メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

ダークサイドの西洋美術にまつわる絵画や展覧会、グッズ情報をご紹介。

騎士道物語

トーナメント(馬上槍試合)の絵画13点。中世に流行った騎士による命がけの真剣勝負

Lord Eglinton Lord Tournament Edward Henry Corbould 1840 -

 トーナメント(馬上槍試合)は中世時代に流行った、騎士の技術を争う模擬戦です。
 日本語では馬上槍試合と言われていますが、団体戦や個人戦、馬上戦から徒歩戦、槍以外の武器の使用など様々なバリエーションがありました。団体戦はトゥルヌイ、個人戦はジョストと呼ばれています。「実技の練習や勇敢さをアピールする軍事演習」という名目ではありますが、初期の段階では命を落とす者が数十人単位で出たり、倒した相手の武具や馬を奪ったり、捕虜にして身代金を要求するという事が行われていました。時代が経るにつれて、騎士道精神が考えられるようになり、形式化されていきました。

 トーナメントは12世紀に人気を博して西洋中で行われていました。しかし、過度の人気ぶりに騎士の本来の仕事である「国や宗教の防衛」がおろそかになったり、死者が出たりすると、各地で「トーナメント禁止令」が出はじめます。13世紀になるとトーナメントの一部であった一騎打ち形式のジョストが盛んに行われるようになり、トーナメントから分離するようになりました。14世紀になるとトーナメントは廃れ、ジョストだけが生き残りました。イングランドでは1342年に、フランスでは1379年に催されたのがトーナメントの最後でした。一方、ジョストは17世紀頃まで残り続け、一時は廃れたものの現代まで伝統が伝えられています。
 では、トーナメントについての絵画13点をご覧ください。

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狂えるオルランドの絵画14点。十二勇士(パラディン)をモデルにしたイタリア叙事詩

angelika-and-medor  Orlando Furioso  Ludovico Ariosto -
 

 「狂えるオルランド」は、ルドヴィーコ・アリオスト作によって1516年に発行された、フランスを舞台にしたイタリアの叙事詩です。内容はマッテーオ・マリーア・ボイアルド作の未完の叙事詩、「恋するオルランド」の続編、「ローランの歌」の前日談という形式をとっており、シャルルマーニュと十二人の勇士(パラディン)の活躍、オルランドの失恋と発狂、イタリアの有力貴族であるエステ家の起源が書かれています。
 ある日、王主催の馬上試合にアンジェリカという美人の姫がやって来て、パラディンの一人オルランド(フランス読みでローラン)は恋煩いをしてしまいます。彼女を求めて世界中を旅し、再三の帰還命令も無視して歩き回るオルランド。しかし、恋は実らずに彼は発狂してしまうのでした。

 一方、フランスの女騎士ブラダマンテはイスラムの戦士ルッジェーロと恋に落ちます。敵同士であった二人は周囲の激しい反対に合いますが、困難にめげずに愛を貫き、結ばれます。こうして二人の子孫がエステ家となったのでした。また、他にも支流の物語がたくさんあり、その中にはオルランドの理性を求めて王子が月へ行った話、ルッジェーロがアンジェリカを救う話、中国やタタール人の王との戦いの話などが散りばめられております。めちゃくちゃ長い話で、登場人物も多いので、これらのことだけで全貌を知ることはできませんが、物語を知る一存になれば幸いです。
 では、狂えるオルランドに関する絵画14点をご覧ください。

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ローランの歌の挿絵13点。騎士ローランの武勲を称える、フランスの英雄叙事詩

Batalla_Roncesvalles -

 「ローランの歌」はシャルルマーニュの甥ローランを称える、11世紀に成立したフランスの英雄叙事詩です。
 シャルルマーニュには優れた12名の勇士(パラディン)がおり、その中の一人がローランでした。サラセン帝国の支配下にあるイベリア半島を奪い返そうと、彼等はスペインで戦闘していました。戦いは優勢となり、サラセン側の王は停戦交渉を持ち掛け、もしシャルルマーニュがフランク王国へ帰るなら、自分はキリスト教へ改宗して人質をも差し出そう、と言いました。条件を呑もうか考える王に、ローランは「止めよう。罠だ」と、ガヌロンは「受け入れよう」と進言しました。
 結局シャルルマーニュは条件を呑むことにして、使者を誰にしようか悩みます。そこで、ローランは「ガヌロンを推薦する」と言って、それが採用されました。しかし使者の役目は危険がつきもの。ガヌロンは「自分を殺して、領地を乗っ取るつもりか?」と疑心暗鬼に駆られ、ローランへの復讐を目論んでしまいました。

 使者としてサラセン側へ行ったガヌロンは、退却しようとしたシャルルマーニュの軍を背後から襲撃し、ローランを殺害しようと王たちと計画を立てました。フランク王国へ帰ることを決めたシャルルマーニュは、「最後尾を誰にしよう」と言うと、自軍へと戻ったガヌロンはローランを推薦します。殿軍を務めることになったローランの元に、サラセンの大軍が押し寄せてきます。敵の余りの多さに軍は総崩れとなり、ローランはやっとのことで援軍を呼ぼうと角笛を吹きました。裏切りに気付いたシャルルマーニュらは直ぐに戦闘に加わり、更に援軍を寄こします。その間にローランは獅子奮迅の戦いを見せていましたが、親友は命を落とし、遂に彼も力尽きてしまいます。戦争には勝利したものの、英雄は戦場でその命を散らしてしまったのでした。
 中世と近代の二種類から、ローランの歌の作品13点をご覧ください。

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アーサー王の絵画13点。円卓の騎士を率い、国家統一を果たした伝説のブリテン王

Charles Ernest Butler, King Arthur, 1903 -

 アーサー王は5世紀後半~6世紀前半に生きた、ブリテン人の伝説の王です。
 彼はケルトの伝承において有名な存在なので、まとまった歴史や物語があるかと思いきや、意外にも原典となる作品は存在しておりません。中世の歴史書や騎士道物語に登場するアーサー王は設定や出来事が異なっており、現在伝わっているアーサー王という存在はそれらを一纏めにしたものと言えそうです。中世初期から彼に関する史実はちらほらとありましたが、1138年にジェフリー・オブ・モンマスが書いた歴史書「ブリタニア列王史」によって、アーサー王の伝説が世界中に広まることになりました。ジェフリーが描くアーサー像はサクソン人に勝利し、ブリテンやアイルランド、アイスランド、ガリアなどを含めた大帝国を築いたとされています。この時点で既にアーサー王の物語の要素が入っており、12世紀にランスロットと聖杯のエピソードが追加され、中世時期において栄華を極めましたが、その後廃れてしまいました。人気が復活したのは19世紀になってからで、現代においても物語は愛され読み続けられています。
 では、物語のあらすじを見つつ、アーサー王の絵画13点をご覧ください。

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トリスタンとイゾルデの絵画11選。妙薬を飲んだ二人は禁断の愛を交わし、絶命する

1916 John William Waterhouse -

 「トリスタンとイゾルデ」、もしくは「トリスタン物語」は中世時代から語り継がれている、悲恋物語です。
 起源はケルト(イギリス辺り)とされ、12世紀頃にフランスで物語としてまとめられて、13世紀頃にドイツや他の場所へと伝えられていきました。物語によって内容の変化がありますが、大筋はマルク王に仕える騎士トリスタンと、その王の妃イゾルデが愛の妙薬を誤って飲んでしまい、互いに惹かれ合って命を落としてしまうという話です。禁断の愛や悲劇をふんだんに盛り込んだこの物語は、現代でも人気があり、オペラや映画、歌劇や劇団となっています。
 中世と象徴主義の絵画をミックスさせながら、トリスタンとイゾルデの作品11点をご覧ください。なお、作品の場面と説明文が一致していない部分があるので、ご了承ください。


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中世ルネサンスのシュールな絵画をこよなく愛する。
師匠はヒエロニムス・ボス。
神秘とダークな作品情報を皆様と共有していきたいと思います。

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