メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

戦争

ギリシャ神話の英雄アキレスの絵画12点。ケイロンに師事した彼は戦争へ連れられる

education centaur Chiron 1782 Jean Baptiste Regnault -

 アキレスはギリシャ神話に登場する英雄です。
 王ぺーレウスと海の女神テティスとの間に生まれました。アキレスが生まれると、テティスは直ぐ冥府の川スクテュスに息子を浸しました。その川には人を不死にする力がありましたが、テティスはアキレスの足首を掴んでいた為、かかとだけ不死にはなりませんでした。その後、彼はケンタウロス族の賢者ケイロンの元に預けられて養育されました。立派な青年になったアキレスでしたが、トロイ戦争に関わると命を落とすと予言が出たので、テティスは息子を女装させてスキュロス島へ移しました。そこで彼は王の娘デイダメイアとの間に息子ネオプトレモスをもうけています。

 そこへ戦争の勧誘にオデュッセウスが来たので、女装したアキレスはやり過ごそうとしました。しかし、策士の彼は女性向けの物の中に武器を混ぜ、正体を暴いてしまいました。こうしてアキレスは戦争に出ざるを得なかったのです。いざ出航しようとした彼等でしたが、トロイ方面とは逆の風が吹いており進めませんでした。総大将アガメムノンが神託をすると、娘を生贄へ捧げるという結果が出ました。アガメムノンはアキレスとの縁談を理由に娘を呼び寄せ、生贄にしてしまいます。アキレスはその事に非常に強い怒りを示し、亀裂を生じさせるきっかけとなりました。
 その後、彼はトロイ戦争へ参加して予言通りに命を落としてしまうのですが、今回はアキレスの幼少期とアガメムノンの確執についての絵画12点をご覧ください。

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ヴラド三世の絵画13選。串刺し公と呼ばれ、ドラキュラのモデルになったワラキア君主

Ambras Castle 1560 -

 ヴラド三世は15世紀に生きたワラキア公国(ルーマニア南部)の君主です。冷酷で非情とも思える統治をしていた為、串刺し公(ヴラド・ツェペシュ)、ドラキュラ公とも呼ばれていました。
 ヴラド三世は1431年にヴラド二世の次男として生まれました。彼が十代の時に、弟と共にオスマン帝国の人質となります。その三年後に父と兄が暗殺され、ヴラディスラフがワラキア公の地位に付きますが、ヴラド三世が帝国を利用して、君主の座を奪います。一度は失脚したものの返り咲いたヴラド三世は、反対派の貴族を虐殺し、権力の絶対化を進めました。彼は支援者だったオスマン帝国に反逆し、使者を串刺しにして返したので、帝国との戦争が始まりました。帝国のメフメト二世がワラキア公国へ攻め込んできた際、ヴラド三世はゲリラ戦や焦土作戦を使って反抗し、彼の兵士を大量に串刺しにして見せつけました。メフメト二世はこのショッキングな光景によって戦意を失い、撤退したとされています。

 しかし、今度はオスマン帝国がヴラド三世の弟ラドゥを支援し、ヴラド三世を失脚させます。彼は落ち延びた先のハンガリー王に捕らえられ、12年間幽閉されてしまいます。解放後、ヴラド三世は正教会からカトリックに改宗し、立て直しを図り、三度目のワラキア公になることができたものの、1476年にオスマン帝国と戦って戦死してしまいます。享年45歳でした。
 権力や国土の為なら残酷なことも辞さない、恐ろしきヴラド三世に関係する絵画13点をご覧ください。

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神々とティターン族の戦いティタノマキアの絵画12点。天地や宇宙を揺るがす大戦争

guilio romano fall of giants 1532 1534 fresco -

 ティタノマキアはゼウス率いるオリュンポスの神々と、クロノス率いるティターン族の大戦争です。
 クロノスはゼウスらの父で、王位を失うという予言を受けて子供達を呑み込んでしまいますが、母の手引きによってゼウスは助かり、予言通り王位を手に入れました。(→ 詳しい物語はこちら) しかし、復讐の為に神々はティターン族に戦いをしかけ、ティタノマキアが始まりました。この戦争は山々や宇宙を震撼させるほどに凄まじく、世界崩壊を起こさせるほどの規模でした。戦いは拮抗し10年間続けられますが、ガイアの助言により、ヘカトンケイルとキュクロプスを味方に付けたオリュンポスの神々は一気に優勢になります。最後はゼウスの雷霆(らいてい)の力でティターン族の目を焼き、天地やカオスまでもが雷の炎によって焼かれました。こうして戦争は神々の勝利となり、ティターン族は深淵タルタロスの奥底に封印され、オリュンポスの神々の支配が始まったのです。
 ティタノマキアに関する絵画、12点をご覧ください。

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剣闘士(グラディエーター)の絵画11点。敗北は死であり、ローマ帝国の光と影の象徴

 Landucci - コピー

 剣闘士は古代ローマ帝国において、闘技場で見世物として戦わされた戦士です。
 グラディエーターとも呼ばれ、その生き様や勇士は映画で知っている方も多いと思います。グラディウスと呼ばれる小型の剣を用いる剣闘士がみられたことから、その名が付いたそうです。剣闘士の歴史は定かではありませんが、紀元前4世紀の壁画にはその姿がみられたようです。
 剣闘士になる人のほとんどは戦争捕虜や奴隷市場で買い取られた者で、自ら志願して剣闘士になる者はまれでした。彼等は訓練所で徹底的に戦闘の知恵を叩き込まれ、実践の場である円形闘技場に送られました。一対一の戦い、団体戦、猛獣戦、騎馬戦、模擬戦争、模擬海戦など戦闘ジャンルは様々で、観客を熱狂させるため、それらすべてにエンターテインメント性が帯びていました。生き残るには勝利だけが頼りで、敗北をした者の大半は死が待っていました。傷つけ合い、命の奪い合いがショーと化していたのです。
 ローマ帝国の闇の中に生きる剣闘士の姿11点をご覧ください。


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プロフィール
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管理人:


中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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