メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

マリア

エッサイの樹の絵画12点。旧約のダヴィデから新約へと繋がる、キリストの系譜

The O Antiphons as Medieval Carols O Root of Jesse -

 キリストの系統樹と言われる、エッサイの樹。
 旧約聖書、新約聖書共に言及されており、ダヴィデ王の父親であるエッサイから、最上のキリストにいたる系統樹を表現し、「イエスこそダヴィデの系統から生まれると予言された救い主である」という事を強調する為の画題となっています。イタリアよりも北方地域にてよく見られるテーマです。

 エッサイが根の部分を果たし、そこからダヴィデ、ソロモンをはじめとする旧約聖書の王達が幹や枝におり、最上部には聖母マリアに抱かれた幼子イエスの姿が描かれています。エッサイからキリストの間には約43世代いるのですが、流石にそこまでは加えられないので12人の王であったり、ダヴィデ&ソロモンのみであったりします。横側に預言者や、当時の教会の関係者が描かれている事もあります。
 では、血筋を巡るエッサイの樹の絵画12点をご覧ください。

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割礼を受けるキリストの絵画12点。大事な部分の皮を切除する、ユダヤの風習

Parmigianino The Circumcision 1523 -

 割礼とは男女に施される宗教的な、または衛生上的な施術です。男子は大事な部分の一部を切除するそうです。歴史は古く、イスラエルの他、古代エジプトやバビロニアなどの地域で宗教的な観点で割礼が行われました。
 旧約聖書の「創世記」にて、神がアブラハムにこう命じました。「あなたたちの男子はすべて割礼を受ける。切り取りなさい。これが契約のしるしとなる。・・・生まれてから8日目に割礼を受けなければならない」と。割礼を受けることはイスラエルの民ということ。この風習により、ユダヤの民であるイエス・キリストや十二使徒はみな割礼を受けました。

 新約聖書にも割礼の記述はあります。初期のキリスト教の会議において割礼は廃止となり、後年の西洋の者達にとってこの風習はそこまで行わない存在であったものの、このシーンは想像よりも多くの画家に描かれていました。
 では、割礼の絵画12点をご覧ください。ショッキングな描写はないものの、閲覧注意となりますので、そういった場面が苦手な方はご注意ください。

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クレルヴォーの聖ベルナルドゥスの絵画12点。マリアの彫像から母乳を飲む奇跡

Attributed to Jean Bellegambe St Bernard Clairveau Lactation -

 クレルヴォーの聖ベルナルドゥスは12世紀頃に生きたフランスの神学者です。
 ベルナルドゥスはフォンテーヌで騎士の息子として生まれました。母が信仰厚き人であったので、彼は修道院に入ることを希望し、20代の頃にシトー修道院へと足を踏み入れます。その三年後にクレルヴォー修道院が設立され、彼はその院長に抜擢されました。ベルナルドゥスは優れた説教と聖性、厳粛さを備えていた為、巡礼者が押し掛けるようになりました。その名声はいやにも高まり、彼は静かな修道院生活を望んでいたものの、教皇までもが彼に助言を求めるようになってしまったのです。

 ベルナルドゥスは教会分裂を収束させ、異端を抑圧し、十字軍勧誘の演説をするなどの業績を成し遂げました。しかし、熱狂的な支持を得た十字軍は失敗に終わります。このことがベルナルドゥスの影響力を弱めていき、様々な出来事も重なり、年齢の事もあって彼は世間から離れていくようになります。彼は1153年、クレルヴォー修道院の中で息を引き取りました。

 そのような人生を歩んだ彼に、一つの逸話があります。聖ベルナルドゥスは聖母マリアを特に信仰していました。ある日、彼が聖堂で「貴女の母たることを私にお示しください」 と祈りを捧げていると、なんと聖母マリアの彫像が動き出したではありませんか!しかも「母」であることを示す為、彼に母乳を飲ませたそう。なんというか、物凄い内容ですね。その物語は画家に衝撃を与えたようで、何枚かの作品が残されています。
 では、聖ベルナルドゥスについての絵画12点をご覧ください。

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カナの婚礼の絵画13点。婚宴の場で水を葡萄酒に変えた、イエス・キリストの初奇跡

Maerten de Vos 1597 -

 カナの婚礼(カナの婚宴)は、ヨハネの福音書に記されているイエス・キリストの最初の奇跡の物語です。
 故郷ガリラヤのカナの地で、キリスト一行は婚礼の祝宴に招かれます。結婚するのは聖母マリアの姉妹の息子。マリアは忙しく準備を行います。宴も過ぎて来た頃、葡萄酒がなくなってきてしまいました。マリアは困り、「イエス、どうしましょう」とSOSを出したので、キリストは召使いに「水がめに水をいっぱい入れて世話係のところへ持ってきなさい」と助言をしました。するとどうでしょう。ただの水が高級な葡萄酒に変わったのです!

 世話係は喜んで花婿にこう言いました。「普通、高級な葡萄酒をまず出しておいて、酔いが回って来た頃に劣った酒を出すものですが、あなたはいい葡萄酒を取っておかれたのですね!」と。弟子達はこの奇跡を目の当たりにし、キリストを深く信じたそうです。
 では、カナの婚礼に参加して水をワインに変化させるキリストの絵画13点をご覧ください。

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聖ルカの絵画14点。福音書を手掛け聖母マリアを描いたとされる画家の守護聖人

Niklaus Manuel, 1515 - コピー

 聖ルカは、新約聖書の「ルカによる福音書」と「使徒列伝」の作者とされる聖人です。
 「コロサイ書」や「ルカによる福音書への反マルキオン的序文」には「職業は医者」と記述があり、彼の職業は医者と考えられてきました。その為、聖ルカは医者や薬剤師の守護聖人とされています。しかし、聖ルカは画家の守護聖人ともされており、彼が聖母マリアと幼子イエスの肖像画を描いている場面ばかりが作品として残されています。それはルカの職業が画家で、聖母マリアを始めて描いた者であるという伝承がある為です。また、異教徒へ伝道する際に、自らが描いたイエスやマリアの肖像画を使用したという話もあります。
 聖ルカの作品は中世ルネサンス期に多く、とりわけ北方が目立ちます。では、様々な容姿や姿で聖母マリアとイエスを描く聖ルカの絵画14点をご覧ください。

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マルタとマリアの絵画14点。懸命なおもてなしとイエス・キリストのお話の優先順位

Alessandro Allori 1605 -

 マルタとマリアは新約聖書に登場する姉妹で、おもてなしをせずにキリストの話を聞くマリア(聖母やマグダラのマリアとは別人)に、マルタが不満に思ってキリストに諭される物語です。
 ある日、キリスト一行はとある村で姉妹がいる家に迎え入れられました。マルタは「イエス様をちゃんとおもてなししなくちゃ!」と忙しく立ち回り、色々な準備に追われていました。一方、マリアはキリストの足元に座って話に聞き入っており、まったく動こうとしません。一人せわしなく準備をしているマルタはそれをずるく思い、キリストにこう問いかけました。「主よ。マリアは私だけに準備をさせています。何とも思いになりませんか。手伝うようにおっしゃっていただけませんか?」対するキリストはこう返しました。「マルタ。あなたは悩みすぎている。必要なのは一つだけなのだ。マリアは良い方を選んだのだから、それを取り上げてはならない」と。

 この物語は「マリアが正解でおもてなしをするマルタが悪い」と言っている訳ではなく、「おもてなしをするのは良い事だが、お話をする間は手を休めて聞き入ってもいい。それを非難してはいけないよ」という意味が込められています。マルタが「客人が来たから早く準備しなきゃ!」と焦って神の話を聞き逃しているのに対し、マリアは「お話が終わってから、しっかりと準備しましょう」と思っているのだと思います。
 準備を頑張るマルタにお話を聞くマリア。対照的な二人の絵画14点をご覧ください。

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聖家族の絵画13点。幼子イエスと聖母マリア、ヨセフを中心に様々な聖人が集う作品

Joseph Paelinck 1781-1839 -

 聖家族はキリスト教美術のテーマの一つであり、幼子イエス・キリストと聖母マリア、養父ヨセフが描かれている場面の事を指します。彼等以外にもマリアの母アンナや洗礼者ヨハネ、その他の聖人達が加えられている場合もあります。
 幼少期のキリストの記述はそれほど聖書上にはありませんが、「キリストの降誕」や「東方三博士の礼拝」、「エジプトの逃避と滞在」等の物語を基盤にして、キリストとマリア、ヨセフの三名は「家族」の理想的な原型として考えられるようになり、聖家族というモチーフは生まれました。また、「エジプトの逃避と滞在」のテーマも聖家族の一体系とみられる場合もあります。聖家族の作品は15~17世紀のルネサンス、バロック時代に描かれ、今日でも数多くの作品が残っています。
 では、聖なる息子とご両親、聖人達が集まった聖家族の絵画13点をご覧ください。

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天使の楽隊の絵画13点。唯一神を称えて聖歌を歌い奏でる、美麗なる天使達の姿

Sir Edward Coley Burne-Jones 1833 – 1898 -

 神と人間の仲介役を務める天使は、預言者や聖人に様々なお告げを伝えています。
 聖書には天使が聖歌を歌ったり楽器を奏でる場面は出てきませんが、天使が歌を歌ったり、楽器を弾いたりする絵画は数多く存在します。それはギリシャの女神ニケがリラの音色で人々を従わせるという伝承に基づいているともされていますが、中世やルネサンスの時代は世俗的な楽器は(バグパイプ、ハープ、手回しオルガンなど)卑しいものとされ、聖なる音楽とは区別されていました。天使達が楽器を奏でる姿を描いたのは、芸術家たちが「神を賛美しているなら、立ったまま褒め称えたりしているより、美しい旋律を奏でる音楽の方がいいだろう」と考えたからなのかもしれません。聖歌やキリスト教音楽の発達も関係しているように思います。教会は音楽に満ちあふれていますしね^^
 では、天使の楽隊についての絵画13点をご覧ください。

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キリストの十字架降下の絵画13点。救世主の死に嘆き悲しむ二人のマリアと信者達

Agnolo di Cosimo di Mariano, dit Bronzino  1540-45 -

 キリストの十字架降下は、磔刑されたキリストを降ろし、悲しんでいる主題の事を指します。
 アリマタヤの町にヨセフという人がいました。彼はキリストの遺体を引き取らせて欲しい、とローマ帝国の総督ピラトに頼んだのです。その他の正しい人達もキリストの為に駆けつけました。ヨセフがキリストを十字架から下ろすと、聖母マリアは我が子の身体を愛おしそうに抱きました。遺体には没薬と香料が塗られ、布に包まれて、ヨセフが自分用に作っていた墓に葬られました。その三日後に、キリストは復活を果たすのでした。
 この主題はキリストの磔刑に引き続き、画家に人気で多くの作品が残されています。十字架降下の絵画13点をご覧ください。

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聖カタリナの神秘の結婚の絵画13点。聖母に導かれ、イエス・キリストと結婚した聖女

Parmigianino -

 アレクサンドリアの聖カタリナは(287-305年)は「十四救難聖人」に数えられ、イエス・キリストと結婚した聖女とされています。
 アルメニア王の娘として生を受けた彼女は、周囲の者から結婚して欲しいと催促されても頑なに拒否していました。カタリナは血筋、富、知恵、容姿いずれにおいても自分より勝る者としか結婚しないと宣言していたのです。かなりの才女で美貌である彼女の要望に応える男性を知る者は誰もおりません。彼女は完璧なる理想の男性を待ち焦がれていました。

 そんな折、カタリナの元に隠者アドリアヌスがやってきます。彼は聖母マリアとキリストの使いで、彼女に教えを説きながら砂漠へといざないます。その先には豪華な修道院があり、聖人たちに導かれて聖母の元へ到着しました。カタリナを歓待したマリアは新しい衣服と洗礼を行うよう言い、身を清めた彼女はキリストの御前へと赴きます。マリアが「貴方への愛ゆえに地上の全てを捨てたカタリナが来ております」と告げると、キリストは「妻よ。手を出しなさい」と言い、カタリナの指に聖なる指輪をはめ込んだのでした。(カタリナがキリストと結婚する幻想を見たという説もあります)
 この「神秘の結婚」と呼ばれるテーマは人気のある主題だったようで、多くの作品が残されています。様々な年齢のキリストを見比べながら、神秘の結婚についての絵画13点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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