メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

ルネサンス

「我に触れるな」の絵画16点。復活したキリストがマグダラのマリアへ告げた言葉

Agnolo Bronzino Noli Me Tangere -

 「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」はキリストが復活した後、最初に出会ったマグダラのマリアに向かって放った言葉です。
 ヨハネの福音書によれば、キリストが埋葬された墓地へマグダラのマリアと女たちが行くと、墓が暴かれているのを目の当たりにしました。墓の両側には二人の御使いがいます。そして背後に人影が見えたので、マリアは「私の主を一体どこへ移動させてしまったのですか」と問います。人影を墓の管理人だと思ったのです。しかし、彼は「マリアよ」と優しく言ったので、キリストであると分かりました。彼女は嬉しくて近付こうとしますが、キリストは「私に触れるな。まだ父の御許へ行っていないのだから」と伝えます。
 「我に触れるな」という台詞は劇的であった為か、実に多くの絵画作品が残されています。大半は近づこうとするマグダラのマリアと、それを避けようとしたり拒否するキリストで表わされます。しかし、中には「ん?」と思う個性的な作品も一部存在します。
 「我に触れるな」と言い放つキリストと、触れたいマグダラのマリアの姿の絵画16点をご覧ください。

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旧約聖書の預言者イザヤの絵画12点。イザヤ書を手掛け、神の裁きを伝えた者

Michelangelo 1508-1512 -

 イザヤは紀元前8世紀頃の預言者で、旧約聖書の「イザヤ書」の著者です。
 名前はヘブライ語で「ヤハウェの救済」を意味します。ユダ王国後期に生きた彼は、王国の不実性を批判し、神の激しい天罰と後の復興を預言しました。イザヤは神の裁きと救済を強調し、神への信仰と罪の悔い改めを繰り返し唱えました。また、彼はイザヤ書の中で救世主「メシア」の到来を預言しています。メシアはイスラエルに平和をもたらし、正義の統治者として君臨します。当時のイスラエル王国はアッシリア帝国からの攻撃を受けており、ユダ王国は傾いていました。イザヤはこういった社会状況に敏感に反応し、国家への警告としてこの「イザヤ書」を手掛けようとしたではないでしょうか。
 
 また、イザヤの死後については初期キリスト教の時代の書物に、伝説として書かれています。その書はイザヤの殉教、イザヤの幻、イザヤの昇天の3部から成っています。彼はユダ王国のマナセ王によって捕らえられ、のこぎりで身体を切られて殉教したと伝えられており、教会の建設や最後の審判、アンチキリストの出現を預言したとされています。第3部ではイザヤは天へ上昇し、キリストの受肉や十字架の死、辺獄降下とキリストの復活を語っています。
 預言者イザヤの絵画、12点をご覧ください。

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ロレンツィーノ (ロレンザッチョ)の絵画12点。メディチ家の彼は君主を夜に暗殺する

Assassination of Alessandro de’ Medici -

 ロレンツィーノ・デ・メディチ(1514年3月23日‐1548年2月26日)はイタリアルネサンス時代の政治家、著述家です。
 悪事を何度も重ねていた為、ロレンザッチョとも呼ばれていました。彼はフィレンツェの君主アレッサンドロ・デ・メディチを暗殺したことで有名です。フィレンツェで生まれたロレンツィーノは、コジモとアレッサンドロと共に、カメリーノで教育を受けました。紆余曲折があり、彼はアレッサンドロの腹心の部下になります。君主アレッサンドロは敬愛していた父親、クレメンス7世が崩御すると次第に暴君となっていき、ロレンツィーノと共に乱痴気騒ぎを繰り返し、市民の評判は地に落ちていました。ロレンツィーノの暗殺の動機は詳しく分かっていませんが、名誉を得る為だとされています。アレッサンドロと様々な悪事を働いたのはわざとで、彼の人気を地に落とす為とも考えられています。

 ロレンツィーノは妹をダシに使ってアレッサンドロを部屋に呼び、雇った男と一緒にナイフを使って彼を暗殺しました。その後、各地を転々として逃げ、自分の行為を正当化する文章を発表しましたが、フィレンツェ君主を継いだコジモ一世がロレンツィーノを死罪とすることを発表。ヴェネツィア大使が雇った暗殺者二人によって、母の兄弟であるソデリーニと共に道を歩いていたところ、ロレンツィーノは刺殺されてしまいます。彼を庇おうとした叔父も刺され、数日後に命を落とします。
 ロレンツィーノとアレッサンドロの肖像と、暗殺の絵画12点をご覧ください。

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レオナルドとミケランジェロの宿命の展覧会が、2017年6月より東京で開幕する!

ダ・ヴィンチミケランジェロ展2

 2017年6月17日~9月24日まで、東京の三菱一号館美術館で「レオナルド×ミケランジェロ展」が開催されます!
 イタリアルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ・ブオナローティの素描を比較する日本初の展覧会となります。素描は絵画の基礎であり、最も重要な段階。二人の巨匠は「熟練するには素描をしなさい」と強く勧めています。展覧会に出展される作品12点と、美術館のアクセスを見ていきましょう!

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メランコリア(憂鬱気質)の絵画12点。暗く沈んだ感情は、芸術創造の根源とされる

Mary Magdalene as Melancholy  Artemisia Gentileschi  1621-22 -

 メランコリーは日本語で「憂鬱(ゆううつ)」であり、気分が優れない落ち込んだ気分のことを指しますが、メランコリアは古代ギリシア医学の学説「四体液説」に由来します。
 四体液説は「人体は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つで構成される」という考え方であり、人間の性格もそれらのバランスによって決まるとされています。その中で黒胆汁が多い者が「メランコリア(憂鬱気質)」と考えられており、現代で言えばうつ病に近いメランコリアの性質は余り良いものではないとされていました。しかし、哲学者や詩人、芸術家などの人物はメランコリアである比率が高いとされ、ルネサンス以降、メランコリアは芸術、創造を生み出す霊感の根源であると思われ、学者の文献、画家の寓意画に盛んに描かれることになりました。
 メランコリアの様子を描いた作品、12点をご覧ください。

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ルネサンスのカルロ・クリヴェッリの絵画13点。イタリアの風情漂う高貴な宗教画

カルロ・クリヴェッリ作  1480年 -

 カルロ・クリヴェッリ(1430頃-1495)は、イタリアのヴェネツィア出身であるルネサンス初期の画家です。
 弟にヴィットーリオ・クリヴェッリがおり、たまに共同制作を行いました。Jacobello del Fiore を師匠にしていたと言われ、アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニやアンドレア・マンテーニャなどの影響を受けていました。彼はヴェネツィアで学んだ後、フランツコ・スクワルチーネの工房で働き、1457年に既婚女性と不倫関係となり、6か月の懲役を科せられました。その後様々な土地へ移り住み、イストニアに滞在、1495年にマルケで亡くなるまで絵を描き続けました。
 フィレンツェで起こった自然主義な作風とは異なり、クリヴェッリは煌びやかで象徴的な作品を手がけ、遠近法やだまし絵的手法などを積極的に取り入れていました。当時、油彩画の技法がフランドルより伝わっていましたが、彼はテンペラ画と金箔の金打ちという古風な作風にこだわり続けました。ルネサンス期に古典的な作品を描くことに対する批判もあったそうです。それでも、彼が手掛ける気品漂う冷厳な聖母の姿は、多くの模倣者を生みました。
 「多翼祭壇画の詩人」と謳われているカルロ・クリヴェッリの作品、13点をご覧ください。


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蠅(はえ)が描かれた絵画12点。だまし絵の技法や腐敗の象徴として登場する虫

JACOB VAN HULSDONCK ANTWERP 1582 - 1647

 蠅(はえ)は西洋絵画において、様々な用途、用法で描かれてきました。
 老廃物や腐敗物などに蠅はたかり人に害を及ぼすので、蠅は当時においても嫌われた存在でした。中世絵画や虚しさを表す静物画「ヴァニタス」において、蠅は腐敗や死の象徴として、髑髏や枯れた花、なま物と一緒に描かれたのです。また、ルネサンス時代ではリアルな奥行き感を付け、立体感を出す遠近法が発明されました。三次元に近付いたことを受け、この世と絵画世界を曖昧にする「だまし絵」が台頭し、画家たちは絵画の中に額縁やカーテンを描いたり、リアルな棚を描いたりしました。そのだまし絵の一つとして蠅を描き込むという事があり、あたかも絵画世界の中に蠅が入り込んだか、絵画に蠅がくっついたかといった感じに表現されるのです。
 今回は蠅が描かれた絵画12点をご覧ください。



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どうしてこうなったキリストの絵画12点。救世主よ、顔が溶けておられます 【第二弾】

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 キリスト教の始祖イエス・キリストは過去から今まで、数多くの画家に描かれてきました。ピエタや悲しみの人、磔刑など新約聖書のすべての物語は絵画で表現されてきました。長い期間の間に「茶の肩までの長髪で、髭を生やした痩せた男性」というキリスト像は形成され、固定化されてきました。人類の救世主であるキリストは、思慮深く、静かで賢者そうな雰囲気を称えた感じに表現される作品がほとんどです。
 しかし、中には「どうしてこうなった?」と思える作品が存在します。わざとこうしたのか、勝手にこうなってしまったのか。画家はどう思ってその作品を描いたのか。疑問が多数に浮かぶ作品が、中世時代だけではなく、ルネサンスやバロック時代の絵画でもあります。
 「どうしてこうなった」と思えるキリストの絵画、12点をご覧ください。段々とレベルが高くなっていきますよ。


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十字架を背負うキリストの絵画14点。重さに苦しむ救世主と凶悪な態度を示す民衆

Jan van Hemessen -

 新約聖書の終盤において、イエス・キリストはユダヤ教の者とローマ人に捕まり、裁判の後に死刑を宣告されます。そして、自らが磔となる重い十字架を背負い、丘を登ることになるのです。
 丘はゴルゴダの丘と呼ばれ、「しゃらこうべの地」という意味があります。キリストはローマ人の慣習のため、丘の頂上を目指して巨大な十字架を背負いながらよろよろと歩きます。キリストが登っている間に多くの民衆が集まり、横について行きました。キリストを助けたいと切望している者も中にはいましたが、民衆の殆どは野次馬や通りすがり、彼を嘲り馬鹿にするために集まっていました。そのような境遇でもキリストは数少ない信仰者に対し「私の為に泣かず、自分たちの心配をしなさい」と伝えます。
 彼はなおも十字架を背負い続けましたが、遂に耐え切れずに倒れ込んでしまいます。兵士は起き上がるよう怒鳴り散らしたものの、キリストは立ち上がれなかったので、シモンという男に手伝わせました。行列の中に罪人二人も加えられて彼等はゆっくりと登っていき、やっとのことでゴルゴダの丘へ到着したのです。
 このエピソードは人々の原罪を背負うキリストを象徴する物語として、多くの画家によって描かれました。十字架を運ぶ(担う)キリストの絵画13点をご覧下さい。


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旧約聖書の「トビト記」の絵画14点。息子トビアはラファエルと旅し、家族円満となる

Bernardo Strozzi  1635 -

 トビト記は旧約聖書、またはヘブライ聖書の物語です。
 ある日、トビトは危険を顧みずユダヤ人の遺体を埋葬しました。アッシリアの捕虜にされていた彼等は、底辺の地位にいたのでした。お尋ね者になったトビトでしたが、甥の力添えで事なきを得ました。無事に自宅に戻って妻子と再会したトビトだったものの、雀の糞が目に落ちて失明し、妻と喧嘩をしてしまいます。神に祈りを捧げたトビトとほぼ同時刻に、悪魔に憑かれて七回の結婚を壊された女性、サラも神に祈っていました。神はその祈りを聞きいれ、旅に出ることになったトビトの息子トビアに、天使ラファエルを差し向けます。天使は身分を隠し、トビアの道案内人として雇われました。
 旅を開始した二人。巨大な魚を釣り上げたトビアに、ラファエルは魚の胆汁を父の目の薬に、心臓と肝臓をサラの悪魔祓いに使えとアドバイスしました。二人はサラの元へ行って魚の内臓をいぶすと、悪魔は逃げていきました。トビアとサラは夫婦となり、息子は父親の元へ帰ります。トビアは胆汁を使って父親の目を治し、家族は大円満となりました。神に深く祈る彼等にラファエルは素性を明かし、天へ還って行きました。
 家族をテーマにしたハッピーエンドの「トビト記」の絵画、14点をご覧ください。


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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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