メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

仮面舞踏会の絵画13点。イタリア ルネサンスより流行った、素性を隠す妖しき祭典

Angelo Caroselli - Masquerade -

 仮面舞踏会(マスカレード)は15世紀のイタリアより始まった、仮面を被って素性を隠し参加するダンスパーティーのことです。
 イタリアのヴェネツィアでは、仮面を被って踊る「ヴェネツィア・カーニバル」が1162年頃に興りました。また、中世後期の宮廷内では、特別な機会の時に派手な衣装を着て行進したり、仮装して余興したりする「仮装舞踏会(モリスコ)」が流行っていました。これらのイベントが混ざり合い、仮面を被りながら踊る公的な式典である「仮面舞踏会」は誕生したのです。
 仮面舞踏会は17、18世紀に西洋全土に広がり、上流階級の間で大人気のイベントとなりました。仮面をした者たちは素性が分からないよう工夫を施し、踊ったり話したりしながら誰かを当てるという余興を行っていました。目元だけではなく顔を覆うタイプのものや、装飾をしたものなど様々なデザインの仮面が生まれたのです。仮面舞踏会は人気すぎてトラブルも多く、決闘での死者や暗殺なども起きており、風紀を乱すイベントとして禁止令を出した国王もいたほどでした。仮面舞踏会の文化は現在でも受け継がれており、妖しくも華やかなダンスパーティが密やかに行われているのです。
 仮面舞踏会に関する絵画13点をご覧ください。

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ネロ帝の絵画14点。母と師を殺めキリスト教徒を迫害した、暴君とされるローマ皇帝

Emperor Nero  by Abraham Janssens 1618 -

 ネロ(37-68年)はローマ帝国の第五代皇帝で、暴君として知名度が高い人物です。
 母はアグリッピナで父はグナエウス。アグリッピナは夫の死と現皇帝カリグラの死により、新しく皇帝となった叔父のクラウディウスと結婚する事になりました。彼女の陰謀によってネロは後継者の第一候補となり、毒キノコ中毒でクラウディウスが急死すると、ネロは弱冠18歳で王位を手に入れる事になりました。その死はアグリッピナが関与しているという説が有力のようです。

 皇帝となったネロは家庭教師である哲学者セネカや、近衛長官のセクストゥスの意見を訊き、始めこそは善政を行っていました。しかし、母との確執や愛人問題によって狂っていってしまうのです。ネロは妻オクタウィアそっちのけで解放奴隷の娘を愛人としていたので、アグリッピナはそれを咎めます。口うるさい母を疎ましく思い始めていたネロは、母を宮殿から追放したあげく、二番目の愛人にまたも口出ししてきた母を殺害してしまいます。

 セネカや外の指南役も引退してしまい、指導する者がいなくなったネロは暴走し、オクタウィアを殺して後妻を娶り、多くの議員と共にセネカを殺し、ローマの大火をきっかけとしてキリスト教徒を迫害します。しかし、民衆の支持率が低下したネロは、68年に元老院に「国家の敵」とみなされてしまいます。ローマ郊外の解放奴隷の家へと逃げたネロは騎馬兵がやって来る音に恐れ、奴隷に命じて自分の喉を切らせて自害したとされています。母や妻や反ネロ派を次々と殺し、残虐な暴君とされたネロでしたが、彼の死に悲しむ者は多く、沢山の花や供物が墓へ供えられたそうです。
 では、皇帝ネロの絵画14点をご覧ください。

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宮廷道化師の絵画16点。君主に仕え批判する、自由奔放たる道化師の姿【第二弾】

A jester with a cat, by Studio of Jacob Jordaens -

 宮廷道化師は中世~近代の西洋において、王や貴族などの支配者層に仕えたエンターテイナーです。
 古代エジプトやギリシャでも、様々な芸を披露して裕福層を楽しませた道化師はいたとされ、ローマ帝国では身体や精神に障害を持つ者を、魔除けとして奴隷にする習慣がありました。中世時代から宮廷道化師(ジェスター)という概念は生まれ、王や貴族に雇われた道化師は、王を楽しませる為にパフォーマンスをしたり、他者がはばかるような言動を進んで言いました。基本、身分は低くペット同然に扱われますが、宮廷道化師にも本当の愚者や、愚人のふりをした賢人など色々なタイプがおり、後者のタイプは良い待遇が与えられる場合もあります。国によってまちまちではあるものの、宮廷道化師は国王の権威が崩れた17~8世紀頃、姿を消していきました。
 では、第二弾である宮廷道化師の絵画16点をご覧ください。

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クー・フーリンの挿絵13点。光の神ルーの息子である、ケルト神話の荒ぶる英雄

Joseph Christian Leyendecker Cuchulain in Battle 1911 - コピー

 クー・フーリンはケルト神話に登場する半神半人の英雄です。
 光の神ルーが父で、母はコノア王の親族デヒティネ。ある日、王宮からデヒティネと50名の乙女が消えてしまい、三年間行方知れずでした。彼女達はルーの屋敷に住んでおり、王が国に戻るよう言うと、デヒティネは赤ん坊を渡したのです。彼は「セタンタ」と名付けられ、後に英雄クー・フーリンとなったのです。
 クー・フーリンは「クランの猛犬」という意味で、少年の時に獰猛な猛犬を簡単に殺したことからそのあだ名が付けられました。青年となった彼はフォルガルの娘エメルに求婚するも、断られてしまいます。その為、影の国の女勇者スカアハの元で修行することにしました。

 その後、彼は師匠に槍ゲイ・ボルグを授けられ、一人前となってエメルと結婚を果たしますが、コノートの女王メイヴが立派な牛を奪おうと進軍してきたのです。クー・フーリン以外の武人たちは呪われて進軍できない状態にあった為、彼一人で対抗しました。その力は凄まじく、敵は次々と倒されていきます。しかし、「毎日一人の戦士を出してクー・フーリンと一騎打ちをさせる。その間は進軍しても良い」という契約が為され、クー・フーリンは歴戦の勇士だけではなく、修業時代の親友までをも、手に掛けなければならなくなったのです。長い間続いた戦争もクー・フーリン側の勝利に終わりました。
 ですが、プライドを深く傷つけられた女王は、クー・フーリンを暗殺しようと次々と刺客を送ったのです。彼は自らの死期が近い事を悟り、王や妻に別れを告げました。クー・フーリンは敵に奪われたゲイ・ボルグに胸を刺されて絶命してしまいます。倒れないように自らの身体を柱でくくり付けるという、英雄らしい最期でした。
 では、クー・フーリンの挿絵12点と、1点の彫刻をご覧ください。

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リチャード三世の絵画13点。シェイクスピアの戯曲にもなった、狡知のイングランド王

George Frederick Cooke as Richard III  1811-12 -

 リチャード三世(1452-85)は、イングランド王国であるヨーク朝の最後の王です。
 いとこのウォリック伯リチャード・ネヴィルに育てられた彼は、兄のエドワード四世が王位に就くと、9歳の時にグロスター公爵の位を得ました。その9年後にウォリック伯はランカスター派に寝返り、エドワード四世は追放されてしまいますが、リチャードは兄を援助し、翌年に王位を復活させています。20歳の時にウォリック伯の娘アン・ネヴィルと結婚し、その領地を我が物にしてリチャードの地位は飛躍的に向上しました。

 1483年にエドワード四世が病死すると、息子のエドワード五世が王位に就いてリチャードが摂政となりましたが、王とその弟はロンドン塔に幽閉されてしまいます。その間にエドワード五世の血筋は不当と決定を下し、リチャード三世として王に即位してしまうのでした。エドワード五世と弟はその後、殺されたと思われます。晴れて王となった彼でしたが、状勢は不安定となって反乱が相次ぎます。一人息子と王妃が続けて病死し、1485年の8月にランカスター派のヘンリー・テューダーが武器を携えて到来。ボズワースの戦いが始まります。リチャード三世は自ら武器を持って獅子奮迅するものの、味方の裏切りにあって戦死してしまうのでした。
 シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」において、彼は背骨が曲がった冷酷で欲深き王として書かれています。それにより極悪人としてのイメージがついてしまいましたが、現在ではそこまでではなかった事が証明されております。史実と物語の様子を踏まえながら、リチャード三世の絵画13点をご覧ください。

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ギリシャ神話のピュグマリオンとガラテアの絵画15点。愛により彫刻が人となる奇跡

Anne-Louis Girodet de Roussy-Trioson  1819 -

 ピュグマリオンはギリシャ神話に登場する彫刻家です。(一説にはキプロス島の王)
 女性嫌いである彼は「一生結婚しない」と誓っていました。しかし、ある日ピュグマリオンは大理石で乙女像を彫ってしまいます。その出来栄えは実に見事で、美しく滑らかで、今にも動き出しそうな姿をしていました。彼はこの像に一目惚れをしてしまいます。ガラテアと名付けた像に優しく触れたり抱きしめたりし、綺麗な洋服を着せ、ネックレスやイヤリング、指輪などを付けてあげました。そうするとより人間らしく感じるようになり、ますますピュグマリオンはガラテアを愛するようになりました。いつしか彼女を妻にしたいと切に願うようになります。しかし、ベッドで添い寝をしていると、ガラテアの身体は硬く冷たいまま。彼は深く悲しみました。

 その後、キプロス島でヴィーナスの祭りがありました。ピュグマリオンは祭壇で「どうか私にあの乙女をお授けください」と強く祈ります。ヴィーナスはその愛を汲み取り、願いをかなえてやりました。彼が帰宅して乙女に接吻をすると、なんと柔らかく温かいではありませんか!驚くピュグマリオンを、ガラテアは恥ずかしそうに微笑んで応えます。こうして二人はヴィーナスの祝福の下で結婚し、パポスという子供を産んで幸せに暮らしました。
 究極の愛を求めるピュグマリオンとガラテアの絵画15点をご覧ください。

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ヘロデ王の一族の絵画13点。キリストやヨハネ、パウロに関わる残虐なユダヤの王

Théophile Lybaert  1883 -

 ヘロデ大王(紀元前73年頃-紀元前4年)はローマ時代にユダヤ地区を統治した王です。
 ハスモン朝の王子の側近にアンティパトロスという武将がおり、ヘロデの父親でした。彼はローマの権力者ユリウス・カエサルの信用を得て、カエサルの死後は元老院派に歩みより、ヘロデをガリラヤ地方の知事にさせます。その後ハスモン朝のヒカルノス二世の甥が反逆し、親ローマ派であったヘロデの身にも危機が及びます。ローマへと逃亡したヘロデは元老院からローマの軍勢を貸し与えられ、エルサレムにて反逆者を討伐しました。手柄を得たヘロデはユダヤの分封王となり、ヘロデ朝が成立したのです。
 王位についたヘロデはオクタヴィアヌス派に付き、生き残っていたハスモン朝の血縁者を抹殺しようとします。また、自らに楯突いた者はレビ族の祭司であろうと迷わず処刑し、独裁政治を貫きました。新約聖書においては救世主の到来を恐れてベツレヘムの二歳以下の新生児を虐殺したとされています。しかし、ヘロデ王はローマに準じた大建築物を幾つも建造し、人気を高めました。王の死後は息子三名が分割してユダヤ地区を収め、ガリラヤ地方の領主となったヘロデ・アンティパスがイエス・キリストや洗礼者ヨハネとに関わっていくのです。
 ヘロデ王とその後継者たちの絵画13点をご覧ください。
 
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ギリシャ悲劇オイディプスの絵画15点。父を殺してスフィンクスを倒し、母を娶った王

Charles Francois Jalabert -

 オイディプスはギリシャ神話に登場す悲劇的な人物です。
 テーバイの王ライオスは「子が自分を殺す」という神託を受けましたが、妻イスカオテとの間に男児が生まれてしまいました。ライオスは子供のかかとを刺して、従者に山中へ置けと命じたものの、従者は羊飼いに子供を渡します。羊飼いは彼をオイディプス(腫れた足)と名付けます。青年となったオイディプスは出生に疑問を感じ、アポロンの神託を受けました。そこで「父を殺すから故郷には近寄るな」という預言を受け、彼は羊飼いの両親の元を去りました。戦車に乗って旅をしている途中、ライオスの乗る戦車と出くわします。道を譲らなかったら馬を殺された為、オイディプスは怒って実父と従者を殺してしまいました。

 誰を殺めたか知らないまま、彼はテーバイへと逃亡します。そこは怪物スフィンクスに悩まされていました。怪物は「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か」という謎かけをして、答えられない者を喰らっていました。ライオスの代わりに王となったクレオンは困り果てて「スフィンクスを倒した者には町とイスカオテを与える」とお触れを出します。そこへ現れたのがオイディプス。「人間だ!」と彼は答え、スフィンクスは悔しさのあまり死んでしまいます。こうしてオイディプスは無自覚のまま父を殺し、母を妻としたのです。

 王となった彼は母との間に四人の男女を生みましたが、国内は飢饉と疫病が続きました。その理由を神託で聞くと「ライオスを殺した者を追放せよ」と出ました。調査している内に出生について知ることとなり、遂にオイディプスは犯人が自分であったことを突き止めます。恐ろしい事実に母は命を絶ち、彼は両目をえぐって放浪の旅に向かいます。その後、「コロノスのオイディプス」によれば彼は娘アンティゴネーに手を引かれてコロノスの神域まで辿り着き、そこで一悶着あった後息絶えたとされています。
 父を殺し母と契り、盲目となり放浪者となったオイディプスの悲劇の絵画15点をご覧ください。

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シェイクスピアの悲劇リア王の絵画14点。コーデリアを捨てた王は狂気の道を進む

George William Joy -

 「リア王」はシェイクスピア作の四大悲劇の一つで、三女を信じなかった為に悲劇を招いた王の物語です。
 ブリテン王リアは、三名の娘に王国を譲ることにしました。ただし、「わしに愛を告げてくれるなら」という条件がありました。上の二人はおべっかを使ってリア王を褒めちぎり、思うままの領地を手に入れましたが、三女コーデリアだけは父を思うあまり、上辺だけの甘言を言う事ができませんでした。王はコーデリアの態度に激怒し、庇ったケント伯共々勘当してしまいます。コーデリアはそのままフランス王妃となりました。しかし、それが悲劇の始まりでした。娘二人はリアを邪険にし、居場所を与えなかったのです。一方、リアの重臣グロスターには二人の息子エドガーとエドマンドがいました。エドマンドは領地を狙っており、父を騙してまんまと相続権を手に入れ、エドガーは追放されてしまいます。

 リアは道化と嵐吹く荒野をさまよう羽目になり、それを発見したケントは二人を小屋に引き入れます。その中には変装したエドガーもおりました。三女コーデリアは父を救うべく、フランス軍を進軍させていましたが、グロスターはフランスと通じているとエドマンドに密告され、両目をえぐられて追放されてしまいます。絶望に陥ったグロスターをエドガーが慰めます。コーデリアは父と再会し、二人はやっと和解したのです。しかし、ブリテン軍との戦争によってコーデリアとリアは捕虜になってしまいます。ここから、悲劇の連鎖は続いていきます。長女は次女を毒殺し、自らは自害しました。エドマンドはエドガーと決闘して打ち倒され、コーデリアは刺客に獄中で殺されてしまいます。リアはコーデリアを抱きながら嘆き悲しみ、命尽きてしまうのでした・・・。
 王位と愛と狂気が渦巻く「リア王」の絵画、14点をご覧ください。

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魔術師マーリンの絵画15点。変身を得意とし、アーサー王に助力する聖と闇の賢者

Merlin, by Frank Godwin -

 マーリンは中世西洋の伝承に登場する魔術師です。
 初登場の物語は12世紀の「ブリタニア列王記」であり、砦の基礎が固まらずにブリテン王ヴォーティガーンが困っていた時に連れてこられた少年がマーリンです。彼は超自然的で荒々しい能力を持ち、王の悩みに応えたとされています。マーリンは始めこそアーサー王と接点がありませんでしたが、時代が経てキリスト教が台頭するにつれ、アーサー王の良き助言者として登場するようになります。マーリンの母は人間で、父は夢魔(悪魔や妖精とも)とされ、邪悪な父の影響で闇の道へ進みかねないと判断した母親は、マーリンを教会へと連れていって洗礼を受けさせました。すると邪悪な部分は消え、魔術の力は残ったとされています。マーリンは深い知恵を持ち、政治や戦、恋愛などの様々な分野で円卓の騎士たちにアドバイスを与えました。

 マーリンは聖なる魔術師である共に、闇の部分も抱いていました。彼は悪戯好きで、恋愛沙汰を好んでいたのです。愛弟子であるヴィヴィアンに執着し、マーリンはいつか我が物にしたいと思っていました。師から魔法を習っていた彼女は、それに勘付いていました。そして、ヴィヴィアンはマーリンに魔法をかけて動けなくして地中の深い穴に放り込み、巨大な岩で穴を塞ぐと、強力な魔法をかけて封印してしまったのです。どんな強力な魔術師でさえ、封印を内側から破る事ができません。彼女はそのまま姿を消し、マーリンは永久に閉じ込められることになってしまったのです。
 魔術師のイメージの礎を生み出した、マーリンの絵画15点をご覧ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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