トロイ戦争の絵画12点。数々の英雄を巻き込んだ、ギリシャ最大規模の伝説の戦争 | メメント・モリ -西洋美術の謎と闇-

トロイ戦争の絵画12点。数々の英雄を巻き込んだ、ギリシャ最大規模の伝説の戦争

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 ギリシャ神話で語られているトロイ戦争は、小アジアのトロイと、ミケーネを中心とするアカイア人との戦争です。
 事の発端は不和の女神エリスが「一番美しい人に」と言い、林檎を投げたからでした。三名の女神が「私よ!」と争い、審判をトロイの王子であるパリスに任せることにしました。パリスは「世界一美しい女をあげる」と言ったヴィーナスを選びました。(→ 詳しく知りたい方はこちら) 愛の女神の導きで、パリスはスパルタ王メネラオスの妻ヘレネをさらって行ってしまいます。それに激怒した王は、ミケーネ王である兄アガメムノンに援助を申し入れ、英雄オデュッセウスと共にヘレネの返還を求めました。しかし、パリスは聞き入れなかったので、戦争にまで発展してしまいます。

 アガメムノンを総大将とするアカイア軍はトロイ近くの砂浜に上陸し、待ちかまえていたトロイ軍と激突しました。お互いの力は拮抗し、決着が付かないまま10年が経ちます。パリスの兄でありトロイの武将ヘクトルは英雄アキレスによって討ち取られ、アキレスはパリスによって弱点のかかとを射られて命を落とします。こうして双方多大な犠牲を出しながら、戦争は続けられます。しかし、オデュッセウスが奇策「トロイの木馬」を考案したことにより、状況は一転します。内部に大量の兵士を潜ませた巨大な木馬は、計画通りトロイの街内へ送り込まれ、トロイは夜中に奇襲されて陥落することになります。こうして長きに渡った戦争は終結を迎えたのです。
 数多の英雄たちが争い、散っていったトロイ戦争の絵画12点をご覧下さい。

「Pacceco de Rosa  作  1615年」
戦争の起こりは三名の女神が美を競い、パリスに審判をさせたことでした。
彼は「一番美しい人間の女をあげる」と言ったヴィーナスを選びました。
→ パリスの審判の絵画をもっと見たい方はこちら

「ギャヴィン・ハミルトン作  1784年」
ヴィーナスの手引きにより、パリスは世界一の美女ヘレネをさらいます。
しかし、彼女はトロイの王メネラオスの妻でした。もちろん王は怒り、
妻の返還を強く求めます。パリスはそれを撥ねつけました。

「イーヴリン・ド・モーガン作  1855‐1919年」
パリスの妹であるカサンドラは「このせいで我が国は崩壊する」と周囲に
伝えますが、アポロンの呪いを受けていた彼女の予言を信じる者は
誰もいませんでした。
Evelyn De Morgan

「Claude François de Malet (?)作  18世紀頃」
メネラオスは兄アガメムノンの元へ援助を申し入れ、名立たる英雄たちの
力を得ます。絵画はオデュッセウス(右)がアキレス(左真ん中)を呼び入れ、
船に乗せている場面です。

「Gottlieb Schick  作  1801年」
メネラオス、アガメムノン、オデュッセウス、アキレスたちは遠征軍を
組織し、10万の軍、1000隻以上の大艦隊を率いてトロイまで押し寄せます。

「ベルギーのトゥルネーにあるタペストリー   1475-90年」
しかし、トロイ側も負けてはいません。籠城作戦を用いたトロイは、
堅い防御でアカイア側を苦しめました。非常に大量の人物が織られて
いて、凄いタペストリーですね。左はトロイ側、右はアカイア側でしょうか。

「Donato Creti 作  1671‐1749年」
パリスの兄であるヘクトルはアキレスに討ち取られ、見世物として
馬車に引かれました。そしてアキレスはパリスに射られて殺害され、
パリスは英雄ピロクテテスによって射られて命を落とします。
血で血を洗う戦いは10年間続けられました。

「ニコロ・デッラバーテ作  1512-71年」
そんなトロイ戦争に終止符が打たれる時がきます。知将オデュッセウスは
巨大な木馬を作り、その中に大量の兵士を入れてトロイへ送り、
全軍を一旦引かせました。「トロイの木馬」作戦の始まりです。

「ピーテル・サウトマン作  17世紀」
「アカイア軍はアテナを恐れて逃げた。巨大な木馬は女神の怒りを
鎮める為に作った」と捕虜役のシノンが言うと、トロイ側の人々はそれを
信じました。神官ラオコーンと子供達が「嘘っぱちだ!」と木馬を槍で刺すと
海から蛇が現れて彼等を殺したので、人々はますます信用しました。

「二コラ・プッサンの工房作  17世紀」
木馬は無事にトロイの街内へ入れられました。そして夜中になり、
内部に潜んでいた兵士たちは次々と人々を襲いました。
目指すのは城内のトロイ王プリアモスです。

「Pietro Benvenuti 作  1769‐1844年」
アカイア軍は城内を暴れ回り、プリアモスはアキレスの息子
ネオプトレモスによって討ち取られました。
こうしてトロイ国は滅亡してしまいました。

「フェデリコ・バロッチ作   1598年」
しかし、トロイの武将アイネイアスとその家族は燃えさかる戦乱の最中、
無事に苦境を逃れることができました。彼はイタリア半島まで移動し、
後のローマ建国の始祖になったという伝説があります。

 トロイ戦争はギリシャ神話の物語
ですが、実際に戦争が起こったらしい遺跡が発見されたことで有名ですね。19世紀の考古学者シュリーマンが遺跡を見つけたことは歴史の教科書にも掲載されています。その後の研究で、紀元前1200年頃の地層の遺跡に、人骨の破壊などの激しい戦争の跡が見られ、それがトロイ戦争時代の遺跡ではないかと考えられています。しかし、この時代は青銅器時代で、アカイア人との戦争であったとする根拠は何もありません。ましてや物語に登場する英雄が実際にいたかどうかは、全く知り得ないのです。
 ですが、英雄たちが本当にいたのならばわくわくしますね。遺跡の風化によって真実は失われず、これからの調査で新しい発見があることを期待します。

→ トロイの木馬についての絵画をもっと見たい方はこちら
→ ヘクトルについての絵画をもっと見たい方はこちら

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