メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

ルーベンス

スザンナと長老らの絵画13点。ダニエル書にある好色爺さんと節操ある女性の物語

Hendrick Goltzius  1558–1617 -

 スザンナと長老の物語は、旧約聖書のダニエル書に入っている短編の一つです。
 ある日、ヘブライ人の美しい女性スザンナは人払いをして庭で水浴していました。しかし、二人の好色な長老がそれをのぞき見していたのです。そればかりではなく、スザンナが帰宅しようとした時に眼前に立ちはだかり、「我等と関係を持たなければ、恋人と密会していたと夫に告発するぞ!」と脅迫しました。彼女はそれに屈することなく拒否したので、虚偽の罪で逮捕されてしまいます。まさに死刑にされようとしていた時、ダニエルという青年が異議を唱えます。彼は長老らにスザンナと男が密会した詳細を訪ねると、二人の話は一致しませんでした。逢引きした木が、一人は乳香樹、一人はカシの木と主張したのです。これにより嘘がばれ、長老らが処刑されることになりました。
 好色と偽りが罰せられ、美徳が勝利するというこの物語は1500年以降多くの画家に描かれてきました。スザンナと長老たちの絵画13点をご覧ください。


bottan_03_01

ローマの慈愛キモンとペロの絵画15点。獄中で瀕死の父に、娘が母乳を与える物語

Peter Paul Rubens 1612 -

 「ローマの慈愛(Roman Charity)」と呼ばれているこの物語は、父親に対する娘の献身的な愛を象徴しています。
 時代は古代ローマまでさかのぼり、歴史家ワレリウス・マキシムスが書いた「忘れざる行為の9冊の書とローマ人の言葉」に記録されています。餓死の刑に処されている父親キモンは食糧を与えられず、死の寸前にありました。そこへ居場所を探し出した娘ペロが現れ、死にかけている父に自らの母乳を与えます。彼女の行為は看守によって発見されてしまいますが、この献身的な行為は看守の心を動かし、父親の解放を得ることができたとされています。
 この物語はローマ時代から何名もの画家に描かれ、17~18世紀頃に最も多く描かれました。キモンとペロの絵画、15点をご覧ください。

bottan_03_01

ピーテル・パウル・ルーベンスの絵画15点。バロックを代表するフランドル界の巨匠

Boreas abducts Oreithya - by Peter Paul Rubens -

 ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)はバロック期に活躍したフランドルの画家、外交官です。
 両親は迫害によりベルギーのアントウェルペンからドイツへと避難し、そこでルーベンスを生みました。彼が10歳の時に父親が亡くなり、故郷へと戻ります。そこでルーベンスは様々なことを学び、貴族の未亡人の小姓となります。芸術の才能を認められた彼は画家組合に入会し、当時の主要な画家に指導を受けながら先代の作品の模写を徹底して行うことで、一人前の画家となりました。23歳の時にイタリアへ向かい、ルネサンスの巨匠の作品を吸収し、古代ギリシャの作品を学びました。その三年後には外交官としてスペイン王フェリペ3世の元へ赴き、絵画の制作依頼を受けながら各地を転々としました。しかし、ルーベンスが31歳の時に母親が亡くなり、アントウェルペンへ帰郷。ネーデルラント君主の妃イサベルの宮廷画家となった彼は故郷に工房を持ち、幾多の依頼を受けました。

 弟子を入れたルーベンスの工房は組織化し、中には美術館や図書館がありました。ルーベンスが構図や下絵、仕上げを施し、弟子が拡大や中途作業を行いました。弟子の特性を理解し、任せる者を景色や動物によって変え、賃金は描いた分量により決めていたそうです。弟子の中で一番頭角を現したのがアンソニー・ヴァン・ダイクで、共同制作する時もありました。その後、ルーベンスは外交官を行いながら各地で肖像画や連作を手掛け、国際的に有名となりました。晩年は故郷周辺で仕事をしながら暮らしていましたが、痛風を患っていた彼は1640年5月に心不全により亡くなりました。現在故郷の聖ヤーコプ教会に静かに眠っています。
 ルーベンスの作品は数限りなくあり、どれを紹介して良いか迷ってしまいましたが、あえてあまり観たことがないマイナーそうなものを選びました。作品は年代順に並んでいます。では、バロック時代の多産の巨匠ルーベンスの絵画15点をご覧ください。

bottan_03_01

「ベルギー奇想の系譜展」へ行ってきました!混雑状況やグッズ、感想を語ります!

KIMG1147 -

 8月29日(火)に東京のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されている「ベルギー奇想の系譜展」へ一人旅で行ってきました!
 「ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで」という主題の通り、ヒエロニムス・ボスの奇想天外な怪物の影響を受けた追随者の作品や、ピーテル・ブリューゲル(父)の版画、19世紀のベルギーの象徴派、現代のシュールレアリスムの作品を時代の流れと共に紹介した展覧会となっております。今回のメインはヒエロニムス・ボスの工房の作品「トゥヌグダルスの幻視」であり、面白さと不気味さと妖艶さ、奇抜さがいっぱいに溢れた展覧会でした!
 では、展覧会のショップ情報や混雑さ、感想をご覧ください!

bottan_03_01

ギリシャ神話の美青年アドニスの絵画14点。無惨にも猪に殺されるヴィーナスの愛人

 Thomas Willeboirts -

 ギリシャ神話に登場するアドニスは、女神ヴィーナスに愛された美青年です。
 ある日、ヴィーナスは息子エロスと遊んでいるうちに、恋の矢で自分の胸を傷付けてしまいました。彼女はすぐに払いのけましたが、傷は想像以上に深いものでした。その時、近くにアドニスが通りかかったのです。ヴィーナスは瞬く間に恋に落ちてしまい、アドニスのことしか考えられなくなりました。彼は狩人だったので、ヴィーナスはアドニスと共に森や山を歩き、野兎や鹿などを追いまわしました。ヴィーナスは「いいですか。狼や獅子、猪など危険な動物には決して近付いてはなりません。私がいない間に身を危険にさらしてはいけませんよ」とアドニスに忠告し、用事を済ます為に二輪車に乗って大空を駆けていきました。

 しかし、アドニスは気高く血気盛んな若者だったので、忠告を無視してしまいます。猟犬が猪を発見するやいなや、彼は槍を動物の脇腹に突き立てました。すると、猪はひるむことなくアドニスに突進し、逃げる隙もなく青年の脇腹に牙を付きたてたのです!アドニスは悲鳴を発し、野原に倒れ込みました。その叫びを聞いたヴィーナスはUターンし、血まみれになったアドニスの元へ駆け寄ります。あまりの悲しみに彼女は髪をかきむって胸を叩き、運命の女神を呪いました。「すべてを運命の女神に委ねるなんてできない。私はアドニスの死と悲しみを風化させないようにする。あなたの流した血は、美しい花となるのです」ヴィーナスはそう言ってネクタル(神酒)を彼に流しました。すると、ザクロのような赤色の花が咲き出し、この花はアネモネと呼ばれるようになりました。
 悲劇の青年アドニスとヴィーナスの絵画14点をご覧ください。

bottan_03_01

オスロ国立美術館の見どころを教えます!見るべき絵画と、出会えるムンク作品は?

ムンク -

 7月28日から8月6日まで10日間の北欧旅行へ行ってきましたので、ノルウェーにある最大の美術館、オスロ国立美術館へ入りました!
 ノルウェーの画家と言ったらエドヴァルド・ムンク。ムンクと言ったら「叫び」。「叫び」は日本では五本の指に入るほど有名な絵画ではないでしょうか。叫びの作品は全部で四枚あるとされており、その中の一枚がこの美術館に収蔵されています。しかし、それだけではありません。オスロ国立美術館には「叫び」以外のムンクの作品がありますし、他にも有名な作品が展示されていました。国立美術館の見どころや作品解説をしていきますので、早速ご覧ください!

bottan_03_01

ギリシャ神話のパエトンの絵画12点。父アポロンの二輪車を借り、墜落死した少年

sebastiano ricci 1659 1734 -

 ギリシャ神話に登場するパエトンは、太陽神アポロンとニュムペーのクリュメネーとの間に生まれた息子です。
 彼は友人から「お前は本当にアポロンの息子なのか?」と言われ笑われたので、それを証明するために日の出の方角へ旅をし、父親の宮殿へ赴きました。全身から光を発すアポロンに気圧されながらも、彼は「あなたの父親と証明できる何かをお授けください」と頼みます。アポロンは快く了承し、「何でも願うがいい」と答えます。しかし、パエトンが願ったのは「太陽の二輪車を一日御させてください」でした。父親はそれだけは命の危険があるから止めてくれ、自分ですら太陽を御するのは難しい時がある、と息子を説得しようとしますが、聞く耳を持ちません。結局アポロンは折れ、二輪車を貸すことにしました。

 しかし、それが悲劇の始まりでした。目を輝かせて二輪車に乗ったパエトンですが、発車した途端に引く馬のスピードと凶暴さに恐れ、やがて手綱を離してしまいます。太陽は大暴走し、そこら中を焼け野原にしてしまいました。山は焼け、川や海は干上がり、北アフリカ辺りは砂漠となり、エチオピア人は肌が黒くなってしまいました。豊穣神は「このままでは世界が滅んでしまう!」とゼウスに助けを求めました。最高神はやむなく雷霆を使ってパエトンを撃ち殺してしまいました。パエトンの遺体はエリダノス河に落ち、彼の姉妹のヘリアデスたちは悲しさのあまりポプラの樹になってしまい、樹が流した涙は琥珀になったそうです。
 血気にはやる余り命を落としてしまったパエトンの絵画、12点をご覧ください。

bottan_03_01

聖母の戴冠の絵画12点。昇天したマリアは神とイエス・キリストに王冠を授けられる

Enguerrand Charonton Coronation of Mary  1454 -

 「聖母戴冠」は、マリアが天上で神によって王冠を授けられている絵画のことを指します。
 聖書にはそのような記述はありませんが、マリアは死して三日後に復活を果たし、天国へと昇って行ったとされています。そこで彼女は戴冠を受けるのです。王冠を授ける者は神であったり、キリストであったり、三位一体であったりします。十二使徒が上空を仰いでいたり、天使や聖人たちが祝福していたりする場合もあります。王冠の意味は女帝というよりも、女教皇である方が正しいかもしれません。権威より栄光や信仰。マリアは聖なる教えを伝えていく最たる者、といった立場なのだと思います。
 栄誉に満ちた聖母戴冠の絵画、12点をご覧ください。
→ マリアの死についての絵画を見たい方はこちら
→ マリアの被昇天についての絵画を見たい方はこちら

bottan_03_01

聖母の被昇天の絵画12点。マリアは死後、天使に連れられて天国へと上昇する

Guido Reni -1617 -

 カトリック教において、聖母マリアは亡くなったあと三日後に復活し、天国へ昇天したとされています。
 「聖母の被昇天」と呼ばれるマリアの復活の場面はたくさんの画家に描かれ、ルネサンスやバロック時代を中心に残されています。伝説では三日後に聖トマスらが墓を覗いてみると、マリアは忽然と消えていた、となっているのですが、天使を伴って天へと昇っていくマリアの姿が描かれる場合が多いです。(時に十二使徒も描かれます) 被昇天の日は始め1月18日だと考えられていましたが、6~7世紀頃に8月15日と改められ、祝日とされました。現在に至ってもマリアの復活の祝祭が行われています。
 神秘的な「聖母の被昇天」の絵画、12点をご覧ください。
→ マリアの死についての絵画を見たい方はこちら
 
bottan_03_01

ソロモンの審判の絵画13点。子供を取り合う母親事件を解決する、イスラエルの賢王

Henri-Frederic Schopin -

 ソロモンは旧約聖書の「列王記」に登場する古代イスラエル王国の王です。
 彼はかなりの知恵者として知られており、このような話が残されています。ある日、ソロモンの元に二人の女性が現れます。彼女たちは一緒の家に住んでおり、ほぼ同時に子供を産みました。しかし、一方の子供は死んでしまい、もう一方の子供は助かりました。死んだ子供の母親は生きている子供を取り上げ「私のだ!」と言い張り、本物の母親と喧嘩になりました。仲介役になった人は、ソロモンに審判を頼みました。
 ソロモンは「私のだ!」と主張する二人の母親を見比べ、隣に立っていた兵士にこう告げました。「その子供を真っ二つに切り裂け!」と。すると、偽物の母親は「あの女にあげるくらいなら裂いて!」と叫んだのに対し、本物の母親は「あの女にあげるから助けて!」と叫んだのです。こうして子供は本物の母親に返されました。
 この物語はソロモンの知恵を示すエピソードとして、多くの画家に描かれました。ソロモンの審判の絵画、13点をご覧ください。


bottan_03_01
プロフィール
aicon

管理人:


中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

button

メメント・モリについて

アーカイブ
記事検索
記事検索
  PR
【異形の怪物LINEスタンプ】
line logo2


ブログランキング・にほんブログ村へ

―最新記事をお届け―

buttons

buttons - コピー (2)

buttons - コピー

PC用広告