メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

ベルシャザルの饗宴の絵画13点。神の言をダニエルに説かれ絶えた新バビロニア王

Belshazzar's Feast Rembrandt 1635-38 -

 ベルシャザルはカルデア人の新バビロニア王国の王です。
 旧約聖書の「ダニエル書」によると、ある日、ベルシャザルはが1000名もの貴族や後宮の者達と宴を開き、ワインを飲んでいました。突然、人間の手の指が表れ、壁に字を書くという超常現象が起こります。ベルシャザルは戦慄し、その字が読める者を探しましたが、誰も現れません。母親が「父ネブカドネザルの治世中にダニエルという神官長がおりました。彼ならいけるかもしれません」と進言した為、ベルシャザルはダニエルを呼び、文字の意味を聞いてみました。

 すると、ダニエルは「神はネブカドネザルに栄光を与えた。しかし、彼は横暴に振舞い王位を追われ、世界を総べるのは神という事を知った。ベルシャザル王、貴方も神に従おうとしなかった。故に神は手を遣わせ、文字を書いたのです。貴方の王国はメディアとペルシアに分けられるでしょう」と答えました。そしてその日の夜、ベルシャザル王は殺されてしまい、国はその通りになってしまったのでした。
 新バビロニア王国の終末をもたらした神の御告げの場である、ベルシャザルの饗宴の絵画13点をご覧下さい。

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ミダス王の絵画13点。何でも黄金に変える能力と、ロバの耳を持ってしまった王様

Nicolas Tournier, King Midas, c. 1620 -

 ギリシャ神話に登場するミダスは、何でも黄金に変える能力を得たり、ロバの耳となってしまったりした王です。
 フリギア(現トルコ)の都市の王であるミダスは、泥酔していたシレノスを保護して10日間もてなし、シレノスの教え子であるデュオニソスの元へ送り返しました。感謝したデュオニソスはミダスに願いを叶えようと申し出ます。すると王は「触れるもの全てが黄金に変わるようにして欲しい」と頼みました。こうして能力を手にしたミダス。始めこそは石や草が金に変わってウハウハしていましたが、食べ物や飲み物までが金に変わってしまい、自分の間違いに気付きます。「すみません。やっぱりいりません」と祈るミダスに、デュオニソスは怒ることなく聞き入れ、「ならパクトロス川で行水しなさい」とアドバイスしました。ミダスがそのようにすると、能力は流れていき、川砂は砂金に変わったそうです。

 これに懲りたミダス王は富を憎むようになり、牧神パーンの崇拝者となりました。ある日、パーンと芸能の神アポロンは音楽合戦を行いました。パーンの素朴な音楽と、アポロンの美麗な音楽が奏でられます。審判者や居合わせた者たちはこぞってアポロンに軍配を上げましたが、ミダスだけはパーンを推薦しました。「お前は聞く耳がない!」と怒ったアポロンはミダスの耳をロバの耳に変えてしまいました。ミダスはターバンを巻いてロバの耳を隠していましたが、理髪師だけには隠せないので他言するなと命じていました。秘密に我慢できなくなった理髪師は、穴を掘ってそこへ話をささやいてから塞ぎました。その後、そこから育った葦が「王様の耳はロバの耳」と秘密を喋るようになってしまったそうです。
 童話でもおなじみのミダス王についての絵画13点をご覧ください。

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シバの女王の絵画13点。イスラエル王ソロモンに難問を仕掛けた博識な伝説の女王

Queen Of Sheba by Edward Slocombe -

 シバの女王は旧約聖書などに登場する伝説の女王です。
 旧約聖書の「列王記」によると、イスラエル王国のソロモンの見識ぶりを聞いたシバの女王は、知識を試そうと大量の贈り物を持ってエルサレムへと赴きました。女王は数々の難問をソロモンに浴びせますが、彼は事も無げに即答してしまいます。その賢さや国の様子にすっかり感心してしまった女王は、ソロモンに6トンもの金や香料などの贈り物をしました。ソロモンも彼女に対して敬意を表して贈り物をし、女王一行は帰国していったとされています。
 この話が元となり、様々な異説や伝説が生まれました。シバの王国はエチオピアやエジプト、南アラビアなどにあると考えられており、新約聖書や黄金伝説、アラビアやエチオピアの文献にも伝説が残されております。女王の本名はニカウレー、ビルキース、マケダなどとされています。
 では、シバの女王の絵画13点をご覧ください。

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ダヴィデに怒るサウルの絵画13点。嫉妬に狂った王が音楽を奏でる少年に牙を向く

Francisco Fernández, 1606 – 46 -

 旧約聖書に登場するダヴィデとサウルは、神に選ばれし誠実な少年と王位に執着するイスラエル王です。
 神に見放されて悪霊に苦しめられていたサウルの為に、部下は竪琴の名手を呼んで音楽を奏でてもらう事にしました。そこで呼ばれたのがダヴィデで、彼が弾く美しい音色にサウルの心も少しは晴れました。その頃、イスラエルはペリシテ人と争っており、将軍ゴリアテの半端ない強さにイスラエル軍は太刀打ちできませんでした。誰もが尻込みする中、ダヴィデは「僕が倒す」と進み出て、石を投げて見事ゴリアテを倒してしまったのです。

 鮮やかな勝利にイスラエル軍は沸き起こり、ダヴィデは大人気となりました。サウルはそれに深い嫉妬を感じ、自らの王位が奪われはしないかとダヴィデに憎悪を向けるようになります。ある日、ダヴィデがサウルの為に癒しの音楽を奏でていると、サウルは怒り狂って槍を投げ付けたのでした。ダヴィデはそれを間一髪で避け、槍は壁に突き刺さりました。ダヴィデが音楽を奏で、サウルが槍を投げようとするこのシーンはなかなか画家に人気があったようで、沢山の絵画が残されていました。
 では、音楽で癒そうとするダヴィデにキレまくるサウルの絵画13点をご覧ください。

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サウルとヨナタンの絵画13点。ダヴィデを憎悪した王と、親友となった心優しき王子

Death of King Saul 1848 Elie Marcuse -

 旧約聖書の「サムエル記」に登場するサウルとヨナタンは、紀元前10世紀頃に生きたとされるイスラエル王国の初代の王と王子です。
 預言者サムエルがイスラエルの民を率いていた頃、王が欲しいという声が民から上がりました。サムエルは神の指示を頼りに王を探し、サウルを選びました。民は王となったサウルを歓迎し、彼は息子ヨナタンと部下達と共に国を守る為に懸命に戦いました。しかし、「アマレク人にまつわる者全て滅ぼせ」という神の指示に従わなかったので、神はサウルから離れ、サムエルはエッサイの子ダヴィデを次の導き手と決め、彼の頭に油を注ぎました。

 ダヴィデは敵将ゴリアテを討ち取って有名となり、神に見放されたサウルは王位に執着し出します。しかし、実直な息子ヨナタンはダヴィデの親友となり、義兄弟の契りを交わしました。竪琴の名手であるダヴィデはサウルを癒そうと音楽を奏でますが、サウルは嫉妬に狂って彼を殺そうと槍を投げ付けます。対するダヴィデは何度もサウルを殺める機会はありましたが、決して実行しませんでした。サウルは苦悩しながらも、嫉妬に燃える日々を送っていました。
 
 ペリシテ人が行軍してきた際、サウルは神の預言を得たくてもサムエルが他界していた為、降霊ができる魔女にサムエルの霊を呼び寄せさせました。サムエルは「イスラエルの軍勢はペリシテ人の手に渡る」と言い残します。サウルとヨナタンは懸命にペリシテ軍と戦いましたが、ギルボア山で追い詰められてヨナタンは戦死し、サウルは剣を立てて自ら倒れ込んで命を絶ちました。二人の遺体はペリシテ人に奪われてさらし者にされてしまいましたが、取り戻され、後に王となったダヴィデによって丁重に墓に葬られたそうです。
 では、サウルとヨナタンにまつわる絵画13点をご覧ください。

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狂王女フアナの絵画13点。権力に揉まれ、夫フィリップ美公の死により狂った王女

Jeanne la Folle 1856 Louis Gallait -

 カスティーリャ王女のフアナ(1479‐1555)は、夫フィリップ美公の関係から精神を崩し始め、夫の死をきっかけに狂気に陥ってしまった悲劇の女性です。狂王女フアナとも呼ばれています。
 フアナはカスティーリャ王女のイザベル1世とアラゴン国王フェルナンド2世との間に次女として生まれました。(現在のスペイン) 17歳の時にブルゴーニュ公フィリップ美公と結婚し、ネーデルラントへ嫁いでいきます。始めこそ二人は愛し合うも、真面目なフアナは女たらしであるフィリップが許せず、夫の心は次第に離れてゆきます。結婚から数年後、フアナの兄弟と世継ぎが相次いで亡くなり、彼女はカスティーリャの王位継承者に任命される事になりました。

 夫と共にカスティーリャへ行ったフアナ。しかし、フィリップはその地を嫌って祖国へと帰ってしまいました。ショックを受けたフアナは養育が困難になり、5人の子供は兄嫁や父が引き取る事となりました。24歳の時に母イザベル1世が亡くなり、フアナは王位を継ぐこととなります。フィリップは「妻は精神不安定だから俺に王位をくれ」と主張しましたが、彼の野心を見抜いていたイザベル1世は遺言でフアナに王位を託し、決して譲ろうとしませんでした。アラゴン国王である父フェルナンド2世も娘の王位を認めます。そんな最中、フィリップがスポーツ後に飲んだ水にあたり、1506年に急死してしまいました。

 夫の死を知ったフアナは完全に正気を失い、フィリップの棺を乗せた馬車に乗ってカスティーリャをさまよい続けたとされています。夫の死の二年後、フアナは父親により修道院に隣接した城に幽閉されてしまいました。彼女は「狂王女」と呼ばれ、政治から完全に隔離されました。フアナは夫の死の後に産まれた娘カタリナに固執し、長男カルロスがカタリナを離そうとすると、狂乱に陥ってしまったそうです。幽閉から約47年経ち、フアナは76歳でその生涯を閉じました。正気を失ってしまったとしても、彼女は「女王」という誇りは持ちつづけていたそうです。王位は息子カルロス1世に受け継がれ、後に孫フェリペ2世へと渡っていきました。
 では、愛に裏切られ死に絶望する、狂王女フアナの絵画13点をご覧ください。

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女王セミラミスの絵画13点。軍事に秀で勇敢、女傑とされたアッシリアの伝説の女王

Luca da reggio 1652 called to arms -

 セミラミスは紀元前800年頃に生きたとされる、メソポタミア北部のアッシリアの伝説の女王です。
 シケリアのディオドロス著の「歴史叢書」によると、セミラミスの母親はアフロディテ(ヴィーナス)の怒りを買い、若き信者に情愛を抱く呪いをかけられました。母はその時に身籠った赤子をシリアの砂漠に放置し、湖へと身を投げました。砂漠に残された幼いセミラミスは、鳩が運んできたミルクやチーズを食べて生き延びます。やがて発見されたセミラミスは羊飼いによって育てられ、シリア総督のオンネスの元へ嫁ぎます。二人はニネヴェで暮らし、二児をもうけました。

 その後、アッシリア王のニヌスはバクトリア国へと攻めました。夫のオンネスも参加しましたが、包囲戦が長引いたので妻が恋しくなり、彼はセミラミスを陣営へと呼び寄せました。知己に長けた彼女は戦地の状況を見てとるや、兵に指示を出して戦争を勝利に導いてしまいます。彼女の才色兼備に驚いた王は、オンネスに「娘をあげるから、お前の妻をよこせ。さもなくば目玉をえぐるぞ」と脅しました。妻を愛していたオンネスは狂気に陥り、首を吊って自害してしまったそう・・・。王はセミラミスを妻として迎い入れ、一男を得た後に命を終えました。かくしてセミラミスはアッシリアの女王となったのです。

 彼女はニヌス王を越えると言う野心を抱いて都市バビロニアを建設させ、他地域にもインフラを整備させました。領土拡大を目論んだ彼女は最大の国という噂のインドへの遠征を計画し、三年かけて国力の増強に努めます。こうしてアッシリアとインドの激しい戦争が起こりました。始めこそはアッシリアの優勢となりましたが、セミラミスの奸計に気付いたインド側が勢力を盛り返し、追い返されてしまいます。兵の三分の二を失い、セミラミスは国へと帰らざるを得ませんでした。
 セミラミスはかつて「息子が彼女に陰謀を企てるときが最期となる」という予言を受けていました。この時、息子ニニュアスが宦官を使って陰謀を図ったのです。セミラミスは命こそ助かったものの、そのまま姿を消してしまったとされています。
 では、優れた知恵を発揮した女王セミラミスの絵画13点をご覧ください。

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アマゾン(アマゾネス)の絵画13点。ギリシャ神話に登場する、馬を駆って戦う女部族

Johann Heinrich Wilhelm Tischbein 1788 -

 アマゾン(アマゾネス)はギリシャ神話に登場する、女性だけで構成された部族です。
 軍神アレスとニュムペーであるハルモニアを祖先とする部族とされ、未開の地に住んでいたとされています。アマゾンは馬に乗って狩猟をして生活する騎馬民族で、武器を持って様々な戦争に参加しています。女性のみで構成されたアマゾンは、他の部族へ行って男性と関係を持ち、子を成しました。子が女児だった場合のみは大事に育て、男児だった場合、殺すか奴隷にするか父親の元へ引き渡すかしたそうです。

 ヘラクレスの試練やテセウスの冒険、トロイア戦争などでアマゾンは登場し、アマゾンの代表的な女性として、女王のヒッポリュテーやその妹アンティオペー、後の女王ペンテシレイアがあげられます。
 では、女性だけの戦闘集団アマゾンの絵画13点をご覧ください。

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女傑ゼノビアの絵画13点。勇敢なるパルミラ女王と野心的な夫に尽くした二人の女性

Zenobia by Carlo Antonio Tavella -

 ゼノビアという勇敢なる女性が、伝説上に二人存在します。
 一人目は、3世紀にシリアやエジプト周辺に興ったパルミラ王国の女王であるゼノビア。
 ゼノビアはパルミラ一帯を治めていたオダエナトゥスの後妻として入り、夫の参謀役として働きました。しかし、夫が267年に甥に暗殺されてしまったので、息子ウァバッラトゥスを後継者として立て、彼女は息子と二人で共同統治者となりました。268年になるとローマ皇帝ガッリエヌスが暗殺され、ゼノビアと息子はそれに乗じて領土を広げていき、ゼノビアは「戦士女王」と呼ばれるまでになりました。
 270年にローマ皇帝となったアウレリアヌスがパルミラ王国に降伏を迫り、彼女はそれを拒否。全面対決となります。それにより息子ウァバッラトゥスは戦死して大敗し、王国は滅亡してしまうのでした。ゼノビアはローマへと連行され、そのまま病気で死亡したとも、自死したとも、ローマの元老院と再婚して余生を暮らしたともされています。

 もう一人は51~5年に興ったイベリア王国の王子ラダミストゥスの妻としてのゼノビア。
 夫は野心家で、ゼノビアの父を処刑してアルメニアを征服してしまいます。ローマとパルティアの攻撃にあって一度はアルメニアを奪われるも、ラダミストゥスは復権します。しかし、彼がパルティア国に組した都市を罰した為、都市はパルティア王子をアルメニア王として立て、彼は地位を追われてしまいます。ラダミストゥスは身重であるゼノビアを連れて馬で逃げました。
 タキトゥスの伝説によると、ゼノビアはその時こう言ったとされています。「身重で乗馬に長時間耐えられない。足手まといになって敵の手に落ちるくらいなら、どうか私を殺してください」と。夫はその願いを聞いてやり、海岸で彼女を刺して一人旅立ちますが、ゼノビアは奇跡的に命を取り留め、羊飼い達に発見されます。彼女はそのままパルティア王の元へ連れられたものの、手厚くもてなされたそうです。一方、自国に逃走した夫は父に対して陰謀を企て、処刑されてしまったとされています。
 二人のゼノビアに関する絵画13点をご覧ください。

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旧約聖書エステル記の絵画13点。ハマンの陰謀からユダヤ人を救ったペルシャの妃

Jean-François Portaels 1869 -

 エステル記は旧約聖書の一つで、ペルシャの妃となったユダヤ人エステルが知恵を使って民族を守る物語です。
 モルデカイの養女エステルは、父の勧めによりペルシャ王アハシュエロス(クセルクセス1世)の後妻に選ばれる事になりました。王はアガグ人(古代パレスチナ周辺)であるハマンを高い地位に据え、彼に敬意を表してひざまずくよう人々に布告を出しましたが、モルデカイは拒否しました。元々ハマンはユダヤ人を憎んでいましたので、それを口実にしてユダヤ人の抹殺を計画します。ハマンはアハシュエロス王にユダヤの殺害を認めさせる事に成功したのでした。
 
 王妃エステルはハマンがユダヤ人虐殺を企てている事を知ります。モルデガイに促されてエステルは王にユダヤ人の救済を嘆願する為に、ハマンと同席の酒宴を確約させる事に成功します。その夜、偶然アハシュエロス王はモルデカイが王の暗殺を防いでいた事を知り、彼に褒美を与えました。酒宴の席でエステルは王に自分はユダヤ人であると明かし、ハマンは悪人であると説きました。ハマンは命乞いを行ったものの、王の決定によりモルデカイの処刑用に建てていた支柱で、自分が処刑される羽目となりました。こうしてエステルとモルデカイ親子はユダヤ人達の人々を護る事ができたのでした。
 エステル記の絵画13点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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