放蕩(ほうとう)息子の物語は聖書の一部で、キリストのたとえ話に登場します。
父親と若い兄弟が暮らしていました。父親が弟に財産を分け与えた為、彼は他国へ旅立ち、そのお金で贅沢三昧で暮らします。遊び倒しているうちに大飢饉が起こり、無一文になった弟は豚の世話をして生計を立てることになりました。彼はユダヤ人だったので差別も起こり、非常に苦しい生活を送ります。ふと、彼は自らの帰るべき場所を思い出し、自宅へと帰ります。財産を食い潰した弟を兄は見下し、侮蔑しましたが、父親は息子をそっと抱き寄せ、その罪をゆるしました。弟は深く反省し、悔い改めたそうです。
これは罪人に対する神の愛を表しているようです。物語を読んで画家たちはこぞって自らのイメージする放蕩息子を描きました。自己の罪に揺れ、父の愛を得て嬉し涙を流す息子の、感動的なシーン9点をご覧ください。
「ヤン・ファン・ヘメッセン作 1536年」
綺麗なお姉さま方と、贅の限りを尽くして遊ぶ彼。
金は羽のように空を舞い、あっという間に底を付きる。
「ヒエロニムス・ボス作 1500年頃」
飢饉が起こり、貧乏人になり下がった息子。
彼は今、人生の岐路に立つ。自堕落生活へ戻るのか先へ進むのか。
(一説には流浪の旅人を描いた絵画とも言われています)
「サルヴァトール・ローザ作 1651-55年」
苦しい生活を続け、彼は天に祈る。「僕はどうしたらいいでしょうか」
「アルベール・アンカー作 1858年」
彼の心は決まった。思い描くのは、自らの生まれ故郷。「家へ帰ろう」
「中世絵画 作者不明」
どの面下げて戻って来た!と怒る兄。弟はただ頭を項垂れるばかり。
そんな彼の元へ父が駆け寄ってきた。
「チャールストンにある聖ヨハネ大聖堂のステンドグラス」
父親は彼をそっと抱きしめ、「おかえり」と言った。
「レンブラント・ファン・レイン作 1662-1669年」
弟はその優しさに涙を流し、父に許しを乞うた。
「気にすることはない。お前が帰って来たのだから、喜ばずにはいられようか」
「ポンぺオ・バトーニ作 18世紀」
泣きじゃくるばかりの息子に、父は優しげな表情で抱擁し続けた。
「ポンぺオ・バトーニ作 18世紀」
「せっかく帰って来たんだ。祝宴でもやろうじゃないか。ぱーっとな」
「・・・うん、父さん!」
すいません。ふざけて小説調にして、ラストも変なオチ付けちゃいました。家出する息子に、それを快く受け入れる家族。その感動的テーマは日本でもよく見られるように思えます。いつの世の中にも、家の財産で遊び呆ける放蕩息子っていますよね。悔い改めれば神の愛が受けられますが、遊んでばかりいると悪魔が地獄へ連れていっちゃうかもしれません。
【 コメント 】
>> 美術を愛する人様へ
ご指摘いただきありがとうございます!
根本的なところを間違えていたなんて、面目ないです…。
早速訂正させていただきました。
ルカの福音書なので新約聖書ですね