に怒り、彼女を牢屋へ入れて12日間放置します。牢屋に入れられている間、彼女は王妃や高官、兵士200名などにキリストの教えを説き、改宗させました。食べ物はキリストの使いである白鳩が運んで来たそうです。

 まさかの事態に皇帝は更に怒り、刃付きの車輪という拷問器具を使ってカタリナを痛めつけようとしました。しかし、彼女が祈ると車輪はバラバラに壊れてしまったのです。改宗した王妃や高官たちが皇帝に抗議した為、皇帝は彼等をも処刑してしまいました。「異教になるなら助けてやる」と言う皇帝に、カタリナは頑なに拒否を示し、遂に斬首されてしまったのでした。彼女の首からは血ではなくミルクが流れ出たとされています。
 では、アレクサンドリアの聖カタリナについての絵画14点をご覧ください。

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エジプトへの逃避行の絵画15点。聖母マリアは夫とキリストを連れ、故郷から逃げる

Bartolomé Esteban Murillo - The Flight Into Egypt, 1647-50 -

 エジプトへの逃避行はマタイの福音書にある、新約聖書の物語の一つです。
 ある日、ヘロデ王はユダヤの新王がベツレヘムにて誕生したことを予言で知ります。玉座を死守したいヘロデ王は、新王となる者を殺そうと、町に住む二歳以下の全ての幼児を殺すよう命じました。罪も無き赤子たちは母親の手から奪われ、無惨にも殺されたのです。→ 幼児虐殺についての絵画を見たい方はこちら

 それより前、ベツレヘムに滞在していたキリストの養い親ヨセフは天使の夢を見ました。天使は「キリストとマリアを連れてエジプトへと逃げなさい。ヘロデ王が息子を殺めようとしています。私が知らせるまでそこにいるのですよ」と言っていました。ヨセフは慌てて二人を起こし、急いで夜中にエジプトへと出発しました。異国への道筋は険しく、荒れ野の中をひたすら進み続けました。彼等はエジプトにヘロデ王が死去するまで滞在しました。言い伝えによると王は70歳の時に恐ろしい病気にかかって、悶え死んだとされています。すると、再びヨセフの夢の元に天使が現れ、「国にお帰りなさい」と伝えました。こうして家族三人はユダヤの土地へ向けて進み、ベツレヘムではなく元居た場所のナザレへと帰ったのです。
 エジプトへの逃亡と滞在、そして帰還の絵画15点をご覧下さい。

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聖母の戴冠の絵画12点。昇天したマリアは神とイエス・キリストに王冠を授けられる

Enguerrand Charonton Coronation of Mary  1454 -

 「聖母戴冠」は、マリアが天上で神によって王冠を授けられている絵画のことを指します。
 聖書にはそのような記述はありませんが、マリアは死して三日後に復活を果たし、天国へと昇って行ったとされています。そこで彼女は戴冠を受けるのです。王冠を授ける者は神であったり、キリストであったり、三位一体であったりします。十二使徒が上空を仰いでいたり、天使や聖人たちが祝福していたりする場合もあります。王冠の意味は女帝というよりも、女教皇である方が正しいかもしれません。権威より栄光や信仰。マリアは聖なる教えを伝えていく最たる者、といった立場なのだと思います。
 栄誉に満ちた聖母戴冠の絵画、12点をご覧ください。
→ マリアの死についての絵画を見たい方はこちら
→ マリアの被昇天についての絵画を見たい方はこちら

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聖母の被昇天の絵画12点。マリアは死後、天使に連れられて天国へと上昇する

Guido Reni -1617 -

 カトリック教において、聖母マリアは亡くなったあと三日後に復活し、天国へ昇天したとされています。
 「聖母の被昇天」と呼ばれるマリアの復活の場面はたくさんの画家に描かれ、ルネサンスやバロック時代を中心に残されています。伝説では三日後に聖トマスらが墓を覗いてみると、マリアは忽然と消えていた、となっているのですが、天使を伴って天へと昇っていくマリアの姿が描かれる場合が多いです。(時に十二使徒も描かれます) 被昇天の日は始め1月18日だと考えられていましたが、6~7世紀頃に8月15日と改められ、祝日とされました。現在に至ってもマリアの復活の祝祭が行われています。
 神秘的な「聖母の被昇天」の絵画、12点をご覧ください。
→ マリアの死についての絵画を見たい方はこちら
 
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聖母マリアの死の絵画12点。キリストの母は永遠の眠りについて天国へ昇っていく

The Death of the Virgin 1472–80 -

 キリスト正教会によると、マリアは晩年をエルサレムで過ごしたとされています。彼女は己の死が近いことを悟って近辺の整理をし、その訪れを待ちました。すると、ばらばらに旅をしていた12使徒全員が家を訪ね、悲しんで口々に別れを惜しみました。マリアは最期に使徒達に会えたことに安心して平穏の眠りにつき、墓の中に入ります。三日後に使徒たちが墓を訪れてみると、マリアの身体はそこにはなく、昇天したということが分かりました。
 伝説では以上のような内容なのですが、聖母マリアの消息はキリストの磔刑以降分かっておりません。享年も50~70歳とまちまちとなっており不明です。マリアの死は「眠りにつく」と表現され、英語では「The Falling Asleep of the Virgin」などとも言われます。三日後の復活の後、天へと召されていくマリアの場面を「聖母の被昇天」と呼び、天国にいるキリストと神によって冠を受けている場面を「聖母戴冠」と呼びます。
 今回は眠りにつくマリアの絵画12点をご覧下さい。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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