メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

閲覧注意

シチリアの聖アガタの絵画13点。乳房を切り取られる拷問を受け、殉教した聖女

Pacecco de Rosa St Peter comforts St Agatha Martyrdom 17th -

 シチリアの聖アガタは、3世紀頃に生きたとされる聖女です。
 シチリア島のカタニアの貴族として生まれた聖アガタ。美しく教養がある彼女は、ローマ人の権力者から結婚を申し込まれたものの拒否します。怒った権力者は彼女をキリスト教徒という理由で告発し、捕らえてしまいます。そして聖アガタは改宗を迫られ、両方の乳房を切り取る拷問にかけられたのです。それでもなお信仰を捨てない聖アガタの元に聖ペトロの幻視が現れ、励まされて傷が治癒したという逸話もあります。その後、アガタは火あぶりされることになりましたが、ここでも地震が起きて刑を免れたという奇跡が起きました。そのまま獄中の中で殉教したとされています。

 この物語に由来して、聖アガタのアトリビュート(持物)は乳房が乗った皿!なんともシュールですが、自らの切り取られた乳房をお皿に乗せて手に持っている姿として描かれるのです。聖ペトロが現れ彼女を介抱する絵画も画家によって何枚も描かれています。
 では、聖アガタの絵画13点をご覧ください。あまりに酷い絵画は掲載していませんが、閲覧注意となりますのでご了承ください。

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割礼を受けるキリストの絵画12点。大事な部分の皮を切除する、ユダヤの風習

Parmigianino The Circumcision 1523 -

 割礼とは男女に施される宗教的な、または衛生上的な施術です。男子は大事な部分の一部を切除するそうです。歴史は古く、イスラエルの他、古代エジプトやバビロニアなどの地域で宗教的な観点で割礼が行われました。
 旧約聖書の「創世記」にて、神がアブラハムにこう命じました。「あなたたちの男子はすべて割礼を受ける。切り取りなさい。これが契約のしるしとなる。・・・生まれてから8日目に割礼を受けなければならない」と。割礼を受けることはイスラエルの民ということ。この風習により、ユダヤの民であるイエス・キリストや十二使徒はみな割礼を受けました。

 新約聖書にも割礼の記述はあります。初期のキリスト教の会議において割礼は廃止となり、後年の西洋の者達にとってこの風習はそこまで行わない存在であったものの、このシーンは想像よりも多くの画家に描かれていました。
 では、割礼の絵画12点をご覧ください。ショッキングな描写はないものの、閲覧注意となりますので、そういった場面が苦手な方はご注意ください。

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戦うヘラクレスの絵画13点。獅子に怪物に巨人に対し、組み付き荒ぶる筋肉英雄

Pieter paul rubens -

 ギリシャ神話の代表的な英雄の一人であるヘラクレス。
 彼の特徴は何といってもその力強さであり、筋肉ムキムキのガタイでネメアーの獅子やヒュドラ、大猪、巨人アンタイオスなどを仕留めました。ヘラクレスの物語は多々ある中で、彼の象徴ともいうべき「つかみ合い殴り合いの肉弾戦」や、その荒ぶるムキムキの姿は画家を魅了したようで、何枚かの作品が残されています。特にバロック時代に人気が出たようなのか、その時代に多めかなという印象がありました。
 では、戦うヘラクレスの絵画13点をご覧ください。おっさんだらけのむさい絵画オンリーとなりますので、ご了承ください。一部少しだけ閲覧注意があります!

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不気味な静物画の絵画13点。静寂の画面に配置された自然の恵みという生活の糧

Mushrooms Butterflies Otto Marseus van Schrieck 1619-78 -

 静止した自然物や人工物を自由に配置し、画面を構成する西洋画のジャンルの一つである静物画。
 静物画といえども対象物、込められた意味などでカテゴリーは細かく分けることができ、コレクションやヴァニタス(虚しさの寓意)、果物や花束、台所や晩餐の品物などがあります。 一枚の絵画に複数のカテゴリーが含まれている場合もあり、中には静物画という名称から外れ、品物と共に昆虫や爬虫類などの生物を描き込んでいる作品もあったり、背景の描写がある作品もあります。
 今回はこのブログの雰囲気に合わせ、ちょっと不気味でおどろおどろしく思えるような物を描いた台所画を集めてみました。では、個性的な静物画13点をご覧ください。一部グロテスクな絵画があるのでご了承ください。

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聖エラスムスの絵画14点。拷問に耐えたが、巻き取り棒で腸を出されて殉教した聖人

Heinrich Vogtherr 1516 -

 聖エラスムスは3~4世紀頃に生きたとされる、カトリックの聖人です。アンティオキアのエラスムスとも呼ばれ、生きながらに腸を巻き取られて殉教したとされています。
 聖エラスムスはシリアのアンティオキアの司祭でした。彼はキリスト教を迫害しているローマ皇帝ディオクレティアヌス帝に捕らえられ、激しい拷問を受ける事になります。その内容は凄まじく、暴行、汚物をかける、斧で打ち、蛇やミミズのいる穴に投げ込む、煮えたぎる油&硫黄に放り込む等を行いました。しかし、聖エラスムスは何事もなく無傷でおり、彼が神に祈ると拷問史達に落雷が起きたそうです。

 この時は聖エラスムスは生き延び、マクシミアヌス帝の時代になりました。今度も彼は拷問を受ける事になり、鋭い針が突き出した樽に入れて転がす、やっとこで歯を抜く、指に鉄の爪を打ちつける、松脂や硫黄、鉛等を熱して口に流し込みましたが効果はなく、聖エラスムスは生きていました。
 しかし、無敵の聖エラスムスにも臨終の時が訪れます。303年、イリュリアの場でまたもや捕らえられた聖エラスムスは、片腹を裂かれて腸を引っぱり出され、巻き上げ機に腸を結ばれて巻き上げていかれたのです!こうして殉教してしまった聖エラスムスですが、この逸話は印象に残ったのか、何名かの画家によって生々しい作品が残されています。
 では、腸をぐるぐると巻き取られてしまった聖エラスムスについての絵画14点をご覧ください。閲覧注意になりますので、ご了承ください。

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解剖についての絵画13点。大学や病院で人体を用いて解剖を学ぶ研究者たちの姿

The Anatomy Lesson of Dr. Nicolaes Tulp, by Rembrandt, 1632 -

 中世の時代、人間は神が創造した存在だから人間が勝手にいじってはならぬ、という思想であったので解剖や手術はほとんど行われませんでした。しかし、ルネサンスが興るにつれ、人体について興味を抱いた者が解剖を行うようになります。かのレオナルド・ダ・ヴィンチも解剖を見学していたとか。しかし、この時代でも神の作った人体を解剖する者は卑しい存在とされ、他から距離を置かれていました。

 更に時代が進んでバロックとなると、解剖も医学の進歩の為の手段と考えられるようになり、17世紀のフランドルでは解剖学の学者の講義が公に行われるようになりました。アムステルダムの医師会では年に一回の解剖が認められていたようです。被検体は処刑された犯罪者であり、その解剖は学生たちや一般に開放され、入場券を取った者は誰でも見ることができました。
 西洋諸国、特にフランドルでは解剖の講義をしている場面や、解剖した人体を中心にして学者たちがポーズを取っている絵画が幾つか存在します。
 では、解剖に関する絵画13点をご覧ください。閲覧注意の作品がありますので、ご了承ください。

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キュベレーの絵画13点。フリギアやギリシャローマで崇拝された、古き豊穣の地母神

Francois-Edouard PICOT Cybele Vesuvius Protect  Cities 1832 -

 キュベレーはフリギア(トルコ中部)で崇拝され、ギリシャローマにも信仰が広まった豊穣を司る地母神です。その信仰は古く、起源は新石器時代までさかのぼるとされています。
 キュベレー崇拝は男性の去勢に深く結びついています。両性とも考えられていたキュベレーは、ある日去勢されてそこから樹木が生じ、その実に触れた女性が男の子を産み落とします。アッティスと名付けられた息子は王女と婚約しますが、恋したキュベレーがアッティスを忘我状態にさせて彼を去勢させてしまいます。なんと、その光景を見た王様が自らに同様の処置をした為に、キュベレーの熱狂的な崇拝者と男性の去勢が関連付けられるようになったとされています。なんというか、恐ろしいですね^^;

 また、キュベレーは二頭の獅子(ライオン)を引き連れているとされており、それはアタランテとヒッポメネスの夫婦の物語が関係しています。ヒッポメネスは徒競走に勝利してアタランテを妻とする事に成功しますが、キュベレーの神殿で情事をしてしまった為に、女神は怒って二人を獅子に変えてしまったそうです。(男女の愛は怒るんですね女神様・・・)
 では、古代の地母神キュベレーについての絵画13点をご覧ください。一部閲覧注意の作品がありますので、ご了承ください。

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メメント・モリの絵画13点。死を想えという意味の、死の象徴に満ちた主題【第二弾】

Memento mori painting by Carstian Luyckx -

 ラテン語で「死を想え」という意味である「メメント・モリ」。
 人の生はいつかは終わる。それを忘れるなという警句としての意味を含んでいます。このメメント・モリのテーマは多くの画家や彫刻家、小説家に愛され、沢山の作品が世に生み出されています。もうすぐこのサイト「メメント・モリ ‐西洋美術の謎と闇₋」は二周年を迎えるので、原点に還って第二弾を掲載することにしました。
 では、死のモチーフが溢れるメメント・モリの絵画13点をご覧ください。トラウマになりそうな閲覧注意の作品がありますので、くれぐれもご注意くださいね。

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医療占星術についての写本14点。12星座の生物が人体に乗っかるシュールな挿絵

Très Riches Heures du Duc de Berry 15th -

  中世の時代、、病気の患者に医療と占星術が結びついた治療を行っていました。それは医療占星術(メディカルアストロロジー)と呼ばれ、患者の星座と現在の星の位置を考慮したうえで、診断や治療が為されたそうです。
 星座は人体の部位と関連しているとされ、一見して分かるように人体に12星座がくっついたかのような「獣帯人間(zodiac man)」という特殊な絵が描かれました。頭には羊が置かれ、肩には二人の男女、胸にはカニが配置されていますね。その部位に置かれている動物(人)が該当する星座とされ、特に健康面において気を付ける箇所と言われています。以下が一覧となります。

4月 牡羊座・・・頭部
5月 牡牛座・・・首
6月 双子座・・・肩、腕
7月 蟹座・・・胸
8月 獅子座・・・心臓
9月 乙女座・・・腸
10月 天秤座・・・腰
11月 蠍座・・・生殖器
12月 射手座・・・大腿、尻
1月 山羊座・・・膝
2月 水瓶座・・・ふくらはぎ、足首
3月 魚座・・・足、足の裏

 私は天秤座なので、特に腰に気を付けなければならないということですね。これから紹介するゾディアックマンを見ていただくと、腰の部分に天秤が描かれているのが確認できると思います。まだ腰は痛めていませんが、将来ぎっくり腰にでもなるのかな?気を付けなくちゃ・・・(^^;)
 では、これらを踏まえながら医療占星術のゾディアックマンの写本挿絵14点をご覧ください。閲覧注意風の部分がありますのでお願いいたします。

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テオドール・ジェリコーの絵画14点。馬や事件、狂人を描いて迫真性を追究した画家

Theodore Gericault 1818 - コピー

 テオドール・ジェリコー(1791-1824)は、フランスのロマン主義の画家です。現実の事件や馬や人物画の迫真性を重視した画風で、ロマン派の先駆者とされています。ドラクロワに影響を与えました。
 彼は北フランスのルーアンで生まれ、5歳の頃にパリへと引っ越しています。弁護士の父は画家を志すことを反対していましたが、ジェリコーは夢を諦めきれずに17歳の時にカルル・ヴェルネの元へ弟子入りをしました。ヴェルネは馬や騎馬像の第一人者と呼ばれた人でありましたが、ジェリコーは馬の躍動感、迫力を求めており、師の描く馬は迫真性が足りないと思っていたそうです。その後、彼は一年間ピエール・ナルシス・ゲランの元で修行し、それからはルーブル美術館へ足しげく通って巨匠の作品を参考にするようになりました。
 
 21歳のジェリコーは作品をサロンに出品し金賞を取り、二年後にも作品を出しています。イタリアに旅行に行った後に大作「メデューズ号の筏」を出品したものの、実際の生々しい事件をとり扱っていた為に、母国には受け入れてもらえませんでした。その後二年間イギリスへと滞在し、画力を尚も高めました。しかし、二度に渡る落馬が原因でカリエス(脊髄結核)という病気に罹ってしまいます。フランスに戻った後は、精神異常の方を題材にした10作の連作を手掛けたものの、1824年に病状が悪化してしまい、32歳の若さで命を落としてしまったのでした。
 では、テオドール・ジェリコーの作品14点をご覧ください。閲覧注意の絵画がありますのでご了承ください。

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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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