メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

狂王女フアナの絵画13点。権力に揉まれ、夫フィリップ美公の死により狂った王女

Jeanne la Folle 1856 Louis Gallait -

 カスティーリャ王女のフアナ(1479‐1555)は、夫フィリップ美公の関係から精神を崩し始め、夫の死をきっかけに狂気に陥ってしまった悲劇の女性です。狂王女フアナとも呼ばれています。
 フアナはカスティーリャ王女のイザベル1世とアラゴン国王フェルナンド2世との間に次女として生まれました。(現在のスペイン) 17歳の時にブルゴーニュ公フィリップ美公と結婚し、ネーデルラントへ嫁いでいきます。始めこそ二人は愛し合うも、真面目なフアナは女たらしであるフィリップが許せず、夫の心は次第に離れてゆきます。結婚から数年後、フアナの兄弟と世継ぎが相次いで亡くなり、彼女はカスティーリャの王位継承者に任命される事になりました。

 夫と共にカスティーリャへ行ったフアナ。しかし、フィリップはその地を嫌って祖国へと帰ってしまいました。ショックを受けたフアナは養育が困難になり、5人の子供は兄嫁や父が引き取る事となりました。24歳の時に母イザベル1世が亡くなり、フアナは王位を継ぐこととなります。フィリップは「妻は精神不安定だから俺に王位をくれ」と主張しましたが、彼の野心を見抜いていたイザベル1世は遺言でフアナに王位を託し、決して譲ろうとしませんでした。アラゴン国王である父フェルナンド2世も娘の王位を認めます。そんな最中、フィリップがスポーツ後に飲んだ水にあたり、1506年に急死してしまいました。

 夫の死を知ったフアナは完全に正気を失い、フィリップの棺を乗せた馬車に乗ってカスティーリャをさまよい続けたとされています。夫の死の二年後、フアナは父親により修道院に隣接した城に幽閉されてしまいました。彼女は「狂王女」と呼ばれ、政治から完全に隔離されました。フアナは夫の死の後に産まれた娘カタリナに固執し、長男カルロスがカタリナを離そうとすると、狂乱に陥ってしまったそうです。幽閉から約47年経ち、フアナは76歳でその生涯を閉じました。正気を失ってしまったとしても、彼女は「女王」という誇りは持ちつづけていたそうです。王位は息子カルロス1世に受け継がれ、後に孫フェリペ2世へと渡っていきました。
 では、愛に裏切られ死に絶望する、狂王女フアナの絵画13点をご覧ください。

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女王セミラミスの絵画13点。軍事に秀で勇敢、女傑とされたアッシリアの伝説の女王

Luca da reggio 1652 called to arms -

 セミラミスは紀元前800年頃に生きたとされる、メソポタミア北部のアッシリアの伝説の女王です。
 シケリアのディオドロス著の「歴史叢書」によると、セミラミスの母親はアフロディテ(ヴィーナス)の怒りを買い、若き信者に情愛を抱く呪いをかけられました。母はその時に身籠った赤子をシリアの砂漠に放置し、湖へと身を投げました。砂漠に残された幼いセミラミスは、鳩が運んできたミルクやチーズを食べて生き延びます。やがて発見されたセミラミスは羊飼いによって育てられ、シリア総督のオンネスの元へ嫁ぎます。二人はニネヴェで暮らし、二児をもうけました。

 その後、アッシリア王のニヌスはバクトリア国へと攻めました。夫のオンネスも参加しましたが、包囲戦が長引いたので妻が恋しくなり、彼はセミラミスを陣営へと呼び寄せました。知己に長けた彼女は戦地の状況を見てとるや、兵に指示を出して戦争を勝利に導いてしまいます。彼女の才色兼備に驚いた王は、オンネスに「娘をあげるから、お前の妻をよこせ。さもなくば目玉をえぐるぞ」と脅しました。妻を愛していたオンネスは狂気に陥り、首を吊って自害してしまったそう・・・。王はセミラミスを妻として迎い入れ、一男を得た後に命を終えました。かくしてセミラミスはアッシリアの女王となったのです。

 彼女はニヌス王を越えると言う野心を抱いて都市バビロニアを建設させ、他地域にもインフラを整備させました。領土拡大を目論んだ彼女は最大の国という噂のインドへの遠征を計画し、三年かけて国力の増強に努めます。こうしてアッシリアとインドの激しい戦争が起こりました。始めこそはアッシリアの優勢となりましたが、セミラミスの奸計に気付いたインド側が勢力を盛り返し、追い返されてしまいます。兵の三分の二を失い、セミラミスは国へと帰らざるを得ませんでした。
 セミラミスはかつて「息子が彼女に陰謀を企てるときが最期となる」という予言を受けていました。この時、息子ニニュアスが宦官を使って陰謀を図ったのです。セミラミスは命こそ助かったものの、そのまま姿を消してしまったとされています。
 では、優れた知恵を発揮した女王セミラミスの絵画13点をご覧ください。

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アマゾン(アマゾネス)の絵画13点。ギリシャ神話に登場する、馬を駆って戦う女部族

Johann Heinrich Wilhelm Tischbein 1788 -

 アマゾン(アマゾネス)はギリシャ神話に登場する、女性だけで構成された部族です。
 軍神アレスとニュムペーであるハルモニアを祖先とする部族とされ、未開の地に住んでいたとされています。アマゾンは馬に乗って狩猟をして生活する騎馬民族で、武器を持って様々な戦争に参加しています。女性のみで構成されたアマゾンは、他の部族へ行って男性と関係を持ち、子を成しました。子が女児だった場合のみは大事に育て、男児だった場合、殺すか奴隷にするか父親の元へ引き渡すかしたそうです。

 ヘラクレスの試練やテセウスの冒険、トロイア戦争などでアマゾンは登場し、アマゾンの代表的な女性として、女王のヒッポリュテーやその妹アンティオペー、後の女王ペンテシレイアがあげられます。
 では、女性だけの戦闘集団アマゾンの絵画13点をご覧ください。

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女傑ゼノビアの絵画13点。勇敢なるパルミラ女王と野心的な夫に尽くした二人の女性

Zenobia by Carlo Antonio Tavella -

 ゼノビアという勇敢なる女性が、伝説上に二人存在します。
 一人目は、3世紀にシリアやエジプト周辺に興ったパルミラ王国の女王であるゼノビア。
 ゼノビアはパルミラ一帯を治めていたオダエナトゥスの後妻として入り、夫の参謀役として働きました。しかし、夫が267年に甥に暗殺されてしまったので、息子ウァバッラトゥスを後継者として立て、彼女は息子と二人で共同統治者となりました。268年になるとローマ皇帝ガッリエヌスが暗殺され、ゼノビアと息子はそれに乗じて領土を広げていき、ゼノビアは「戦士女王」と呼ばれるまでになりました。
 270年にローマ皇帝となったアウレリアヌスがパルミラ王国に降伏を迫り、彼女はそれを拒否。全面対決となります。それにより息子ウァバッラトゥスは戦死して大敗し、王国は滅亡してしまうのでした。ゼノビアはローマへと連行され、そのまま病気で死亡したとも、自死したとも、ローマの元老院と再婚して余生を暮らしたともされています。

 もう一人は51~5年に興ったイベリア王国の王子ラダミストゥスの妻としてのゼノビア。
 夫は野心家で、ゼノビアの父を処刑してアルメニアを征服してしまいます。ローマとパルティアの攻撃にあって一度はアルメニアを奪われるも、ラダミストゥスは復権します。しかし、彼がパルティア国に組した都市を罰した為、都市はパルティア王子をアルメニア王として立て、彼は地位を追われてしまいます。ラダミストゥスは身重であるゼノビアを連れて馬で逃げました。
 タキトゥスの伝説によると、ゼノビアはその時こう言ったとされています。「身重で乗馬に長時間耐えられない。足手まといになって敵の手に落ちるくらいなら、どうか私を殺してください」と。夫はその願いを聞いてやり、海岸で彼女を刺して一人旅立ちますが、ゼノビアは奇跡的に命を取り留め、羊飼い達に発見されます。彼女はそのままパルティア王の元へ連れられたものの、手厚くもてなされたそうです。一方、自国に逃走した夫は父に対して陰謀を企て、処刑されてしまったとされています。
 二人のゼノビアに関する絵画13点をご覧ください。

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旧約聖書エステル記の絵画13点。ハマンの陰謀からユダヤ人を救ったペルシャの妃

Jean-François Portaels 1869 -

 エステル記は旧約聖書の一つで、ペルシャの妃となったユダヤ人エステルが知恵を使って民族を守る物語です。
 モルデカイの養女エステルは、父の勧めによりペルシャ王アハシュエロス(クセルクセス1世)の後妻に選ばれる事になりました。王はアガグ人(古代パレスチナ周辺)であるハマンを高い地位に据え、彼に敬意を表してひざまずくよう人々に布告を出しましたが、モルデカイは拒否しました。元々ハマンはユダヤ人を憎んでいましたので、それを口実にしてユダヤ人の抹殺を計画します。ハマンはアハシュエロス王にユダヤの殺害を認めさせる事に成功したのでした。
 
 王妃エステルはハマンがユダヤ人虐殺を企てている事を知ります。モルデガイに促されてエステルは王にユダヤ人の救済を嘆願する為に、ハマンと同席の酒宴を確約させる事に成功します。その夜、偶然アハシュエロス王はモルデカイが王の暗殺を防いでいた事を知り、彼に褒美を与えました。酒宴の席でエステルは王に自分はユダヤ人であると明かし、ハマンは悪人であると説きました。ハマンは命乞いを行ったものの、王の決定によりモルデカイの処刑用に建てていた支柱で、自分が処刑される羽目となりました。こうしてエステルとモルデカイ親子はユダヤ人達の人々を護る事ができたのでした。
 エステル記の絵画13点をご覧ください。

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フォルスタッフの絵画14点。シェイクスピアのヘンリー四世に登場する、強欲な老騎士

Falstaff with a Tankard of Wine and a Pipe  Mihály Zichy -

 フォルスタッフはシェイクスピアの戯曲「ヘンリー四世 一部&二部」と「ウィンザーの陽気な女房たち」に登場する老騎士です。
 大酒飲みで肥満体、臆病者で好色、強欲で嘘つき、追い剥ぎをするごろつきの悪人という、ダメダメな騎士ですが、頭が切れてユーモアに富み、たまに真相を突いた警句を吐くという深遠な一面も持ち合わせています。そのギャップは開演当初から多くの人に愛され、フォルスタッフはシェイクスピアの物語から飛び出して多くの二次創作が作られ、現代でも語り継がれております。

 「ヘンリー四世」によると、フォルスタッフはヘンリー四世の息子ハル王子の放蕩仲間で、飲んだくれて遊び呆けていました。ある日、ノーサンバランド伯の者達はヘンリー四世に謀反し、戦争を起こします。王は王子に鎮圧を命じ、ハル王子は名誉挽回の為にホットスパーを一騎打ちの末に倒します。ずっと逃げ回っていたフォルスタッフはホットスパーを倒したのは自分の手柄だと主張しますが、その嘘は見破られてしまうのでした。

 ホットスパーの死にノーサンバランド伯は怒り、応戦してきました。フォルスタッフは判事のシャロ―を頼って、兵士を募ったものの、役に立たない者ばかり。ハル王子の弟ジョン王子の策略で謀反者達は捕まり、処刑によって反乱は鎮圧されたものの、ヘンリー四世は重病に伏せり、ハル王子に王冠を託して息絶えてしまいます。王位を授かってヘンリー五世となった彼は、馴れ馴れしく話し掛けて来たフォルスタッフを拒絶し、罪で投獄してしまったのです。その後、フォルスタッフはフランスまで放浪したあげく、汗かき病によって死んでしまったとされています。
 愛すべき悪人、憎めないごろつきであるフォルスタッフの絵画14点をご覧ください。

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アレクサンドロス大王の絵画14点。ペルシア、エジプトを統一したマケドニアの英雄王

Alexander The Great Founding Alexandria by Placido Costanzi -

 アレクサンドロス3世(紀元前356-323年)はマケドニア王国の君主です。通称、アレクサンドロス大王と呼ばれています。
 彼はギリシャの伝説の英雄ヘラクレスとアキレスを先祖に持つとされ、ピリッポス2世とイピロスの王女オリュンピアスとの間に生まれました。高名な哲学者アリストテレスを家庭教師に持ち、アレクサンドロス大王は高い教養を身につけました。18歳の時に父親に連れられてアテナ・テーバイと戦争し、勝利を飾ります。しかし、その二年後に父は護衛によって暗殺されてしまいます。

 若くして王位に付いたアレクサンドロス大王。王座を狙う敵を排除し、遠征して全ギリシャを制圧します。その二年後にはペルシアへ遠征して快進撃を続けながら東へ進み、西アジア一部である小アジアを征服します。そのまま南下していき、ペルシアの統治下にあったエジプトへ入ったアレクサンドロス大王は、そこも征服してしまいます。エジプト人に歓迎された彼はファラオとして認められ、アレクサンドロス大王にちなんだ神像や都市が建てられます。その後、彼はペルシア帝国を滅亡させ、中央アジアへと進出していきます。遊牧民達と戦いながらインドへと進みましたが、兵の疲弊により進軍は中断。

 バビロンへと戻ったアレクサンドロス大王はマケドニア、ペルシア、ギリシャの三つの地域を統治しようと、同君連合を作りました。しかし、アラビア遠征を考えていた最中、夜の祝宴中に蜂に刺されて倒れてしまいます。高熱に10日間苦しんだアレクサンドロス大王は、「最強なる者へ帝国を渡す」と言い残して亡くなってしまったのです。彼の死後、異母兄と息子の二人が統治しようとしたものの二人とも暗殺され、アレクサンドロス大王が統治させた帝国は三つに分裂してしまったのでした。
 紀元前の大英雄、アレクサンドロス大王の絵画14点をご覧ください。

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ジークフリートの絵画14点。北欧神話のシグルズを起源とした、ドイツの英雄

Ferdinand Leeke    Siegfried forges the sword -

 ジークフリートはドイツの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の英雄で、北欧神話の「ヴォルスンガ・サガ」の英雄シグルズと起源が同じと考えられております。
 ネーデルラントのジークムント王とジークリント王妃との間に生まれた彼は、若い時に悪竜を倒すという偉業を成します。その際に魔力を含んだ竜の血を浴びて不死身となりましたが、背中の一点に葉っぱが張り付いて血が付かず、そこだけが弱点となってしまったのでした。

 大人となったジークフリートはブルグント国のグンター王の妹クリームヒルトに求婚しようと思い立ち、国へ渡ります。戦争で多くの手柄を立てた彼は王に認められるものの、アイスランドの王女ブリュンヒルトとグンター王との結婚が成立するよう手助けを頼まれます。ブリュンヒルトは求婚者と競技を行い、彼女が勝てば男を殺し、負ければ結婚すると宣言していたのです。姿を消す魔法の隠れ蓑を使ってジークフリートはグンター王を助け、ブリュンヒルトに勝利して結婚を承諾させます。ジークフリートはクリームヒルトと結婚し、父の後を継いで王となりました。

 何年か経ったある日の事。ブルグントの王宮でグンター達と再会したジークフリートに悲劇が訪れます。クリームヒルトとブリュンヒルトがどっちの夫が強いかで口喧嘩を始めてしまい、クリームヒルトが「競技をやったのは王じゃなく、姿を消していたジークフリートだったのよ!」と本当の事をばらしてしまいます。重鎮ハーゲンは王や王妃の名誉に傷が付くことを恐れ、ジークフリートの暗殺を計画します。言葉巧みにグンター王を説得したハーゲンは「背中の一点だけが生身である」という事をクリームヒルトから聞き出しました。そして、ジークフリートが泉の水を飲もうとかがんだ時、槍で突き刺して殺してしまったのでした。怒り狂ったクリームヒルトはハーゲンへの復讐を決意し、この悲劇が皮切りとなって多大の犠牲を出しながらブルグントは滅亡してしまうのです・・・。
 ジークフリートについての絵画14点をご覧ください。
 

 
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シグルズに関する絵画14点。竜を倒しヴァルキリーの愛憎を受ける北欧神話の英雄

Sigurd and Brunhild   Harry George 1920 -

 シグルズは北欧神話の「ヴォルスンガ・サガ」に登場する英雄です。
 彼は英雄シグムンドとヒョルディースの間に生まれました。戦争で夫を失ったヒョルディースはデンマークの王子と再婚しました。シグルズはレギンの元で養育され、青年になるとレギンに「財を成したいなら竜ファヴニールを倒せ」と催促されます。「まずは父の仇を討たせてくれ」と返したシグルズは、鍛え直した名剣グラムを使って父を殺したフンディング一族を滅ぼします。次に彼は養父の言う通りファヴニールを退治して財を手に入れますが、竜の心臓の脂を舐めて動物の言葉が分かる魔力を手に入れたことで、シジュウカラが「レギンは宝を独りじめしようとシグルズを裏切ろうとしている」という会話が聞こえたのです。彼はレギンを殺し、財宝の一部を持って旅に出ました。

 シグルズは炎に守られた館でヴァルキリーのブリュンヒルデを発見し、恋に落ちて結婚を誓い合います。しかし、ギューキの宮廷に着いたシグルズは、王妃グリームヒルドの策略によって忘れ薬を飲まされてブリュンヒルデの事を忘れてしまい、王女グズルーンと結婚してしまいます。ブリュンヒルデもシグルズの手引きによって王子グンナルと結婚する事となりました。
 しかし、ブリュンヒルデは誓いを忘れ自分を欺いたシグルズに激怒し、復讐を考えます。シグルズはかつての記憶を取り戻し、ブリュンヒルデとよりを戻そうとしましたが時既に遅し。妻を失いたくないグンナルは弟にシグルズの暗殺を頼み、眠っているところを襲わせました。彼は暗殺者と相打ちとなり、息絶えてしまいます。ブリュンヒルデは悲しみの内にシグルズの遺体を炎で焼き、自身の身もその中へ投じたのでした。
 悲劇の英雄シグルズにまつわる作品14点をご覧ください。

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テセウスの絵画12点。アリアドネの力添えでミノタウロスを倒したアテナイの英雄

Ariadne Theseus  Thread-Johann Heinrich Tischbein the Elder -

 ギリシャ神話に登場するテセウスは、ミノタウロスを退治したとして有名な英雄です。
 テセウスはアテナイの王アイゲウスとトロイゼーンの王女アイトラとの間に生まれました。母方で育てられた彼は父親に認めてもらう為に、16歳の時にアテナイへ向けて出発。道中、猪や盗賊、山賊らを倒しながら目的地へと着きます。アイゲウス王の新妻メディアはテセウスを邪魔に思い、亡き者にしようとマラトンの暴れ牛を退治するよう命じましたが、彼は凶暴な牛を倒してしまいます。次に、メディアはテセウスを毒殺しようとしましたが、彼は剣とサンダルを証拠として父親に見せ、息子と認めさせました。そして、メディアは追放されてしまったのです。

 この頃、アテナイはミノス王の統治下に置かれており、怪物ミノタウロスの元へ、毎年7名ずつ少年少女を生贄へ捧げなくてはなりませんでした。それを知ったテセウスは憤怒し、父の反対を押し切って牛頭人身の怪物を退治しようとクレタ島へと船で赴きました。ミノタウロスは迷宮ラビリンスの中に閉じ込められており、入ったら最後、生贄も逃げ出せません。ミノス王の娘であるアリアドネがテセウスに恋をしてしまい、「妻にしてくれるなら援助する」という約束で、彼に剣と毛糸を授けました。毛糸をほどきながらラビリンスへ入ったテセウスはミノタウロスを倒し、糸を手繰りながら脱出することに成功します。こうしてアリアドネを妻としましたが、ナクソス島で休んでいる時にバッカス神(デュオニソス)によって拉致されてしまいます。(テセウスが彼女に飽きて置き去りにしたという説もあり)

 落胆しながら故郷へ帰るテセウスに、更に追い打ちをかける事件が起こります。クレタ島へ行く際、父親と「生還している場合は船に白い帆を張る」と約束していたのを忘れ、黒い帆を張ったままアテナイへ着いてしまったのです。息子が戦死したと思いこんだアイゲウス王は海へ身を投げてしまいました。その後、王となったテセウスは様々な冒険を行いますが、権威を恐れたリュコメデスによって崖から突き落とされて生を終えてしまうのでした。
 では、英雄テセウスの絵画12点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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