メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

ヴィーナス

パリスとヘレネの絵画13点。トロイ戦争の元凶となった出戻り王子と世界三大美女

Jaques-Louis David, 1788 - コピー

 パリスはトロイの王子であり、ヘレネはスパルタ王メネラオスの妃でした。彼がヘレネを誘拐したことにより、トロイ戦争が勃発してしまいます。
 プリアモスとヘカベの間に生まれたパリスには、兄ヘクトルと妹カサンドラがいます。凶兆が出た為にイデ山に捨てられ、パリスは羊飼いの家で育てられますが、後に王宮に迎えられます。そんな彼の前にヴィーナス、ヘラ、アテネの三美神が現れ、誰が一番美しいかを選ぶよう命じられたので、彼は「私を選んだら地上で最も美しい女を授けよう」と言ったヴィーナスを指名しました。世界一の美女というのがスパルタ王の妃ヘレネであり、パリスは女神の導きにより妻を捨てて彼女を誘拐してしまいます。勿論夫のメネラオス王は怒り、兄のアガメムノンと協力してギリシャ勢を集めてトロイに攻め込みました。ヘクトルがヘレネを返却させろと言っても、弟は聞く耳を持ちません。二人は相思相愛となり、戦争は泥沼状態と化して10年間続けられました。

 ヘクトルは英雄アキレスに殺され、パリスはアキレスを殺し、パリスは英雄ピロクテテスに射られて瀕死の重傷を負います。パリスは元の妻オイノネに治癒を求めたものの、「私を捨てた男なんか治したくない」と拒絶されて死んでしまいます。その後、パリスの弟のヘレノスとデーイポボスがヘレネを巡って戦い、後者が勝ちました。ヘレノスは弟を深く恨んでギリシャ側に寝返り、トロイの内部事情を伝えてしまいます。かくしてオデュッセウスが木馬の作戦を思い付き、トロイはあっけなく陥落してしまうのです。ヘレネは夫のメネラオスによって殺されかけますが、魅力深さ故に殺されず、メネラオスは再び彼女を妻としました。その後、ヘレネはスパルタの妃として平穏に暮らしたとも、アガメムノンの息子オレステスによって殺されたともされています。
 女神が介入した禁断の愛により破滅を起こした、パリスとヘレネの絵画13点をご覧ください。

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オーギュスト・ルノワールのマイナー絵画15点。こんな作品も描いた印象派の巨匠

Pierre-Auguste_Renoir Diana als Jägerin 1867 -

 ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)はフランスの印象派の画家です。
 彼はリモージュという町に生まれ、3歳の時にパリに移りました。十代の時に磁器の絵付きや扇子の装飾などの仕事を行い、20歳の時に画家になろうと決意。アカデミズム絵画を手掛けるシャルル・グレールの塾に入り、そこでモネやバジールらと出会い、23歳の時にサロンで初入選を果たします。普仏戦争の後にモネやピサロと共に「第一回印象派展」を行いますが、結果は厳しい批判を受けました。二回、三回の印象派展は芳しくはなかったものの、徐々にファンが現れるようになります。37歳の時に再びサロンに応募したところ入選し、印象派展からは距離を置くようになります。
 
 その二年後にアルジェリアとイタリアを旅行し、古典的な作品に感銘を受けたルノワールは、明確な線を描くようになります。ですが、自らの画風は違うと思った彼はまた温かみのある風合いの裸体画を描き、その頃にはルノワールの名声は高まっていました。しかし、56歳の時に自転車事故でリウマチを発症、以後は病気と闘いながらの作品制作となります。晩年は南フランスに移り住み、家族や風景、裸婦などをモチーフにして数々の作品を生み出しました。名声は西洋中に広がり、マティスやピカソなど若き画家が自宅訪問したと伝えられています。その頃彫刻にも興味を抱き、彫刻デッサンを手掛けるようになります。4000点以上作品があるとされる多産の画家ルノワールは、1919年12月に肺の血液が異常に増える肺うっ血という病により亡くなりました。享年78年でした。

 ルノワールの作品は光に満ちた風景画や人物画、水浴画が多いですが、趣向を変えて神話や物語に関連した、ちょっとマイナーな作品をご紹介したいと思います。あくまでも主観的なものなので、「これメジャーじゃん!」と思ってもお許しください。
 では、ルノワールのマイナーな作品15点+αをご覧ください。

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ギリシャ神話の美青年アドニスの絵画14点。無惨にも猪に殺されるヴィーナスの愛人

 Thomas Willeboirts -

 ギリシャ神話に登場するアドニスは、女神ヴィーナスに愛された美青年です。
 ある日、ヴィーナスは息子エロスと遊んでいるうちに、恋の矢で自分の胸を傷付けてしまいました。彼女はすぐに払いのけましたが、傷は想像以上に深いものでした。その時、近くにアドニスが通りかかったのです。ヴィーナスは瞬く間に恋に落ちてしまい、アドニスのことしか考えられなくなりました。彼は狩人だったので、ヴィーナスはアドニスと共に森や山を歩き、野兎や鹿などを追いまわしました。ヴィーナスは「いいですか。狼や獅子、猪など危険な動物には決して近付いてはなりません。私がいない間に身を危険にさらしてはいけませんよ」とアドニスに忠告し、用事を済ます為に二輪車に乗って大空を駆けていきました。

 しかし、アドニスは気高く血気盛んな若者だったので、忠告を無視してしまいます。猟犬が猪を発見するやいなや、彼は槍を動物の脇腹に突き立てました。すると、猪はひるむことなくアドニスに突進し、逃げる隙もなく青年の脇腹に牙を付きたてたのです!アドニスは悲鳴を発し、野原に倒れ込みました。その叫びを聞いたヴィーナスはUターンし、血まみれになったアドニスの元へ駆け寄ります。あまりの悲しみに彼女は髪をかきむって胸を叩き、運命の女神を呪いました。「すべてを運命の女神に委ねるなんてできない。私はアドニスの死と悲しみを風化させないようにする。あなたの流した血は、美しい花となるのです」ヴィーナスはそう言ってネクタル(神酒)を彼に流しました。すると、ザクロのような赤色の花が咲き出し、この花はアネモネと呼ばれるようになりました。
 悲劇の青年アドニスとヴィーナスの絵画14点をご覧ください。

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ギリシャ神話のパリスの審判の絵画14選。ヴィーナス、ヘラ、アテナの女神から選ぶ

Joachim Wtewael 1615 -

 パリスの審判はギリシャ神話の物語で、トロイ戦争の発端となった出来事です。
 ある日、アキレスの両親の結婚式が催されました。全ての神が出席しましたが、ただ一人不和の女神エリスが招かれませんでした。彼女は怒り、結婚式に乗り込んで「最も美しい者へ」と黄金のリンゴを投げ入れました。リンゴは私のものよ!と名乗り出たのはヴィーナス、ヘラ、アテナでした。三名は全く譲らなかったので、主神ゼウスはイリオスの息子で、羊飼いの仕事をしているパリスに審判させることに決めました。ゼウスの使者であるヘルメスがパリスの元へ行ってリンゴを渡し、事情を説明しました。
 そして、最も美しい女を主張する三名の女神がパリスの前に現れます。ヘラは「君主の座」、アテナは「戦争の勝利」、ヴィーナスは「最も美しい人間の女」を与えると彼に言いました。パリスはヴィーナスに黄金のリンゴを渡しました。それにより、パリスはヴィーナスの助けを得てスパルタ王ヘレネを手に入れることができましたが、それがトロイ戦争の元凶となってしまったのです。
 女神の戦いである「パリスの審判」の絵画、14点をご覧ください。


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【絵画13点】ルネサンスの画家ボッティチェリ。ヴィーナスの誕生の他も名作ばかり!

botticelli-maddonna-magnificat - コピー

 サンドロ・ボッティチェリ(1445年-1510年)は初期ルネサンス時代のイタリアの画家です。
 フィレンツェ派の代表的な画家で、知らない方はほとんどいないのではないでしょうか。ボッティチェリはあだ名で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピといいいます。フィリッポ・リッピを師匠にして学んだ後、メディチ家の保護を受けて様々な傑作を生みだしました。ボッティチェリの作品は、現代で言うと不透明水彩絵の具に近いテンペラで描かれています。テンペラは塗り重ねをすると下の層が見えなくなってしまうのですが、彼は巧みに細い線を用いてハッチングし、きめ細やかな立体感を生み出しています。
 ボッティチェリの代表作に「ヴィーナスの誕生」と「プリマヴェーラ(春)」がありますが、それだけではありません。彼は数多くの傑作を世に出しています。繊細で美しい作品の数々をご覧ください。


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プロフィール
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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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