メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

ローマ時代

ウェルトゥムヌスとポモナの絵画13点。老婆に変身し美女に自己PRをしまくる若者

Paulus Moreelse 1630頃 -

 古代ローマの詩人オウィディウスの「変身物語」より。ポモナは果樹園を栽培しているニンフであり、彼女は恋愛に全く興味がなく果樹を手入れすることを楽しんでいました。
 そんな彼女に恋をしてしまった季節の神ウェルトゥムヌス。彼は剪定師に化けたり羊飼いに化けたりしてポモナに近付いていたものの、声をかけられずにいました。ついにウェルトゥムヌスは愛を伝えたくて、老婆に変身して「立派なできばえですねぇ、お嬢さん」と言った途端、老婆はポモナに接吻をしてしまいます!

 彼女はびっくりしたものの、老婆なのでそれを見過ごしました。老婆は周囲を見渡し、言葉を発します。「木々は互いにからみ、支えあっています。貴女も独り身でいるよりは、相手を探してはいかが?たとえば、私が仕えている季節の神ウェルトゥムヌス様とか・・・。彼は一途であり、果樹栽培も得意、そしてお嬢さんの事を愛しております。どうですか?女神アフロディテ様も冷たい心は憎んでおりますよ」と、めちゃめちゃ自己PRします。

 それから老婆はイピスとアナクサレテの逸話を話し、更にポモナに愛の重大さを伝えました。「お嬢さん、深く考えて恋人の願いを聞き入れてくださいませ」と言い、老婆はウェルトゥムヌスの姿に戻りました。ポモナは彼の説得と美しい容姿に恋をし、相思相愛となったのです。
 では、ウェルトゥムヌスとポモナの絵画13点をご覧ください。

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フローラの絵画13点。美を表現する媒体として描かれたローマ神話の花と豊穣の女神

Flora, por Tiziano 1515-17 -

 フローラはローマ神話に登場する花と豊穣、春の女神です。ギリシャ神話のニュムペーであるフロリスと同一視されています。
 詩人オウィディウスによると、西風の神ゼピュロスは彼女を見初めてイタリアへとさらい、二人は結婚しました。フローラは花園で暮らし、花の女神となりました。彼女は人間に様々な種類の花の種や蜂蜜を与えたとされています。また、伝説によると神々の女王ユノ(ヘラ)に「触れると自然に身ごもる魔法の花」を渡し、ユノはそれによりマルスを出産したとされています。(マルスはローマ建国時にまで遡る古き農耕神であり、この物語ができた頃合にギリシャ神話と混合し、軍神となったと思われます)

 神話では登場場面が多くないフローラですが、古くから崇拝されている女神であり、「フローラリア」という豊穣祭が開かれていたようです。愛と豊穣の女神ウェヌス(ヴィーナス)や、酒の神バッカス(ディオニソス)の祭りと共通した部分もあったと思われます。
 ルネサンス以降の画家たちはフローラを「美を表現する芸術」や「技法の追求」や「モデルの美しさを高める」手段と考え、美女に花を持たせたり、囲ませたりすることで女神フローラとして描き上げました。ヴィーナスと同様に、フローラは「美」の媒体として用いられたのです。
 では、フローラにまつわる絵画13点をご覧ください。

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聖パウロ(サウロ)の絵画13点。キリストを幻視した奇跡により改心し、殉教した聖人

Jan Lievens St Paul 1627-29 -

 聖パウロは1世紀頃に生きたキリスト教の迫害者でしたが、幻視の奇跡により改心した聖人です。ユダヤ名はサウロで、新約聖書の著者の一人とされています。
 新約聖書の「使徒行伝」によると、サウロ(パウロ)はエルサレムのラビ(宗教指導者)の元で学び、熱心なユダヤ教信仰者でした。その為、キリスト教に反対しており、ステファノを石打ちの刑にする事にも賛成していました。しかし、サウロがダマスコへ向かう途中、天から光が降り注ぎイエス・キリストの声が響きました。「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」と。そしてサウロの目が突然見えなくなってしまったのです。アナニアというキリスト教徒が彼の為に祈ると、なんと目が再び見えるようになりました。この奇跡を体験してサウロは改宗することにし、名前もパウロと改めたのでした。

 かつて信仰したユダヤ教の信徒から激しい迫害を受けながらも、パウロはアンティオキアを拠点にして弟子達と共に布教に励みました。三回の布教旅行を行った後、エルサレムで捕縛されて裁判の為にローマへと送られ、二年間軟禁生活となってしまいました。伝説によると、ネロ帝の時代にローマで斬首刑となり殉教したと考えられています。
 では、聖パウロの絵画13点をご覧ください。

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サイクロプス(キュクロプス)の絵画12点。狂暴だとしても美女に恋する一つ目の巨人

Polyphemus Giulio Romano, 1526-1528 -

 サイクロプス(キュプロクス)はギリシャ神話に登場する、一つ目の巨人の種族です。
 天空神ウラノスと地母神ガイアの間よりサイクロプス族は生まれましたが、父の手で奈落タルタロスに落とされてしまいます。神々の大戦ティタノマキアの際にゼウス達によって解放され、その返礼として神々に三つの神器を造りました。戦争後は鍛冶の神ヘパイストスの所で鍛冶業を行ったとされています。

 一方、ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に登場するサイクロプス族は、好意的な巨人ではなく、人を喰う凶暴な怪物として登場しています。サイクロプス族の島に漂着してしまった英雄オデュッセウスとその部下は、ポリュペーモス達によって捕らえられてしまいました。食べられていく部下。オデュッセウスは手持ちのワインでポリュペーモスの機嫌を取り、「私の名前はウーティス(誰でもない)」と告げました。巨人が酔いつぶれた頃、オデュッセウス達はその巨大な目を潰しました。痛がるポリュペーモスが「ウーティスにやられた!」と叫んでも、駆けつけた仲間達は「そっか、誰でもないのか」と帰ってしまいます。洞窟から無事に抜け出し、船に乗ったオデュッセウスは調子づいて自らの名を言ってしまった為、ポリューペモスは父であるポセイドンに祈り、彼は今後難破に苦しむ事になったのでした。

 そんな少し哀れなポリュペーモス。狂暴だけかと思いきや、ニュムペーであるガラテイアに恋したという逸話も残っています。ガラテイアに恋していたポリュペーモスは、彼女が青年アーキスといちゃついているのを発見。嫉妬のあまり石を投げつけてアーキスを殺してしまいます。異なる文献によると、ポリュペーモスとガラテイアは無事にゴールインし、三人の子供まで設けたとされています。
 では、ポリュペーモスを筆頭に、サイクロプスについての絵画12点をご覧ください。

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聖エラスムスの絵画14点。拷問に耐えたが、巻き取り棒で腸を出されて殉教した聖人

Heinrich Vogtherr 1516 -

 聖エラスムスは3~4世紀頃に生きたとされる、カトリックの聖人です。アンティオキアのエラスムスとも呼ばれ、生きながらに腸を巻き取られて殉教したとされています。
 聖エラスムスはシリアのアンティオキアの司祭でした。彼はキリスト教を迫害しているローマ皇帝ディオクレティアヌス帝に捕らえられ、激しい拷問を受ける事になります。その内容は凄まじく、暴行、汚物をかける、斧で打ち、蛇やミミズのいる穴に投げ込む、煮えたぎる油&硫黄に放り込む等を行いました。しかし、聖エラスムスは何事もなく無傷でおり、彼が神に祈ると拷問史達に落雷が起きたそうです。

 この時は聖エラスムスは生き延び、マクシミアヌス帝の時代になりました。今度も彼は拷問を受ける事になり、鋭い針が突き出した樽に入れて転がす、やっとこで歯を抜く、指に鉄の爪を打ちつける、松脂や硫黄、鉛等を熱して口に流し込みましたが効果はなく、聖エラスムスは生きていました。
 しかし、無敵の聖エラスムスにも臨終の時が訪れます。303年、イリュリアの場でまたもや捕らえられた聖エラスムスは、片腹を裂かれて腸を引っぱり出され、巻き上げ機に腸を結ばれて巻き上げていかれたのです!こうして殉教してしまった聖エラスムスですが、この逸話は印象に残ったのか、何名かの画家によって生々しい作品が残されています。
 では、腸をぐるぐると巻き取られてしまった聖エラスムスについての絵画14点をご覧ください。閲覧注意になりますので、ご了承ください。

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キュベレーの絵画13点。フリギアやギリシャローマで崇拝された、古き豊穣の地母神

Francois-Edouard PICOT Cybele Vesuvius Protect  Cities 1832 -

 キュベレーはフリギア(トルコ中部)で崇拝され、ギリシャローマにも信仰が広まった豊穣を司る地母神です。その信仰は古く、起源は新石器時代までさかのぼるとされています。
 キュベレー崇拝は男性の去勢に深く結びついています。両性とも考えられていたキュベレーは、ある日去勢されてそこから樹木が生じ、その実に触れた女性が男の子を産み落とします。アッティスと名付けられた息子は王女と婚約しますが、恋したキュベレーがアッティスを忘我状態にさせて彼を去勢させてしまいます。なんと、その光景を見た王様が自らに同様の処置をした為に、キュベレーの熱狂的な崇拝者と男性の去勢が関連付けられるようになったとされています。なんというか、恐ろしいですね^^;

 また、キュベレーは二頭の獅子(ライオン)を引き連れているとされており、それはアタランテとヒッポメネスの夫婦の物語が関係しています。ヒッポメネスは徒競走に勝利してアタランテを妻とする事に成功しますが、キュベレーの神殿で情事をしてしまった為に、女神は怒って二人を獅子に変えてしまったそうです。(男女の愛は怒るんですね女神様・・・)
 では、古代の地母神キュベレーについての絵画13点をご覧ください。一部閲覧注意の作品がありますので、ご了承ください。

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ソフォニスバの絵画12点。夫マシニッサの境遇により毒盃で果てたカルタゴの美女

ferrari luca 1650 -

 ソフォニスバ(紀元前203年頃)は、第二次ポエニ戦争時代に生きた、カルタゴの美女です。
 カルタゴの将軍ハスドルバル・ギスコの娘として生まれた彼女は、東ヌミディア王国の王子マシニッサと婚約していましたが、東ヌミディアは共和政ローマとの戦争で大敗して王を失ってしまい、西ヌミディア王国が吸収してしまいます。それにより、ソフォニスバは西ヌミディアの王シュファクスと結婚しました。ヌミディアとカルタゴは同盟国となり、ローマ軍に対抗しますが、ローマ司令官の大スキピオとの戦争により破れてシュファクスは捕虜となってしまいます。彼は紀元前203年頃にローマで殺されてしまいました。

 一方、東ヌミディアの王子マシニッサはローマの傘下へと入り、大スキピオを援助しました。その功績により、マシニッサはヌミディア王へと選出されます。その時、マシニッサはかつての許嫁ソフォニスバを見つけ、妻とする事にしたのです。
 しかし、カルタゴ将軍の娘であるソフォニスバにとって、ローマは敵国でした。ローマ側としても同様で、大スキピオはソフォニスバとの結婚を容認せず、彼女をローマへと連行する事に決めました。ソフォニスバは捕虜の扱いとなる事を恥辱とし、毒盃を飲み干して自ら命を絶ったのでした。
  このローマ時代の物語は日本ではマイナーですが、多くの絵画が描かれています。では、毒盃を飲んで自死しようとしているソフォニスバの絵画12点をご覧ください。

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女傑ゼノビアの絵画13点。勇敢なるパルミラ女王と野心的な夫に尽くした二人の女性

Zenobia by Carlo Antonio Tavella -

 ゼノビアという勇敢なる女性が、伝説上に二人存在します。
 一人目は、3世紀にシリアやエジプト周辺に興ったパルミラ王国の女王であるゼノビア。
 ゼノビアはパルミラ一帯を治めていたオダエナトゥスの後妻として入り、夫の参謀役として働きました。しかし、夫が267年に甥に暗殺されてしまったので、息子ウァバッラトゥスを後継者として立て、彼女は息子と二人で共同統治者となりました。268年になるとローマ皇帝ガッリエヌスが暗殺され、ゼノビアと息子はそれに乗じて領土を広げていき、ゼノビアは「戦士女王」と呼ばれるまでになりました。
 270年にローマ皇帝となったアウレリアヌスがパルミラ王国に降伏を迫り、彼女はそれを拒否。全面対決となります。それにより息子ウァバッラトゥスは戦死して大敗し、王国は滅亡してしまうのでした。ゼノビアはローマへと連行され、そのまま病気で死亡したとも、自死したとも、ローマの元老院と再婚して余生を暮らしたともされています。

 もう一人は51~5年に興ったイベリア王国の王子ラダミストゥスの妻としてのゼノビア。
 夫は野心家で、ゼノビアの父を処刑してアルメニアを征服してしまいます。ローマとパルティアの攻撃にあって一度はアルメニアを奪われるも、ラダミストゥスは復権します。しかし、彼がパルティア国に組した都市を罰した為、都市はパルティア王子をアルメニア王として立て、彼は地位を追われてしまいます。ラダミストゥスは身重であるゼノビアを連れて馬で逃げました。
 タキトゥスの伝説によると、ゼノビアはその時こう言ったとされています。「身重で乗馬に長時間耐えられない。足手まといになって敵の手に落ちるくらいなら、どうか私を殺してください」と。夫はその願いを聞いてやり、海岸で彼女を刺して一人旅立ちますが、ゼノビアは奇跡的に命を取り留め、羊飼い達に発見されます。彼女はそのままパルティア王の元へ連れられたものの、手厚くもてなされたそうです。一方、自国に逃走した夫は父に対して陰謀を企て、処刑されてしまったとされています。
 二人のゼノビアに関する絵画13点をご覧ください。

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聖フロリアンの絵画13点。火炙りされて川に沈められた、消防を司る軍司令官の聖人

Saint Florian by Francesco del Cossa, 1473 - コピー

 聖フロリアン(聖フロリアヌス)はローマ帝国時代の聖人です。
 現在のドイツ・バイエルン地方の軍司令官であった彼は、消防団も率いていました。帝国側はキリスト教の崇拝を辞めさせる為にアキリヌスを送り出しました。アキリアヌスはローマの神々の信仰を強要しますが、フロリアンは断固拒否。怒った帝国側はフロリアンを棍棒で殴り、釘で打ちつけて火で炙って拷問しました。そして首に大石をくくり付け、ドナウ川に沈めてしまったのでした。
 フロリアンはそれにちなんで消防関係者の守護聖人とされ、フロリアン十字は消防団の紋章として広く使用されています。
 では、聖フロリアンの絵画13点をご覧ください。

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スフィンクスの絵画13点。エジプトやギリシャ神話等に登場する神秘の女形の怪物

Oedipus and the Sphinx 1864 -

 スフィンクスはエジプト神話、メソポタミア神話、ギリシャ神話に登場する神獣、または伝説の怪物です。獅子の姿に女性の顔、鷲の翼が一般的です。
 スフィンクスの起源は古代エジプトの最古期とされ、王や神を守護する神聖な存在であり、エジプト王ファラオの容姿、ライオンの身体をしています。最も有名なものはギザの三大ピラミッドの近くにある、大スフィンクスですね。男性、女性の両方おり、守護する王の聖獣をかたどる為、鳥類や雄羊の頭部を持ったスフィンクスもいるようです。
 メソポタミアのスフィンクスは女性の顔、獅子の身体、鷲の翼を持っており、戦争において死を見守る、死の使者的な恐ろしい存在として考えられております。

 また、ギリシャ神話におけるスフィンクスもメソポタミアと同様の姿をしているとされています。テュポンを父親、エキドナを母親とし(オルトロスとエキドナという説も)、高い知能を生かして人間に謎解きをけしかけ、不正解の者を喰らう事を繰り返していました。
 オイディプス王の物語によれば、スフィンクスはテーバイの人々に「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か?」という問いを発して、住民を苦しめていました。オイディプスは「答えは人間だ。赤ん坊の時はハイハイをし、青年になって立ち上がり、老人となると杖を付くからだ」と正解を言った為、スフィンクスは悔しさのあまり岩から海へ飛び込んで命を落としたとされています。
 様々な国、時代のスフィンクスの姿についての作品13点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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